4-4 【大庭千花の提案】
「これ……観たい」
大庭家のリビングでテレビを鑑賞していた千花が、ぼそっとつぶやいた。
そこにはある映画のCMが流れている。
「映画ですか。4月29日ロードショー。もうすぐですね」
千花の膝の上で寝そべっていた黒の柴犬が、人語を話す。
式神の不二丸だ。
しばらく見ていると、またもう一度同じものが放送された。この番組はよほどこの映画会社からスポンサー料をもらっているとみえる。
続けざまに流れた映像に、千花は身を乗り出した。
――黒い猫が走るシーン。
そこから一転、雨の中を怪しげな魔法使いがやってくる。
黒猫は地面に倒れ、今にも死にかかっている。
魔法使いは魔法薬を使って猫の命を救う。元気になった黒猫は、とある目的地へと向かう。
そこは人さらいのアジトだった。黒猫と仲よくしていた少女が囚われており、黒猫は彼女を助け出すために戦いを挑む。
魔法の薬で不思議な力を得ていた黒猫は、人間の姿に変身して活劇を繰り広げる。
はたして黒猫は愛する少女を助け出せるのか――。
『魔法猫ファンネーデル、VR3D、4月29日ロードショー』
題字と公開日が現れて、映像が切り替わる。
今度は新発売の清涼飲料水のCMだ。
『奥日光の天然水、バナナ味出た! バナナ、バナナ~、バナバナナ~』
見ざる言わざる聞かざるの三猿がバナナを持って、歌い踊っている。
千花はテレビを消すと、手元の携帯端末で先ほどの映画を詳しく調べ始めた。
映画の公式サイトを検索して、あらすじやキャストなどをチェックする。
「やっぱり主人公はあの猫……それで恋愛映画……か。うん、面白そう」
「千花様。そんなに観たいんですか、この映画」
「うん。ちょっとね、ストーリーが気になってる」
「ストーリー?」
「そう。猫が人間に変身する……それってまるで不二丸みたい、でしょ?」
「なるほど。たしかにそうですね……まあ、僕は犬ですけど。それで観てみたくなったんですか?」
「うん。なにか、親近感がわいたの。それにこのファンネーデルって猫、どうしてそこまでこの少女を愛するようになったのか……それも気になって。少女が攫われるまではただの仲のいい友達だったらしいんだけど。不思議……。人間の姿にしてもらったから、かな。わからない。ねえ、不二丸はわかる? この猫と少女のこと」
まっすぐな瞳で千花は不二丸を見つめる。その目はなにかしらの期待がこもっている目だった。けれど、じっと見つめられても不二丸は困ったように首をかしげるだけだ。
「ええと千花様、すみません。僕には……よくわかりません。その……きっと僕も同じような目にあったとしたら、必ず千花様を助け出しに行くと思います。それはお誓いできます。でも……それが恋愛ってものかどうかは」
「……うん、そうだね。ありがとう不二丸。それでいいんだよ」
少し残念そうな笑みを浮かべて、千花はギュッと手をにぎりしめる。
「千花たちは……映画の子たちとは関係が違う。主と従者、そういう関係。そういう『絆』しかない。でも……この映画には……それ以上の『絆』があるって、そういう『夢』が描かれてるの」
「夢?」
「ねえ、千花は……不二丸が好き。不二丸は?」
「僕も千花様が好きですよ!」
しっぽをぶんぶん振りながら、嬉しそうに言う不二丸。
だが、千花はそうではないという風に首を振った。そっと体を離すと、命令する。
「不二丸。人型に変化して」
「……えっ? はい」
ためらいつつも、不二丸は犬から人間の青年の姿へと変身する。それは実体ではなく、あくまで幻影だ。千花はその手をとった。実際にはそれも、「手を握っている」と錯覚しているに過ぎない。
「千花は……不二丸とこうして手をつないで街を歩いたり、映画にも一緒に行ってみたい。外でお食事したり、買い物もしたいと思ってる。でも……まだ不二丸は術の力が不完全だから、人の多いところに出掛けることはできない。一度にたくさんの人に幻術をかけられないから……きっと混乱を招く。今はまだそんなことできる状態じゃないって、わかってる。でも……早くそうしたいと思う。それは、不二丸が千花の大事な『ペット』だからじゃない」
「えっ? なに? 僕、千花様の大事なペットじゃないんですか?! しょ、ショックです! た、たしかにまだ式神として未熟ですけど、千花様の願いであればもっと頑張って修行してですね……」
「違う。間違った。そうじゃない。不二丸は大事なペットだし、大事な式神。それはたしか。でも……それだけじゃない……って意味」
「えっ? 千花様?」
主従の絆を否定されたと感じた不二丸は一瞬あわてたが、すぐに訂正されたので落ち着いた。
でも、それだけではないというのは一体どういう意味なのか。食い入るように見つめる。
「千花は……不二丸が好きなの」
「あ、はい。それはさっきも……」
「それは……恋人になってほしい、って意味なの。でも不二丸はそうは思っていない。それはわかってる。だから、これは千花だけが思ってることなの。千花だけが思っていればいいこと……」
「あ、あの……。すみません、千花様。僕……」
「いいの。不二丸はそのままでいて。ただ、いつも通り千花の傍にいてくれればいいから」
「千花様、そうは言ってもですね……」
「とりあえず、この映画を観たら……そんなモヤモヤが多少は解消できるかもしれない、そう思ったの。だから、観に行きたい」
「そう、ですか……あの、なんかすみません。僕は……そこへ一緒に行けない、と思うので……」
「うん、いいの。この映画は一人で……ううん、梁子さんと行くつもりだから」
『何? 梁子とか?』
鈴を転がしたような声が突如聞こえてきた。
すうっと千花たちの目の前に、半透明の童女が現れる。それは藤柄の着物を着た、大庭家の屋敷神トウカ様だった。
『珍しいの。千花よ、いったいどういう風の吹き回しじゃ。映画など、幼いころにお前の両親と三人で行ったきりではないか。梁子たちと行くなど……』
「梁子さんは友達。そういう関係だって、この間お互いに確認した。だから……」
『ああ、たしかそんなことを言い合っとったなぁ……』
「だから、友達らしいこと、したいの」
『そうか。それはわざわざ結構なことじゃ。せっかくなのだから楽しんで参れよ』
「うん。じゃあ、さっそく電話する」
宣言通り、千花はすぐに梁子に連絡を取った。
『はい。もしもし? どうしました、千花ちゃん』
落ち着いた梁子の声が携帯端末の向こうから聞こえてくる。
「あ、梁子さん。お久しぶり。あの……ちょっと頼みがあるの」
『はい、なんですか?』
「今度梁子さんと、一緒に映画を観に行きたい」
『えっ?! 映画……ですか?』
驚きの声があがった後、沈黙がしばらく続く。
『…………』
「あの? 梁子さん?」
『あっ、ああ、すいません! フリーズしてました。そんなお誘い……生まれて初めてされたものですから……うううっ!』
「あの、大丈夫? 泣いてる……の? 千花も初めて誘うんだけど……良かった、嫌だから黙ったのかと思った」
『い、いえいえ。そんなわけないですよ。すごく嬉しいです! あ、ちなみにどんな映画ですか?』
「魔法猫ファンネーデルっていう、29日からやる映画。最新のVR3Dらしい。ちょっと料金が高いんだけど、大丈夫?」
『え、ええ、大丈夫ですよ。嬉しすぎて……もうなんだって構いません。あ、もちろん面白そうだなあって思ってますよ』
「そう、それなら良かった」
『あ!』
ホッと胸をなでおろしたところで、梁子が思い出したように声をあげた。
「どうしたの? 梁子さん」
『あ、いえ……ちょうどタイムリーだったなあって……。あの、千花ちゃん。もう一人……お誘いしてもいいですかね?』
「えっ、もう一人?」
『はい。あの……ほら、この間ちょっとお話したじゃないですか。小人さんと暮らしてる女性って……』
「ああ……うん、憶えてる。小人から友達になってあげてって頼まれた人でしょ?」
『はい。あの人も連れてっていいですかね?』
「ええと……」
千花は言いよどんだ。
ただでさえ、初めて友達と映画を観に行くのに、そんな知らない人が紛れ込んだらどういう状況になるのだろう。予想がつかない。梁子だけならまだしも、わけのわからない人がいるとなると……もしかしたらなにかトラブルになるかもしれない。最悪、ひどい一日になってしまうかもしれない。
そうした不安で黙っていると、梁子はあわてて申し訳なさそうに言ってきた。
『あ、すいません! せっかく千花ちゃんとの初めてのお出かけなのに……デリカシーなかったですよね。嫌でしたよね、ごめんなさい! そんな当たり前のこと……どうしてわたし』
「梁子さん」
『……はい?』
「いいよ」
『へっ? いいよって……あの?』
「だから、その人も連れてきていいよって言ったの」
『えっ、本当に……いいんですか?』
「うん。その人も、その……小人さんと仲良いんでしょ。だったらその映画、たぶんぴったりのテーマじゃないかな」
『そ、そうなんですか? わたしも、いったいどんな映画なのか調べておきますが……じゃあ、お誘いしてもいいんですね? あ、ありがとうございます。あの……どうしてかっていうとですね、その女性、ずっと引きこもりだったんですよ。それで……もっと外に出ないとってうながしている最中だったんです。だから……これ、いい機会じゃないかって思って……。すいません、利用したみたいになってしまいました』
「いいよ。千花もその人の役に立てるなら、嬉しいし。それに千花だって、その機会利用してみたい。その……梁子さん以外の友達が、できるかもしれないし」
『え? あ、そうですね。じゃあ、ぜひよろしくお願いします! その方は……ええと、小泉美空さんといいましてですね、小人さんの方はゲンさんといいます。一応説明しておきますが、二人は……えっと、恋人同士……みたいです』
「……! や、やっぱり、そう……」
衝撃的な発言に、ショックを隠せなかったが、千花はなんとか平静を保とうとした。
「じゃ、じゃあ、29日が公開日だから……その日にお願いする、かも」
『わかりました。美空さんが最終的にOK出してくれるかはわからないですけど……また追って連絡しますね。それじゃ! お誘い本当にありがとうございました!』
「うん……」
通話が終わると千花はへなへなとソファに倒れこんだ。
その姿を見て、脇にいた不二丸がうろたえる。
「だっ、大丈夫ですか?! 千花様!」
「大丈夫じゃ、ない。不二丸、膝枕して……」
「えっ、あ、はいっ! ただ今っ!」
ささっと位置を移動して、不二丸は千花の頭を自分のひざの上に載せる。
そこにも実体はないが、千花の頭を浮かせる術だけは施されていた。もちろん、ほのかに体温や、着ている執事服の感触も再現されている。
千花は不二丸の膝枕を堪能しながら、またテレビをつけた。
するとちょうど同じ映画のCMが流れている。
「はあ……『先輩』だ。千花、その人に相談しようかな……」




