2-27 【大庭千花の園芸日誌】
閑話のサブタイトルは【】で表記しています。
大庭家の仕事ぶりです。
一台のトラックが閑静な住宅街を走りぬけていく。
クレーン付きの、乗用車二台分ほどもある大きなトラックは、民家の塀を壊さないように慎重に角を曲がっていった。
しばらくして、とある庭付きの家の前に停まる。
「よっ、と……」
運転席から小柄な一人の少女が降りてくる。
ふわり、とフリルのたくさん入ったスカートをひるがえして地面に降り立つ。
少女は上屋敷梁子の遠縁の者、大庭千花だった。
そでの長い桜色のワンピースに、焦げ茶色のアンダースカートを重ねている。ワンピースのすそは前がアシンメトリーに開いており、重ね着の配色が絶妙なバランスとなっていた。胸元には同じ茶色の大きなリボン、その中心には白いカメオが留められている。
俗に言うロリータファッションである。
およそあの巨大なトラックを運転してきたとは思えない人物だった。
千花は家業のために、大型までの免許やら移動式クレーン運転士の免許等も取得している。
まだ16という齢ではあったが、近年、車に内蔵された運転補助機能などの向上によって法律が変わったのだ。この年でも免許が取得できる世の中になったので、さっそく活用させてもらっている。
千花は運転席のドアを強く閉めると、家の方を仰ぎ見た。
道路沿いの生け垣の向こうに大きな庭木がある。
あれが、梁子に教えてもらった「いわくつきの木」だろう。枝には少しだけ白い花弁がついているが、残りはほとんど散り落ちている。
千花はその木を注意深く観察した。
「白木蓮……大きい」
ゆうに6メートルはある高木だった。
千花の側頭部にあしらわれた白い花が、首の動きにあわせて揺れる。
それは造花ではなく、本物のクリスマスローズだ。
毎日違った花を頭につけるのが大庭家の者の習慣なのだが、あの白木蓮の花もきっとつけたら綺麗だろうなと夢想する。花弁が大きすぎるから、あまり試したことはないのだが。
生け垣の中央には瓦屋根付きの門があり、その横には「田中」の表札がかかっていた。
千花は手持ちの黒いエナメルバッグから、携帯端末を取り出す。
「大井住市、東大井住……うん。住所も合ってるし、田中邸で間違いない」
ナビのアプリは、現在地が目的の場所であることを示していた。
千花は念のため道路側から外観を撮影しておく。
パシャリ、パシャリ。
何枚か撮って保存する。
端末をバッグに戻すと、背後からためらいがちな声がかかった。
「あの、千花様……」
振り返ると、褐色の肌に黒髪の背の高い青年が立っていた。
トラックの助手席に座っていた千花の従者、不二丸である。
こちらもかなり場違いな服装だった。
まるで執事のような燕尾服に、足元にいたっては革靴である。これではさぞかし家人も不審がるだろう。普通は造園業者といったら作業着などで来るのが普通だ。けれど、彼らはどう考えても、そんな薄汚れてもいいような格好ではなかった。このまま高級レストランに食事にでも行けそうである。
不安なのか、不二丸は両手の指を何度も胸の前で組み替えていた。
「本当に、このままの姿で訪問するのですか?」
「そう。特に問題ない」
「そ、そうですか? と、トウカ様もそれで良いと思われますか」
『ああ……わらわが術をかけるゆえ、案ずることはない。妙な気を回すな、不二丸』
「はい……」
鈴の音のような透き通った童女の声がどこからともなく聞こえた。
不二丸はその声に「自然に」受け答えする。
声の主は大庭家の屋敷神、トウカ様だった。樹齢千年を経た藤の化身なのだが、彼女は今だけ姿を消して声だけの存在になっている。
『では参ろうか、千花、不二丸』
「わかった」
「はい……」
不二丸は、もう何も言わずに主人たちの行動を見守ることにした。
千花の細く白い指がインターフォンのボタンに触れ、チャイムが鳴る。
ピンポーン。
しばらくすると、家人が戸の向こうに現れた。
すりガラス越しに突っ掛けを履いているのが見える。出てきたのは、痩せぎすの40代くらいの男だった。
「はいはーい。業者の方ですね、今出ます。って、あれ……?」
ガラリと引き戸を開けて現れた男は、千花たちを見て首をかしげた。思っていた訪問者とはずいぶん違ったのだろう。
「おかしいな。時間だから業者の人だと思ったんだが……あんたたち、誰だ? 何の用だ?」
「はじめまして。上屋敷さんからご依頼がありまして参りました、大庭造園の者です。業者で、合ってますよ。田中健一さんですよね、今日はよろしくお願い致します」
「えっ? でも……」
千花が丁寧に挨拶するが、相手は戸惑ったままだった。
黒ぶち眼鏡を上げ下げして、妙な格好の千花たちをじろじろと見ている。
『良いから眠っておれ』
声とともに、トウカ様が健一の前に現れた。
いきなりのことで驚いた健一の顔に半透明の手がかざされる。
『眠れ……すべてが終わった頃、お主は目を覚ます。業者はしかるべき手順で庭木を運び出した。お前は業者の顔をいっさい思い出せぬ……』
催眠術がはじまった。
淡い藤色の光が健一の頭部にかかり、様々なことを言い聞かせられるとすぐに眠りこんでしまう。
すかさず不二丸がその体を支え、玄関に運び入れる。
抱えるように運ぶ姿を見て、千花はいつしか自分もあのように不二丸にお姫様だっこをされたいな、と一瞬だけ思った。
その後、千花たちは玄関の戸をきっちりと閉めて、白木蓮の下へと向かう。
『さてと、周囲に気付かれんようにせねばの……』
トウカ様が庭全体に淡い紫色の結界を張っていく。
あたりがすっかり覆われると、トウカ様は白木蓮の木を眺め、満足そうに微笑んだ。
『ふむ。まあ、良さそうな木じゃな』
トウカ様は、サラ様と同じような長い白髪の持ち主だったが、その瞳は淡い紫で、体は千花よりもずっと小さい童女といってもいい姿だった。
藤柄の紫の着物に、長く垂らした若葉色の帯。黄色の帯揚げに、濃紺の帯締め。その真ん中に藤の花の意匠の帯留がキラリと輝いている。
幹に手をあてると、トウカ様は木の記憶を読み取りはじめた。
植物の蔓のような光の線が白木蓮の木に巻き付いていく。
『ふむ。なるほど。そこそこ歴史はあったようじゃな。梁子が言っておった通りじゃ……。化けタヌキか。いつの世も化生と人が恋仲になることはあるんじゃなぁ……どこぞのお二人さんにもこの記憶、見せてやりたいのう』
「……!」
「ど、どこの方々のことですか?」
トウカ様の言葉に、千花はびくりと肩を跳ねあげさせる。
一方の不二丸はよくわかっていないようだった。
その隙に、千花はトラックのところへと逃げ戻る。
運転席後部の油圧式レバーを操作して、車の左右にアウトリガーと呼ばれる脚を出す。ジャッキのようなものが下りてうまく地面に設置されたのを確認すると、庭の方へクレーンを伸ばした。
その先のフックを、白木蓮の木のあたりに下ろす。
不二丸もトラックの荷台から太いロープを持ってきて庭へ運んだ。
庭に戻ると、情報を読み取り終わったトウカ様が、白木蓮の木に力を注いでいるところだった。
木全体が発光してシュルシュルと小さくなっていく。
枝が縮み、幹が細くなっていく。地面からは根が飛び出し、まるでタコの足のようにうごめいたかと思うと小さく根本に集まっていった。
およそ三分の一ほどの大きさになった木に近づくと、幹を傷つけないよう当て物をしてからロープを巻き付ける。ワイヤーの先のフックにそれを取り付けて準備完了。
不二丸はそこで千花に合図を送った。
あとは運び出すだけである。
クレーンで上に持ち上げ、荷台に載せる。荷台はそのまま物を上から降ろせるよう、平たい形状のものだった。木はちょうどいい大きさになったせいか、横に倒すとすっぽりと荷台に収まる。
不二丸がまたトラックのところまで戻ってきて、別のロープを荷台にかけていった。
木がしっかりと固定されると、不二丸とともに千花も庭に戻る。
木があった場所は、少しの土が盛り上がっているだけで、大きな施工がされたような形跡は見当たらない。
ただ白い花弁が絨毯のように散り積もっているだけだった。
『終わったな。では帰ろうかの』
「うん。あ、最後に田中さんに挨拶をしないと」
『それはよい。目覚めたら挨拶をしたことになっておる』
「そう。じゃあ帰ろう」
千花たちは何事もなく田中家を後にする。
トラックのエンジンがかかり、千花たちが出発すると、ぱちんと家全体にかけられていた結界が解けた。
瞬間、健一は玄関で目を覚ます。
なぜ眠っていたのかなど気にもせず、「そうか、もう終わったんだったか」などとつぶやく。
大型トラックは、一路、大庭家へと向かっていった。
***
千花は淡々とハンドルを操作し、いくつもの交差点を通過する。
大庭家は梁子の家のすぐ近くにあった。
敷地は五千坪ほどあり、上屋敷家よりは広い。数知れないほどの植物が植わっていて、一見すると森のような土地である。
同じ南大井住にあるが、場所は厳密に言えば上屋敷家よりはもっと南にあった。
駅からは離れるが、石神井公園にほど近い静かな地域である。
千花はすぐそばまで来ると、減速した。
幹線道路沿いに見慣れた門が見えてくる。千花はウインカーを出して慎重に曲がった。門柱を傷つけることなく、敷地内に入る。
左右に林が広がる20メートルほどの私道を抜けると、広いエントランスに到着する。
エントランスの向こうにはトラックをしまう二階建てほどの高さの車庫と、純日本風の家が並んでいた。家はまるで高級旅館のような艶やかな光沢を放っている。
千花たちはトラックを家の裏庭に回すと、車から降りた。
裏庭には巨大な藤棚が広がっていた。
これこそがトウカ様の「本体」だ。
藤棚の下に、緑青色の屋根のお堂が見える。
千花は荷台の白木蓮の枝を一本折ると、そのお堂に向かって歩いていった。
お堂はこじんまりとした人の背丈ほどのものだった。
その中に、枝を供える。
「トウカ様、白木蓮の木……『奉納いたします』」
『ああ。たしかに受け取った』
しゅるしゅると頭上の棚からつるが伸びてきて、枝をくるくると巻き上げていく。
しばらくすると、そのつるがほどけていく。
不思議と中にはなにも残っていない。
「終わった。……不二丸、来て」
「はいっ」
千花は振り向かずに言う。
声をかけられた不二丸は、すぐに駆け寄った。
付かず離れずの距離にいつもいるのだが、来いと言われたときにはさらにそばに行くように躾られている。
不二丸は、突然思い出したように言った。
「あの、荷台の木なんですが……僕も手伝わなくていいのですか」
トラックのまわりにはすでに家の者が何人か集まっていた。
クレーンを動かし、地面に下ろして養生のために根元に藁を巻いたりしている。
「いい。あの子たちに……やらせる。それに、不二丸にはまだ大きな仕事は無理」
「はい……そ、そうですよね」
しゅんとうなだれる従僕に千花は励ましの声をかける。
「大丈夫。もう少し経てば、あの子たちと同じように……他の式神たちと同じように働ける。それまではまだ千花の専属の従者でいて。これはお願い」
「はい」
「もともとは愛玩動物だったんだから、今はその仕事に専念して。不二丸はそれだけで充分価値のある式神」
「はい、ありがとうございます。千花様……」
嬉しそうな顔をすると、不二丸はポフンッともとの姿に戻る。
黒い毛並みの元気そうな柴犬だ。ハッハッと息を切らして、尻尾を振っている。
「ではトウカ様、『今日もありがとうございました』。千花はもう……戻る」
『うむ。ご苦労じゃったの』
お堂に向かって一礼すると、千花の耳に鈴の音のようなトウカ様の声が聞こえてきた。
あとは、風の音で何も聞こえない。
一番強い風が吹き付けて、ざあっと藤棚の木の葉をいっせいに揺らす。
千花はあたりを見渡す。
藤棚のまわりには数多くの花木や草花が植わっていた。
常に式神たちによって剪定などの手入れが行われているが、比較的古いものは敷地内の遠い場所に植え替えられている。
この列に、今日手に入れた白木蓮も仲間入りするのだ。
千花はそれを遠目から眺めると、足元でお座りをしている犬に向き直った。
不二丸は「まだ行かないのですか?」といった目をして見上げている。
「うん、もう行く。そうだ……不二丸、あとでお風呂の仕度しておいて」
「……えっ!」
お風呂の仕度、とは千花の入浴後のもろもろを準備することだった。
タオルや寝間着を置いておいたり、冷たい飲み物を用意しておくのだが……実は不二丸は一番この仕事が苦手だった。
なぜならときたま千花に誘われて、一緒に入らされるからだ。
泡だらけにされるのだけは犬として我慢ならない。あまり入らないと、臭いと千花から苦情が出るから嫌々ながら入っているが……不二丸はできれば今日もやり過ごしたいと思っていた。
そんな思いを知ってか知らずか、千花はニヤリと笑っている。
「あと……今日は不二丸も一緒に入ろう。いいよね? 仕事で汚れたかもしれないし」
「えっ、あっ、そんなっ……! わ、わかりました……」
「ふふっ、楽しみ。不二丸も楽しみでしょ?」
「は、はい……ううぅ」
不毛な会話をしながら、千花と不二丸は家に向かって歩いていく。
トウカ様はそれを眺めつつ長いため息をついた。
『はあああ……やっぱ千花は、あの畜生に惚れておるのじゃなあ、ああ、このままではいかんと思うんじゃが……はてさて、どうしようかのう。まったく化生と人とは厄介なものじゃ……』
陽が傾き、裏庭に木漏れ日が長く差し込んでいる。
軽快に歩く少女の後ろを、尾を下げた柴犬がトボトボと付いていった。
【登場人物】
●大庭千花――梁子の親戚。『変わった』植物を探すのがライフワークの少女。飛び級して大学に入るほどの天才。ロリータファッション愛好家。
●トウカ様――大庭家の守り神。いわくつきの植物の精気が主食。
●不二丸――大庭家で飼われている黒い柴犬。トウカ様の眷属の式神。褐色の肌の青年の姿に変化できる。