3-12 最終警告
「あ、あなたは……!」
梁子が引き返してくると、青年は黒いフードを下ろした。
隠れていた顔があらわになる。
それは、魔法科学者エアリアル・シーズンの僕である辞書の精、「衣良野糸士」だった。
「気付かれないようにしていたのですが……バレてしまいましたね。失敗しました」
「衣良野さん……ど、どうしてここに?」
『フン、おそらくわしらを尾行していたのだろう。最近妙な視線を感じていたのだが……今日は一段とそれが敵意を含んだものになっていたからな。結界を張って捕らえてみれば案の定だわい。わしを謀れると思ったか』
「尾行? どうして……? それに、なんで美空さんの家の前に……いるんですか?」
『ふむ……正吉の件も偶然じゃなかったということか』
「えっ?! それって、どういう……」
「そこまで感づかれては、もはや隠し事などできませんね。おっしゃる通りです。ああ……貴女方に気付かれなければ、マスターにいい手土産をお持ちできましたのに」
衣良野は門の外から小泉邸を見上げ、残念そうにつぶやく。
「ど、どういうことですか? サラ様……この方、まさか美空さんたちを……?」
『ああ……そのようだな。おそらく正吉のときと同じように攫うつもりだったのだろう。おい、付喪神……わしは忠告したはずだぞ。二度目はないと。返答次第ではただではすまん。これは……最終警告だ』
サラ様がドスのきいた声ですごむが、衣良野はまったく意に介していない。
「ええ、わかっております。ですから……先ほど『失敗した』と申し上げました。私の任務は貴女方に知られることなく観察し、報告し、そして必要とあれば『サンプル』を採取してくることだったのです。見つかれば命の保証はない……それは最初から覚悟していたことでした。ですから、あとは如何様にでも」
「どうして……ですか? なんでわたしのまわりの人たちに、危害を加えようとするんですか? わたしたちを知りたいなら、直接聞けばいいじゃないですか!」
梁子は衣良野に食ってかかる。
「直接……そうですね。それで聞きたいことが判ったらどんなに良いでしょうか。でも『貴女たちが本当のことを話さない』というのはわかっていたことなんですよ。ですから……正規のプラン、Aプランが使えないなら、Bプランを実行するしかないのです」
「それが……正吉さんや美空さんたちを攫うってことだったんですか?」
「ええ」
「そんな……」
『もういい。こいつはまたわしらに害を成そうとした。よって今回は完全に消す』
サラ様がまた顔を大きくふくらませ始めた。衣良野は逃げようともしていなかった。どうせ逃げられないと、本能でわかったのだろう。服の袖が片方揺らめいている。どうやら体は、あれから完全には修復しきれていないようだ。
その状態でまた食べられたらどうなるのか。サラ様が言うように文字通りきれいさっぱり消えてしまうのだろうか。梁子はその前に問いただしておこうと思った。
「サラ様、待ってください。衣良野さん……どうしてなんですか? バレたらこうなるってわかっていたのに……エアリアルさんのためですか? それって命をかけてまでやることだったんですか? もっと……他に方法があったでしょう!」
「上屋敷さん。私は……マスターのことを愛しています。いえ……そう思うように『させられていた』んです。人ならざるものが、人に対して恋愛感情を持てるようにするという実験を……私は受けていました。ですから……」
「そんな……。実験って、いったいどこまで……?」
「これも必要なことだったんです。マスターの野望のために……必要な犠牲だったんです。いずれ人類は人ならざるものに性の対象を移す、とマスターは予見されました。そのときにその『相手』が愛してくれなくては、人類は科学を発展させてきた意味がありません。そもそも人は、物理的に接触するコストを削減するようになります。そのためには……」
「衣良野さん! そんなことは……そんなことはどうだっていいんです。人類の未来がどうとか、科学を発展させたらとか、そんなことより……アナタの気持ちはどうなんですか? そんな勝手に気持ちを変えられて! 嫌じゃなかったんですか?」
梁子の言葉に、しばらく考え込んでいた衣良野はぽつりとつぶやいた。
「そう……ですね。本当は嫌、だったかもしれません……」
無表情のまま、まっすぐ梁子を見つめてくる。
「私はずっとマスターとともに生きてきました。とある国の図書館に眠っていた私を拾いあげてくれてからずっと……。マスターは、魔法とは何かを研究し、やがてこの星の未来を予知できるまでになった偉大なる魔法科学者……。未来に向けて、様々な魔法の『道具』を生み出そうとしてきたのですが……その結果できた第一号が私でした。私は違う国同士の人々の言葉を通じ合わせたり、世間の言葉の意味を改変する能力を得た『辞書の精』となりました。もう、ずっとずっと昔の出来事です……。マスターがたくさんの道具を作ったり、ほかの人間と協力していく様も、ずっとそばで見てきました……」
「相棒、みたいなものだったんですね」
「ええ。少なくとも私はそう思っていました。けれど……つい一年ほど前でしょうか。一般に普及させる家事ロボットに恋愛感情を持たせるため、とある実験が始まりました。マスターは私にその実験に協力してくれないかと頼んできました。この実験を進めていけば、マスターに対する恋愛感情が生まれるかもしれないと。それでもいいかと念押しされました。私は……拒否しませんでした。正確には『できなかった』のです。だって……私がやらなかったら他のモノがその役を担うことになっていました。私はそれを良しとしませんでした……。マスターの一番の右腕は自分だという自負があったからです。やがてそれは……実験の影響で恋愛感情に変わっていきましたが、もう前のような相棒という気持ちではなくなってしまいました」
「それで、良かったんですか? アナタは、どんなときもエアリアルさんのそばにいたかったんじゃありませんか? こんなことになって……衣良野さんはもうその『マスター』のそばにいられなくなるんですよ? エアリアルさんのためだっていっても、消えちゃったら本末転倒じゃありませんか!」
「いいんです。それがたとえ恋愛感情だとしても……忠誠心からだとしても、もうどっちでもいいのです。最後まで、私のデータはマスターに送られます。きっと、私が消去されるときのデータも有効に使われるでしょう。私が死ぬことも結果的にはマスターのお力になれるのです。こんな嬉しいことはありません」
「そんな……そんなことでいいんですか? だって、あなたは……!」
『梁子、もういいか? 御託はもうけっこうだ。最終的にはあの女科学者に一発返してやらねばならんからな。こんな雑魚にはもう用はない』
「さ、サラ様! 待っ……」
梁子が止める間もなく、サラ様はバクンと衣良野を丸呑みにしてしまった。
膨らんだ頭の中で衣良野の人型があっというまに分解されていく。そして、最後は一冊の本だけになってしまった。それは、赤い革張りの重厚な辞書だった。
サラ様はそれをペッと吐き出す。
『フン、このあいだ半分ほど喰ったからな、もうさして美味くもなかったわい。ただ、その恋愛感情とやらの実験内容や、データを送る方法なんかは詳しくわかったぞ。テレパシーという意識をつなげる技術だな。ふむ。宇宙のエネルギーを通してやっている……とかなんとか、か。今のわしではまだうまく説明できんな。うむ、もう少し消化せんと……』
「サラ様……衣良野さんは、そんな悪い人じゃなかったと思います」
『何を言っておる。害を成すものはわしは容赦せんと言ったはずだ。その警告を無視したのはあちらのほうだ。良いとか悪いとかは関係ない。身を守れるときには守っておかねばならんのだ。わしらはともかく、お前の新しくできた友達とかも危うくなっていたのだぞ、梁子』
「そう……なんですけど……」
『なんだ。引っかかるな。そんなに言うならそれを拾っておけ』
「えっ?」
梁子は言われて、道端に吐き捨てられた辞書を見つめた。
サラ様は自分の髪の毛を一本引き抜くと、それを辞書に落とす。青白く光る一本のひもがくるくると巻き付いていく。新聞紙を束ねるように十字にからみつくと、それは最後に蝶々結びとなった。
『ほれ。持って帰れ』
ふわりと浮かんで、辞書が梁子の手元に飛んでくる。梁子はあわててそれを受け取った。
「ど、どうするんですか、これ」
『さあな。このままここに置いていっても良い……が、お前はそうもできそうにないのだろう? だったら、とりあえず家のどこかに保管しておくなりして、今度あの忌々しい女科学者に会ったら突っ返してやれ』
「そ、そうですね……そうします。あの、サラ様。もう衣良野さんは……」
『ああ、もう永久に実体化はできん。意識もほぼないはずだ。事実上死んだのと同じだな。まあ、物が生きていると仮定した場合の話だが』
「そうですか……。エアリアルさんは衣良野さんのこと……どう思っていたんですかね? 相棒として少しは大切にしていたんでしょうか? それとも……。衣良野さんよりも、実験のほうが大事だったんでしょうか? わたしはそれがとても気になります」
『わしにとっては、そんなことどうでもいいわい。それより梁子。帰ったらこの家、さっそく奉納してくれんか?』
「あ、小泉邸ですか? いいですよ。いろんな意味で記念となった家ですからね……楽しみにしててください」
『ああ。ではとっとと帰ろう』
「はい……」
梁子はそう言うと、辞書をしっかりと小脇に抱えた。
衣良野のことは少し気にかかるが、それは今度エアリアルに会った時にでもゆっくりと問いただそう。もし実験を優先させて長年の相棒をぞんざいに扱ったというのならば許せない。こんな結果になったのは残念だ。もし……いや、梁子はそれ以上考えるのをやめる。
今はただ、目の前のことに集中しよう。
この愛しい相棒のために。はやく間取りを奉納してあげなくては。
梁子は決意すると、家に向かって駆け出した。




