3-1 一寸法師に案内された家
四月上旬。
少しずつ暖かさを取り戻してきた頃、街には時折優しい雨が降っていた。
この日も天候は雨で、ダイスピザは忙しくなっていた。
晴れの日とは違い、こういう日は注文が多く入るのだ。
晩飯前のピークを見越して、厨房では早めにいろいろと仕込みが始まっている。
今日のメンバーは店長の大輔とスタッフの河岸沢、ここあ、そして梁子の四人だ。
店長は釜の温度調整をし、ここあはピザ生地の材料を混ぜている。
梁子はトッピングの肉類を切り刻んでおり、河岸沢は外の掃除から帰ってきて、ちょうど手を洗っているところだった。
そこに、タイミングよく一本の電話が鳴る。
時刻は午後5時。
夕飯用の注文、第一号だと思われた。
他の者は作業中で、手が空いていたのは河岸沢だけだった。すぐに手をふいて受話器をとる。
「はい、ご注文ありがとうございます。みんな大好きダイスピザです!」
相変わらず営業用の声「だけ」は爽やかだなあ、と変に感心する。
梁子はそう鼻白みながら、なんとはなしに電話の方に聞き耳を立てていた。
「……ん? 『真壁』? ああ、この間の! ……ええ、いますよ。ったく、忠告してあげたのに。はい、わかりました。マルゲリータのMサイズを二枚ですね……ああ、あとサラダも。はい、じゃあたぶん行かせられるんで、楽しみにしててください。それでは。はい、ご注文ありがとうございました」
受話器を置いた河岸沢は、梁子の方を見るなりニヤァと笑う。
「うえっ、な、なんですか? その笑顔……気持ち悪いんですけど」
「良かったな、上屋敷。『ご指名』だ」
「はっ? ご指名?」
「ああ、あの警官からだ」
「「えええええっ!」」
梁子は、ピザ生地を伸ばしていた「名ヶ森ここあ」と綺麗にハモった。
「河岸沢さん。あの、真壁って……あの真壁巡査ですか? ああ、名前を聞いた時点でもしやと思ってましたけど……え、本当、本当にですか? あれ? わたしが驚くのはいいとして、なんで名ヶ森さんまで……」
「いやあ、アタシ、このあいだ駅前の交番に配達に行ったんすよねえ。そこであるお巡りさんが梁子ちゃんと知り合いだって聞いて……今まで忘れてたけど、たしかスイーツ好きのプロレスラーと同じ名前だったっす。ほら、なんだっけ、そうそう割引券。梁子ちゃん、あれ、そのお巡りさんに渡したんすよね? アタシが行ったときは別のお巡りさんしかいなくて、その人じゃなかったんすけど。その時にちょびっと聞いたんすよ。その真壁さんが……指名! うん、なるほどそうっすか、梁子ちゃんもスミに置けないっすねえ。ひゃははっ」
「す、スミに置けないってどういう意味ですか? た、ただの知り合いですよ! 名ヶ森さん、変な誤解しないでください! もう、河岸沢さんが『ご指名』だなんて妙な言い方するからですよ!」
ここあにからかわれて、梁子は赤面しながらも抗議する。
「誤解? いや、あながちそーでもねえだろ。あの警官、お前にご執心みたいだからなあ……。いや、俺もな? 実はあの交番に一回配達に行ってるんだわ。そうか……俺の前は名ヶ森が行ったのか。交番に配達に行くなんてめったにないもんな、ていうか、あそこはたしか初めてのとこじゃなかったか、名ヶ森」
「ああ、そうっす。たしか新規のお客さんだったっすね。アタシが住所とか登録しときましたよ」
「……だそうだ。よくやったじゃないか、上屋敷。新規の客ゲットだ。ひそかに営業しているとはなかなかやるな!」
「そ、そんなつもりじゃ……ただちょっとお世話になったから、割引券をお礼に差し上げただけで……」
「お世話? どんな世話だぁ?」
「どんなお世話っすか? 梁子ちゃん」
「なっ、河岸沢さんっ! 名ヶ森さんまでっ! もう、やめてくださいよ」
ニヤニヤしまくる二人に、梁子はいたたまれなくなる。
ふと、店長の大輔が振り向いて言った。
「上屋敷。うちは……個人店だ。たしかに大手のピザ屋とは違って、売り上げもすごくあるとは言いづらい。でもな、そういう恋愛商法みたいなものまで使って宣伝してくれなくてもいいんだぞ?」
「ちょ、店長まで! だから違いますって……。ああもう、そんな深刻な表情で言わないでください! 冗談じゃなくなるじゃないですか! 全然そういうのじゃないですから。あの、指名なんて制度、この店ないですよね? だったらこれ、わたしが行かなくてもいいんじゃないですか?」
「……」
梁子以外の一同が顔を見合わせる。
「それは……」
「ええ、たしかにないっすけど」
「でも、せっかく注文して下さったんだから……ね」
「えっ?」
示し会わせたように彼らはうなづく。梁子は目を丸くした。なんだこの団結具合は……。
「うん。上屋敷が行っとけ。それが一番いい」
「そうっすね。梁子ちゃんが言ったらすごく喜んでくれると思うっすよ」
「そうだな。さっきはああ言ったが、上屋敷さえ嫌でなかったら、できるだけそのお客さんに喜ばれるサービスをしておいた方がいいだろうな」
「というわけで。大輔さんもこう言ってることだし」
「梁子ちゃんが行ってきてくださいっす」
「よろしくな、上屋敷! できればヘビーユーザーになってもらえるように、ひとつ頼む」
みんなの言葉に、梁子は愕然とした。
「そっ、そんなっ! て、店長まで……」
さっきと言ってることが違う。河岸沢やここあに至っては完全に面白がっている節がある。
ダメだ。三対一で勝てない。
梁子はあきらめた。
「わかりました。配達行ってきます……」
「よし、それでこそ上屋敷だ!」
「がんばれよ」
「行ってらっしゃいっす」
なにが「それでこそ」なのかわからないが、店長はじめ、みんなに後押しされて、梁子は真壁巡査のいる交番にしぶしぶ行くことになった。
料理ができあがり、丁寧に梱包して準備を終える。
「では、行って参ります……」
満面の笑みの三人に見送られ、梁子は肩を落としながら店を出た。
店から駅までは近いので、ものの五分ほどで到着する。
大きなため息をついてヘルメットを外す。
長い黒髪を後ろにはらうと、スクーターの荷台からピザの箱を取り出した。
「サラ様……これって不可抗力ですからね。仕事ですし、わたしはあの人のことなんとも思ってないですから。早く別の殿方を見つけてください……」
『梁子、わしはまだ別に何も言っておらんぞ。それに、これはお前が会うきっかけを作っていたようなものだろうが』
「ああ、そうですね。割引券……たしかにわたしの失策でした」
小さな声でしゃがれ声と会話すると、意を決して交番の中に入る。
中には二人の警官がいた。
そのどちらも真壁巡査ではない。梁子は少しホッとする。
「あの、ご注文の品をお届けに参りました。……ま、真壁さんはいらっしゃいますか?」
動揺しながら尋ねると、ガタイの素晴らしくいい方の警官が申し訳なさそうに受け答えた。
手にはなぜか……巨大な鉄アレイが。
梁子はぎょっとしたが、あまり気にしないようにして向き合った。
「すいませんね、真壁は今通報があって出てるんですよ。あ、これ、預かっていた割引券です。使えますか」
「あ、はい。使えます……あ……」
渡された割引券は、一枚だけだった。
真壁巡査には三枚綴りのものを渡していたのだが、河岸沢やここあが来た回数を考えると、これが最後の一枚らしい。
梁子は一瞬、これで注文も最後なのか……と残念に思ったがすぐに頭を振った。
今は仕事中だ。私情は横に置いといて笑顔で応対する。
「では、マルゲリータMサイズが二枚と、サラダがおひとつでお会計が4,500円です。それに割引で500円引きまして、ちょうど4,000円です」
「そうですか。では、これで」
大きな体の警官は5,000円札を出してくる。
梁子は持っていた商品を手渡すと、お金の入った小袋から1,000円札を出して代金と交換する。
「ありがとうございます。では、またのご利用お待ちしております」
おじぎをして帰ろうとすると、筋肉質な警官が梁子を引き留める。
「あ、ちょっと待ってください」
「……はい、何か?」
「あなた、もしかして……一度うちの真壁が通報を受けて、駆けつけた先にいた方……ですか? 真壁からその時の報告を受けていましてね。今回の注文もいろいろとその……事情を知っているんですよ。で……その方で間違いないですか? 真壁とお知り合いの大学生の方で……」
「ええと……はい」
急に言われて戸惑ったが、正直に答えることにした。
「その節は、お世話になりました。か、上屋敷と申します……」
「上屋敷……もしかしてこの大井住市にお住まいの方ですか?」
「え、ええ……それが何か?」
「もしかして、マルカミ建設の社長さんのご家族ですか」
「えっ、どうして……よくご存じですね」
「まあ、これでも交番勤務は長い方ですから。近くにいる上屋敷さんというとそのお宅くらいしかないですからね。そうですか。地元の方……。ではその上でお訊きしたい。やはりあなたは……何か事件に巻き込まれているのですか?」
「えっ……? いえ特に……」
「そうですか? いや、気のせいならいいんです。でも……自分の勘ですが、あなたには何か妙な雰囲気がある。妙な、というと漠然としていますけどね、事件や犯罪に巻き込まれてしまいそうな挙動というか……そういう人っていうのはいるんですよ。惹き付けるというか……いや、今現在何もないならいいんです。ほら、わりとしっかりしたお家の方ですし、色々と危険なことがあったら困ると思いましてね。真壁も心配していました。本当にいつでもご相談にきてくださいね。何かありましたら、我々がお力になりますから」
「え、ええ……ご心配、ありがとうございます……」
色々と言われたが、特に心当たりがないので梁子はあいまいな受け答えをする。
「では、お引き留めしてしまい、すみませんでした。あと、真壁が出払っていまして申し訳ない。配達、ご苦労様でした」
「いえ。こちらこそ。ご注文ありがとうございました。またのご利用お待ちしております」
「ああ、本当に、こちらのピザは初めて食べたんですがとても美味しかったですよ。自分も個人的に注文したいくらいです。また利用させていただきます」
「そうですか、それはうちの店長が喜びます。素材などにこだわって作っておりますから……そのように伝えておきます。では、次の配達がありますので……これで」
「はい。お気を付けて」
笑顔で警官に見送られ、梁子はスクーターに乗る。
実はもう一件、配達先があったのだ。真壁巡査の電話のあとに入った注文で、その家はこの近所だ。
エンジンをかける前にちらと交番内を見ると、もう一人いた細身の警官が奥へ嬉しそうにピザの箱を持っていくところだった。大きな体の警官は梁子をまだじっと見つめている。
梁子は軽く会釈すると、ヘルメットをかぶって発進した。
線路沿いの商店街を東に向かう。
踏み切り近くを右に曲がり、住宅街を目指す。
細い道路を走っていると、向こうから自転車に乗ったカッパ姿の警官がやってくるのが見えた。
徐々に距離が縮まると、相手が誰だかすぐわかる。
「あっ、もしかして、上屋敷さん!?」
キキッと、相手はブレーキをかけ、声をあげた。
バレてしまっては仕方ない。梁子はすれ違うと少し行ったところで路肩に停めた。
ヘルメットを外し、後ろから追いかけてくる警官に向き直る。
「真壁巡査、お久しぶりです。ピザはさっき届けておきましたよ。ご注文、ありがとうございました」
営業用の謝辞を述べる。
真壁巡査は自転車を梁子のスクーターのすぐ後ろに停めて、くしゃっとした笑みを向けてきた。
「いやあ、すいません。ちょっと通報がありましてね、出かけていたんですよ。あの、割引券渡されましたか?」
「はい」
「そうですか。注文、三回目なんですよね……ははっ、割引券使いきっちゃいました」
「ええ、そのようですね。他のスタッフにもききました。前の二回は先輩たちが行ったみたいで」
「ええ、三回目でようやく上屋敷さんに担当してもらえました。今日も会えないかと思ったんですけど……会えて良かったです」
「……」
なにか気恥ずかしくなって言葉につまる。
「あの……真壁巡査……」
「あ、すいません、お呼びとめして。どうぞお急ぎでしょうし、行ってください。自分は上屋敷さんが届けてくれたピザをこれから堪能してきますから。その……ありがとうございました。では!」
「あ……」
真壁巡査はそう言って敬礼すると、自転車に戻っていった。
そう、彼もまた仕事中なのだ。
こうしてのんびりと道草を食っているヒマはない。梁子もヘルメットを被り……行こうとしてその手をつかまれた。
「えっ……?」
振り向くと困ったような顔の真壁巡査が、こちらを見つめていた。
「あ、あの……すいません。でも……あの、もし良かったら……今度お食事に行きません、か?」
ぽたぽたと、真壁巡査の前髪からしずくが滴っている。
真剣な瞳……梁子は吸い込まれそうになって戸惑う。
「あ……すいません。迷惑でしたら、いいんです。でも……自分はもっと上屋敷さんのことが知りたくて……どうか、お願いします……」
「……」
なにも言えなくなって、梁子は赤面する。
それに気づいたのか、真壁巡査はあわてて手を離した。きょろきょろと辺りを見回して、目撃者がいなかったかどうかを確認する。引っ込めた手は、所在なさげにこめかみ辺りに当てられていた。
「す、すみませんっ! つい……。ああもうっ、事案発生じゃないかっ。か、上屋敷さん、不快だったら今すぐここで通報されてもいいですから……ね! 本当、申し訳ありませんっ!」
頭を下げて謝る姿を見て、梁子はふっと笑う。
「そんな……通報なんてしませんよ、安心してください。別に……不快ではなかったですから」
「そ……そうです、か?」
「ええ。いいですよ、今度時間が合えば行きましょう、お食事」
「本当ですか?!」
「はい。では」
梁子は急に恥ずかしくなって、顔を背けた。
そしてアクセルを開け、逃げるようにして走り出す。
「あ、ありがとうございますっ! 上屋敷さーん!」
後ろから真壁巡査の大きな声が聞こえてくる。
梁子は、なにか口元がむず痒くなるのを感じていた。
二件目の配達が終わる頃には大分気持ちが落ち着いてきていた。
料金の入った袋をウエストポーチに入れて、店へと戻る。
今日は忙しくなるのだ。早く戻らねばならない。
アクセルを開けて、少し行ったところだった。
急に、道の脇から何かが飛び出してきた。
「わわっ!」
急ブレーキを掛けるが間に合わない。
轢いた、と思ったときには梁子はスクーターごと転倒しそうになっていた。
サラ様があわてて助け舟を出す。
『何をやっておる!』
声だけの存在だったが、そうしゃがれ声が一喝すると、スクーターは青白い光に包まれて間一髪、体勢を持ち直した。減速しつつ、ようやくのことで路肩に寄っていく。
『危なかったな』
「はい、助かりました……ありがとうございます、サラ様」
『ああ、倒れる前に結界の壁を瞬時に張ったのだ。あのオカマの付喪神の能力を喰らっておいて……正解だった。物理的に干渉できるというのはたしかに便利だな』
通行人は離れたところに何人かいたが、あまり梁子の方に注目してはいなさそうだった。
『それより、なんだ急に……さっきのことで浮わついてて気がそぞろだったか、梁子?』
「いえ、違います! 今日はお店混むだろうからって急いでただけです。けど……あの、急にペットボトルが……」
『は? ペットボトル?』
「はい、ペットボトルが急に飛び出してきて……それに驚いたんです。しかもなんか棒人間みたいに手足が生えてたような……」
『おい、大丈夫か、梁子』
「ちょっ、別にどこもおかしくありませんよっ! ほんとです。ほら、あそこに……」
見れば、道の端にたしかに一個の小さなペットボトルが転がっている。
スクーターから降りて近づくと、その横には黒いスーツを着た小さな人形……が倒れていた。
「えっ? な、なにこれ」
痛たた、と言いながらその人形は起き上がり、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを抱える。
その姿はさっき梁子が見た、ペットボトルに手足が生えたたものと同じだった。
「いっ、生きてる?」
「……はあ、完全に横断するタイミングを間違えました。早く戻らないと……ハッ!」
ブツブツとつぶやく「それ」と目が合う。
「サラ様、えっと……コレ、なんですかね……」
『とりあえず、お前の今の行動は異常だから、周囲に結界を張っておくぞ』
すると半径3メートルくらいの空間が青白く光り、梁子たちは他の者たちから見えなくなる。
サラ様はそれに乗じて姿を現した。
『ふむ……なんだろうな。パッと見、一寸法師のようだが。しかしサラリーマンのような服装とは、ひどく現代的よなあ』
腕組みしながら考察するサラ様に、人形は驚きの表情を向けている。
それもそうだろう。
半透明で、ふよふよと幽霊のように浮かぶ人間が急に現れたのだから。
「あ、あなたたち何なんです?! お、オイラは一寸法師じゃない。時間の……ああ、いや、とにかくこうしちゃいられません、ミクが一大事なんです。早く戻らないと……痛たた」
サラ様が一寸法師と称した小人は、事故の衝撃で足首を痛めているようだった。
「だっ、大丈夫ですか? ああ、どうしましょう、人身事故ですよ……これ!」
『この場合、これは人と言えるのか……? 犬猫のたぐいは物損事故だろうがこれは……』
「とにかくわたしのせいです。早くどうにかしてあげないと。ええと、この場合は動物病院? それとも普通の? とにかく救急車……」
「おおお、落ち着いてください! オイラは少しの打ち身と、足首を捻っただけですから。もしそんなところに連れていかれたらきっと大パニックですよ。とにかく、ちょっと待ってください。……そうだ。もしなんだったら、連れていってくれませんか。そのペットボトルも持って」
「いいですけど……どこに?」
急に立ち上がった小人は、近くの家を指し示す。
それは白い壁と緑の屋根が特徴的な一軒家だった。
「あそこです。あそこでオイラはミクのお世話になっているのです!」
「ミク……? わ、わかりました」
梁子はペットボトルと人形をスクーターのステップの上に乗せると、手押しでその家まで向かった。
【新しい登場人物】
●???――黒いスーツを着ている小人。とある家で世話になっている……らしい。