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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
2軒目 白木蓮の咲く家
48/110

2-28 【真壁巡査の注文】

閑話です。男どもしか出てきません。

 真壁衛一は自転車を全速力でこいでいた。


 全速力といっても、まわりの通行人が違和感を覚えない程度の走りだ。決して立ちこぎではない。

 座ったままの姿勢で、見たところは安全運転の模範といったものだった。

 本気を出したら原付バイクのスピードくらいは出せただろうが、警察官が公道で無謀な運転をするわけにはいかない。ましてや私情で危険走行をするなど。

 衛一はあることに間に合わせるために急いでいた。

 はやる気持ちを抑えながら、「全速力」で住宅街を走り抜けていく。


 商店街を通りすぎ、駅前へとやってくる。

 駅に近づくほどだんだん人が多くなってきた。

 大泉学園駅の南口ロータリーを抜けると、衛一は交番裏の駐輪スペースに自転車を停める。


「た、ただいま戻りました」

「おう、真壁。おかえり。まだ出前は来てないぞ」

「そ、そうですか……良かった……」


 交番内に駆け込むと、部長の鎧塚よろいづかがいた。

 ピザのデリバリーを頼んだことをあらかじめ連絡しておいたのだが、まだ注文したものは届いていないらしい。

 鎧塚は趣味の筋トレ中で、大きなダンベルを持って上げ下げしていた。肩や腕が異様なほどに太い。胸板も厚く、背の高さも相まって、まるでボディビルダーかと思うような体格だった。大股で立った姿はまさに仁王像。まさに鬼。まさに……。


「ん、何か失礼なこと考えてないか?」

「えっ、いえいえ……そんな」

「お前もやれ」

「うわっ……!」


 そう言うと、鎧塚は壁にかけていた別のダンベルを軽く放り投げてきた。

 軽くといっても小さいもので5キロはある。足の上に落ちたら大惨事だ。衛一は確実に受けとめ……そして自分の机の上に置いた。


 鎧塚はただの筋肉バカではない。洞察力も人並み以上ときている。まさに超人だ。いままでも数々の手柄を上げてきていて、表彰も何度もされている。地域課の、すべての警官の鑑となるような人物だったが……こうやってたまに他人に筋トレを勧めてくるのだけが唯一の難点だった。

 勧められると断りきれないことが多く、衛一はいつも付き合わされるハメになっていた。そのため、だいぶ色々なところに筋肉がついてきてはいたのだが……あいにく今はそれどころではない。

 そろそろ出前が到着する頃合いなのだ。注文してからもう30分は経っている。もうすぐ来るはずだ。

 衛一はそわそわしながら言った。


「いや部長、すいませんけど、これはまたあとでします。それより、この間来た配達の人どんな人でしたか。あの日詳しいことを聞けないまま仕事あがっちゃったんで、よければそれ、今聞かせてもらえませんかね?」

「ああ、あのピザ屋な。ええと、なんだったか……。たしかその時来たのは女だったな」

「ほ、ほんとですか!? 女性……どんな人でしたか。髪は長かったですか?」

「ん? ああ……長かったぞ。茶髪のチャラチャラした女だったな」

「茶髪? そ、そんな……」

「お届けに来たッス~とか言って、森元みたいな口調だったぞ。お前ああいうのがタイプなのか?」


 森元というのは、もう一人この交番に勤務している若い警官のことである。

 なんとなくしゃべり方が軽い調子の男だ。

 今ここにいないということは、なにかしらの通報があって出かけているのだろう。

 衛一はがっくりと肩を落とした。


「いえ。違います……。そうでしたか。ありがとうございます」

「ん? なんだ、何がそんなに気になるんだ? まさかお前……『青春』してるんじゃないだろうな?」


 そう言って鎧塚はニヤニヤと笑う。

 衛一は慌てて手を振った。


「へっ、いや、そのっ……! じ、自分は……っ」

「隠さなくてもいい。あれだろ、日報書けなくなった時の事案の……女だろ」

「えっ、どうしてそれを……」


 衛一は、まだ一言もピザ屋の配達員が梁子だとは説明していない。しかも、それが想い人であることも。

 なのに、なぜそれを鎧塚が言い当てたのか。


「やっぱりな。どうもあの日以来、お前の様子がおかしくなったからな。もしやと思ってカマをかけてみたら案の定か……くくくっ。そうか、ピザ屋で働いてるのか」

「は、ハメましたね、部長!」


 ついに声を出して笑った鎧塚に衛一は抗議をする。


「誘導尋問みたいなことをして……ひ、卑怯です!」

「ははっ、いいじゃないか。そう照れるな。お前は若いんだ。法律にひっかからない程度でアプローチしろよ。ちなみにどんなやつなんだ? まさか未成年じゃないだろうな」

「いや、その……年齢は聞いてませんが……大井住大学の一年生だそうです」

「ほお。じゃあ今はもう三月も下旬になるから……もうすぐ二年生か。ギリギリ未成年かもな」

「そっ、それはっ!」

「まあ、とにかくだ。問題を起こさなきゃ別にいい。せいぜい青春しろよ! 若いんだからな! ははは

!」

「はい……」


 青春、若いんだからと連呼されるが、衛一は微妙な気持ちだった。

 そういう鎧塚は五十代にさしかかるというのに結婚もしておらず、ずっと独身である。

 恋愛に興味がないわけではないらしいが……それよりも仕事に、というか筋トレに傾ける情熱の方が大きい。課の中ではストイックと評して憧れる者もいたが、衛一は単にそっち方面が苦手なだけなのではと思っていた。ストイックな人というのは、総じてシャイな人が多いものだ。

 本当のところはどうかわからないが、とにかく梁子のことは見て見ぬふりというか大目に見てもらえるようで、衛一はホッとした。


 しばらくして、一台の宅配スクーターが到着する。

 エンジン音が近づいてきたのを聞いて、衛一は立ち上がった。


「お、来たようだな」

「はいっ」


 財布と、梁子からもらった割引券をポケットから出しておく。

 エンジン音が止まり、しばらくして一人の配達員が交番の中にやってきた。


「ピザのお届けに参りました~。真壁さん……ええと、マルゲリータMサイズ二枚と、サラダの……あれ?」


 その人物に、衛一は目を見張る。

 宅配に来たのは……お目当ての人物ではなく、髪の長いひょろっとした男だった。


「ん? どこかで会ったような……」


 配達員は何かを思い出すように小首をかしげている。

 衛一は男からもぎ取るように箱を受けとると、部長にそれを押しやった。


「部長、休憩室で先に食べててください! 自分は料金を払ってますから!」

「お、おう……? わ、わかった」


 なにやら急に緊張した場面になったと判断した鎧塚は、そそくさと巨大なダンベルを置いて奥の部屋に下がっていく。

 自分とその配達員だけになったところで、衛一はいきなり切り出した。


「あなたは……上屋敷さんの先輩さんですね! あのときはどうも。河岸沢さん……とおっしゃるんですね」


 男の胸ポケットにつけられたネームプレートに「河岸沢」という字がある。

 河岸沢は衛一をじっと見ると、ポンと手を叩いた。


「ああ、思い出した。あのときの……ご利用ありがとうございます、お巡りさん。しめて4,500円です」

「えっと……割引券があるんですけど、これ、使えますよね?」

「ああ。それを使われますと、500円引きなので、ちょうど4,000円になりますね」

「はい。じゃあこれと、4,000円です」


 衛一は割引券とお金を渡す。


「はいたしかに。領収書は……こちらです。ではご利用ありがとうございました」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 すぐさま帰ろうとした河岸沢を慌てて引き留める。

 男は笑顔だったが、振り返ったとき一瞬なんだというようなしかめっ面をした。

 お客になんて顔を向けるんだろうと衛一は呆れ、思わず皮肉混じりの言葉を返す。


「すいませんね、お忙しいとこ……ちょっと聞きたいことがありまして」

「はあ、なんですか? 他にも配達があるので……できたら手短にお願いしますよ」

「はい、わかってます。少しだけ……あの、上屋敷さんは今日はご出勤されてますか?」

「え? ああ……そういうことですか。あいつは平日は学校なんでね、出勤するとしても夕方からですよ。……残念でしたね」

「あ、あいつ……。そうですか。いや別に、配達に来られるのは上屋敷さん以外の方もありえるってことは理解してたんですよ? それに学生さんだってことも知ってましたし……そうか、そうですよね。まったく何をやってるんだ俺は……先輩さんにまでこんなこと訊いて……」

「あのー」

「な、なんですか?」


 ぶつぶつと後悔の気持ちをつぶやいていると、ジト目をした河岸沢が声をかけてくる。


「あんた、あいつのどこがいいんです? 俺にはさっぱりわからないんですが……」

「なっ!」


 途端に首から上が熱くなる。

 完全に動揺しながらも、衛一はすぐに反撃した。


「ど、どこがって……え、えっと……上屋敷さんは素敵な方ですよ。逆になんで河岸沢さんがそのようなことを言われるのか、ちょっと理解できませんがね」

「へえ、だいぶ惚れちまってるわけだ……ご忠告しておきますけどね、あんたみたいな純な人があいつを好きになるなんて、あんまりオススメしときませんよ」

「なっ、さっきからあなた、何を言ってらっしゃるんですか? 上屋敷さんの何を知っているっていうんですか。あれですか、あなた上屋敷さんの彼氏かなんかなんですか!?」

「はあっ? な、なんでどいつもこいつも俺とあいつをそんな風に……冗談じゃない! 俺は死んでも願い下げだ、あんなやつ! あいつを恋愛対象にするなんてどうかしてる……」

「ひどい言われようですね。彼氏でもなんでもないのに、なんでわざわざそんなことおっしゃるんですか? 誰がどう思おうと勝手じゃないですか。それに、上屋敷さんにも失礼ですよ。そんな悪し様に言われるなんて……」

「その通り。たしかに誰がどう思おうと勝手は勝手だ……でもな、『危険』てのは未然に防いでおきたいもんだろう? あんたは普通の、まっとうな人間……それも警官だ。そういうのが関わっちゃいけない相手ってのが……世の中にはいるんだぜ?」

「危険? それってどういう……。上屋敷さんがヤクザの娘、とかだっていうんですか? それともやっぱり何か大きな事件に巻き込まれて……?」

「そんなのよりもっと恐ろしいもんだよ……。まあ、詳しいことはあいつ自身に聞いてくださいよ。俺は忠告しただけですからね、あとはご自由に……。じゃ、そろそろ行きます。ご利用ありがとうございました~」

「ちょ、河岸沢さん!」


 ペコッと軽く頭を下げて外に出ていった河岸沢は、何を思ったのかもう一度戻ってきた。

 そして顔を近づけるなり小声でささやいてくる。


「そういや、さっき向こうに行ったの、あんたの同僚か?」

「えっ? いや、上司です。それが何か……」

「なんつーか、あれは化け物だな。言っちゃ悪いが。なあ……あの筋肉、本物か?」

「はい。自分でも部長はちょっと異常なんじゃないかと思ってます……」

「異常って、レベルじゃねーぞ。やりすぎっつーか……。まあ、それだけ確認したかったんだ。じゃあな」


 そう言うとさっさと河岸沢はヘルメットをかぶって行ってしまった。

 それと入れ替わるようにして森元が戻ってくる。


「あ、真壁先輩、ただいま戻りました~。もう、ピザ届いてるんすか?」


 森元は細長い体を揺らしながら、へらへらとした笑みを浮かべている。


「ああ……まあな……」

「どうしたんすか。なんか元気ないっすよ? お腹が減ってるんなら早く食べましょー」

「森元……。お前は能天気でいいな」

「ええ~っ、なんすか、それ! 何が能天気っすか。自分だって悩みくらいあるっすよ? 主に職場の……」

「ははは。まあいいや、奥にピザがあるからもう食べていいぞ。一応1,000円はもらっとこうか」

「え、後輩の悩み聞かないんすか? それに……うはーっ、1,000円っ? 高っ! 付き合いで食べてるんですから、そこは普通おごりでしょ! 先輩なのに、そりゃないっす……」


 そうぶちぶち言う森元と休憩室に向かう。

 前方に何かを妙なものが見えた。

 休憩室の入り口に、怪物こと鎧塚の顔がにょっきりと飛び出している。


「うわっ! び、びっくりしたっす~。部長、何やってるんすか?」

「おう、おかえり森元。なあ真壁……さっきそこで妙な会話が聞こえたんだが?」

「えっ?」


 はて。なんのことだろうか。

 梁子のことを色々聞かれていたのだとしたら、説明が多少面倒ではある。

 それに……いや、ちょっと待てよ。その前にここから交番の入り口まではちょっとした、というかかなりの距離があったはずだ。そんなに大声で話してなかったのに、それでも聞こえていたとしたら……いったいどんな地獄耳なんだろうか。と、そこまで考えて衛一はハッとした。

 やはりこの人は異常である。全体のスペックが超人と言わざるを得ない。

 衛一は黙っているのも無意味と考え、包み隠さず報告することにした。


「ああ……例の女性のことですね。自分も、なにがなにやら全容はわかってないのですが……あの配達員男が言うには、たしかに色々とワケありのようです。……あ、何か事件に巻き込まれてそうなら警察に相談してくれとは女性に言ってあります。それで……」

「真壁」

「は、はい」

「違う。その女のことについてじゃない。俺についてだ」

「はっ?」

「なあ真壁、いつも言っているよなあ、俺の肉体は決して優れているわけではなく、警官としてあるべき『普通』の姿なのだと……」

「えっ、あ、その……」

「異常と聞こえたんだが、もしかして俺の聞き間違いか?」

「いえ、そ、それは、その……」


 うろたえる衛一の横を、忍び足で森元が通りすぎていこうとしている。妙な空気に巻き込まれまいと、一足先に休憩室へ逃げようとしているのだ。

 しかし、それを見逃さない鎧塚ではなかった。


「おい森元」

「はっ、はいっ! なんすか? は、早く食べましょーよ。あ、部長はもう食べたんすか? じゃあ自分たちも……」

「お前はここに配属されてからずっとひょろひょろとしたままだな……。なあ森元、ノルマの筋トレは捗っているのか?」

「えっ、いや……じ、自分は力というより頭脳で事件を解決したいタイプっていうか、その……あんまりする必要ないんじゃないかなーって……」

「ほお。それはいい度胸だな。この間の居酒屋で乱闘事件があったとき、お前が一人で急行すると豪語したくせに、すぐに俺に応援要請があったのはいったいどういうわけなんだ? ん? あれはいったいなんで二度手間になったんだろうなあ……」

「えっ、あ、それは……だってあのときは酔っぱらいが最低10人はいたんすよ。あれを一人で治めるとか……とても自分だけでは……」

「ハッ、俺なら一人でできるぞ。頭を押さえちまえばな。だがまあ、お前は新人だ、経験が少ないので仕方ない面もある……。だが、それを多めに見積もっても、見かけが弱っちぃのが最大の難点だ。なめられて相手が言うことを聞かなくなったら事件が複雑化するだろ。お前はそれを自覚しているのか! せめて見くびられんように鍛えておけとあれほど言っていただろう! なあ、森元? 俺の言ってたことは間違ってたのか?」

「え、いや、その……」

「そうだよな。うんうん。じゃあお前ら……とりあえず腕立て伏せ100回だ! いいな! それが終わるまでは昼飯食うんじゃねえぞ!」

「そ、そんなっ!」

「ひ、ひどいっす。そんなの、パワハラっすよ~」

「不満なら……もう100増やしてもいいんだぞ?」

「「いえっ、すぐにやらせていただきます!」」


 衛一と森元は直立不動になると、さっそくその場で腕立て伏せをしはじめた。

 衛一はなんとか一定のペースでやっていたが、非力な森元は一回やるのもキツそうである。


「そんなことでどうするっ、森元! 頭脳も力も両方備わってこそ、優秀な、いやあるべき警官の姿なのだぞ! 市民のために頑張れ! ほれ、あと99!」

「ひっ、ひいいいっ!」


 鎧塚の野太い声と情けない森元の悲鳴が、交番の外まで響き渡る。

 前を通る通行人たちはぎょっとした顔をしていた。


「よしっ、あと98!」

「ひいいいっ! もう無理っす~っ!」


 軽く額に汗をかきながら、衛一は残り35回をペースアップして終わらせることにした。


「次こそはっ、上屋敷さんに来てもらうっ! だから……よし! あと10……5……1……終わりっ」

「おっ、終わったな真壁。よし、次、森元っ!」

「はいいっ」

「あと97。せめて10回まではやれ! いいなっ!」

「む、無理ですぅううっ! ひいいっ!」

「悪いな、森元……先行くぞ」


 今日も街は平和である。

 衛一は休憩室に入ると、ゆっくりと自分の分のピザを手に取った。

【登場人物】

●真壁衛一――交番勤務の警官。階級は巡査。梁子に片思いしている。

●鎧塚部長――真壁巡査と同じ交番勤務の警官。階級は巡査部長。筋トレ好きの男の上司。

●森元――真壁巡査同じ交番勤務の警官。階級は巡査。なよなよした男の後輩。

●河岸沢――ダイスピザの店員。いろいろと感の鋭い男。

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