1-2 謎の廃墟
『大学は行かなくていいのか』
「ええ」
『本当にいいのか?』
「ええ」
『本当に……』
「だからいいって言ってるじゃないですか!」
一夜明けて、梁子はくだんの魔女が落下した家の近くにやってきていた。家の真ん前だと怪しまれるので、少し離れたところに陣取っている。
上屋敷家の屋敷神であるサラ様は、しきりと梁子の学業を心配していたが、梁子はいい加減面倒くさくなっていたのでバッサリと言い切った。
「もう、いい加減にしてください。単位は足りてますし、今日は重要な講義がないので大丈夫なんです。こちらの方が大事なので、今日は間取り収集に集中します。いいですね?」
『……わ、わかった』
「じゃ、監視をはじめます」
大きなトートバッグから折りたたみ椅子を取り出して、家がよく見えるような位置に設置する。
これで長時間の監視も楽だ。
さらに違和感のないように、バッグからスケッチブックと鉛筆も取り出す。さらさらと家のスケッチをはじめれば、その様子はまるで画家である。
『上手いもんだな。さすが中・高と美術部だっただけはある』
そう、梁子は昔から絵は得意な方だった。
ずっと絵を描くのが好きで、特に建物や家の間取りを描くのが趣味だった。こういった写生はお手の物である。通りかかる者がちらっと見れば、思わず感心するほどだ。
あながちその場限りの見せかけというわけではない。
「ふう、こんなものですかね……」
あらかた描き終って、改めて周囲を見回してみる。
例の家の両隣、そして6mほどの道を挟んだその向かい側にもずらりと家が軒を連ねていた。
みな高級そうな邸宅ばかりだ。
昨夜魔女が落下したはずの家は、それらの高級住宅に比べると、ひどく古い。
建物自体は二階建てで庭もそれなりに広いが、あまり手入れはされていない。木々は枝が伸びきっており、それらの陰になっているためか家そのものもどことなく苔むしていた。
日当たりがあまり悪いわけでもないのに、それらはひどく陰鬱な印象を与える。
「やっぱり屋根の穴、ないですね。素敵な洋館なんですけどねえ……庭が残念というかなんというか」
『あまり見ない装飾がされているな』
「出窓とか、木の扉のですか? ええ、たしかにあのアイアン付きの蝶番……凝ったつくりですよね。日本式の家とはずいぶん違います。造られたのは昭和の初めごろでしょうか……。サラ様、でも、あれって本当に人が住んでるんですかね?」
昨夜は暗くてよくわからなかったが、デッサンをしているうちに気が付いた。
門扉から家へと続く敷地内は草がぼうぼうで、とても人が立ち入っているようにはみえない。
ずいぶんと長い間放っておかれているようだ。
玄関前には傘立てがあるが、中のビニール傘は風雨にさらされて、見るも無残な姿になってしまっていた。ドア部分も痛みが激しく、所々塗装がはげている。
――にもかかわらず。
庭の荒れ具合に反して、窓にはどれも白いカーテンがぴっちりとひかれていた。
普通、廃墟であればカーテンも垂れ下がっていたり、破れていたりして中も荒れていると瞬時にわかるものだ。けれど、そうではないと言わんばかりに目新しいものが整然とかけられている。
まるで今でもそれを使っている人たちがいるかのようだ。
窓もどこも割れたり極度に汚れたりはしてしない。
不思議なのは、せっかくの鎧戸がどれも開け放たれていることだった。
これではいつ泥棒が入ってきてもおかしくはない。防犯上、ありえないことだった。
あれではまるで向こうから侵入してくださいと言ってきているようなものではないか。
どう考えてもギャップがありすぎる。これは一体……。
「本当に……人が住んでいるのか怪しくないですか? でも、もしかしたら定期的にメンテナンスに入ってる人がいるかもしれないですし……うん、不動産屋さんとか……。あそこは表玄関ですけど、本当は別の入り口があって、そこから出入りしている、とか? ここからじゃ見えないですけど……うーん、なんか変な家ですよねえ」
『まあいい、しばらく見ていろ。そのうち何かしら動きがあるだろうよ』
「はい」
梁子はしゃがれ声の言う事に納得がいかなかったが、仕方なく建物のデッサンをし続けた。
しばらくすると、自転車に乗った一人の若い男の警官がやってくる。
ただそこを通り過ぎるのではなく、どうも梁子に用があるらしかった。
一直線にこちらへ向かってくる。
「え?」
「はいはい、すみませーん。ちょっとおうかがいしてもよろしいですか。ここで何をしてるのかな」
「えっと……あの?」
意味がわからなくて梁子がいぶかしげに見つめると、警官は帽子をかぶり直して自転車を路肩に停めてきた。
そして真顔で肩の無線機をとると「真壁、現地着です」などとどこかと連絡をとる。
「いやあ、通報がありましてね。ちょっとあなたのご職業とかお聞きしてもよろしいですか?」
「え、あの……通報? わたしが? された、ってことですか?」
「はい。まあ……その、仕事ですんで。すいませんね、お時間はそれほど取らせませんから」
「……わかりました」
「ではお聞きします。失礼ですが、なにか身分証明書などは持ってらっしゃいますか?」
「はい、これ。どうぞ」
ごそごそとバックから学生証を取り出す。
「上屋敷梁子……19歳。大井住大学工学部建築学科一年。学生さんですか。ここで何を?」
「いえ、ちょっとその……気になる建物があったので、そちらの家をデッサンさせていただいてたんです」
「絵、ですか。ちょっと拝見させていただいても?」
「はい。いいですよ」
「どれどれ……ほお、お上手ですね。ちなみにあのお宅ですか?」
警官に絵と同じ家を指さされて、梁子はうなづく。
「……あちらのお宅の方には、ご了承を得て?」
「いえ。特にご迷惑になるとは思わなかったので。あと……住んでらっしゃるかどうかわからなかったものですから」
「ああ、なるほど。そうですか」
警官も庭の様子を見て、すぐに「空き家だからか」と納得したようだった。
「あの……どういった通報だったんでしょうか。わたし何かその……通報した方……ご近所の方ですか? その方にご迷惑かけてたんでしょうか」
「いや、よくわからない人がうろついてる、って通報だったみたいなんですけどね。どういう方とかはちょっと……お話できないんですよ。でも『絵を描いている女性』っていう、容姿まで特定されてましてね。そうするとさすがに出張らないわけにはいかなくって……。まあよくあることです。あまり気にされないほうがいいですよ、そういう神経質な人はどこにでもいますから。あ、これ、ありがとうございます」
そう言って、真壁巡査は名前を控え終わった学生証と絵を返してきた。
「……あの、わたし何か罪になるんでしょうか?」
「いや……特に捕まえてくれって要望ではなかったですし、基本罪になるようなことじゃないですよ。ただまあ、今日だけならいいですけど、あんまり他人の家をむやみに描くのは、変質者かなにかだと誤解されるおそれがありますから、やめておいたほうがいいでしょうね……」
「はあ、すみません」
「あ、そうそう。これからその通報した人の家にも行くことになっているんでした。すみません、では自分はこれで。えっと、たしかこの付近に……」
警官はメモと地図を取り出すと、番地の書かれた電柱を見上げて歩き出す。
だが、はたとその歩みが止まった。
「え? なん、で……」
「ん? お巡りさん? どうしたんですか?」
「……いや、そんなバカな」
声をかけると、警官はあの古びた空き家の方をじっと見つめて固まっていた。
「まさか……」
あわてて無線を取り出し、どこかと連絡をとる。
だが、やりとりが終わると静かにメモや地図をしまいだした。
「どうしたんですか?」
「いや、いたずら……だな」
「え? いたずら?」
「あ、いえ、通報してきた人の住所は……あの家だったんですよ」
「えっ?!」
「本来ならあなたに教えるわけにはいかないんですが……ちょっとその……あまりにも奇妙だったもので……。おかしいですよね? どう考えてもあの家は空き家だ……。近隣の不動産屋にも本部が確認をとった、間違いない。だいぶ前からあの家は空き家になっている。なのに……どうして……」
額を抑えた警官は、半分以上くだけた口調へと変わっている。
どうやらよほど動揺しているらしい。
ぶつぶつとひとり言を繰り返している。
「もしかしたら事件か……? いや、たんなるいたずら……」
「あの?」
「ああ……すいません、あとはちょっとこちらの問題なので、大丈夫です。ご協力ありがとうございました」
「いえ、あの……どういうことかちょっとわたしにも聞かせてもらっていいですかね?」
「え?」
警官は不思議そうに顔を上げた。
「あながちわたしも、無関係とはいえないと思うんですけど」
「ああ……君、そうか。通報されてましたしね」
「なぜあそこから通報があったんでしょう。誰も住んでいないのに?」
「そう、そこが不思議だ。空き家だというのに……いったい誰が通報してきたっていうんだ? 近所の者があの家の者だと偽って通報してきたのか……」
「あの、どんな人だったんですか」
「どんな人?」
「通報してきた人です。男でしたか、女でしたか」
警官は困ったように腰に手を当てる。
「あのね……だからそれはプライバシーの問題で……。ああ、でもそうだな、もしかしたらすべて嘘だったのかもしれない。名前すら偽だったかも……。あの家の表札には『衣良野』と書いてあった。だが通報してきたのは……一応伏せるが、スズキイチロウのようにどこにでもある名前だった……ようだ。それに、固定電話ではなく携帯からの通報だったと……。そうなると、やはりいたずらか?」
「ちょっと待ってください。それならその通報してきた誰かは、わたしをどこかから見ていたってことですよね。あの家の者だと偽って。だったらそれって誰で、いったい何の目的があったんでしょう?」
「さあ……ね。とにかく、通報者は自分の身元を知られたくなかったんだろうな。それにしても……妙だ」
「なにがですか?」
「本部が先ほど報告のために折り返しかけ直したというんだが、かからなくなっていたそうだ」
「え……」
ぞわりと背筋が寒くなる。
「なんだか不気味だな。そんな通報をして、いったいなんの得があるというんだ……。警察をおちょくって……。まあいい、君はもう帰りなさい。なにかの事件に巻き込まれているとも限らない」
「あの……まだデッサンが終わってないんですけど」
「まだそんなことを言っているのか。危険が君に……いや、待てよ。わずかな可能性だが……誰かいるかもしれないな」
「え? 誰かいる、って何処に?」
「あの空き家だよ。もしかしたら、不良や浮浪者らが住み着いているかもしれない。だとすると通報者は……そうか!」
「えっ?」
警官はぽんと手を打つ。何か閃いたらしい。
名探偵のように頭を働かせて、とある推理を導き出したようだ。警官は嬉々とした表情を浮かべていた。梁子は唖然となる。
「あの……?」
「ちょっと訪問してみようかな」
「えっ、行くんですか?」
すたすたと歩いていく警官に梁子は慌てる。
「さ、サラ様! いいんですか、あの人、あの家に突撃して行きますよ!?」
『ええい、仕方ない。梁子もあの警官について行け』
「ええっ? わたしも行くんですか?」
小声で話しかけていると、自分に言われたのかと思った警官が振り返った。
「どうした? ああ、危険が及ぶかもしれないので、君はそこにいなさい」
「え、いえ。良かったらわたしもついて行こうかなー、なんて。いいですか? ちょっと離れたところにいますから」
「いや、来るな。危ない」
「大丈夫ですって。危険だと感じたらすぐに逃げますから」
「そういう問題ではなくてだな……」
面倒くさそうな顔をしたが、梁子が諦めそうにもないことを悟ると、警官は観念したように息を吐いた。
「わかった。だがもし不審者がいたとわかったら、全力で走って逃げるように。自分は真壁巡査だ。上屋敷さん、くれぐれも自分の言うことを守ってくれ」
「はい!」