3-19 【御前会議】
「あの男は本当に諦めたのか?」
「いやいや、梁子があんな態度をとったのだ。より惚れてしまったのだろう」
「正式なお相手がもう少し早く見つかっていれば……」
「今更そんなことを言っても遅い」
「そうだ。これからは、いかにあれを避けるかだ」
「まったく、なんということをしてくれたのだ……」
上屋敷家のお堂の中には、白い「もや」が立ち込めていた。
それらはすべて、梁子の先祖たちである。
普段はサラ様に吸収されているのだが、この堂内においては分離している。今はめいめいに、今回の真壁巡査とのデートについて批判していた。
上屋敷家の存続にかかわることなので、つい、白熱した議論となっている。
サラ様は、それらの騒ぎを黙って聞いていたが、やがて一喝した。
『もう良い。そろそろ口を慎まんか』
一瞬で、もやたちの声が止む。
お堂の中になんともいえぬ緊張感が走った。
普段はこのような制止の声はかからず、割と好き勝手にしゃべらせてもらっているのだ。いつもと違う展開に、もしやサラ様を怒らせてしまったのだろうかと、先祖たちの間に不安がひろがる。
そんな張りつめた空気の中、二人の人物がもやの中から浮かび上がってきた。
白髪のお団子頭をした小柄な老人、カヤと、同じく白髪頭でひょろっとした体型の老人、梁之助だった。梁子の祖父母である二人は、人の姿を形作ると、まわりにいる者たちに対して深く首を垂れた。
「このたびは……皆様、ひどくご心配されたことと存じます。これもわたしどもの育て方が至らなかったせいでございます。梁子はまだあのとおり、未熟でして……きっとあれは、本人も迷った上での行動だったのだと思います。どうか、今回のことはひとつ、大目に見てやってくださいませ」
「オレからも……頼んます。これ以上、あの子のことを悪く言わねえでやってください。梁子は可愛い可愛い、オレたちの孫……ご先祖様たちにとってもそうでありましょう。梁子の幸せを、どうか一番に願ってやってくれませんか。きっとあれは……あの子なりに決意をもってやったことでしょう」
もやたちは何も言わず、ゆらゆらと堂内をたゆたっている。
サラ様はふう、と大きくため息をついた。
『まあ、わしにも落ち度はある……。たしかにあやつの相手を早急に決めなかったわしが原因だ。だが……今だから言えることが、ひとりだけ候補者がいるにはいた』
「えっ、そんな……いったい誰です」
カヤが驚いた表情で尋ねる。
『梁子の勤め先の男だ。あの、霊感を持った……』
「まさか!」
「ああ、なんてこった……」
サラ様の言葉に、カヤと梁之助は愕然とする。
まわりのもやたちも気がついたのか、その事実にざわめき始めた。
『やいのやいのと、そう言うな。わかっておる。わしも同感だ。たしかに、やつは上屋敷家の人間としての素質がある。だがな……梁子とはすこぶる相性が悪い。あの男自身、ここへ来ることも拒むだろう。よって、とうてい現実的な話ではない』
「たしか、河岸沢さんとおっしゃいましたね……。あの方でしたら、梁子も納得しないでしょう。あの方があなたのお相手ですよ、と言われても……拒絶していたはずです。普段からも、犬猿の仲でしたからね」
『ああ、だから梁子には伝えられなかった。今は別の候補者を探し中だ……』
自らのご神体の上であぐらをかき、あごの下に手を置く。悩ましげにため息をはくサラ様に、まわりからも落胆の声があがった。
「はあ、いまだにお相手は決まっていないということか」
「さて困ったぞ。いったいどうしたものか……」
「あの警官がまた近づいてきたらどうなる?」
「梁子はまた迷うだろうのう」
「万が一、ということもありえるぞ」
「それでもあの警官はこの家には入るまい」
「そうなったら、上屋敷家は終わりだ! 近づけさせてなるものか……」
またガヤガヤと騒ぎ始める。
『そんなことより、もっと大きな問題があるのだが』
「問題……? なんですか」
『あの女科学者だ』
「えっ? あのエアリアルとかいう、怪しい科学者のこと……ですか?」
『ああ。それが、だいぶまずいことになっている』
サラ様の深刻そうな顔に、カヤは眉根を寄せた。
「いったいどうなっているんです」
『つい先日、あの衣良野とかいう辞書の精を喰らったのは……皆も知っておるな。そやつの記憶から、わしはあちらのだいたいの全容をつかんだ。まず、あの辞書はぎりぎりまでこちらの情報をあの科学者に転送していた。「テレパシー」とかいう方法でな。そして、送っていた情報というのが……わしのこの「喰らう」という能力に関してのものだった。あの科学者はそれをいったい何に使うつもりだったと思う?』
「え? サラ様と同じような屋敷神を作るため……ですか。たしか、梁子がそのような危惧をしていたように思いますが」
『ああ、その通りだ。たしかにその研究がなされていた。わしのような強力な守護霊を科学的につくりだし、個人向けのガードマンを流通させる……極秘の計画がな。プロジェクトGとかいう名のもとに研究が始められていた。だが……それはあくまで布石』
「布石? そりゃあ、いったいどういうこった」
キセルを口にくわえながら、いぶかしげに梁之助が訊く。
『あやつは、最終的にはこの「喰らう」という能力をさらに分析し、応用し……宇宙の別次元から未知なるエネルギーを取り出そうとしていたらしい』
「へっ、宇宙? 別ジゲ……なんだって?」
あまりにも突拍子もない話に、思わずキセルを取り落す。梁之助のキセルは床に落ちる前に、白いもやとなって消え失せた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、サラ様。オレにはそのエネルギーうんぬんてえのが、よくわからねえんだが……」
『わしにも詳しいことはわからん。ただ、衣良野の記憶を見た限りでは、世界がそっくり変わってしまうような危険な研究らしい。一歩間違えれば世界が崩壊してしまう、とかなんとか……な。そんな大がかりな研究を、わしを分析することで叶えようとしているようだ。この世界のエネルギーは枯渇しようとしている。よって、次世代のエネルギーをそれから生み出そうと……企んでいるのだそうだ。とんでもない発想だ。そしてあの女科学者の野望は底なしだ。最悪の場合……』
「最悪の……場合?」
カヤが、青ざめた表情で尋ねる。霊体であるので、もともと血色がいいとは言えない。だが明らかに戦慄していた。
『最悪の場合……大井住市一帯が危険地帯となる。もはや上屋敷家の存続を危惧している場合ではない』
「ど、どういうことです」
『その研究が進めば、このあたり一帯が巨大な実験場となるようなのだ。やつは危険な実地実験もためらわぬ……悪魔のようなやつだ。まさに犯罪行為そのもの……だが、きっと警察は役に立たぬだろう。極秘裏に進められておるからな。計画を途中で阻止することは難しいだろう』
「よくわからないんですが……わたしたちはこの土地から避難した方がいいということですか? 一度もここから引っ越しをしたことが、ないというのに……?」
サラ様を上屋敷家の屋敷神にお迎えしてから数百年。
屋敷の形は微妙に変われど、お堂の位置だけはずっと変更せずにいた。
引っ越しをすることで、どのような影響がでるのか不明だったのだ。突然すべての術が解呪されて、サラ様や他の霊たちが霧散していってしまう可能性もないとは言えない。また、一夜にして上屋敷家に不幸が降りかかり、一家断絶することもあり得る。そんな危険は冒せない。
上屋敷家の初代が行った術は、今ではもうどんな方法だったのか詳しい情報は残されていない。
よって、梁之助をはじめ、カヤ、そして他の先祖たちはそのことに強い不安感を抱いていた。
『……ああ、とにかく、最悪の場合を想定するべきだ。その時、この街にいるのはかなり危険だ。あの女科学者の災厄から逃れるためには、それくらいの準備をしておかねばならん。そもそもは……あの家で、あの女科学者の家で、梁子は……「茶」を飲まされてしまった。あれがいけなかった。たとえ引っ越ししたとしても、そのせいでずっと追跡されるのは免れないだろうな……一時的に危険からは逃れられるが……』
「えっ? 今、なんと? お茶って、どういうことですか」
『あの家で、梁子は架空の茶を飲まされたのだ、憶えていないか? 栄養はないと聞いてやつは無邪気に喜んでいたが……あれはこちらの情報を無意識のうちにテレパシーで送らせるための「罠」だったのだ。しかも、悪いことに……』
「な、なんですか! それ、聞いていないですよ!?」
驚愕して叫ぶカヤに、サラ様は一呼吸おいて言った。
『さらに……あれはさまざまなトラブルを引き寄せる、「呪い」のようなものも付与されていた』
「なん……呪い? おい、どうしてそれを、その時に気付いてやれなかったんだ、サラ様! わかっていたなら、止められてただろう!』
梁之助が珍しく興奮してサラ様に詰め寄る。
『すまん。衣良野を喰った今となっては気付ける自信があるが、あの時はどうしてもわからなかったのだ。悪意も巧妙に隠されていたしな……。さきほど「呪い」のようなものと言ったが、正確には違う。先も言ったが、あの「茶」は……因果を引き寄せるための感覚器官を脳内に作り出す、薬、もしくは手術道具のようなものだったのだ。普段は見落としがちな異常な事象を、より発見しやすくするための……知覚を変革させるものだった。だからか、ここ最近、梁子は妙なものと出会うことが多かった。まったく、わしの不覚というより他はない。すまぬ』
「そんな……」
サラ様の説明にがくりと肩を落とす。そんな梁之助を、カヤが優しく抱きとめていた。
「仕方ありませんよ……サラ様も万能ではないのです。かつて、違う科学者の家の間取りを、お召し上がりになられたことがありましたが……あのエアリアルという科学者とはおそらく、天と地ほどの差があるでしょう。ですから……たとえ、科学的な知識があったとしても、こちらが不利となるのは当然のことだったのです」
「それは仕方なかったとしても、だ。だったらこれから、オレたちゃどうすりゃいいんだよ!」
苦悩する梁之助に、サラ様が重々しく告げる。
『皆に……ひとつ、提案がある』
「提案?」
『ああ、とある覚悟を決めておいて欲しい』
「覚悟?」
『ああ。梁子も最近ようやく、上屋敷家の秘密にたどり着いたところだしな……。まあ、やつは土壇場になっても柔軟に対応する気概があるから心配はしておらんが……。わしは最悪、あの女科学者を殺そうと思うておる』
「なっ、そ、そんなことをしたら……!」
『ああ。お前たちは、消え失せる。わしもろともな。そして……今生きている子孫だけが、富を得る』
「梁子に……危険はないのですか」
神妙な顔をして、カヤが訊く。
サラ様は苦しげな表情を浮かべていた。
『多少はあるだろう、な。あの女科学者に近づくのだから。だが……梁子の脳には、例の感覚器官がまだ備え付けられておる。これが今後もどういう作用を及ぼすかわからん。ゆえに……時間はない。こちらから攻めねばならんのだ』
「サラ様……このことを、あの子には?」
『話していない。いや、必然的に話すわけにはいかんのだ。話せば、自動的にこちらの情報が向こうに筒抜けになってしまう。そうなるとなんらかの対策をとられてしまうだろうな。わしも、できれば梁子には理解させたうえでいろいろと行動させたかったが……仕方あるまい』
「そんな……」
『どうにかしてあの感覚器官だけでも取り除こうとした。だがそれも、今のわしの、衣良野の知識だけではダメだった。外した後にどうなるのかすら、不明だったからな。その術式はあの女科学者の頭の中だ。今は向こうに知られることなく、機会をうかがっている。……いつかその日はやって来る。うまいこと、良い方向に転がればいいのだが……。どちらにしろ、あの女は、殺しでもしないかぎりこの計画は止めぬはずだ。もう一度、お前たちに問う。覚悟は……いいか』
梁之助、そしてカヤはお互いに見つめあうと、こくりとうなづいた。
他の先祖たちは姿を成していなかったが、その意識はサラ様とつながっているので、感覚として伝わり合っている。
『……そうか。よし、ではひそかに実行することとする。上屋敷家のために、わしも覚悟を決めよう』
この日、サラ様を含めた先祖たちの霊は、殺意の対象を明確に定めたのだった。




