4-9 猫の精と屋敷神たちの戦い
『さて、お前にはいろいろと訊いておきたいところだが……まあ、どのみち喰ってしまえばわかるか。ゲンに、これ以上負担をかけさせるわけにもいかぬしな。とっとと終わらせよう』
サラ様の、ターを見る目つきが変わる。そう言って、ニヤリと笑うと一歩前へと進み、相対する。
トウカ様が少し不服そうに口を開いた。
『待て、蛇の。こやつにはいったいどんな力があるのだ? お主だけ知っておるのは癪だ、わらわにも教えろ』
『ああ、そうか……そうだな。先に少しだけ説明しておくか。この猫は……生き物の意識を乗っ取ったり、操作することができる』
「え? それって……」
サラ様の言葉に、思わず梁子がつぶやく。
「もしかして、あの時の野良猫たち……」
梁子は、はじめてエアリアル邸に行った時のことを思い出した。真壁巡査と裏庭に行った時、たくさんの猫たちに襲われた。あれを操っていたのは……ターだったのか。たしかに「友達」とか、「襲わせる」などと言っていたような気もする。
『そうだ。あの時の野良猫たちを操っていたのはこやつだ。それも……衣良野を喰ってわかったことだがな。それと、それ以前にも、こやつは箒に乗って空を飛んでいた。あれも、箒の精と意識を共有することができていたからだ。といっても、箒の精も幻覚使いだったからな、意識を同調させるのになかなか苦労したようだぞ?』
「なっ……なななっ?!」
暗にターが墜落したことを言ったようだった。ターはその説明に顔を赤らめる。
「そっ、そんなご丁寧に説明されなくたっていいよっ。あれは別に……その、ちょっと調子が悪かっただけだ! 何? Dはそんな風に思ってたってこと?」
『そのようだな。なに、あのような醜態、下等な付喪神ごときが恥じるべきことではない。むしろ……今この時を恥じるべきだな。わしらを謀ろうとしたことを』
「相変わらず……エラそうな神様だよね。『神様』とはいえ……その上から目線、本当にムカつくなあ」
ターは心底イラついているようだった。眉根を寄せてがりがりと腕を引っ掻いている。
『ムカつくなどと。それこそこちらのセリフだ。最初からお前たちがこちら側に協力的であれば、このようなことにはならなかったのだ。それを……ここまでされたとあれば、もちろんそれなりに対処はさせてもらうぞ? 恨むならお前のマスターとやらを恨め。まったく下僕使いは荒いわ、妙な小細工はするわ……とんでもないやつだ』
「マスターのこと、悪く言わないでくれる? 彼女には彼女なりの信念があるんだ。そのために手段は選ばない……ただそれだけだよ。ボクたちもそれに付き従うまで……外野にどうこう言われる筋合いはないよ。それに、大人しくボクがこのまま食べられると……思わないでよっ!」
そう言うと、ターはフーッと言いながら髪の毛を逆立てた。まさに威嚇をしている猫のようである。
「な、何してるんですか?」
『さあ、な』
梁子の疑問にサラ様はひどくつまらなそうに答える。現に、些末な問題であったらしい。
しばらくすると、ターは肩で息をしはじめた。
「なっ、なんで……? どうして人間たちが動かないんだ?!」
あたりを見回しながら驚愕しているターに、梁子は同じ疑問を投げかける。
「あの、本当に……何してるんですか? わたしにはまったくわからないんですけど……」
「う、うるさいっ!」
『ふん、あらかた観客たちを操って、わしらをかく乱しようとしたのだろう。けれど……そこはそれ、わしら以外のすべては、そこのゲンの力で時が止まっておる。操作しようと思っても何もできぬはずだぞ』
「えっ、ターさん、そんなことをしてたんですか?! あの……大丈夫です、か?」
「はあ、はあっ、時間を止めてた、だって? それで……さっきもボクの幻覚を途中で抜け出していたのか! 映画の幻覚を見せている間は、どうやっても覚醒できないようにしていたのに! なんてことだ。それをそこの……ゲン、とかいう小人が止めてたっての?」
『そうだ。この場においてはわしらの方が有利だぞ? 神が二柱に、時間の妖精が一人。対するお前は一人きり。さあ、どうする?』
「くっ……」
奥歯を噛みしめながらターは一歩後ずさる。
何度毛を逆立ててみても、観客たちは微動だにしない。彼女の焦りがこちらにまで伝わってくるようだった。
「くそっ、時間を止めてボクの干渉を受け付けなくしてたなんて……! ん? 待てよ。今この場で動いているのは……」
何を思ったか、ターはちらりと一人の人間に目を向けた。
それは、美空だった。
ターの瞳がきらりと光ると、美空はゆらゆらと己の意志とは無関係に千花の方へと向かっていく。
「えっ? えっ? なんで……? これ、どうなってるんだい?!」
「ミク!」
美空とゲンさんがわめくが、一向にその足は止まらない。やがて、千花の目の前までくると、美空はゲンさんを足元に置き、そして……開いた両手を千花の首へと延ばしはじめた。
「わわっ! 千花ちゃんっ! な、なんでこんなことっ!? ご、ごめんっ!」
ぐっと、手がかけられ、その細い首が締められていく。
美空は上半身だけでも引きはがそうと動いたが、全く思い通りにならなかった。
「うわーっ! や、やめろっ! アタシの手ッ!」
『いかんっ! 千花と梁子はわらわたちの護りで無事じゃったが、この娘だけは……。くっ、蛇の。何をしておる! 早くそやつを仕留めんか!』
トウカ様はしゅるりと植物の蔓のような光の線を伸ばすと、美空の手を縛り付ける。また、ターの方へも蔓を伸ばす。それ以上、美空に首を絞めさせないためだ。
「なんだ、この蔓?! ボクに絡みついて……くそっ! こっちの変なやつも……ヤバいやつだったのか?! 離せっ!」
ターは叫ぶが、だんだん体をぐるぐる巻きにされていく。
『化け猫め。千花に危害を加えようとしたこと、許せぬ! 地獄の底で後悔するがよい!』
ぎりぎりとトウカ様の蔦がターの体を締めあげる。
「ぐっ! うああっ!」
自分の幻影がみるみる歪んでいくのをターは苦悶の表情で見つめていた。
梁子はそれぞれの成り行きを、固唾をのんで見守っている。
ちらりとサラ様を見やると、顔を大きく膨らませはじめていた。そしてくぱっと口が開いたかと思うと、あっという間にターへと襲いかかる。ターは次の瞬間には頭からすっぽりと飲み込まれていた。
「うわあっ! ま、マスターッ! ガーネット……!」
最後の方はなにか小さくつぶやいていた気もするが、それは誰の耳にも届くことはなかった。黒いワンピースの少女はきれいに消え去り、後はもぐもぐと口を動かしているサラ様だけとなる。
「はあ、はあっ!」
ようやく、美空が千花から引きはがされた。己の両手をじっと見つめる美空。だが、すぐに我に返り、千花へ向かってぺこぺこと頭を下げはじめる。
美空の顔はなんとなく青ざめているように見えた。それはそうだ。異様な光景が次々と目の前で展開されたのだから。
『驚かせたの……美空とやら。わらわは千花の家の屋敷神、トウカと申す。千花に害を成すものがおれば、こうして排除するが役目なのじゃ……。許せ。先ほどは、ああしても仕方のない状況じゃった』
すうっと美空の前まで移動して、トウカ様があやまる。
「い、いえ……むしろ、止めてくれて助かりました。ありがとうございます。千花ちゃん……大丈夫かい?」
「うん……」
「たいしたことなくて良かった……。本当、ごめん」
美空が恐縮していると、続いてサラ様も口を開いた。
『わしも……梁子や皆のために、やつを排除しようとした。普段のわしの主食は「間取り」だが……このように異形のモノを取り込むこともある。異例中の異例だがな。それでも、通算で言えば……三度目にはなるか』
「えええ? そんなたくさん食べてるのかい? じゃあ、もしかしてゲンさんも食べようと思えば食べられちゃうって……わけ?」
『まあな』
「ぜっ、絶対やめてよ?!」
冷静さを取り戻した美空が思わず突っ込む。
サラ様はいたって平然としていた。
『なに、協力者であるうちはそのようなことはせん。それに……今喰らったやつは生者ではない。わしは基本、生者を喰うことはせんからな……ん? やはりこやつ、複製体か。難儀だな……本体は……』
「え? ちょっと、サラ様。何言ってるんですか? さっきのターさんは……猫の精、つまりサラ様的に言うと付喪神だったわけでしょう? 彼らだってこの世に生きる、一個の人格を持った生き物じゃないですか。ちゃんと……生きてるって、言えると思います。その、サラ様や、トウカ様だって……」
少し怒り気味に梁子が言い募る。
そんな風に言ったら、ゲンさんだって不二丸だって、生きていないということになる。梁子はそれだけは、美空や千花の前で言ってほしくなかった。
その思いを感じ取ったのか、サラ様がやんわりと訂正する。
『梁子……。そうだな。たしかに、わしの言い方が悪かった。許せ。だがこの猫は……たしかに「複製体」だった。本体では、ない。それも生きていると言えるかどうか……』
「ふ、複製体?」
『ああ。現代で言うと、クローンというやつだな。てっきり本体だと思ったのだが……喰ってみて違うとわかった。本体はまだあのエアリアル邸にいる。この複製体は……つい最近作られたもののようだ。まだこの建物の中に複数いる。映画の上映数分だけ作られたようだな』
「ええっ!? つ、作られた? そ、それって……。そんな……付喪神も作れるなんて、まるで」
『ああ。それではまるで……』
「サラ様みたい」
ごくりと、梁子は生唾を飲みこむ。
サラ様も同様に深刻そうな顔をしていたが、すぐに話を切り替えてきた。
『とりあえず、今はそのことを深く考えている余裕はない。それよりも、すぐに他の複製体を破壊してこなければ……。しかし、あの女科学者、本当に醜悪なものを作ったな。わしらのデータまでは消去できんか』
「ええ? ちょっと……また意味がわからないんですが! あの、いい加減、わたしにもわかるように解説してくださいませんかね?! お願いですから!」
情けない声を出しながら訊く梁子に、サラ様はため息をついた。
『はあ、まったく仕方ないな……。面倒だが、他の皆も知らぬことだから話しておこう。よいか、この映画は……幻影という名の映像を見せられている間、観客の「個人情報」を抜き取られる仕掛けになっていたのだ。幻影を見ているときの脳の思考パターンから、それを逆算して抽出されるようになっておる』
「え? 個人……情報?」
『ああ。観客それぞれが、どこのどいつで、どういう嗜好があり、誰と知り合いなのか……そうしたすべての情報を抜き取れるようになっていた。映画というのはあくまで「おとり」だったようだな。本当は、情報を収集するためだけの装置……』
そう言って、サラ様は卵型の機械を見上げる。
『観客たちの情報も、ゆくゆくは有効利用されるのだろう。それらを必要とする企業等に売られたりしてな……。すでに使われているところもあるようだ。抜き取られた情報は、もう他の場所に転送されていて回収ができん。これは、梁子が飲まされた「お茶」のようなものだな……。あれは梁子が見た物や話した事柄だけを転送するというものだったが、この機械は別だ。すべての思考パターンが抽出される。映画を観ている二時間半の間にな……』
「そんな! ということは……」
『わしらが見たのはさわりの10分くらいだったから、全部は盗られていないだろうな』
「そうですか……それなら良かった」
梁子はホッと胸を撫で下ろす。
『だが、すでに観終わった分のデータは、向こうの手に渡っている。少ないながらも、それがどのように使用されるかは……わからん。あやつのことだ。十中八九、悪用されるだろうな。それに、すでにお茶によって梁子の情報はほぼ筒抜けだ。もちろん梁子を通した、千花や、美空の分も……』
「な、なんだって?!」
美空がひときわ大きく声をあげる。
「それが本当なら……ま、まずいじゃないか! なんってトンデモ科学だ! その女科学者って……いったい何者だ? お、おい、だとしたらここにいるやつら全員どうなるかわからないってことかよ? あ、アタシも……ゲンさんも? ああ、どうしよう! 千花ちゃん、残念だけど……ゲンさんや梁子の神様が言ってたことが当たっちゃったみたいだ!」
「うん、そうみたい……だね。とても残念、だよ。でも仕方ない。その科学者が全部悪いん……だから。千花たちは誰も、何も悪くないよ」
千花はそう言って瞑目する。
そして再度目を開けると、何かを決意したようにサラ様に語りかけはじめた。
「サラ様。これって、かなりの『大犯罪』だけど……警察か、マスコミにリークしないの?」
『うむ……それはわしも考えた。だが、あの女科学者の出資者が不明だ。そこまでは衣良野も、ターの複製体も知らなかった。たとえどこかに訴え出ても、これだけの事業だ……おそらく有力な出資者がいるだろうな。そしてそこからもみ消されるとみた』
「そんな……」
『まあ、なんにせよ、大元を叩けばすべてが終わる。わざわざその方面であがく必要はあるまい』
「叩く? エアリアル博士を? ……止められるの? たとえ止められたとしても、出資者たちに千花たちのことが知られれば……かなり面倒なことになると思う。家の本業に支障が出たり……。あと、たとえ今からその複製体を全員倒して……ここの映画館の機能を停止させたとしても、向こうから法的に訴えられたらどうするの? 器物損壊罪とかで……こちらが捕まる可能性もある。そうなると……」
『そうだな。だが……その時はその時だ。向こうはいったい、どのような手段で訴えてくるのだろうな。わしらのような存在が壊して回ったと、その証拠を、いったいどのように揃えると思う』
「なるほど……」
サラ様が、まるで悪だくみをしている子供のように笑う。千花はそんなサラ様に呆れたようだった。
「小人さんの力で時間は止まっている、そして千花たち人間は動かず、姿の見えないサラ様だけが壊して回る……。その間、監視カメラに犯人の姿は映らない。警察も、それなら証拠をあげられない……ということか。でも、相手はこんなことまでしでかす天才。きっとどんな証拠でも偽造できるはず……。そして、最悪逮捕まで漕ぎつかれるおそれも……ある」
『ああ、そうだな。だからこそ、短期で終わらせなければならん』
「短期……?」
『ここを破壊しても、お前の言うように向こうが無茶苦茶な手を打ってきたら、そこで「おしまい」だ。そうなったら、もう家業の心配どころではない。この街はおろか、世界がやつの思うままになる……。それほどの壮大な計画がある……。衣良野を喰った時に、わしはそれを知った。そして覚悟した。そうなる前に手を打つべきと……』
『蛇の。それはいったいどういう……』
気になる言葉がいくつか出てきたからだろうか、トウカ様が思わず口をはさむ。
だが、サラ様は話し続けるのを止めない。
『とにかく、これらのことを、今の今まで梁子には……教えられなかった。向こうに筒抜けになっていたからな。だが、今、時が止まっているこの時であれば……こうして、他の者にも伝えることもできる』
「サラ様。だから今までエアリアルさんについてのお話を、されなかったんですね」
梁子は、その言葉でようやくわかった。
最近サラ様から、何かを意図的に隠されているような、そんな会話の齟齬を感じていたのだ。その理由が今ようやくわかった。
「そんな重要なことを秘密にされていたなんて……」
『このような事態にならなければ話せなかった。許せ。梁子……。わしは、この時を待っていた。向こうから仕掛けてくるのをな。そして、その期に乗じて次の手を……打つ』
「次の手、って……?」
『エアリアルを、喰い殺すのだ』
「ええっ?!」
「なっ?! そ、それは……ちょっとやばいのでは? ひ、人殺し宣言はさすがに……」
話に半分以上ついていけていない美空だったが、「誰かを殺す」という内容だけはわかったようだった。梁子に次いで、あからさまな拒絶反応を示す。
『人殺し、と言ったが……やつはそもそも人ではないかもしれん。少なくとも……衣良野の目にはそのように映っていたな……』
「ええっ? ひ、人じゃないのかよっ?!」
『ああ。詳細はよくわからないが……少なくともわしのように数百年は生きている存在らしい』
「そんな……。エアリアルさんって、いったい何者なんですか?」
『今は、それを詳しく話し合っている時間はない。まずは他の複製体を喰らってくる。ゲン、わしはこれからこの建物内を移動するが、まだ時を止めたままでいられるか?』
「はい! ま、まだあと5分くらいは……」
『そうか。ではなるべく早く戻る』
「あっ! サラ様!」
梁子が止めるのも聞かず、サラ様は場内の壁を抜けて行ってしまった。




