3-6 友達がすること
今日は昨日の雨が嘘のように晴れている。
小泉邸はバスの路線とはまた違った方向なので、梁子はのんびりと散歩ついでに歩いていった。駅へ行く人たちがちらほらといる中、梁子はその流れを横切るように東へ向かう。途中コンビニに寄った。
小泉邸に着き玄関のチャイムを鳴らすと、例によってドアが自動で開く。
「おはようございます。上屋敷さん」
自称、時間の妖精のゲンさんだった。今日も黒っぽいスーツをビシッと着ている。
「おはようございます。美空さんは?」
「まだ寝ています。あれから、少し良くなったようです。これも上屋敷さんのおかげです。ありがとうございます」
「いえ、それは良かったです。あ、これ、美空さんの朝御飯です。どうぞ」
そう言って、梁子は手に持っていたビニール袋を目の前に差し出した。
「ありがとうございます。それは、あとでミクに渡しておきます。とりあえずキッチンに置いておいてください」
「はい。ではさっそく、お邪魔しますね」
「ええ、どうぞ」
靴を脱いであがる。明るい陽光の下で見ると、廊下にはうっすらと埃が積もっていた。これはあとで丹念に掃除をしなければなるまいと梁子は眉間にシワを寄せる。
リビングへ行くと驚いた。
昨日よりも片付いている。テーブルの上の空き容器はきれいに無くなり、またゴミ袋も心なしか一ヶ所にまとめられているようだった。流しの中にもお粥をよそっていた器がない。美空が洗ってくれたのだろうか。
「ゲンさん……これは?」
「ああ、昨日美空と少し片付けたのです。何か心境の変化があったみたいで……」
「そうですか……それは、良かったです。では、ゴミを出してきます」
「はい、お願いします」
ゴミ袋は全部で20袋以上あったが、全部出すのはためらわれた。とりあえず大きいものを10袋ほど出すことにする。外のゴミ集積所には大きいネットがあり、10袋出してもまだまだ余裕がありそうだった。何度か往復してようやく捨て終わる。
家に戻ると、ゲンさんに掃除用具のある場所を教えてもらった。
階段下の納戸に掃除機や箒、雑巾などが詰め込まれている。その他も色々あったが、とりあえず掃除をするために必要なものは揃っているようだった。掃除機のパックなどを確認し、扉を閉める。
「ちょっと、他の部屋も見ていいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
階段横の扉を開けると、そこは洗面所だった。ドラム式洗濯機があるが、その周囲にはたくさんの衣類が山積みになっている。
「あの……いつも、こうなんですか?」
「ええと……ミクは気が向いたときにしか洗濯しないみたいで……あんまり家の中でも動かないし、外にも出ないからいいでしょって言ってました……」
「うーん、洗剤はありますね。でも残り少ないから追加しますか。あとお風呂は……」
横の折戸を開けると、そこはあまり見たくない光景が広がっていた。
「カビを殲滅しないといけませんね……」
しっかりと戸を閉め、廊下に戻る。
リビングの向かいには和室と思われる入り口があった。襖を開けてみる。そこはそれほど汚れてはいなかった。というより、ほとんど使われていないというのが正しいだろう。仏壇も何もなく、ただ押し入れと窓に障子がはまっているだけである。
客間なのだろうが……埃もあまり積もっていないのを見ると、この家には本当に誰も寄り付いていないというのがよくわかった。
梁子は部屋を出ると、ゲンさんに向き直る。
「ゲンさん、美空さんはまだ寝ていらっしゃると思いますが……一応、一言言ってから帰りますね」
「ああ、はい。わかりました」
階段を上って一緒に美空の部屋に行く。ノックをすると、向こうから返事があった。
「……どうぞ」
「おはようございます」
「おはよう。結局来たんだね、上屋敷さん」
ベッドの上に、昨日と同じ格好の美空が座っていた。
ゲンさんは部屋に入るなりトコトコと近づき、美空の足元に座る。
「さっきゴミを半分くらい捨ててきました。また、学校が終わったら伺います」
「物好きだね……別にアタシはあなたに頼んでないんだからね」
「はい。わたしが勝手にやってるだけですので、お気になさらず」
「フン……ゲンさんもゲンさんだよ、なんでこんな人に」
言いながら、美空はゲンさんを抱き上げる。
「いいじゃないですか、掃除をしてくれるみたいですよ、ミク。洗濯も……助かるでしょう?」
「はあっ? 洗濯? 待て待て、まさかアタシの服……?」
「ええ。それもやらせていただきます。その代わり、全部のお部屋を見させてくださいね、美空さん」
「いや、その……それは自分でやる! なんで、勝手に……」
「すいません、さっき一階を色々拝見していたら、溜まっている洗濯物を見てしまいました。お嫌でしたか?」
「……」
片手を頭に当てて、うつむく美空。梁子はきょとんとしたまましばらく様子を見守った。
「あの……」
「いい、それは、アタシが悪かった。ずっと独りだったから……まさか客が来て、それでついでに見られるなんて思わなかったんだよ。まあいい。また来るまでに洗濯しとくから……それは放っておいてくれないか?」
「はい。わかりました。代わりにやっていただけると助かります。ゴミもまとめていただいたみたいで、すみません。それより体調は大丈夫ですか? そんなに動いて疲れませんか?」
「うん、大丈夫だ。だいぶ……回復したからね。だから、気にしなくていい。アタシはアタシのペースで動くから……」
「わかりました。ではまたあとで来ます。あ、朝食にサンドイッチ買ってきたのでどうぞ」
「……」
無言で見つめられて、梁子はとまどった。
またなにか罵倒されるのではと思ったのだがそうではないらしい。何か言いたそうなので待ってみる。
「その……なんだ」
「はい」
「昨日の……お粥……ありがとう」
「……いえ。簡単なものでしたが、お口に合いましたか? また食べたいものがあれば買ってきます」
「そうだな……じゃあ、カレー」
「わかりました。買ってきます」
「レトルトとかでいいから。別に……たいしたものでなくていいんだ、そのかわり……ちょっとそれ、多く買ってきてくれないか」
「え……? はい。わかりました。ストックってことですね?」
「まあ、そんなとこ。あ……昨日の分と今日の分、払っとくよ」
美空は机から財布を出してきて、梁子に五千円ほど渡してきた。
ちょっと多い気もするが、他に必要なものがあればここから賄うことにする。
「昨日のはサービスだって言ったじゃないですか。でも、まあ……掃除で使うものとかこれで買わせていただきますね。それじゃあ、そろそろ行きます」
「ああ……」
一礼して、部屋を後にする。
梁子は玄関まで来ると足の裏を見た。埃がついている。トコトコとついてきたゲンさんが、それを見てすまなそうな顔をした。
「すいません……」
「いえ、いいんです。戻ってきたら掃除機をかけますから……」
「ミクは仕事以外はほんと無頓着なんです。誰も気にする人がいませんから……オイラが来てからは少しは身なりを気にするようになりましたが……申し訳ない」
「なんだか……」
「えっ?」
「美空さんの親とか家族みたいですね、ゲンさんって」
「え、そうですか?」
「ええ。昨日も、わたしに美空さんと友達になってくれませんかって言ったり。不思議ですね、どうしてそこまでお節介というか気にかけるんですか? 他人でしょう?」
「さて、どうしてでしょうね。もしかしたら、オイラの元となった人間が影響しているのかもしれません。この姿を見てください。どうみても中年の男性でしょう? この年代の男性は、きっと家庭を持っています。だから、きっと……心配になるんですよ」
「それだけですか?」
「え……?」
「友達になったからじゃないんですか?」
「友達……」
「アナタはわたしに美空さんと友達になってほしいと言いましたけど、わたしは『友達』というのがよくわかりません。でも、人に聞くと利益を考えずに何かしてあげたいと思う存在のようです。今のアナタはそうなんじゃないですか?」
「友達……というよりは、それよりももっと強い気持ち、ですね」
「友達以上、ですか?」
「ええ、たぶん。ずっと……一緒にいてあげたいと思いますから」
「……?」
少し照れたように言うゲンさんに、梁子は首をかしげた。「友達」もよくわからないのに、今度は「友達以上」ときた。なんなんだ、それは。曖昧すぎてよくわからない。
梁子は靴を履くと、ゲンさんに訊いてみた。
「友達……そういえばそれって具体的に何をするものなんでしょう? 良かったら教えてくださいませんか」
「ええと……とにかくお話をすることですかね。帰ってきたらミクと話してもらえますか? なんでもいいんで」
「なんでも……? 難しいですね」
「うーん。それ以上はオイラからもよく説明できません……でも、とにかくお願いします」
「わかりました。善処します。じゃあ、また来ます」
「はい、ありがとうございました」
梁子は家を後にすると、何の会話をするべきか真剣に考えはじめた。
バス停までうんうん唸りながら歩くその姿は、サラ様にまた結界を張ったほうがいいかと悩ませるほどの異様な光景だった。




