4-14 エアリアルからの電話
梁子たちは病床の美空に別れを告げると、集中治療室を出た。
廊下には一人の警官が立っている。
「真壁巡査……」
それは、梁子が今一番会いたくない人物だった。
「やっぱり、心配で戻ってきちゃいました」
申し訳なさそうに笑う。
梁子はそんな真壁巡査から顔をそらすと、千花をうながしながら帰ろうとした。その背を、引き留めようとするかのように声がかかる。
「上屋敷さん!」
「……」
梁子は、思わず立ち止まる。あの声を聞くと、どうしても体が反応してしまう。
「自分は……犯人が被害者を狙ってここへ来るかもしれない、そういう危険があるかもしれないから残らせてほしいと、上司に頼みこんで戻ってきました。でも、理由はそれだけじゃない。あなたに……いろいろ確認したかったからです」
「……」
「上屋敷さん、大丈夫なんですか?」
さすがに黙っていられなくて、応える。
「……何がですか」
「こんなことになって、あなたは今とても動揺されているはずです。被害に遭われたのは、上屋敷さんのご友人なんですよね?」
「ええ……」
「あなたは……いろんな事件にかかわっている。消えた家のときもそうだった。あなたは何者かに通報されて……。一人暮らしの老人が孤独死したときもそうだ。あなたはそのご家族に用があると言っていた。そして、今回の殺人未遂事件も……あなたの身近な人が被害に遭った。いったい、何が起こってるんです」
「……」
梁子は言わないでいることにした。真壁巡査にエアリアルのことは話せない。話したらどんな影響が出るかわからない。彼を巻き込むわけにはいかなかった。
「……何を、言ってるのかわかりません。たしかに『たまたま』そういったことに遭遇してきました。でも、本当にそれだけです。あの、もう帰ってもいいですか? もう遅い時間ですし」
「待ってください。あなたは、何か隠している。俺にかかわらせないようにしている。そうじゃないんですか」
食い下がってくる真壁巡査に、梁子はうんざりする。
正面を向いて鋭い視線を投げかける。
「いい加減にしてください! 何を根拠にそんな……」
「根拠なんかありませんよ。ただ、警察官としての『カン』が、そう言わせてるんです」
「……」
「上屋敷さん、もっと俺を頼ってください。前にも言いましたが、俺はあなたにできる範囲の助力をしていきたい。何か困っていることがあるなら……」
「結構です! あなたの助けなんか、いりません。失礼します!」
これ以上話していられないと踵を返して帰ろうとする。
だが、その時、ちょうど梁子の携帯端末が音を立てて鳴った。誰だろうと思いながら画面を見ると……それはエアリアルからだった。
「ちょっと……すみません」
二、三歩、真壁巡査から離れ、震える手で通話ボタンを押す。
「はい。もしもし」
『ああ、どうも~! 上屋敷サン。ご無沙汰していマス!』
「エアリアルさん!」
うきうきと楽しそうな明るい声が聞こえてくる。梁子は思わずとがめるように叫んだ。
こんな非常時だというのに……どうしてそんなのんきな声を出せるのだろう。いろいろあったことを、すべて向こうは知っているはずなのに。梁子はその神経が全く理解できなかった。
千花が、ハッとしたような表情を浮かべている。梁子の受け答えで電話の相手がエアリアルだと察したのだろう。
「梁子さん……」
梁子は手をかざし、それ以上千花が何か言おうとするのを制した。
そうこうしているあいだに、エアリアルが淡々と話しはじめる。
『さて。突然デスが、今日は「映画を観に行かれた」ようデスね? 上屋敷サン』
「……!」
梁子はドキリとする。お茶を飲んだだけでこちらの情報が向こうに筒抜けになるなど、半信半疑だったが、ようやく確信した。やはり、本当のことだったのだ。
沈黙した後、しぶしぶ答える。
「……ええ。観に行きました」
『そうでしたカ。来ていただいてありがとうございマス。楽しんでいただけましたカ?』
「ええ。途中までは」
『途中まで、デスか……。お友達と映画鑑賞、とても結構なことデス。けれど……あれからすべてのVR3D機器が異常を起こしてしまいましタ。一応お訊きしますが、あれはあなた方のせいデスか?』
「……さあ、どうでしょう」
梁子は万が一のことを考えて、言葉をにごした。
エアリアルはそんな梁子を面白そうに笑う。
『フフフ。おそらくあなた方でしょうが……証拠はありませんからネ。まあ、いいとしましょう。それより、だいぶ大変なことになっているようデスね?』
「何が、ですか?」
『とぼけなくても結構デスよ。すでに気付かれてるのでしょう? ワタシたちがアナタを監視していることを……さきほどの受け答えで、それを証明していましたネ。映画のことを質問したとき、まだわかっていないのならば、普通は「どうしてわかったのですか?」と言っていたはずデスから』
しまった。今まで悟られないようにしていたのに、わずかな受け答えで露見してしまった。梁子は歯噛みする。
『フフフ……そもそも、あの時間を操る妖精、デスか? あれで時を止められていると、その間は把握できませんからネ。秘密の作戦会議でも開かれていたのでしょうカ。先ほどの質問をするまでは確信が得られなかったのデスが……そうですか。どうやらその通りだったようデスね。お茶の件……いつ知ったのですか? ああ、そちらの神様がDを食べてからデスか』
「ええ……そう、です」
『やはり。その場合、どこまで情報が吸い取られるのかわからなかったのでいろいろ忘却させておいたのデスが……やはり完璧ではなかったみたいデスね。いったいどういう仕組みなんでしょうカ、そちらの神様は……。やはり非常に気になりマス』
「……」
梁子は背中にじっとりと嫌な汗をかいた。
いったい、どこまで見通しているのだろう……そう思うとぞくりと身震いしてしまう。
『とにかく、そのお茶を飲んでいただいたおかげで、いろいろ教えていただけましタ。ありがとうございマス。ああ、しかし、アナタのご友人が被害に遭われたのも見ましたが……とても、可哀そうでしタネ。深く深く同情いたしマス』
「よくも……そんなことが言えましたね。この一連の事件は、アナタたちが起こしたことなんでしょう?」
『それは……誤解デス。あくまで「彼」自身の行いデス』
「彼?」
『連続殺人犯と目されている男デス。我々の実験に付き合ってもらっていマス』
「実験って……犯人を、知っているんですか?」
『ええ。意図せず我々の実験に付き合ってもらっている男デス。今、とある家に住んでもらっているのデスが……彼はその実験施設に住むようになってから、殺人衝動を抱くようになってしまいましタ。でも、これは誓って言いマスが、誰にいつ襲撃をかけるかなどの指令を、ワタシが下していたわけではありません。あれは、あくまで「彼自身の意志」。この実験は「衝動」をどう擬似的に発生させるかという試みデスからね……「過程」の方が重要で「結果」はさして意味がないのデス』
「意味はないって……結局アナタたちのせいで、殺人犯が生まれてしまったってことなんですか!? そんな……だったらそんなの無責任です! あの、エアリアルさん。世間に大きな被害が出ているんですよ? それがわかっているなら、すぐにその実験を中止……」
『中止、デスか? そうデスね……今、我々は他の実験で忙しくて、そこまで手が回らないのデス……。大きなニュースになってしまっていて、それはそれで頭の痛いことなのデスが……ああ、そうだ! 良かったらその犯人をアナタがどうにかしてくださいませんカ? そのお礼に、その別の実験は先送りにいたしマスから……』
「なっ……!」
梁子はその提案に驚愕する。いったいどの口が言っているのだろうか。
電話の向こうのエアリアルは絶対、意地の悪い笑みを浮かべている、なぜかそう思った。
『どうせ、もうわかっているのでしょう? この街をその実験場にすることも……。フフ、いいデスよ。それをどこかに暴露したり、止めようとなさっても。ただ、どうやったとしても誰もこのことを信じないでしょうし、止まることもないデスけどネ……。その犯人をどうにかしてくださるのなら、少しだけ待っていてあげマス。アナタたちがこちらに来るまで……ネ。フフフ』
「エアリアルさん!」
なんという一方的な言い分か。身勝手にもほどがある。梁子は一気に頭に血が上った。心のどこかでは、この案を呑むしかないだろうということはわかっている。しかし、そう簡単にはうなづけなかった。それほど、腹の底は煮えくりかえってしまっている。
梁子は、血反吐を吐くような思いで苦々しく口を開いた。
「どうして……待っていてくださるんですか」
『さあ? ひとつだけ言えるとしたら……アナタ方の力をもっと研究したいからでしょうネ。そのためにはワタシはどんなことだってしマス。その大がかりな実験も……とある研究の一過程にすぎないのデス。だからさして重要ではないのデス。重要なのはむしろアナタ方の方……。ワタシはいろんな研究をしてみたい! ワタシの目指す理想の世界のために……。それには、アナタ方の力が必要なのデス。理由はまあ、そんなところでしょうカ』
「……そうですか。よくわかりました。不本意ではありますが……協力いたします。犯人のことは、こちらでなんとかします。でもこれは、わたしたちのためであって、決してアナタのためじゃありません。よく覚えておいてください……。わたしは、こんな非人道的なこと……許せません。絶対に止めてみせますから!」
『ああ、それは楽しみデス。どのような行動を起こしてくれるのか……心待ちにしていましょう。ああ、そうだ。この際だから言っておきマス。契約はいつ破棄されてかまいませんカラね。それでは……これで』
「……」
急に通話が終わって、梁子は茫然とした。最後に相手はなんと言っていただろうか。契約を破棄? それはこちらも望んでいたことだったが、あまりに唐突だった。
それにしても、一気にいろいろなことを言われた。梁子はよろよろと壁に寄り掛かる。
「梁子さん! 大丈夫?」
『大丈夫か、梁子』
千花と、サラ様が心配そうに声をかけてくれる。
「千花ちゃん……。大丈夫です、ちょっと、エアリアルさんと話していたんですが……頭にくるようなこと言われましてね」
「いったい何を……」
「とんでもない提案をされました。まだあまり納得できてないんですけど……。サラ様、今の話、聞いてましたよね?」
近づいてきた千花に微笑んでみせてから、サラ様に話しかける。
サラ様は姿を見せないまま、梁子にだけ聞こえる声で言った。
『ああ。やつめ、さらっと無茶を言ってきおったな』
「ですが……やるしかありません」
『危険だぞ。殺人犯と対峙するなど……』
「それでも……他に方法がないです。エアリアルさんのところへこのまま行っても……約束と違う働きをしたら、あの例の発電実験をすぐに始められてしまうかもしれません」
『そうだな。だが……もしかしたらやつは、わしを消滅させようとしているのかもしれんぞ』
「えっ?」
『殺人犯とぶつけて、梁子に危険が迫ったら……わしは最悪その犯人を殺さねばならん。そうなった場合……その瞬間にわしは術が完成して消えてしまう。やつが知りたかったであろうこの力はなくなってしまうが、やつ自身が殺される危険もなくなるからな。そういった狙いがあったのやもしれぬ』
「そん、な……」
『ああ! まったく本当に! やっかいな! すでに対策をとられてしまっているとはな。映画館で異常が起こってからか……? だがやつの口ぶりからすると、殺人犯を直接こちらに差し向けていたというわけではなさそうだったしな……。いったいどういうカラクリなのだ』
「とりあえず……どうにかしてこの依頼を遂行しないと。それまでは、あの『壮大な計画』を止めていてくれるみたいですし、やるしかないですよ。しかし、殺さないように捕まえたりしないといけないんですよね……。犯人はいったいどこにいるんでしょう。エアリアルさんは……何も教えてくれなかったですね」
『少しでもわしらと再会するまでの時間をかせぎたいのだろうな。ああまったく! こしゃくな! こちらでどうにか探すしかあるまい!』
「ええ……」
はあ、と深いため息を吐いていると、いつのまにか近くに真壁巡査がいた。
そうだ。エアリアルからの電話に集中していたのですっかり忘れていたが、そばにはこの人物がいたのだった。
「上屋敷さん。たまたま、『聞こえて』しまったのですが……何か興味深いお話をされていたようですね?」
「えっ、えっと……な、なんのことでしょう」
「しらばっくれないでください!」
びくっとして、梁子は真壁巡査を見返す。
「やっぱり、何かに巻き込まれてるじゃないですか! さあ、吐いてください! いったい誰に何を脅されているんですか!?」
「えっと、それは、その……話せません……」
「はい?」
半ギレになっている真壁巡査に、梁子は申し訳なさそうに告げる。
「すみません。信じてもらえないでしょうし……それに、アナタを巻き込みたくないんですよ。わたしと、これ以上かかわりあいになるのは……」
「いい加減怒りますよ、上屋敷さん! 巻き込みたくないって……そういった危険から市民を守るのが警官なんです! あなた一人守れなくて何が警官ですか! ここまで聞いておいて、みすみす見逃すなんてこともできません。俺を、あんまりなめないでください!」
「真壁巡査……」
大きな声をあげていたので、近くを通りかかった看護士がシーッと口の前に指を立ててきた。軽く咳払いをして、真壁巡査は看護師に頭を下げる。
「す、すいません……。と、とにかく! そんなこと上屋敷さんが心配する必要なんてないんです。自分の身は自分で守りますんで。あの、いいから、早く話してください!」
「……」
梁子は助けを求めるようにそばにいた千花を見る。千花は大きくうなづいた。
「梁子さん、聞いていた限りだと……さしあたってその連続殺人犯をどうにかしろってことなんだね?」
「え、ええ……」
「だったら、今は一人でも協力者が多いほうがいい。エアリアル博士がこっちの予測通りの動きをするとも思えないし……万が一ってこともありえるから。あの犯人をどうにかすれば壮大な計画を止めていてくれる、ってこと?」
「はい、そんな感じです」
「そっか……。なんだか、いいように操られている気がするね」
「まったくです。でも、犯人を野放しにしておきたくないっていうのはこちらも同じです」
「そうだね。もし犯人に美空さんがまだ生きているって知られたら……」
梁子はごくりと唾を飲む。
「……ええ。真壁巡査の言っていたように、その犯人にまた襲撃されるかもしれませんね……」
「うん、そのためにはいくつか予防線を張っておかないと、ダメだと思う。あれ? 今、梁子さん『真壁巡査』って言った? えっ、この人って、もしかして……」
「ええ……その『もしかして』です」
「えっ? こ、この人が……? そう。ねえ、梁子さん。上屋敷家の内情って……この人に話したの?」
「ええ。一通り話しました。このあいだ……会った時に」
「わかった……。じゃあやっぱり、エアリアル博士のことも話して、協力してもらったほうがいいよ。梁子さんの家のことを知っても、まだこうして変わらずに接してくれるわけだし……そっち方面の耐性はあると思う」
「そう……ですか。わかりました。本当は話したくなかったんですけどね……しかたありません」
梁子は意を決すると、真壁巡査を真正面から見つめた。
そして、エアリアル博士のことや、今現在起きていることなどを説明しはじめる。真壁巡査ははじめは驚いていたが、それでも徐々に理解を示してくれた。
真壁巡査には、引き続き美空の警護をしてもらい、梁子たちはその間に犯人の足跡を追うということで確認をとる。
「あの上屋敷さん、それは……ちょっと危険ですよ! 捜査は全部警察がやっていますから……そんな無茶はしないでください」
「真壁巡査……相手は少し変わった状況にいるんです。不可思議な力がきっと働いています。だとしたら、警察が対応しても犯人を捕まえられないかも……しれません。ですから、ここはわたしたちにやらせてください。エアリアルさんにも直に頼まれましたし……どちらにしろ、これはわたしたちがやらなきゃならないことなんです」
「でも……! 俺は、心配です!」
「真壁巡査……お願いいたします。あなたはここで美空さんを守っていてください。もし犯人を見つけたなら、きっとアナタに連絡しますから」
「しょうがないですね。その時は、絶対に一人で……いや、女性たちだけで行かないでくださいね。あなたに強力な神様がついてらっしゃってても……なんらかの危険が、及ぶかもしれない。俺は、あなたを絶対に危険な目に遭わせたくないですから」
「……わかりました。では」
梁子はあわてて顔をそらし、病院の外へと向かった。
思わず赤面しそうになってしまう。なんて熱い言葉と視線だったのだろう。
「梁子さん! い、いいの?」
千花が、真壁巡査と梁子を見比べながら追いかけてくる。梁子はにっこりほほ笑むと前を向いて宣言した。
「ええ! さあ、行きましょう。とっとと犯人を見つけないと!」