3-10 ゲンさんとの出会い
「そういえばゲンさんとは、どちらでお会いになられたんですか? 道端で? あ、いや……美空さんはめったに外には出られないっておっしゃってましたよね……」
梁子が独り言のようにつぶやくと、美空はまたゲンさんをテーブルに戻して言った。
「ゲンさんは……一ヶ月ほど前に、ふらりと家にやってきたんだ。その時は前の仕事が立て込んでてね……珍しくアタシは時間に追われてた。深夜になっても針仕事の手を止められなくて、この部屋で徹夜してたんだけど……そしたら急に部屋のドアが開いて……ゲンさんが現れたんだ」
「玄関から入って来たんですか?」
梁子はテーブルの上であぐらをかいたゲンさんを見る。
「はい。オイラは時間の妖精……忙しいと思う人のもとになぜか引き寄せられるのです。同じような人の思念から生み出されたからですかね? あの日も夜の町をぶらぶらしてたら、ちょうどこの家の前を通りかかりまして。その二階から強烈なエネルギーが発せられていたから、オイラは前にあなたにご覧にいれたように、力を使って玄関から侵入したのですよ。気付かれないようにミクに近づこうと思ったら……失敗しました」
「そりゃね、一人しかいない部屋に誰かが入ってきたら嫌でも気が付くよ、ゲンさん。アタシは急に誰かが入って来てビビったよ。まさか強盗? って思ったからね。でも、そこにいたのは……小さな小人だった。白いタンクトップに股引き姿の、THEおじさんって感じのゲンさんだった。アタシは疲れすぎて頭がおかしくなったのかと思ったけど……ゲンさんはたしかに挨拶してきたんだ、『こんばんは』って」
「美空さん驚いたでしょう? そんな小人が突然現れて」
梁子はアイスティーを一口すすりながら訊く。
「うん、ちょっと怖かったね。でも、もともと人形たちに囲まれて暮らしてたし、この子たちといつも会話してたから……あんまり違和感はなかったかな。むしろ、なんだこれっていう好奇心の方が強かったよ」
「オイラはさらに訊きました……『何かお困りですか? 良かったらお手伝いしますよ』って。そしたら、時間がなくて仕事が納期に間に合わないってミクは言うではないですか。オイラはこの部屋の時間の進み方を変えてあげました。外では1日分の速さを、この部屋では2日分の速さにしたんです。代わりに、対価としてミクの忙しいと思う気持ちを頂いちゃいましたけどね」
『それが、お前の主食というわけか……』
話をじっと聞いていたサラ様が口をはさむ。
「はい。正直お腹がとても空いてましたからね……なりふり構わず、正体がばれてもとにかく食事にありつければいいやと思ったんです。オイラにとって時間を操作するのは息をするようなものです。でも、人目につかないように捕食するのは難しくて……その点ミクは最適な対象者でした。あまり騒ぎ立てられませんでしたしね。前はオフィス街にいたんですが……目撃されるリスクを考えると、あそこは難しかったです。対象者はたくさんいるんですが……ね。みなさんゆっくりと立ち止まってくれませんし」
「あの、もしかしてわたしのスクーターとぶつかったのも……?」
「あ、ええ、そうですよ。あのときもあなたの方に体が引っ張られてたんです。避けようと思ったんですが……本能には勝てなかったようですね。あなた、あの時急いでたんじゃないですか?」
「はい。早く店に戻らないとって思ってました。なんというか……町中だと、ゲンさんけっこう危ないんですね。そんな引っ張られるだなんて……」
「そうなんです。だから、ミクにここに住まわせてもらって非常に助かってます。とりあえず命の危険はなくなりましたしね、ときたまお食事も……いただけていますから」
ゲンさんは美空を見ると、にっこりと笑った。
「出会った日、アタシたちは色々話をしたよ。お互いの身の上話をね……。小人って大変な思いをしてるんだなあって驚いた。だからここに住めばって、アタシから誘ったんだ。どうせゲンさんは食べ物食べないし。そういう忙しいと思うだけでいいんだったら、人形が一体増えるのとそう変わらないだろう? 時間を引き伸ばしてもらえるなんて、仕事にもプラスになるし。朝になるころには……商品は完成してたよ。あ、そうそう……これを見て」
美空は机からノートパソコンを持ってくるとテーブルに置いた。とあるサイトのページを開くと、その画面を梁子を見せてくる。
そこには「ドール服専門オーダーメイド コズミック」と大きな字が書かれていた。さまざまな種類の人形と、製作した作品が写真つきで紹介されている。おそらく美空の開設したネットショップだろう。
「これが、その時の作品」
とある写真をクリックして、拡大させた。それは有名なアニメキャラのコスチュームだった。
「あのキャラと同じ服を自分の人形にも着せたいっていう、けっこうこだわりのあるお客さんだったんだ。だから手抜きはいっさいできなくてね。商品の発送は、定期的に配達の人が家にやってくるんだけど……って、ああ、そこだけは唯一他人と接するね……いや、大井住市に住んでいて良かったよ。この町の配達・集配システムは本当に便利だ。郵便局とか運送屋に直接出向かなくていいんだからね」
この街の宅配システムは、お店で買ったものを自宅に届けるだけではなく、家から不用品をリサイクルセンターに持っていったり、大きなものから小さなものまで、どこかの家に配達するというサービスも行っていた。基本、市外へ荷物を配送する場合にも、郵便局などに引き継ぐのを業者が代行してやってくれる。
外出したくない美空のような者にとっては、まさに夢のようなシステムだ。
「でね、その後アタシはゲンさんにお礼として、この服を作ってあげたんだ。下着姿のままじゃ可哀想だったからね。どうだい、素敵だろう?」
「ええ……とてもかっこいいお洋服ですね。なんというか、ジェントルマンに見えます」
「だろう? よくわかってるね、昔のイギリス人っぽいスーツにしたんだよ。よく見るとほら、ゲンさんってイケメンだし……これがまたよく似合うんだ」
「え?」
「ロマンスグレーの髪に少し垂れた目、憂いのある背中にスラッとした体つき……もう、小人にしておくにはもったいないよ! ね、上屋敷さんもそう思うだろう?」
「え、ええと……」
「ミク、そんな誉めないでくださいよ。て、照れるじゃありませんか……」
梁子が言いよどんでいる間に、ゲンさんはポッと顔を赤らめていた。じっと見つめる美空からしきりと視線をそらしている。
梁子は思わず砂を吐きそうになった。いったいどこにそんな熱をあげる要素があるのだろうか。中年男性がストライクゾーンではない梁子にとってはさっぱり理解できない。
「ゲンさんって名前もね、意味があるんだよ。厳格のゲン、をとったんだ……。最初、緊張して怖い顔してたからね、そのイメージでつけたんだけど……今は全然だよ。むしろ優しすぎてこっちがまいっちまうくらいだ」
「そんなことありませんよ、オイラは……」
「いやいや、ゲンさんは他にもさ、人間の男には出せない色気というか魅力というか……そういうのがすごいんだよ。うーん、目の保養だね!」
「ミク……」
「ええと……大変仲がよろしいようで」
聞いてるこっちが恥ずかしくなってきた。美空は気付いているのだろうか。自分が盛大にのろけているということに。
梁子はとりあえず美空の話を根気よく聞こうと決意した。そう、ゲンさんの願いは「美空と自分が友達になること」なのだ。きっと友達というものは、どんな話でも一応は聞きとげてあげるに違いない。もう少しの我慢だ。
「……それでさ、ゲンさんって時間の妖精って自分で言ってるだろ? でさ、アタシ思うんだ。これ小さいとき聞いたことあるなって。ほら、上屋敷さんも『靴屋の小人』って話、聞いたことないかい?」
「靴屋の小人……ですか?」
いつの間にかノロケ話から、時間の妖精についての考察になっていた。たしかに、ゲンさんという存在は謎な存在である。梁子はそっぽを向きそうだった耳を元に戻した。
「そう、童話でね……だいたいこんな話だよ。あるところに靴を作って売る老夫婦がいた。その店はあまり繁盛してなかったが、ある夜小人たちがやってきて靴を作ってくれた。翌朝できた靴は高い金額で売れた。そのお金で、じいさんはまた靴の材料を買って店に置いておいた。すると、また小人がやって来て今度は二足作ってくれた。そうして店は繁盛していって……って話なんだけど、老夫婦は最後小人のために服と靴を作ってあげるんだ。お礼にね。すると小人は満足してどこかに行ってしまう。ねえ、これってなんだかゲンさんと似てないかい? これもきっと、時間の妖精だったんじゃないかなって、アタシは思うんだ……」
「へえ、それは……初めて聞きましたね。たしかに似ている気がします」
「靴は、小人が作ってくれたんじゃなくて、小人の力で時間を引き伸ばされていた間に職人のじいさんが一人で作っていただけだと思う。アタシがそうしていたようにね……きっと疲れて夢うつつだったんだろう。そうじゃないと、そもそも小人は自分の体より大きな靴を作れないはずだからね。どうにかして小人は人間自身にやらせてたんだよ、きっと。そして、ちゃっかりじいさんの忙しいという思念をいただいていた……あらかた食事にありつくと、小人は別の場所に旅立っていった、ってとこかな」
その最後のくだりを言うときに、美空は少し寂しそうな表情をした。まただ。どうしてそう寂しそうに言うのだろう。
「そうそう。あと、前にも言ったけど……近年じゃ『小さいおじさん』っていう都市伝説も出てきたんだよね。それは知ってる?」
「ええ。最近、知りました」
「小さいおじさんにもいろんなタイプの目撃情報がある。ってことは……きっとゲンさんっていう時間の妖精は、ずっと昔からいた存在なのかもしれないね。アタシたちが知らなかっただけでさ」
「そうですね……そうかもしれません」
『日本には一寸法師という話もあるな。きっとその娘が言うように、こいつらはずっと昔から存在し続けていたのだろう。一寸法師の「老夫婦から小さすぎる子供が産まれる」という話も……よく考えたらおかしなことだ。お前たちの話を総合すると……おそらく子作りに焦る気持ちが、時間の妖精を生み出したのだろうな』
じっくりと話を聴いていたサラ様が、また口をはさんでくる。梁子はそれを聞いてふとあることに思い至った。
「時間の妖精……不思議な存在ですね。それって、日本でいう妖怪とは違うんですか?」
『ふむ、似たような妖怪はいるな。「いそがし」という妖怪だ。いそがしは、人に取り憑いて無闇に忙しくさせる存在だ。あれは怠けているやつを、疎ましく思う者の怨念が作り出した呪いのようなモノ……この時間の妖精とは真逆の存在だ。どちらかというと生き霊に近いのかもしれんな。元が「人間の思念」だということだから。姿も元の人間の影響によるものだろう……。まあ、いずれは様々な人間の思念をとりこんで、妖怪化するかもしれんがな。こればかりは、わしも初めて見たものだから最終的にどうなるかは想像がつかん』
「そうですか……けっこう複雑なんですね、妖精とか妖怪の線引きって」
サラ様の解説に、梁子とゲンさんはなるほどと得心する。
そんな中、美空の表情だけが晴れなかった。それに気づいた梁子が声をかける。
「どうしましたか? 美空さん」
「いや、ね……アタシは不安なんだ。いつかゲンさんが急に消えちゃうんじゃないかって……わけのわからない存在だから……よりいっそう、そう思うんだよ。きっとその元の人間が死ぬようなことがあったら、一緒に消えちゃうかもしれない。そう思ったら、今のこの幸せがすごく……怖くなってね」
「ミク……」
寂しそうなのはこれが原因だったのか。梁子はそれを知って、グッと胸がつかえたようになった。
正吉もこんな思いだったのだろうか。ふと、あの化けタヌキを思い出す。
人と異形の者とでは寿命が違う。それを分かっていてもなお、ともにいようとするのはとても貴いことだ。でも、それは茨の道である。美空とゲンさんもその道を歩もうとしている。
「ゲンさんは言いましたよね、わたしに……」
「えっ?」
「美空さんは自分にとって友達以上の存在だって。ずっと一緒にいてあげたいって……それって、どういう気持ちなんですか? 友達も何かよくわからないわたしには、その気持ちはさらによくわかりません。どういうことか、ご説明していただけませんでしょうか」
「そっ、それは……その……」
「えっ? げ、ゲンさん……どういうこと? そんなことアタシには全然……」
梁子の暴露にゲンさんは顔を真っ赤にした。美空があわててテーブルに駆け寄ってくる。
「いや、その……上屋敷さん困りますよ! そんな……ミクがいる前で……」
「どういうこと、ゲンさん! いつも一緒にいてあげたいとは言ってくれてるけど、その言葉は初耳だよ! アタシばっかり好きでいて、ゲンさんはそうでもないと思ってた。ねえ、何? 友達以上って。親みたいに心配だから一緒にいたいってことじゃなかったの?」
「いや、ええと……違います。オイラもはじめはそうなのかなって思ったんですけど……一緒にいるうちに、その、なんというか……」
「えっ、なに?」
「どういうことなんですか、ゲンさん」
美空と梁子が二人してゲンさんに詰め寄る。たじたじとなったゲンさんは、ようやく観念した。
「えっと……ですから……ミクと同じように……す、好きなんですよ。オイラたち時間の妖精にとっては、それをなんと表現するかはわかりませんが……たぶん人間で言ったら、その……恋人として好き、ってことだと……思います」
「……!!」
美空はその瞬間、悶絶するように床にうずくまった。
「はあっ……いや……!」
「えっ、美空さん?」
「ミク、すみません……嫌とは……そうですよね、小人のオイラにそう言われても……」
「違う、違うんだよ、ゲンさん!」
ガバリと起き上がって、美空はゲンさんを抱き上げる。
「ああ……いつも言ってくれなかったからさー。アタシの一方通行なのかと思ってたんだよ! でも……そうか。そうだったんだ。そう思ってくれてたんなら……もう、我慢する必要ないね!」
「へっ? が、我慢?」
美空は目が完全にハートマークになっていた。梁子にはなぜかそう見えた。あのう、わたしここにいるんですけど。なにか完全にお邪魔虫みたいなんですけど。このままここにいて大丈夫ですか? 梁子の危惧も虚しく、美空はゲンさんにぴとっと頬を寄せはじめている。すりすり。
「ゲンさん……アタシも。アタシも好きだよ、ゲンさんのこと……こ、恋人として……!」
「ミク……!」
見つめ合う二人は、もう今にも口づけを交わしそうだった。梁子は顔を手で覆いながら、それでも指の隙間からことの成り行きを見届けようとする。
サラ様がおい、と小声で注意してきた。
『梁子、これ以上はお邪魔じゃないか?』
「ええ、そうですね」
『なら……帰ろう』
「ええ」
『梁子?』
「……」
『ダメだな、これは……』
口ではそう言いながらも、いっこうに動こうとしない梁子。サラ様は首をふった。やがて二人の世界から美空が先に戻ってくる。
「はっ! あ、そうだ……まだ上屋敷さんが……いるんだった。えっと、危ない危ない……」
「ハッ! あ、そういうことで……ご理解いただけましたでしょうか、上屋敷さん?」
ゲンさんも続いて気を取り直し、梁子に向き直ってくる。
梁子は棒読みのように、感情がこもらない声で言った。
「はい。大変参考になりました。わたしも……誰かのことをそう思えるようになりたいですね。お二人のように……」
ひどく冷静な言い方に、美空とゲンさんは微妙な顔を浮かべる。
頭ではわかっていても、実践するとなるととても難しいものだ。自然に心が動くならなんの問題もないのだが、梁子の場合は心にストッパーがついている。友達にしても恋人にしても、いまだ受け身でいるだけの状態……ここからどうすれば積極的になれるのか、梁子はさっぱりわからないでいた。
呆とした様子の梁子を見て、美空とゲンさんは「こいつは相当やっかいそうだな」となんとなく感じていた。自分たちにもそれぞれ悩みはあるが、梁子は梁子でさらに深刻な悩みを抱えていそうだ。
二人は、気持ちを通じさせてくれた梁子に対して何かしてあげたいと思うようになっていた。




