2-25 奉納の儀式2(追加奉納あり)
帰宅すると、玄関で母のゆかが出迎えてくれていた。
もう寝る準備をしていたようで、すでにパジャマの格好である。
「遅かったですね。梁子さん、お夕飯もう食べられましたか?」
「いえ……」
「そうですか。では、冷蔵庫に入れてあるので、あとで出して食べてくださいね」
「ありがとうございます。あの……母さん、今日は……」
「ええと……特に何も聞いてませんでしたけど、また間取り関係で出掛けられていたのでしょう?」
「ええ、そうです。ちょっと立て込んでいて……連絡をするのを忘れてました、すみません」
「いいんですよ。わたくしはもう眠いので就寝しますが……あとは適当にしていただけますか?」
「はい。大丈夫です。これから奉納の儀式もありますので……」
「え? あら、これからですか?」
ゆかは玄関に置いてある時計を見て驚く。
「もう夜の11時過ぎですよ?」
「ええ、わかってます。今回サラ様にとても助けていただいたので……そのお礼もかねてなんです」
「そうでしたか。それはお疲れさまでございました。本日もありがとうございました、サラ様」
『ああ、かまわんよ。先に寝ていろ、ゆか』
「はい。では、先に休ませていただきます。梁子さんも。おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい、母さん」
母の姿を見送ると、梁子は中庭のお堂に向かった。
緑青色の屋根が闇夜にライトアップされていて美しい。
梁子はお堂に入ると、脇にある戸棚からまっさらな紙とエアリアル邸の間取り図を取り出した。
まずは田中邸の図引きから取りかかる。
床にまっさらな方の紙を敷き、ガラス製のペンを走らせていく。梁子の血を混ぜたインクが、何度もペン先につけられていった。
前に一度デッサンしていたので、特徴を正確にとらえていた梁子は一息に描ききる。
南向きの玄関。
そこからまっすぐ南北に延びる縁側。その右側に二間の座敷。
さらにその座敷を抜けると、また廊下。
北から順に健一の洋間、便所、サヨさんの部屋、脱衣所兼風呂場、台所と並ぶ。
そしてその台所と玄関の間に居間。
縁側の西側には、様々な植物が植わった日本庭園。
一番印象的なのはやはりあの白木蓮の木だろう。
石灯篭の合間に大きな敷石の道が続き、小さな池もある。
隣の家との境はブロック塀で、道路側はベニカナメモチの生け垣。玄関そばに瓦屋根付きの門扉。
「さてと、間取りはこんなものですかね……住人は田中サヨさん、息子の健一さんもたまに来ていましたが……特筆すべき点はやはり正吉さんですね。化けタヌキの正吉さんとサヨさんは両思いだった……」
『ああ、お互いに思いは伝えず、分をわきまえて暮らしていたようだがな』
「ええ。なんだか寂しいけれど……それでも幸せな日々だったんですよね」
紙の上部に「化けタヌキが訪れる田中サヨの家」と記す。
次に、エアリアル・シーズンの家の間取り図を床に広げる。
空白だった部分に、今回判った部屋を書き足す。
「ここは、正面玄関から入って左奥の部屋でしたね。窓もない、実験室のような部屋でした。そして、彼らの関係性も少し解りましたね。衣良野さんは、エアリアルさんに好意を示していた……」
『ああ、そのようだったな。あの女科学者の方はどうか知らんが』
「え、そうだったんですか? てっきり相思相愛なのかと……」
『あやつの一部を喰らって判ったことだが、あれはやつの一方的なものだったな。女科学者はそれに気付いていても、拒否はせず受け入れることもしていなかった……決して衣良野と同じ思いではなかったようだな。やつはそれを歯がゆく思っていた……』
「そうですか……他にも何か、判ったことってありますか?」
サラ様はあごに手を当てて考え込む。
『そうだな、一番の収穫はあの館の構造を正確に知れたことだな。エスオとかいうやつも役に立って良かったわい。不届き者ではあったが……。あの館は人間に幻覚を見せた上で、空気を操作して物理的に結界を張っているという建造物だった』
「ん? その話って、一度衣良野さんから聞いたような……。物理的って具体的にはどういうことなんですか?」
『あの時もたしか、結界の話をしたと思うが……わしの「結界」は人間に幻覚を見せて、ある場所から遠ざける術だ。この範囲には近づかないでおこう、と思わせる程度のな。実際は強引にでも通ろうとすれば通り抜けられてしまうシロモノだ……。しかし、あの建物にはもう一段上の術がかけられていた。人間に壁や、床、部屋の明かりなどの幻影を見せた上で、「空気に対しても」幻覚を与え操作していた。空気はそれぞれ人間のように意思があるわけではないが……ある一定の法則によって動いている。高気圧から低気圧へ。熱いものは上に、冷たいものは下に。その空気を誤解させることによって、気流を物理的に生み出していた』
「えっと……それって……?」
『ああ、要は壁も屋根も、一種の風の塊で出来ていたというわけだ。床は違ったが。ものすごい気圧の空間が上下左右に存在していたのだ』
「えっ? 部屋に風なんか吹いてなかったですけど……?」
『壁や屋根がある場所にだけ吹いていたのだ。実際触れたら、風の力で押し返されていたぞ。あのソファもそうだった。ソファがある場所にだけ風が吹いていた。強い風でお前の尻が押し上げられていたわけだ』
「お尻って……じゃあ、竜巻って考えはあながち間違いじゃなかったんですね」
『竜巻?』
「ええ。あの建物、二階は実体を持った人は行けないっていう話だったじゃないですか。その時にちょっと想像したんですよね。竜巻でも起こらないと人を上には押し上げられないだろうって」
『ほお……そんなことを思っていたのか。なかなかに勘が良いな』
「ありがとうございます。そう考えると、ムーアさんの空飛ぶ箒も、そういうことなんですかね……。あれは物理的に箒を風で浮かばせていたってことになりますか」
『ふむ。そうかもしれんな。とりあえず判ったのは、衣良野という者の能力とエスオというやつが行っていた術の仕組みだけだ。あとは未確定だな、猫と箒のことは知らん』
「わかりました。とにかく、そこだけ記しておきますね」
梁子はさらさらと間取り図の備考欄に彼らの能力を書いていく。
『そういえば、衣良野は辞書の精だったが……やつも箒と同じように空中に浮いていたな。そのようにしなければ移動できないからだろうが……やつも空気に対して幻覚を与える力があるらしいな。しかし、これはいい術を知った。もしかすると、お前も空を飛べるやもしれんぞ』
「えっ? 空を……ですか」
『ああ。ええと……そうだな、こういうのはどうだ?』
サラ様は手を梁子の前に突きだすと、それに青白い光をまとわせはじめた。
すると、しばらくして小さめの絨毯の幻影が目の前に現れる。
それはふよふよと、床から10センチくらい上のあたりに浮いていた。
「なっ、ななななっ! そ、空飛ぶ絨毯じゃないですか! すごいっ!」
『ああ、乗ってみろ』
「えっ? だ、大丈夫ですか? いきなり上昇して天井に頭ぶつけるとか……ないですよね?」
『大丈夫だ。とりあえず実験だ。お前が浮けるかどうかのな』
「は、はい……じゃあ……」
梁子はおそるおそる足を乗せてみる。
片足は乗った。たしかな手応え。続いてもう片方も乗せてみる。
「おおっ!」
梁子は見事、空飛ぶ絨毯に乗ることができた。
『これを移動させるのは少し難しいな。それを発展させたのがあの箒か……。とりあえず、これを階段のように構築していけば、お前を高所に移動させることもできるだろう。またそこからたとえ落ちたとしても、受け止められるな。いや、実にいい術を得た』
「サラ様も……成長することってあるんですね……」
ちゃららっ、ちゃっちゃっちゃー♪
梁子は、どこからかレベルアップのゲーム音が聞こえてきたような気がした。
『当たり前だ。昔からわしは成長しっぱなしだわい。そうして今の力があるのだ。結界だって、最初から使えたわけではないぞ。これがわしが屋敷神たる所以。知識と経験を無限に取り込み、上屋敷家のために存続させ続けられるのがわしの能力よ』
「はあ、これも御先祖様たちが頑張ってきた結果なんですねえ……あの正吉さんを探しだした能力もそうでしたし。ほんと、ありがとうございます」
手を合わせて、サラ様の向こうに並ぶ位牌の列を拝む。
『先祖たちだけでなく、わしの努力もあるのだが……』
「さて。書き加え終わりました。……奉納及び、前回の追加奉納をいたします。化けタヌキが通う田中サヨの家と、魔法科学者エアリアル・シーズンの家の一部、お納めください」
『む。ではありがたく頂戴しよう』
サラ様が口を開けると、紙に書かれた部分が発光し、するすると口の中へと吸い込まれていった。
もぐもぐと動かした後、ごくりと飲み込む。
『ふむ。今回も美味であった。ご苦労だったな』
「いえ。こちらこそとても感謝しております。捜索とか色々ありがとうございました、サラ様」
『ふっ、遅くまで付き合わせて悪かったな。だが、満足した』
「はい。わたしもう、お腹ペコペコです」
『ではな、おやすみ梁子』
「はい。おやすみなさい、サラ様」
サラ様は軽く笑うと、すうっと消えていった。
梁子は今日の晩御飯はなんだろうと、お堂を出ながら思う。正直もう限界だ。
盛大な腹の虫が中庭に響き渡った。




