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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
3軒目 一寸法師に案内された家
66/110

3-18 真壁巡査とのデート5

 梁子は両手で顔をかくすと、なるべく頭を低くしてその場ででうずくまった。


「な、何をしてるんですか? 上屋敷さん」


 我に返った真壁巡査が、梁子に向かってきいてくる。


「あ、いえ……ボート乗り場に知り合いがいまして。なんか、恥ずかしくなってしまって……」

「ああ、そういうことでしたか。すみません! 上屋敷さんのお家のそばですから、当然、誰かお知り合いがいることもありますよね。ああっ、なのに俺は……なんてことを……!」

「あの、いえ、それはいいんです。わたしが、こんな風にする方がどうかしてます」


 そう言うと、梁子はゆっくりと顔を上げた。

 なぜ隠れようとしたのだろう。それは目の前の真壁巡査に対して失礼な行為ではないか。

 キスはされたが、別に後ろめたいことをしているわけではない。

 堂々としなければ。


 もう一度、落ち着いてボート乗り場の方を見てみる。


 自動販売機の前に立っている人物は、たしかに宮間そっくりだった。

 普通の人よりは頭一つ分高い身長、顔つき、髪型、缶を持つしぐさ等もたしかに宮間本人だと思われる。

 だが、トレードマークの眼鏡がなかった。

 たしかいつもは、真面目そうな四角い黒縁メガネをかけていたはず。フルフェイスのヘルメットをかぶるためにわざわざ外して、コンタクトにでもしているのだろうか?


 それに、もう一つ気になることがあった。

 たしか今日は、宮間はダイスピザで勤務しているはずなのだ。仕事を放ってこんなところにまでプライベートで来ているはずがない。時間的にありえないことである。

 他のスタッフのシフトを全部暗記しているわけではなかったが、梁子はだいたい自分がいない日は、宮間が入っているとおぼろげに記憶していた。 


『どうした、梁子。あそこにいるやつがそれほど気になるか? たしかにピザ屋の宮間とかいう男に似ているが……』

「はい。似てるんですけどどうも……」

『ああ、おそらく別人だろうな。「気」がまったく異なっている。違う人間だな』

「やっぱりそうですか」

『ああ、あの人間は……』

「なんだ、人違いだったんですね。良かった」


 ふう、と大きく息をついて真壁巡査に笑いかける。


「違う人だったみたいです。ご心配おかけしました」

「え……。あ、あの、今ひとり言? 言いましたか?」

「はい。あ……今のはその、屋敷神様とお話していたんですよ。上屋敷家の者は皆、神様のお声や姿が見えるんです。おかしい……ですよね」

「いえ……そ、そんな神がかり的なお姿を拝見してしまって……なんというかビックリしています。たしか前もそんなことがあったような……」

「すみません。普段はあまり人前ではお話ししないんですけど……つい」

「いえ、今もいらっしゃるんですか? 近くに」

「はい。わたしたちの側にいらっしゃいますよ」


 真壁巡査はまた頭を抱えてうずくまった。


「うあああっ。なんてことだ! その……ばちが当たりそうですっ! 自分は上屋敷さんにふさわしくないって烙印を押されているのに。その神様の前で……ああっ……」

「いや、その……なぜかお許しになられているので……罰は当たらないと思いますよ?」

「えっ? あっ、そうなんですか?」

「はい……あの、たぶん……ですけど。わたしが真壁巡査のことを好意的に見ていて……そして真壁巡査も誠実な人だから、たぶん大目に見てくれているんだと思います」

「そ、そうなんですか」


 涙目で梁子を見あげる真壁巡査。その表情はとても間抜けに見えたが、梁子は笑わなかった。

 代わりにサラ様が盛大に笑い声をあげはじめる。


『ふははははっ! なんと、情けない顔か! 臆病者め。それでも警官の端くれか! 梁子を好きだと言うわりに、その程度しか覚悟がないとは……。だが、まあ仕方ない。未知の力の前に人は恐怖するものだ……。梁子、この男に伝えろ。口吸いまではいいとして、それ以上したらさすがにわしも黙ってはおらんとな』

「……はい」


 梁子は真壁巡査に冷静に伝えた。


「真壁巡査。神様が、キスまではいいですが、それ以上したら容赦しないとおっしゃってます」

「ええっ?」

「ですから……今後は迂闊な行動はお控えください」

「えっ、は、はい……! し、しませんしません。というか……」


 こくこくとすばやくうなづいていた真壁巡査が、ふと声を落とす。


「これ以上は……俺も、つらいですから。あなたを忘れられなくなってしまいます」

「……」


 さあっと、池の上に風が吹き渡る。

 その風が二人の周囲を冷たく通り過ぎて行った。


「そう、ですね……。わたしも、つらいです」


 胸の奥がツキンと痛んだ気がした。

 真壁巡査は「すみません」とまた小さくつぶやいて、オールをこぎ出す。

 もうボート乗り場に戻る気らしい。

 見ると、宮間に似ていた男はすでにいなくなっていた。


「どこかでお食事してから帰りますか?」

「そうですね」


 ボート乗り場に戻った二人は、気を取り直してまた歩き始める。

 池の周囲を歩いていると、たまたま洋食屋を見つけたので入った。


 ダイスピザのようにアットホームな雰囲気の個人店だった。二人ともパスタを頼み、黙々と食べる。梁子はこの時した会話をあまりよく憶えていない。

 ただ、胸の奥がスースーしていたのを憶えている。


 梁子は清算の時、真壁巡査がおごるというのを遠慮して割り勘にしようとしていた。だがやんわりと断られてしまう。


「今日は自分がお誘いしましたし、それに、自分の方が年上ですから。年上の意見は聞いておくものですよ……」


 そう言ってさらりと支払いをされてしまう。梁子はいたたまれなくなった。

 一応自分も働いているのだから、おごられる謂れはない。でも、男性の顔を立てるために、レジ前ではそれ以上押し問答をしなかった。

 もう、二度と、こういうことはないのだ。

 ならばせめて……今日の真壁巡査には、少しでも嫌な思いをしてもらいたくない。


「じゃあ、そろそろお開きにしましょうか」

「はい……」

「バス、ご一緒しますよ。お家までお送りします」

「あ、ありがとうございます」


 洋食屋でもそれほど話がはずまなかったので、お互いにそろそろ帰ろうかという意識が生まれていた。もう少し一緒にいたい気もするが、もう離れた方がいいとも思う。

 バス停に向かうまでの道すがら、梁子はそんな複雑な思いを抱いていた。


 これでいいんだ、と自分を納得させる。

 でも、先ほどの抱擁や、キスが……身を焦がしはじめている。

 じりじりと、静かに焼けつくような感情が胸の奥でくすぶりはじめていた。


 隣を歩く真壁巡査の手を取りたいと、思った。

 その腕の裾をつまみたいとも。

 もう一度あの胸に抱かれたいとも……考えた。


 でも、それらはどれも悲しい結果しか生まない。

 さきほど真壁巡査にされたことが、今の自分にこれほどの影響を与えているのだ。もし自分からしたら真壁巡査をさらに混乱させてしまうだろう。

 

 わかっている。

 わかっているから、できなかった。


 じっと、真壁巡査の手を見つめる。

 空想の中で、梁子は手をつないでみた。

 なるほど、それはデートらしいなと思う。正式な結婚相手となら、それが可能なのだろう。

 でも、それは嬉しいことなのかわからなかった。


 その人と、顔の見えないその人と、今のような気持ちになれるだろうか。


 真壁巡査となら、嬉しいと思った。

 この人となら、良かったのに……。


 寒々しい風が吹き、体全体が一気に冷えていくような感覚に陥った。

 梁子は思わず両腕をかき抱く。

 おかしい。カーディガンをちゃんと羽織ってきたのに……。


「……」


 言葉にできなくて、さっきから梁子は自分の想いを伝えることをやめていた。

 無言の時間が流れている。

 真壁巡査はこれじゃつまらないだろう。でも、それはそれで「つまらない女」だと思ってくれるのだから、良いことかもしれない。それで諦めてくれるなら、それが一番いいのだ。

 だから、無理に話しかけてはいけない。


 ふと真壁巡査を見る。眉間にしわが寄っていた。

 どうしたのだろうと思わず心配になる。

 何かさっきの店でアレルギーのものでも口にしたのだろうか。体調は……そんなことを考えていると、真壁巡査がぽつりとつぶやいた。


「すみません……上屋敷さん」

「えっ?」


 くるりとこちらに向きなおって、まっすぐに見据えてくる。

 その背後には、夕暮れの空があった。だんだんと暗くなっていく周囲に、人通りもまばらになっている。真壁巡査は喉の奥から絞り出すように言った。


「俺……やっぱり、諦められないです」

「真壁、巡査……?」

「諦めずに、ずっと……好きでい続けていいですか? 上屋敷さんがご迷惑、でも……」

「真壁巡査、それは困ります」

「困らせてしまいますね。わかっています。でも……さっきからあなたも……おつらそうだ」

「えっ?」


 意外なことを指摘されて、梁子は絶句する。顔に……出ていたのだろうか。


「上屋敷さん、俺は……ずっとあなたを好きでい続けますよ。あなたが……俺を選ばなくても。見返りは求めません。そして……そのこととは関係なく、自分はずっとあなたにできる範囲の助力をしていきます。ですから……そんなつらい顔をなさらないでください。俺はあなたの笑顔が好きです」

「真壁、巡査……」


 思わず、涙が零れ落ちる。

 どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。

 警官だからとか、お母さんの代わりだからとか、いろんなことを差し引いても、どんなに突き放してもこんなに自分によくしてくれるのは……真壁巡査がもともと性格がいいからだろうか。


「本当に……諦めてくださったら良かったのに……」


 こんなにいい人が、自分を好きでいる。

 なんて……もったいない。


 嬉しいのに、つらい。

 つらいけど、嬉しい。

 相反する気持ちがせめぎ合う。


「上屋敷さん、俺は……どんなにか諦めようとしました。でも、ダメでした。さっきも、あなたが俺の目の前でパスタを食べていて……その食べ方がとんでもなく可愛いとかと思ったり……おごろうとしたときには、頑固に断って、なんていい子なんだろうって再確認したり……今日はじめてお会いしたときからも、ずっと、きれいだ、素敵だって思い続けてたり……その、もう、いろいろとダメなんです。俺もつらいし……きっと、上屋敷さんもって……そう思ったら……」


 なんだかたくさん褒められた。

 はずかしい。顔に血液が集まってくる。

 梁子はあわてて否定する。


「そんなこと、ないです。それに……違います。わたし、つらいなんて思ってません。アナタの気持ちに応えるなんて……ほんと、無理なんです。やめてください」

「やめません。わかってます。それが嘘だって。それでも……もう、こうして二度と二人で会えなくなるかもしれないって思ったら……納得いかないんですよ」

「バカです、真壁巡査。そんなにバカだとは思ってませんでした。アナタみたいな……いい人は、わたしじゃなく、もっと素敵な女性と幸せになるべきです」

「別に、バカで結構です。俺が誰を好きでいようと、俺の心は自由です。あなただって、そうでしょう? 誰を好きでも、あなたの心はあなただけのものなんですから」

「そんな……そんなことは詭弁……」


 うつむいていると、がしっと、肩をつかまれた。

 思わず真壁巡査を見上げる。何を、する気だろうか。


「キスまではいいんですよね?」

「えっ?」

「これからまたキスします。いいですね?」

「や、ダメです」

「なら、ビンタしてください」

「えっ?」


 ちらり、と周りを見回す。

 そこは木と木の陰になっていて、あまり人から見られない場所だった。

 遠目から見たら誰かに襲われているようにも見えるだろう。


『どうする、梁子。嫌ならわしがいつでも祓うぞ?』

「……」


 真壁巡査のつかむ手はだいぶ弱まっていた。逃げ出すならいまだ。

 だが、その真剣な瞳に、梁子はとまどっていた。


「ビンタ、しないんですか?」

「暴力になってしまいますから……」

「暴力じゃないですよ。正当防衛です。俺は、あなたを……警官なのに……襲っているようなものなんですから」

「襲ってないですよ。でも、悲鳴でもあげればいいですか」

「……いいですよ。そうしたら俺は本当に、ブタ箱に入ることになります。それくらいしないと、あなたを諦められそうにない……。ストーカーってこういう気持ちなんでしょうね」

「……あなたは、ストーカーじゃないでしょう」

「そうですか? 一方的な気持ちをもって付け狙う、それはストーカーですよ。そうじゃないなら……」

「そうじゃないなら?」

「あなたも……俺を好きだってことです。さあ、どうにかして抵抗してください」

「言葉で……抵抗してます」

「それじゃ、ダメなんです」


 真壁巡査の拘束が弱まる。もう、梁子は自由だった。

 けれど、相変わらず熱のこもったまなざしで見つめられている。


「顔を、いえ、体のどこでもいいです。思いっきりぶん殴ってください。俺は……この胸の痛み以上の痛みを得たいんです」

「真壁巡査」


 梁子は、何も考えずに一歩前に出た。

 そして――。

 真壁巡査をそっと抱きしめた。


「わたしは、あなたの気持ちに応えられません。こんなことくらいしか……できない。もう、帰ります。さよなら!」


 振り切るようにして駆け出した。

 幸い、真壁巡査は追いかけてこなかった。バス停までもう少し、着くとちょうど来たバスに飛び乗った。

 振り返っても、真壁巡査はあたりにいなかった。


『梁子、ずいぶんと大胆なことをしたな……』

「ええ、バカなことをしました。諦めさせたかったのに……諦めたかったのに……」

『まったく、人の心は不可解だわい』


 小声でつぶやきながら、梁子は人の少ない車内を歩く。

 奥の席に座ると、どっと疲れが押し寄せてきた。


「すみません、サラ様……はしたないマネをして。自分でも、なんであんなことをしたのか……」

『だから、わしがそれを諌めたことがあるかと言うておる。お前の好きなようにしろと言っただろう。お前の正式な伴侶はわしが選ぶ……だがそのあいだにどのような恋愛をするかはお前の自由だ。まったく……罪作りなことをしたものよ。あやつ、きっと今頃放心しておるぞ』

「ええ、そうですね。最低ですよ……わたしは」


 バスは薄闇の中を上屋敷家に向かって走っていった。

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