1-5 アルファベットの住人達
「いやだわ~。間取りだなんてェ~。恥ずかしいっ! アタシの裸を見るのと一緒じゃないのォ~~~!」
赤毛の青年と対峙していると、どこからともなく背の高い壮年の男が、突然キッチンの壁側にくねくねとした動きで現れた。
男なのに女のような言葉遣いなので、もしかするとオネエなのかもしれない。
いや、もしかしなくてもこの身ぶり口ぶりからしてオカマだろう。
梁子は一瞬ぎょっとしたが、よく見ると上下ともにスーツできちんとした身なりの人物だった。
胸元には貴族のような幅広の布のタイを付けており、ぴっちりと撫でつけられた長い黒髪はオールバックにしながら後ろでひとくくりにされている。
衣良野が冷静にオカマに声をかけた。
「H、キミの気持ちは痛いほどわかります。ですが、もう少し配慮のある現れ方ができなかったものでしょうか。お客様が驚いてらっしゃいますよ……」
「ああ、ごめんなさい、D! あまりのことに取り乱しちゃったわ。失礼いたしました。アタシの名前はエスオ。仲間内では『H』と呼ばれてるわ~。ええっと、梁子チャン、そして神様……でしたっけ? アタシたちの館へようこそ。お客様だな~んて! まあったく、何十年ぶりかしらァ~?」
妙にテンションの高い男に苦笑いをしながら、梁子は思った。
DとかCとかHとか……いったいこの呼び名はなんなのだろう。
そして、いまだこの場にいない、Bと呼ばれる者も。
いったいこの家には何人の住人がいるのか……。
梁子としゃがれ声の主はじっと目の前の男たちを観察していた。
間取りを知ることは、すなわちこの家の秘密も知るという事――。
梁子たちはそれを探るべく注意深く機をうかがった。
「さて、上屋敷さん。先ほど間取り……と言いましたね? それを知りたくてうちに来たと……」
「はい」
「それをなぜお知りになりたいのか……非常に興味深いですね。でも、それはのちほど訊かせていただくとしましょう。まず……初めにひとつお伺いしておきたい。いったい、貴女がたはいつごろから我が家の前にいたのです?」
「アタシの知る限りィ~、たしか朝の10時ごろからだったと思うわ。そのころにはもう、あそこにいらっしゃったような気がする~」
「私はね……H、もっと前からだったんじゃないかと思っているんですよ」
オカマに話しかけながら、ちらり、と青年がこちらを見たので梁子は答えた。
「ええ……その通りです、衣良野さん。昨夜からですね、正確には……あの黒猫の少女が空を飛んでいたのを目撃してからです。それからこちらのお宅が気になりましてね」
「ほう……」
「なんてこと! BとCが飛んでるのを見てたっていうの? アンビリーバブル!」
「こちらの家の屋根に激突したはずですが……次に見にきた時には何事もなかったかのように屋根は壊れていませんでした。あれだけの騒ぎだったのに、わたし以外の誰も気にしていなかったのも妙に思いました。一度家に帰り、翌日からもっとよく観察してみようと再度訪れたのですが……。通報したのは、アナタですか? 衣良野さん」
「……ええ。そうです」
にこりともしないで衣良野はうなづいた。
「やはりそうでしたか。邪魔……というより、目障りだったのですか? この家の不思議を誰にも知られたくなかったのでしょうが……わたしがそれを乱してしまったんですね。だとしたら申し訳ありません。余計な騒ぎを起こしてしまいました。ですが……こちらも理由あって間取りを収集していまして。お宅はとても『変わって』らっしゃったので。サラ様とわたしはがぜん興味がわいてしまったのです」
「ふむ……」
「『変わってる』ねえ、家自体、いたって普通の外観だと思うけどォ~? でも、良く見たら色々と変よねえ~? ほおら、だから言ったじゃない、D? 多少はお庭も手入れしとくべきだって」
「そうは言いますけどね、H。我々が外で活動するのはいろいろとリスクがあるんですよ」
「まあねェ、意識して実体化しないと普通の人は見えないし~。勝手に庭木が剪定されていくのを見て通行人が驚くとも限らないしねェ……」
「あの、アナタ方はいったい……」
不思議な単語を羅列していく男たちに梁子が口をはさもうとすると、右手のドアから先ほどの黒猫と、メイド服を着た長い茶髪の女性が入ってきた。
メイド服の女性は、切れ長の目を細めながらこちらをじっと見てくる。
「こちらが『お客様』ですか、D。人間と……また変わったお方がいらっしゃいますね」
「ああ、仕事中悪かったですねB。ちょっと非常事態だったもので。こちら、上屋敷梁子さん、そして屋敷神のサラ様とおっしゃるそうです。彼女たちに自己紹介してくれますか? Cも」
「はいはい。じゃあボクから!」
そう言って、足元にいた黒猫はまたもとの少女の姿に戻った。
黒い飾り気のないワンピースに、猫のような柔らかそうな黒髪が印象的である。
昨夜はよく顔まで見えなかったが、まつ毛がとても長く、まるで精巧な人形のようにかわいらしい顔だちの少女だった。
ショートカットのクセ毛が元気に跳ね回っているせいでどこか少年のようにもみえる。
「ボクは、ター。仲間内では『C』って呼ばれてるよ。不思議な人たちだね~、どんな目的で来たのかすご~く気になるなァ」
「わたくしはムーアと申します。仲間たちからは『B』と……」
「ありがとうございます、B、C。さて。この方たちは、どうやら我が家の間取りを教えてほしいそうですよ」
「え? 間取り?」
「それはまた奇妙な申し出ですね……」
「ええと……」
梁子は頭の中で一度整理しながら言葉をつむいだ。
「衣良野さんという『D』さん……それと、なんでしたっけ、エスオさんとおっしゃる『H』さんという方、そして、ターさんとおっしゃる『C』さんという方、そしてムーアさんとおっしゃる『B』さんという方……アナタがたで全員ですか? こちらにお住まいになってらっしゃるのは」
「ええ、そうです」
真顔で衣良野はうなづく。
「アナタたち……急に現れたり、猫に変わったり……いったい……」
『ふむ。おおかた付喪神だろうな』
「え? サラ様?」
しゃがれ声の主が急につぶやいたので、梁子は驚いて見上げた。
『そうであろう? 衣良野とかいう者よ』
「はあ……ツクモガミというのがどんなものかはよく存じ上げないのですが……そうですね。私はいわゆる、辞書の精です』
「アタシはこの家の精よォ~」
「ボクは猫の精だ」
「わたくしは箒の精です……」
「それぞれ、英語の頭文字のイニシャルで呼び合っていましてね。ごちゃごちゃわかりづらくて申し訳ありません」
「いえ。そう……ですか」
物の精というのが彼らにとってどういう概念なのかはわからないが、きっとサラ様がいうように付喪神の一種なのだろう。
それが力を持って人の形に化けて出ているのだ。
付喪神――長い年月を経た物が精神を有して尋常ならざるモノへと変化したもの。
それらが棲む家だったとは。
「アナタたちは……なぜこの家に寄り集まっているのですか? わたしたちのようになにか目的が?」
「目的……そうですね。それは貴女に教えていいものかどうか判断つきかねます。まだ貴女たちが敵か味方かどうかもわかりませんので」
「……間取りさえ教えていただければ他には何もいたしませんよ」
「どうですかね? まあ、マスターに聞いてみないとわからないので、それはまた後日お答えするということで」
「マスター?」
「ボクらを作ってくれた偉大なる魔法使いだよ!」
「魔法使い……」
「これC、それくらいにしておいてください。今はあまり情報を開示するべき時ではない」
「はーい……」
慌てて口をふさいでしゅんとする少女を横目に、梁子は「魔法使い」という言葉の意味をよく考えていた。
言葉通りであれば、たしかに魔法があればこの異常な事態にもなんらかの説明がつくだろう。
だが、その魔法使いはいったい何の目的でこの者たちを作ったのだろうか。
その「目的」を知りたい。
梁子はちらりとサラ様を見上げ、目くばせした。
『そうだな。わしらは間取りさえわかればいいんだ。もし教えてくれるなら、貴様らとはなにか協力関係になれるかもしれんぞ?』
「協力関係……ですか?」
『ああ。貴様らの目的はよくわからんが、わしは付喪神どころではない、ちゃんとした神だ。何か困ったことがあったら手助けしてやれんこともない』
「神……さっきから気になってはいたんですが……貴方、もとは私たちと同じような存在なのではありませんか? とくにターと同じ波長を感じる」
衣良野の鋭い視線がサラ様に向けられた。
『そこの猫か。まあ、当たらずとも遠からずだな。わしはもとは蛇だ。だがこの梁子という娘の家の屋敷神になってからはまあ……いろいろあってな。今じゃもっと力をつけた神になっている』
「そう、ですか……」
『わしの好物が他の家の間取りでな。この梁子にはそれを集める手助けをさせておる。教えてくれればよいが、もし教えてくれなんだら……』
「いったい、どうなるんです?」
『さてな。お主ら世俗にバレると厄介なのだろう? あの警官にはなにか術を施したようだが、あれじゃせいぜい一時的。また突撃されるかもわからんな。そうしたら、お主らいつまでここに隠れておられるだろうなあ?』
煽るように言うと、衣良野はため息をついた。
「はあ……これは驚きだ。そこまで御見通し、かつ『脅し』をかけられては協力しないわけにもいかなそうですね……。ちょっと申し訳ないんですが、後日いらしていただけませんか。その……我らのマスターにお伺いをたてなければならないようなので」
『なるほどな。相わかった』
「えっ? サラ様? もういいんですか?」
『一度引くのも手よ。さ、用が終わったらとっとと帰るぞ、梁子』
そう言うと、しゃがれ声の主はすうっと姿を消した。
梁子は立ち上がると、一礼する。
「では……また改めて来ることにします」
「お茶も出さずに申し訳ありませんね。実を言うと、我々は何も飲み食いいたしませんので……」
「いえ、お気遣いなく」
「そうだ、B、C……昨夜の飛行をこちらのお嬢さんに見られていたようですよ。もうめったなことでは飛行訓練はしないように」
「ええ~~っ? 今までは良かったじゃんか~」
「昨日はアタシの屋根に大穴を開けたじゃないの! フルパワーで治したけど、いい加減遊びでやるのはやめてよねっ! 誰かに見られたらどうするのよっ!」
「遊びじゃないよ。それに大丈夫だよ。普段は誰も見ないし……」
「特別な方ではありましたが……この方には見られていたようですね……」
ぼそりとつぶやくとBと呼ばれたメイドはくるりと回転して箒の姿になり、床を掃きはじめた。
「そろそろ清掃業務に戻ります。上屋敷様、お気をつけてお帰りくださいませ」
「……では、お暇します。お招き、ありがとうございました」
椅子を戻して部屋を出ようとすると、ふと思い出した。
「そう言えば、あのお巡りさんは……どうされるんですか?」
「ん? じきに意識を取り戻しますね。しばらくは記憶があいまいになる魔法をかけておいたので……適当に話を合わせておいていただけますか? あと、また入られないように記憶にも家にも『カギ』をかけますから」
「記憶を……?」
「ええ。屋敷神のサラ様がおっしゃるように、これは一時的なものです。彼がここから意識を外してもらえればいいので。いつまでもつかはわかりませんが……。では、あとはよろしくお願いします。一応また明日来ていただけますか? 人目につかないよう、また裏口から」
「わかりました。では」
部屋を出て、廊下を進むと、相変わらず警官が床に倒れたままだった。
背後から衣良野がついてくるが、何事かつぶやくと警官はふわりと浮かんで勝手に外へと移動させられていく。
梁子も開け放たれた裏口から出るが、その瞬間バタンとすごい勢いで扉が閉まった。
きっともう鍵をかけられてしまったのだろう。
しばらくするとむくりと警官が起き上がった。
ぼうっとしているので、しかたなく手を引いて家の前へと移動させる。
「さ、サラ様、誤解しないでくださいね、これは……これは仕方なくですよ! 仕方なく、手を触っているんですからね。決してこれで好きになるとかでは……」
『わかっておる。お前は男に対する免疫が皆無といっていいな……これくらいではわしは怒らん」
「本当ですか? いつかわたしに見合う男性を見つくろってくださるんですよね? それまでは異性に決して寄るなとか、寄らせないとか……いつも口がすっぱくなるほどおっしゃてて……。絶対にいい殿方を見つけてくださいよ!」
『お前が心配することはなにもない。いいからはやく移動させて、適当にきりあげろ』
「はい!」
家の前まで移動させると、警官はぼんやりしたような目で梁子を見つめてきた。
「あのう、お巡りさん? わたし、もう帰りますね。やっぱりこの家、空き家みたいですから……」
「うん、そうだな。……空き家、だったな。うんうん。キミも気を付けて帰りなさい。もう、近隣の方に迷惑をかけないようにな……」
「はい。では……」
「あ!」
「え?」
帰ろうと道端に置きっぱなしになっていた荷物を片付け始めていると、警官が急に大きな声を出したので振り返った。
「ど、どうしたんですか?」
「あの……たしか……上屋敷さん、でしたよね?」
「え、ええ……」
「また、どこかで会えますかね? ははっ……」
「えっと……」
梁子はぼんやりとしたままの警官にじっと見つめられた。
へらへらと笑っているので、なんとなく気持ち悪い。
顔つきはそんなに悪くない、どちらかというと整っているほうだ。だが、ゆるみきった表情のせいでせっかくの男前が台無しだった。
キリッとしていれば、それなりに眉も凛々しいし、精悍な顔つきである。
背も高く、訓練にも精を出しているのか体つきもしっかりしている。
だが……やはりこの笑顔は気持ち悪い。
苦笑いをしてあいまいに話をきいていると、急に両肩をつかまれた。
「ひっ!」
「自分、真壁衛一、28歳! これからは毎日、貴女のために職務に励みますっ! ではっ!」
そういうと、道端に停めていた自転車に颯爽と乗り込み、あっという間に遠くへ行ってしまった。
『また変なのが寄って来おったな……まあ安心しろ。いざというときは祓ってやる』
「……お願いします」
しゃがれ声があきれたようにつぶやくと、梁子はその加護を切に願った。
【登場人物】
●上屋敷梁子――間取りを集めるのがライフワークの女子大学生。ダイスピザというピザ屋でデリバリーのバイトをしている。
●サラ様――上屋敷家の守り神。他人の家の間取りが主食。
●真壁巡査――交番勤務の警官。
●衣良野糸士――謎の家の住人。赤毛の青年。通称”D”。
●エスオ――謎の家の住人。貴族風の男性。通称”H”。
●ター――謎の家の住人。黒いワンピースの少女。通称”C”。
●ムーア――謎の家の住人。メイド服の女性。通称”B”。