1-4 赤毛の男
「え……?」
真壁巡査と梁子は一瞬言葉を失った。
まさか中から人が出てくるとは。たしかに空き家と確認したはず……。
二人はいぶかしげにその人物を見つめた。
裏口の戸を開けて現れたのは、20代後半くらいの細身の青年だった。
黒っぽいパーカーのフードを目深にかぶっており、そこから長くうねるような赤毛がはみ出している。
同じ色の無精ひげが口や顎の周りにあるので、まるでライオンのような印象だ。
また、日本人離れした骨格で、顔の彫が異常に深い。まるで彫刻のようである。顔にはそばかすがあり、おそらくイギリスや北欧の方の人種だろうと思わせた。
だが妙なのは先ほど聞いた流暢な日本語だ。
青年はこの家の住人なのだろうか。だとしても衣良野という苗字は外国人にしては珍しい……。
おかしい。妙な違和感がある。
梁子はその疑念がぬぐえずに身構えていた。
真壁巡査が先手を打って丁重な挨拶と謝罪をする。
「あ、どうもすみません。先ほどから何度もノックをしたり、呼び鈴を鳴らしていたんですが……出てこられなかったものですからね。ちょっと気になってしまいまして。勝手に入ってすみませんでした」
「はあ……呼び鈴は鳴らないはずですよ。ちょっとわけあって電気を止めているのでね。それに……」
ちょっと下を向いて、青年は自らの服をつまんでみせる。
「見ていただいてわかるように、こんな格好でいつも眠っているものですから……」
パーカーとゆったりしたパンツはスエット素材のようで、部屋着のようだった。
彼の話からするとそれを寝間着にしているらしい。
「あ、それは……申し訳ありませんでした。お休み中でしたか。なにかご病気で?」
「まあ、そんなところです。お気になさらず。……それで? 何のご用でしょうか。見たところ警察の方と……そちらは?」
「あ、わたしはちょっとその辺で絵を描いていたものです。お宅の家を勝手にデッサンさせていただいてたのですが、どなたかに通報されてしまいまして。もしあなた様が通報していたのでしたら、謝罪させていただこうかと。ご不快だったのでしたら、申し訳ありません。すみませんでした」
「へえ……そうですか。それは知りませんでした」
梁子がここにいる理由を簡潔に話すと、青年は驚いたようにそう言った。わずかに口の端を吊りあげていたのがわずかに気になったが。
「いいですよ。建物の絵……ですか? どうぞご勝手に、いくらでも描いてください。ですから、それは私が通報したわけではないですね。それより……警察の方はうちに、何をお尋ねになりたいんでしょうか?」
「すいませんね。自分も通報現場にやって来たからには周囲を調べないわけにはいかなくて。ちょっといろいろとお尋ねしたいんですが、お時間よろしいですか」
「ええ、ですから何を?」
「はい。まずこちらの方が通報された件なんですがね、詳しく申し上げますと『怪しい女性がいる』という匿名の電話でして。こちらの件に、お心当りは?」
「ありません」
「そうですか……。自分が現場に到着しますと、そこの通りにこちらの女性だけがいらっしゃいましてね……」
そう言って、真壁巡査は身ぶり手ぶりで指し示す。
「すぐに、こちらの女性がその『怪しい女性』だと思いましたよ。しかし……職務質問をしてみますとこの方はそれほど不審な点はなかったんですよ。それよりも……どうもこちらのお宅の方がなにか事件にまきこまれているんじゃないかと思いましてね」
「はあ。事件、ですか?」
青年はぽりぽりと頭を掻いている。
「ええ。ほら、こう……お庭も荒れてらっしゃいますし。失礼かとは存じますが、一見空き家に見えなくもないでしょう? もしや浮浪者が入り込んでるんじゃないかと思いましてね……でも、違いましたね。失礼いたしました。で、ここからが本題なんですが、なにか最近、困ったことなどありませんでしたか。変な人が訪ねてきたとか……」
「いえ? 特に……何もありませんよ。最近、訪問してきた方といえばあなた方くらいで……。庭も……私がこんな体ではそうそう手入れできないので、空き家だと思われても仕方ありません。いらぬご心配をおかけしました。……ああ! こんなところですみません。いまさらですが中でお茶でもどうですか」
青年は一歩下がって家の中に招き入れようとする。真壁巡査はあわてて手を振った。
「いえ、お気遣いなく。少しお話を伺いたかっただけですから。事件性がないとわかればすぐお暇します」
「いえいえ。そう言わずに、話せば長くなるでしょう? ここでは私も少し辛い。どうぞ、中へ入ってください」
「え、そうですか? では……」
しぶしぶといった様子で真壁巡査が一歩進むと、パシンという音とともに膝から崩れ落ちた。
「えっ?」
梁子は唖然とした。
その音は、強い電流が空気を切り裂いたような音だった。
真壁巡査が家の中に入った直後、どさりと床に倒れている。
ふいに何者かの気配を背後に感じた。振り返ると、そこにはいつの間にいたのか、黒いワンピースを着た少女が立っていた。
「ちょっと、D! こいつは気絶させないの?」
どこかで見たような覚えがある。記憶をたどってみれば、昨日空を飛んでいた『魔女』だと思い至った。
そうだ。見間違いではない。
たしかに昨夜、この家の上空を飛んでいた。黒いワンピースの少女だ。
「すいません、C。その女性はちょっと……一筋縄ではいかないようなんです」
「はあ? 何、どういうこと?」
「いえね、なにかが取り憑いているみたいですから」
「えっ……!」
「アナタたちはいったい……」
取り憑いている、という言葉に梁子は驚いて目を見開く。
サラ様の存在に感づいている……ということか。それなら少なくとも只者ではない。
サラ様は相変わらず姿を見せないままだったが、どうやら様子をうかがっているらしかった。
「まあまあ、さっきも言ったけど、中でゆっくりとお茶でもしませんか? 不思議なものが憑いているお嬢さん」
「まーた悠長なこと言って。D! コイツ、ボクの友達に何かしたんだぜ? さっき襲わせようとしたのに近寄れなくなったしさあ」
「友達……?」
「ああ、裏庭に猫がたくさんいたでしょう? あれはこの娘のお友達なんですよ」
「猫……」
「そう、ボクもだけどね」
少女がゆっくりと横を通り過ぎ、赤毛の青年の前まで移動すると、くるりと体の向きを変えた。
瞬間、少女の姿はかき消え、足元に一匹の黒猫が現れる。
「ね、猫?!」
「ええ。……冷静にお話させていただけるのでしたら特に危害を加えたりはいたしませんよ。さあ……ついて来てください」
「わ……わかりました」
梁子は青年と黒猫についていってみることにした。
一瞬、ちらりと床に転がる警官を見てみたが、息が止まっているわけではなさそうだった。梁子は警官の胸が上下していることにホッと胸を撫で下ろす。
あの少女が言ったように気絶させられているだけなのだろう。
特に寒い場所ではなかったので、梁子は警官をそのまま放置することにした。
「すいません、お巡りさん……少しだけそのままでいてください」
梁子は一番最後だったので、裏口の戸を閉めた。
廊下の左右にはそれぞれ二つずつドアがついている。梁子はそれを横目で見ながら進んだ。青年が、左の奥の扉を開けて、黒猫とともにすべりこむようにして中へ入っていく。
梁子もおずおずとその部屋に飛び込んでみた。
最初に目に映ったのは、中央に置かれた大きな長テーブルだった。黒檀……でできているのだろうか。黒光りしていて、とても高級そうにみえる。
そのテーブルの周りには、10脚の椅子がぐるりと並べられていた。
部屋の左側にはカウンターがあり、その奥にはキッチンらしき空間も見える。
青年はテーブルを迂回し、入り口とは反対側の位置の椅子に座った。
「どうぞ、貴女もおかけになってください」
「……」
促されるまま、梁子はすぐ近くの席に腰かけてみる。
木漏れ日の光が、青年の後ろの出窓から差し込んできていた。
白いカーテンがかかっているが、外からの風で揺れている。
右手奥には大きな戸棚があり、たくさんの食器が飾られていた。その右横にも入ってきたところとは違う扉があって、そちらはわずかばかり開いていた。角度的にここからそちらの部屋の奥は見えない。
気がつくと、青年は値踏みするようにこちらをじっと見ていた。
部屋をまじまじと観察しているところを見られていたようだ。
青年は梁子と目が合うとにっこりと笑い、軽い調子で声を発した。
「C、悪いんですが、Bを呼んできてくれませんか?」
「うん、わかった」
そう言うと、黒猫はその開いた扉の間をさっとくぐり抜けていってしまった。
「さて。貴女に質問があるのですが」
「なんでしょうか」
「なぜ、我が家を監視なさっていたんですか?」
「……!」
梁子は相手を驚いたように見返す。
監視していたことを問いただしてくるなんて。やはり、「知らなかった」などというのは嘘だったのだ。通報してきたのも、こいつなのだろうか。
気をつけなければ……。うっかり気を抜いてはダメだ。
それは、おそらくサラ様も同じことを思っているはずだった。
梁子はじっと相手の目を見る。
逆光の中、その瞳は緑色に光っていた。サラ様よりは明るい、外国の人のものだ。
なのにこのなめらかな会話……。
そして、洞察力。
やはり通報したのはこの男だった可能性が高い。
だとしたらなぜ……そんな回りくどいことを。梁子が黙っていると、青年はため息をつきながら頬杖をした。
「穏便に、そしてできるだけ迅速に話を進めたかったんですがね……。貴女に憑いている方も、いい加減姿を現していただけませんか? こうして、我々も姿を見せているんですから」
「姿を見せている?」
梁子が首をかしげると、男はにやりと笑っていた。梁子の背後でわずかにサラ様が動く気配がする。
『ふん……ずいぶんと挑発的だな。いいだろう、わしもこの場に居合わせてやろうではないか』
ふわりと漂いながら、しゃがれ声の主は梁子の真上に姿を現す。
見上げると、憤然と赤毛の男を睨みつけていた。
「さてさて。では自己紹介とまいりましょうか。私は衣良野糸士、仲間たちからは通称『D』と呼ばれています。この館の『形式上の』主です。そちらは?」
「形式上? えっと、わたしは……」
『よい、梁子、正直に話せ。なにがあってもわしが守る』
本名を名乗っていいものかと迷っていると、しゃがれ声が堂々と後押ししてくれた。
梁子は瞑目すると、決意を固めてゆっくりと目を開ける。
「わたしは上屋敷梁子。こちらは我が家の屋敷神『サラ様』です。以後お見知りおきを」
「ほう、神様……ときましたか。本当に珍しいお客様だったようですね」
「わたしたちはとある目的でこちらへ来ました。交渉次第ではその件もおいおい詳しくお話させていただきます」
「交渉……?」
「はい。単刀直入に申します。ぜひ、こちらの家の間取りを教えていただきたいんです」
「……間取り?」
衣良野と名乗る赤毛の青年は、一瞬きょとんとした顔をした。
それもそのはず、この場においてまず「間取り」という言葉が出てくるとは想像もしなかったのだろう。
梁子としゃがれ声の主は、営業用の満面の笑みを向け、青年の次の出方をうかがった。
【ここまでの登場人物】
●上屋敷梁子――間取りを集めるのがライフワークの女子大学生。ダイスピザというピザ屋でデリバリーのバイトをしている。
●サラ様――上屋敷家の守り神。他人の家の間取りが主食。
●真壁巡査――交番勤務の警官。
●衣良野糸士――謎の家の住人。赤毛の青年。通称”D”。
●???――謎の家の住人。黒いワンピースの少女。通称”C”。