3-15 真壁巡査とのデート2
「あの、真壁巡査……」
話しかけようとすると、ちょうどジョギング中のランナーがやってきた。
ぶつかりそうになったので真壁巡査にあわてて手を引かれる。
「危ない!」
梁子はそのまま真壁巡査に抱きとめられた。
ランナーは軽く会釈をして去っていく。
いつのまにか広い胸元に梁子の顔がピトッとくっついていた。瞬間、また胸のざわめきがよみがえる。以前にも感じた、これはいったいなんなのだろう……。
というか、こんなときにサラ様はいったい何をしているんだ、と梁子は心の中で毒づく。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
真壁巡査はそっと体を離すと、梁子の顔を覗き込んできた。
急に至近距離で見つめられて梁子はどぎまぎする。
前はバスのときだった。態勢を崩したときに支えてくれた。男の人に触れられるなんて、梁子には少し刺激が強い。ぎゅっと目を閉じて、息を大きく吐く。
「あの、だ、大丈夫です……から」
「すっ、すみません! こ、これは、ぶつかったらまずいと思って、俺……」
「はい、ありがとうございます……」
前髪の端を耳にかけながら、伏し目がちに言う。
ちら、と見ると真壁巡査が申し訳なさそうにしていた。そんなに悪いと思わなくてもいいのに……と梁子は不思議な顔をする。
「あ、あの……さっき上屋敷さん、何か言いかけてましたよね? な、何だったんですか?」
「ええと……その……どうして真壁巡査はわたしとお食事とか、こんなところを散歩されたいのかなって思って……そういえば訊いてなかったです。今、お訊きしてもよろしいですか?」
「え、と、そうですね……」
ぽりぽりと頬をかきながら、真壁巡査は苦笑いをする。
「それは……上屋敷さんのことをもっと知りたい、って思ったからですよ。お好きなものとか、嫌いなものとか。普段何をされているのかとか……何も存じませんからね」
「好きなもの……」
「はい。変なことを言っていると思われるでしょうけど、そういうの、もっと知りたいんです。初めてお会いしたとき、とても不思議な方だと思いました。不審者がいるって通報で行ったら、こんな素敵な女性がいて……正直どう対応すればいいか困りました。なるべく平常心でいようと心掛けてたんですけど……あのときのこと、憶えてらっしゃいますか?」
「ええと……」
きっとエアリアルの家の前で会ったときのことだろう。
表向き、真壁巡査も梁子もあのときのことは記憶があいまいだったことになっている。
梁子は言葉をにごした。
「家のことは……あまり憶えてないですけど。はい、真壁巡査に会ったことはよく憶えております」
「あのとき、上屋敷さんは絵を描いていて……とてもお上手だった。あれ以来、自分はあの不思議な事件のことも、上屋敷さんのことも気になってしまって……またお会いしたいなと思っていたんです。次にお会いしたのは、その事件のことを問いただしに伺った時でした……。ご実家が、あんなに大きな家だというのには驚きました」
「ああ、そういえば、ウチにいらっしゃってましたね」
「はい。上屋敷さんはこのあたりでも有名な、資産家のお嬢様でいらっしゃたんですよね。あとで上司に詳しく聞いて、さらに驚きましたよ。そんなお嬢さんだったのに……自分は……」
「え?」
一瞬さみしそうな表情をしたのを、梁子は見逃さなかった。
どうしてなのだろうと見つめていると、すぐに真壁巡査は首を振る。
「いいえ。なんでもありません。それで……終わるはずでした。事件性が特にないなら、もう自分にできることはないと……もうお会いすることもないと、思っていたんです。でも、またお会いできた……」
心底嬉しそうに、笑う。
梁子はその顔を直視できなかった。わざと違う方を向きながら、思い出すようにして言う。
「ああ、あれは……たしかわたしも仕事中でした。ビックリしましたよ。田中さん……のお宅の前でしたよね?」
「はい。あの家で事件があって、たまたま自分が出動していて。それでまた偶然あそこであなたにお会いできたなんて……なんという奇跡だろうって思いました。人が亡くなった事件だったのに、不謹慎ですね……。でも内心とても嬉しかったんです。もう、二度と会えないと思ってましたから。どうしてまた会えたんだろう。そう思っていたら、自然とまたあの家に足が向いてしまっていて……。もしかしたら、また会えるんじゃないかって……」
「ああ、それで……」
梁子は田中邸でのことを思い出す。
もう一度田中邸に行ってみたら、自転車で巡回中の真壁巡査と出くわしたのだ。あのときは特に深く考えなかったが、真壁巡査の言う通りだとすると偶然ではなかったらしい。
そのあとも、ひとりで健一に会おうとしたら真壁巡査が心配してきて、また結局一緒に行くことになったのだ。
「一警官のくせに、差し出がましいマネをいたしました。でも、どうしても、放っておけなかったんです。なぜか俺は、あなたをお助けしたくて……。どうしても何かお役にたちたいって、そう強く思ったんです」
「その節は、お世話になりました。本当にありがとうございます」
「いえ。そんな……お礼を言われるほどのことではありませんよ。ただ付き添わせていただいただけです。でも、まさか本当に助けさせていただけるなんて、思わなくて……あんなお願いをして、余計なお世話、失礼なことをいたしました……」
「いえ。本当に助かったんですよ? ですからそんな……」
「自分は……あれで良かったのか、結局は自己満足だったんじゃないかってあとですごく後悔したんです。無理を言ったうえ、上屋敷さんの優しさに甘えてしまって……。せめて罪滅ぼしに、とご自宅までお送りさせていただいきましたが……でも、それもまた自己満足でした。申し訳ありません。上屋敷さん、本当に嫌だったらそうおっしゃってください。自分は……頭ではわかっているのに、気持ちが、体が言うことをきかないんです。あなたをもっと知りたくて……そばにいようと……してしまう。すみません……」
「……」
梁子は言葉につまった。
今のは、かなり「愛の言葉」というやつだったのではないだろうか?
どう、返事していいのかわからない。
真壁巡査はそんな梁子の様子を知ってか知らずか、話を続けた。
「ですから上屋敷さんがあのあと、勤め先のピザ屋のクーポンをくださって、とても嬉しかったです。少なくとも嫌われたんじゃないとわかったので……。ピザを頼んでも、あなたにまた会えるかはわからなかった。けれど、とても……嬉しかったです。ありがとうございます。今日もお誘いしたのに、断らずに来てくださって。繰り返しますが、本当にご迷惑じゃなかったん……ですよね?」
「……はい。じゃなかったら来てません」
「そう、ですか。ならいいんです。でもいったいどうして……ですか? 今度は自分がお訊きしてもいいでしょうか。どうして、いらしてくださったんですか」
「それは……」
梁子は、近くに生えている大きな木を見上げた。
その木には「メタセコイア」というプレートがかかっている。近くにも何本か巨大な木が生えており、そちらの木の下には地面から根が飛び出ていた。そちらの木々には「ラクウショウ」と表記されている。
練馬区の銘木に指定されているらしい。近くにその看板が立っていた。
千花やトウカ様が好きそうな木だなと梁子は思う。
違うことをつい、考えてしまった。その「結論」をどうしても出したくない。
現実逃避している。それは、分かっている。
答えなければ、すぐ答えなければならないのに。
「それは……」
梁子は考えた。でも、視線がさっきからずっと定まらない。
池や、その上を滑るボートや、木々や、まわりの散策道を通る人々に目がいってしまう。
考えなければ。
でも、ダメだ。どうしても考えがまとまらない。言葉が出ない。
「無理しなくてもいいですよ。自分が、誘ったから……仕方なく、じゃ……」
「違います!」
真壁巡査の言葉に、梁子は条件反射のように声を上げた。
少し大きな声だったので、まわりの通行人が驚いて振り返る。
「その……嫌じゃ、ないです。それは本当です。信じてください……」
「わ、わかりました……お、落ち着いてください。ちょっと自分が自虐的過ぎましたね……すみません。正直なお気持ちで来てくださったのなら……それを素直に信じればよかったです。失礼なことを申し上げました。あの、ありがとうございます」
「いえ……」
梁子はいたたまれなくなって、下を向いた。
真壁巡査はそんな梁子に明るい言葉をかける。
「あ、そうだ。せっかくなんで、ボートに乗りませんか?」
「えっ?」
「ここだと、深いお話もできないでしょうし……あと、気分転換にもなりますよ。あ、その……怖かったりしたらやめますが。そうじゃなかったら、一緒に乗っていただけませんか」
「深いお話? ええと……わたしもちょうど他の人に聞かれたくないお話をしようと思っていたところです。いいですよ。怖くはないので……行きましょう」
「え……」
意外な言葉だったのか、真壁巡査が立ち止まる。
「どうしました? 真壁巡査」
「あ、いえ……自分も……言いづらいことをお話ししようと思ってまして……」
「……そうですか。じゃあお互いにちょうど良かったですね。行きましょう」
「はい」
梁子たちはぐるっと池の周りを一周すると、また最初の地点まで戻ってきた。
ボート乗り場は公園の一番東側にある。
幹線道路に面した場所で、小さな売店と食事ができるようなオープンテラスが備え付けられていた。
料金を払って、ボートに乗る。
スワンボートもあったが、そういう年齢でもないので普通のボートにした。
風も穏やかで水面は凪いでいる。
真壁巡査がオールを力強くこぎ出した。
服で隠れて見えないが、かなり鍛えられているのだろう。動かすたびに腕の筋肉が太く盛り上がっている。よどみない動きでオールを前後させ、後方を確認しながら進む真壁巡査の横顔を梁子はじっと見つめた。




