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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
4軒目 犯罪者の棲む家
70/110

4-3 【真壁巡査の後悔】

「はあ……」


 真壁衛一は、深いため息をついていた。

 もう何回目になるかわからない。

 なるべくしないようにしていたのだが、気が緩むとつい出てしまうのだ。

 交番前の往来に立ち、行き交う人々を眺めても、その視線はどこか胡乱げだった。


「ああ! いかんいかん!」


 バチンと両手で頬を張ってみるが、気持ちが全く奮い立ってこない。


 梁子とのデートを終えてからというもの、ずっとこんな調子だった。

 業務に影響が出すぎているのは自覚している。でも、ふとした瞬間に梁子と交わした言葉や、唇の感触や涙などがフラッシュバックのように思い返されてしまうのだ。そして、その度に気持ちが深く沈みこんでしまう。

 

 なぜ、もっと引き寄せなかったのだろう。

 なぜ、走り去っていく姿を追おうとしなかったのだろうか。

 

 考えても考えても答えは出ず、堂々巡りだった。

 どうすることが最善だったのか、今もわからない。

 後悔ばかりが衛一の胸中を支配していた。


 あれ以上自分が動いても、梁子を悩ませるだけだった。そう結論付けて、思考を放棄しようする。でも、それすらできない。忘れようとすればするほど、想いは強く、熱くなっていた。


「……はあ、不甲斐ない」


 梁子に守るべき家と、その縛りがある以上、自分の気持ちだけではどうしようもなかった。

 背負うべきものがまるで違う。

 その差異を埋める手立てが何も思いつかない……。

 衛一は、自分の力ではどうにもできないことがあることを、母の件で嫌というほど身に染みていた。またそれが目の前に立ち塞がろうとしている。


「また、大切な人を守れないのか……」


 ぼそりとつぶやくと、背後に強烈なプレッシャーを感じた。

 振り返ると、上司の鎧塚がいた。


「どうした、真壁?」

「鎧塚部長……」

「ダンベル持つか?」

「え、ええ……」


 5キロはある重いダンベルを渡され、衛一はそれを無言で持ち上げる。

 鎧塚の前で拒否することはできなかった。

 ゆっくりと上げ下げしていると、交番前を通る人々がぎょっとして去っていく。みな急いでいるので立ち止まってまで見ていく者は少ないが、一種異様な光景だった。

 鎧塚は隣で、倍のスピードで動かしている。


「あの、女子大生の娘か……」

「……!」


 ふっ、ふっと浅い呼吸をタイミングよく吐き出しながら訊いてくる。衛一は「やはりこの人には敵わないな」と冷や汗をかいた。


「なんで……わかったんですか」

「そんなもの、だいたい見てりゃわかる。なんだ、その体たらくは。何日も何日も……いい加減黙ってられなくなったからな、俺は。……休日の間に、何があった?」

「デートを申し込みました。そして会った時に気持ちを伝えました。自分は精一杯、誠意を尽くしたつもりです。でも……家の都合で自分とは付き合えないと……そう言われました。あなたの気持ちには応えられない、無理だって。自分はこれからどうしたら良いのか、わかりません」

「真壁……」

「はい」

「あの子も、お前のことを好いてくれてたんだな?」

「えっ? な、なっ……!」


 先ほどから、一言も何も言っていないのにどうしてわかってしまうのだろうか。

 まさか……この間ピザを宅配にきてくれた時に梁子が何か言ったのか? だが、それを口に出せずにいると、鎧塚は苦笑してきた。


「ふっ、あの子は何にも言っちゃいないさ。だが……あれはお前が気になってしょうがないって態度だった。それに、そもそもお前を嫌いだったらデートに誘ったって来てくれやしないだろう。告白の結果はまあ……止むに止まれぬってやつか」

「はい。向こうも好きだとは言ってくれました。でも、無理なものは無理なんだそうです」

「そうか。まるでロミオとジュリエットだな」

「……はい?」

「知らないのか? シェイクスピアだよ」

「いや、誰が書いてるとか、どんな話かってぐらいは知ってますよ。でも……自分たちのどこがロミオとジュリエットなんです?」

「お前は普通の家の出だから、少し違うかもしれんが……あの女の子の家は一応名家だろう? 家のしきたりだか格だかは知らないが、とにかくお前はあの子の家にはふさわしくないと判断されたわけだ。違うか?」

「いや……まあそうです」

「だったら、ロミオとジュリエットだろう。単なる家の方針で付き合えないんだからな。あとは単純だ。要は理由がそれだけってことだ」

「それだけって……家のことはだいぶ大きな問題ですよ? しかも、こじつけにもほどがあります。俺たちはそんな……」

「そうか? とにかく、それ『だけ』が理由なら、最後には必ず悲劇になると相場が決まっているんだよ。お互いの気持ちをごまかし続けるんだからな」


 途中まで明るく言っていた鎧塚が、急に声を落とす。

 衛一はごくりと唾を飲み込んだ。


「……何が、言いたいんです」

「最初の方はいいんだ。ロミオとジュリエットは、自分たちの想いに忠実で、駆け落ちしてまで愛を貫こうとする。でも……だんだんと二の足を踏んでいるうちに擦れ違って、だんだん取り返しがつかないレベルにまでなっていくんだ。そんで最終的には、お互いの死を引き寄せるまでになっちまう。お前たちにはそうなってほしくないんだよ」

「それは、物語の中だけであって……。自分は現実で、上屋敷さんをそんな不幸にさせるわけにはいかないですよ。俺が、本能のままに行動したって結局……」

「そんなやってもみないで諦めんじゃねえよ。真壁! お前、男だろう!?」

「鎧塚部長、そうは言いますけどね……方法がないんですよ。彼女を幸せにできる方法が。それこそ駆け落ちでもしろってことですか?」

「いや、そうじゃなくてだな……。ああ、とにかくなんでもやってみろってことだ。お前が運命を捻じ曲げるくらいあの子を本気で愛したら、別の方法が案外ぽろっと見つかるんじゃないか?」

「運命を捻じ曲げる、って簡単に言いますけどね……そんなことできると思ってるんですか?」

「ああ。お前にはその『本気さ』が足りないだけだ」

「本気さ……」


 言われて衛一はハッとした。

 たしかに……中途半端だったかもしれない。

 鎧塚の言うとおり、断られた理由はたんに家のこと「だけ」だったのだ。逆を言えば「家のことさえなければ自分の気持ちを受け入れてくれていた」ということである。それなのに、自分はさっさと引き下がってしまった。


 どうしてそんなに簡単に諦めてしまったのか。


 それは、たんに自分が傷付きたくなかっただけかもしれない。

 あがいてあがいて、それでも梁子が手に入らなかった場合、またやるせない気持ちになってしまう。凹んで、立ち上がれなくなってしまう。

 そんなことは二度とごめんだった。


 あの、母のときのように……なりたくない。


 だから何もできないと思い込んだ。どうにかしようと思わなくなってしまった。

 でも、本来なら……梁子の家の問題を解決すべく、もっとがむしゃらに動くべきだったのだ。

 何もかもかなぐり捨てて、問題と真っ向から立ち向かっていれば……。


「上屋敷さん……」


 梁子はもしかしたら、無意識のうちに衛一の助けを求めていたのかもしれなかった。

 だから、衛一のデートも断らず、キスも拒まず、別れ際にあんなことまで……。


 だとすると、なんて自分はアホだったのだろう。

 そこまで思い至って、衛一は持っていたダンベルを固く握りしめた。

 

 自分は大バカだ。なぜ、梁子のことをもっとわかろうとしなかったのだろうか。

 彼女はあんなにも自分に訴えかけていたのに!


 後悔に身を震わせていると、鎧塚がニッと笑いかけてきた。


「そうだ。わかりゃいい。あとはな、自分でよく考えろ」

「はい。鎧塚部長ありがとうございます。自分は……決めました。彼女を諦めないと……」

「そうか。少しはまともな顔になったな」

「ご心配、おかけしました」

「いや、オレも人のこと偉そうに言えねえんだけどな。しかもそれを言うにはまだ早……」


 その時、交番の電話がけたたましく鳴った。

 この電話は大井住警察署とつながっている直通電話である。何か事件が起こった際の応援や、通報案件があった時に鳴る。

 いったいどんな指示なのか。事件であれば一大事だ。衛一がすばやく取ろうとすると、すでに鎧塚が出ていた。早い。内容を聞いている鎧塚は顔が徐々に険しくなっていく。


「はい……はい、わかりました」


 一通り聞き終わって、受話器が置かれる。


「鎧塚部長、本部からはなんと?」


 深刻そうな表情の鎧塚に、衛一がおそるおそる尋ねる。


「例の……連続殺人事件の四件目が……発生したそうだ」

「えっ?」

「しかも隣の練馬区で、だ。一応管轄外ではあるが……かなり近場だな。周辺の警備を強化しろとのことだった。まったく、嫌な事件だよ」

「えっと、たしか女性の一人暮らしを狙った殺人事件……でしたっけ。中野区、杉並区、武蔵野市、の順で起こっていて……今度は練馬区ですか。だんだん近くなってますね。まさか大井住市では起こりませんよね?」

「この街は栄えてるからな、防犯カメラも多いし……繁華街の周辺では発生しないだろう。だが……犯人はそういう監視の目がない住宅地を狙っている。警備をするならその辺りか。この街で起きてほしくはないが、とにかく一刻も早く犯人を捕まえなきゃだな……」

「鎧塚部長、でもいまだに犯人像は絞れてないんですよね? どういうやつかもわからなければ……」

「ああ、そうだ。背格好や、男女どちらかかすらもわかっていない。目撃者も、証拠映像も皆無……犯人はとても巧妙に犯行を重ねている知能犯だ。これは……やっかいそうな事件だな」

「……ええ」


 衛一は梁子のことを思った。

 あの、不思議な神様に取り憑かれている娘であれば、大丈夫だろう。犯人と出くわしても、相手を呪い殺したりして撃退するかもしれない。だが、そうなってはいけない。そんなことをさせないためにも、自分たち警官がこの街を守っていかなければ。


 殺人鬼をこれ以上野放しにしてはならない。

 衛一は鎧塚とともに自転車で住宅街へと急行した。

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