3-7 千花からの助言2
水曜日の講義は午後まであったが、おおむね早い時間に終わったので、梁子は二時過ぎには帰ることができた。大学の構内を歩いていると、人の視線を集める。こればかりは何度もあっても慣れない。
校門まで来ると自分よりも注目されている人物を発見した。
千花である。
「あっ、梁子さん」
こちらに気がついたのかトコトコと近づいてくる。
千花は水色のワンピースに、白いタイツと靴、頭には白いラナンキュラスの花を挿していた。いつ見ても人形のように可愛らしい姿である。
梁子はふと、自分の服装を見た。今日は美空の家を片付けるため、いつも以上に地味な格好だった。黒いスパッツにグレーのカーディガン、髪型はいつも通りだったが、これではまるでどこかの事務員である。
ともあれ、目の保養なので梁子はニコニコして千花を見つめた。
「千花ちゃん、こんにちは。このあいだの家どうでしたか?」
「ああ、あの件ありがとう。とてもいい木だったよ。トウカ様も喜んでいた」
「そうですか。それは良かったです」
あの件とは、田中家の白木蓮のことである。
千花の家の屋敷神、トウカ様に献上するために以前梁子が便宜を図っていたのだ。表向きは梁子が木を譲り受け業者を手配したということになっていたが、実際は千花たちが丸々入手している。
千花はキョロキョロ周りを見回すと、そっと耳打ちしてきた。
「梁子さん、ここは人が多い。ちょっと離れよう」
「えっ? はい……」
言われるまま千花に付いていく。千花は大学を出て、学園の中央通りを歩き出した。その間に薄紫色の結界が張られトウカ様が現れる。
千花以上に小柄で愛らしい童女は、和服の袖をひるがえしながら梁子の前に出た。
『先日は結構な馳走をもらったの。感謝する、梁子』
「いえ、お役に立てたのなら良かったです。あの木の記憶をご覧になりましたか?」
『当然じゃ。しかし化けタヌキとは……こんな都会にもまだおったとはな。驚きよ。あの白木蓮はすべてを見ておった……何十年とあの家の者たちをな。けれどももう潮時じゃ、住人がいなくなってはの』
「ええ、寂しいことです。なので、ああするのが一番かと思いました」
『良い判断じゃ。わらわの腹も満たされたしの。もし、上屋敷家に薦められる物件があれば、こちらからも伝える故』
「ありがとうございます」
『ときに、蛇の』
『なんだ、藤の』
トウカ様に声をかけられて、サラ様も姿を現した。トウカ様の結界内なので、人目を気にせず実体化する。
『お主、妙に雰囲気が変わったようじゃが……何ぞあったのかえ』
『まあな。ある異形の者を喰った』
『ほう……それはこのあいだの家か』
『いや。白木蓮の家とはまた別件だ』
『ふむ……』
トウカ様は何か言いたげだったが、梁子をじっと見ると目を細めた。
『今度の世継ぎは……上屋敷家の命運を左右するかもしれぬのう』
半分独り言のような台詞に、梁子はドキッとする。
「えっ、それってどういう……」
「梁子さん!」
「な、なに、千花ちゃん」
「そういえば、自分だけを見てくれる人は見つかったの?」
「えっ?!」
トウカ様に問いただそうとしていた梁子は、急に来た質問にうろたえた。いきなり千花は何を言い出すのか。前に会ったときそんな話をしていたような気もするが、まだ憶えていたとは……。
「ねえ、どうなの?」
「えっ、いやあ……見つかったような、そうでないような……」
「歯切れ悪い。それは見つかったってこと? 否定してない」
「ぎくっ。千花ちゃん、鋭いですね……。たしかにそれっぽい人は見つかったんですけど、なんといいますか……まだ上屋敷家のことは説明してなくてですね。一方的に好意を向けられてるかもなんですが、どう対応したらいいものかと、その……」
「前も言ったよね、梁子さん。相手からどう思われるかじゃなくて自分が相手をどう思うか、それが大事だって……。梁子さんはその人のこと、どう思ってるの? 好きなの?」
「へっ? す、好きっ?!」
突如投げかけられたその言葉に、梁子は顔が赤くなる。
急に体が熱くなり、耳の奥で血液がドクドクいいはじめる。梁子は自らの異変を感じていたたまれなくなった。恥ずかしい。絶対にこの動揺は表にあらわれている。千花ちゃんもトウカ様もサラ様だっているのに……ああ、穴があったら入りたい。洞窟に閉じ込もって一生外に出たくない。すぐにここから消え去りたい。
そう思っていると、梁子は自然と手で顔を覆っていた。
「梁子さん……わかった。もう何も言わなくてもいい。……良かったね」
「ふえっ? よ、『良かった』? どこが……何がですか? あああ、み、見ないでください! 別に、あの人のことは嫌いじゃないっていうか、そう、たしかに嫌いではないですよ? でも好きになったかっていうと、それはまた別で……そもそもまだ自分の中ではですね……好きとかっていうか……それにまだ数回しか会ってないですし……その……」
『梁子』
「は、はい、サラ様……」
わたわたと早口でまくしたてる梁子に、サラ様のしゃがれた声がかけられる。いつもと変わらぬその優しい声に、梁子は顔をゆっくりとあげた。
『別に、お前が誰を好きになろうが構わん。わしは引き続き、お前にふさわしい伴侶を探し続けるだけだ。そもそも……あの警官にはフラれる可能性もあるのだからな。予備だ、予備』
「ふ、フラれ……っ?」
『ああ。お互いが好きなだけではうまくいかんぞ。人というものはな。いろいろな都合が影響してくるのだ……特にお前は上屋敷家の娘、それがどういう意味を持つかは……お前もよく解っているだろう』
「はあ、まあ……上屋敷家の秘密を受け入れてもらえるかというと、可能性は……ですよね。逆にオールオッケーの人って奇特というか、母さんみたいな人……ですか? 真壁巡査がそうかはわかりません。でも、だからこそ確かめておきたいんです……」
『好きにしろ。わしは特に何も言っておらんからな。やめろとかなんとか……』
サラ様はそう言って腕組みをするとそっぽを向いた。そんなやりとりを見ていた千花は、遠慮がちに口を開く。
「あの……梁子さんの好きな人ってその、警官なの?」
「えっ? いやっ、だから、好きっていうか……」
「ふーん。ねえ梁子さん? 今度恋バナしよう、恋バナ」
「こ、恋バナ?」
「そう。千花の話も聞いてほしい。千花は……不二丸のこと好きなのに、不二丸は千花と同じような『好き』じゃないの。自分がどう思うかが大事ってさっき言ったけど……それだけっていうのも、そろそろ限界」
「限界……って……」
「千花は好かれてると思う。不二丸に。でもそれはきっと飼い主として。千花はそうじゃない、違う『好き』なの。どうしたら同じように思ってもらえるか……今はそれに悩んでる」
「うーん。恋人として接してもらいたいってことですか? わたしはまだその段階にもなってないので、あまりいいアドバイスはできませんが……あ、そうだ」
「なに?」
「わたし、人間じゃないものと仲良く暮らしている女性をひとり、知っています。その人間じゃない方の方はその女性を友達以上の存在だとおっしゃっていました。その方々に聞けば、あるいは……」
「それってこの間のタヌキ?」
「いえ、その家の方はもう亡くなられていますので……違う方ですよ」
「そう。なんか梁子さん……不思議な人たちと縁があるね。その人、何? 誰? 人間じゃないものって?」
「今、間取りを教えてもらっているお宅の方です。わたしと同じくらいの年齢の女性で、小人さんと暮らしているんですよ」
「え? こ、小人?」
「はい。時間の妖精、とかってその小人さんはおっしゃってました。世間では『小さいおっさん』とかって言われてるらしいですよ。よくわたしは知らないですけど」
「小さいおっさん? ……これ、かな?」
千花は携帯端末を取り出すとすぐ検索し出した。ヒットしたものを読み上げる。
「小さいおじさん。身長が8㎝から20㎝程度の中年男性風の小人。家や道端、公園などで目撃される。神社などで連れ帰ってくる人も。芸能人による目撃情報が多い。正体は妖精、妖怪、幽霊、宇宙人などの未確認生物の可能性。実際は肉体や精神の疲労による幻覚、薬の副作用など。byうぇけぺでぃあ」
「な、なるほど……あ、ありがとうございます。千花ちゃん」
「不思議だね。そんな小さいもので、しかもおじさん……と? そんな関係になれちゃうなんてスゴイ。ありえない……」
『千花、他人のことは言えぬと思うぞ』
冷静にトウカ様がツッコミを入れてくる。
「ち、違う! 不二丸は違う。ちゃんと人間の姿に変化できる式神」
『でも、元は犬畜生じゃろう。変化と言っても、実体があるわけではない。時を経れば物や人を移動させられるほどの術を身に付けるだけじゃ。その身の大きさはあくまで幻よ』
「わかってる……でも、小さくないし、おじさんでもない。不二丸はかっこいい青年。全然違う……」
「ええと……」
言ってることはわからなくはないのだが、これは美空が聞いたら激怒しそうだなと梁子は額を押さえた。
「千花ちゃん、とりあえずそれはいいとして……」
「良くない。大事な話」
「いいとして。わたしのお話もちょっと聞いていただけませんか?」
「……何」
千花はぶすっと膨れっ面になっていたが、梁子は無理やり笑顔を作って話題を変えた。
「実は、その女性とお友達になってほしいって頼まれてるんですよ。その小人さんに。千花ちゃんってお友達いらっしゃいますか? わたし、あまり……というか全然いなくて。良かったらその……作り方を教えてもらえないでしょうか? どうやってなったらいいかわからなくて」
「うーん。……じゃあ、これ」
「?」
千花はまだ不機嫌そうだったが、携帯端末を取り出すと画面をこちらに見せてきた。どれどれ、と覗きこむと、そこには有名なSNSのサイトが表示されている。
「一万人以上いる」
「ええっ? ど、どうなってるんですか、これ」
「梁子さん、やってないの? 毎日、千花が着てるファッションとかを写真にとってこれに載せてるんだよ。みんな誉めてくれる。梁子さんもこれ、やってみたら?」
「いいですね……って、そうじゃなくて! 実際に会ってるお友達のことですよ!」
「じゃあ、これ」
次に見せられたのは一枚の写真だった。たくさんの式神の使用人たちに囲まれて、優雅にお茶をたしなんでいる千花が写っている。
「って、ちがーう! 人間のお友達ですよ! 千花ちゃん……さてはアナタもいないですね?」
「そう……かも。でも特に問題ないよ。それは梁子さんも一緒なはず」
「まあ、今まではたしかにそうだったんですけどね。なりゆきで作るはめになりまして……そうですか、すいません。無茶なことを聞きました」
「別に。……あ、そうだ」
「なんですか?」
「唯一いるとしたら……梁子さん、かな」
「……え?」
にっこりと花のように笑った千花に、梁子は目を奪われた。一瞬時が止まる。
胸の奥にじんわりと暖かな何かが溢れ出してくる。友達? 自分が、千花と? 夢じゃないだろうか。というか、いつの間にそうなっていたのか。友達になったタイミングがさっぱり思い出せない。
「あれ? 千花、だけだったのかな。そう思ってたのって。親戚だし年も違うし、友達っていうよりは同士だけど。でも……他に思い当たらない。梁子さんくらいしか……いない」
しゅん、と悲しそうにうつむく千花の頭に、梁子はそっと手を乗せる。
「ありがとうございます。千花ちゃん。なら……わたしも友達だと思わせてください。親戚って関係でも、年が離れてても、同士だとしても……そう思って下さったなんて、嬉しいです。ありがとうございます」
「……参考になった?」
「ええ。たぶん。ありがとうございます」
手を動かし、頭をナデナデする。千花は気持ち良さそうに目を閉じた。まるで小動物だ。千花のところの柴犬、不二丸もこうして撫でられているのだろうかと思うと、思わず笑みがこぼれる。
梁子は少しだけ友達とは何かを知ったような気がした。
たまに会って、こうして気兼ねなく話したり触れあったりできる相手。それが自然とできるようになるには、どうしたらいいだろうか。
小泉美空とこんなことができるとはまだ想像もつかないが、梁子はゲンさんのためにも、間取りのためにも努力しようと思った。




