2-20 たどり着いた先
「サラ様、次はどっちですか」
『そこの角を左だ』
「……わかりました」
夜の道を、足早に移動する。
梁子たちは葬儀場からかなり北の位置にまでやって来ていた。
しゃがれ声のナビゲーションに従い、住宅街の小路から川沿いの道に出る。
橋を渡りしばらく行くと、大通りに出た。
「ここ、渡るんですか?」
『ああ、さらにまっすぐ北へ行け』
「……」
梁子は北という言葉に一瞬何かを思い浮かべたが、深く考えるのを放棄した。
今はできるだけ早く正吉のもとへ行かなければならない。それに専念する。
長い横断歩道を渡る。
大通りなので、道沿いにはコンビニや飲食店が並んでいた。
美味しそうなメニューの描かれた看板に、思わずお腹が鳴る。
「そういえば、お昼からずっと何も食べてないんですよね……」
『コンビニでおむすびでも買っていくか?』
「いえ。我慢します」
『そうか。いつでも言えよ。正吉のいる場所は変わっていないようだからな。別にそれほど急がんでも……』
「いえ。ご飯はあとまわしにします。急ぎましょう」
『強情だな……。何をそんなに急ぐ』
「なんでか知らないですけど……とにかく早く教えてあげたいんですよ、正吉さんに」
『そうか。わしは伝えても伝えんでもどっちでも構わんがな。……ああ、梁子、そこもまっすぐだ』
「はい」
店舗の間の路地を、しゃがれ声の言うままに進む。
やがて、高速道路の陸橋が見えてくる。
その下をくぐり、さらに住宅街へと入る。
『次の角を左だ』
「はい……」
ここは、どこかで見たような。
既視感を覚える。
ピザのデリバリーでいつも走っているので、梁子は大井住市内で知らない道はほとんどない。
どこかで見たような気がするのはいつものことだ。
でも、その感覚とは少し違う。
違うのはなんだ。
先ほどは考えないようにしていたが、違和感がかなり大きくなってきている。
モヤモヤした気分のまま走り続ける。
「……!」
そうか。
デリバリーのスクーターで移動しているからではない。「ただ歩いているから」だ。
でも……それだけじゃない。
一番は、前にも一度こうしてサラ様に「ナビゲート」してもらったから……。
あのときは、光の糸を追っていた。
「印」をつけた相手の行方を追っていた。それに似ている。
「まさか……」
『言うな、梁子。わしも今ちょうど同じことを考えている』
「……」
『次の角を右だ、梁子』
「……わかりました」
角を折れると、そこにはやはり見たことのある風景が広がっていた。
左右に並ぶ、広い庭付きの高級住宅。
その家々を、梁子は歩調をゆるめながら通りすぎていく。
ある家の前まで来た。
『ここだな。それほど遠くはなかったが……依然、正吉の気は小さいままだ。これでは探すのに手間取るわけだ』
やれやれといった風なサラ様の声に、梁子は足を止める。
そこにあったのは、古びた洋館だった。
言わずと知れた魔法科学者、エアリアル・シーズンの家である。
「どうして、ここに……」
正吉はなぜ、ここにいるのか。
そもそもエアリアルたちと知り合いだったのか。
疑問は尽きなかったが、梁子はとりあえず門扉を押す。
するとパリッとした静電気とともに、背の高さ以上の鉄柵が重々しく開いていった。
この家にはインターフォンがない。
だから、こうして入るのが定石なのだ。静電気が、侵入者の訪れを家人に知らせる。
それは前回来て学習している。
『行くぞ』
「はい」
しゃがれ声の合図とともに、正面玄関へと向かう。
ドアが勝手に開いていく。
またデジャブ。
「これはこれは……。上屋敷さん、お久しぶりです。突然どうされました?」
赤毛の青年、衣良野糸士がそこにいた。
衣良野は街灯に照らされ、闇の中からぬっと姿を現している。
相変わらず寝巻きのような、フードつきの黒いスウェットを着ていた。
衣良野の正体は、辞書の精だ。必要であれば人の姿をとる。
訪問者が来たから、このように「変化」したのだろう。
パチッという音がしたかと思うと屋敷の中に明かりが点った。
「とりあえず、中へどうぞ」
うながされるまま、奥に入る。
赤いベルベットの絨毯が敷かれた、エントランス。その上にはきらびやかなシャンデリアが下がっている。
これらはすべて幻影だ。
この家の精、エスオが見せている「まぼろし」なのだ。
エスオもどこかから梁子たちを見ているに違いない。
衣良野はその豪奢な広間を抜けて、左側の部屋へ入っていった。
そこは以前通された客間だ。
「いったい、どんなご用ですか。お会いするときはたしか……こちらからご連絡をさしあげる、ということになっていたはずですが」
言いながら、衣良野は目で座るよううながしてくる。
梁子は二脚置かれているソファの片方に座った。
部屋はこざっぱりとしている。
以前見た壁一面の書類も、机もない。
衣良野も、テーブルを挟んだ対面に座る。
「ええ。突然こちらから来てしまってすみません。実は……ある化けタヌキを探してましてね。こちらに……いることがわかったんですよ。で、いますよね? そのタヌキ。正吉さんっていうんですけど……」
「タヌキ……ですか。名前は存じませんが……ええ、いますよ。マスターの実験のために捕獲した個体が一匹」
「じ、実験?!」
「……ご覧になりますか? 隠しても無駄なようですし」
立ち上がると、衣良野はすたすたと奥の部屋に歩いていった。
この部屋の入り口から見て右側の、北にあたる部屋である。
まだ見せてもらったことのない部屋に、梁子は内心興奮した。
不穏な言葉を聞いたような気もするが、ついて行ってもいいようなので遠慮なく追いかける。
「どうぞ」
衣良野がドアを押さえて、中に入りやすくしてくれた。
部屋は薄暗い。中央に1m四方の腰高の台が置かれている。
他にはこれといって何もない。
歩を進めると、台の上に何かが乗っているのが見える。
「正吉さん?!」
そこには、片目に傷のある一匹のタヌキが横たわっていた。