2-19 サヨさんの手紙
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健一へ
突然どうにかなってしまうこともあるだろうから、こうして手紙を書いておくことにするよ。
もしこれを読んでいるんだったら、わたしはもう死んだあとだろうね。
健一、生きている内にはとうとう言えなかったことを書いておくよ。
ずっと一緒に住まないで悪かったね。
母さんはあんたから誘われてたけど、ずっと断ってきた。それはね、この家を離れられない理由があったからなんだ。
建前は、代々住みつづけてきたこの土地を簡単には離れられない、っていうのだったけどね。
本当はずっと会っていたい人が……この家の側にいたからなんだ。
あんたが今住んでいるのはマンションだろ? そこには当然、庭はない。
母さんは、この庭付きの家がとても大事だったんだ。
この庭で……ある人に出会ったからね。
前にあんたに言ったことがあるかもしれないね。そう、正吉さんって人だよ。
その人とはこの庭の、この家でないと会えはしないんだ。
正吉さんは、色々とあたしの身の回りのことを手伝ってくれている人でね。だから、あんたがめったに来なくても大丈夫だったんだよ。
近所に住んでる人だけど……誤解するんじゃないよ、母さんはその人となんにもないんだから。今でもあたしはずっと父さんが一番さ。
だけど……本当に良くしてくれる人でね。
この家で辛い思いをしていたときも、いつも支えになってくれてた人だった。
そんな正吉さんと会えるこの家に、母さんはずっと住んでいたくてね。そう、母さんのわがままだよ。
かなり依存してると思う。正吉さんなしの人生なんて考えられないほどにね。
それでも、母さんはその日々がとても幸せだったんだ。
どうして正吉さんがそこまでしてくれるのか……母さんもわからないわけじゃない。でも、その好意にずっと甘えてきてしまった。あの人にはあの人なりに幸せになる道があったのに、母さんが弱いせいでずっとここに縛り付けてしまった。
だからね。
もし、母さんが死んだら、この家を売っぱらって欲しいんだ。
更地にして、なんにもなくしてほしい。
そうしたら、正吉さんは自由になるはずだから。
こんなわたしのために、長い時間をともに費やさせてしまった。
せめてわたしが死んだあとくらいは、自由になってほしくてさ。
もし、会うことがあれば……といってもあんたの前に姿を見せることはないだろうけど、会ったらよくお礼を言っておいておくれね。覚えてないだろうけど、あんたも一度はとてもお世話になった人だから。
変なことを頼んでごめんよ。
それに、こんなこと、とてもじゃないが直接あんたには言えやしない。
こんな形で残すことを許しておくれ。
もしかしたら、この手紙に最後まで気付かないかもしれないけど、それならそれで墓場まで持っていくつもりだから。見つかったら、見る機会があったなら、きっとやりとげておくれ。
本当はあんたの好きにしていいと言うつもりだったけど。これが一番心残りだったんでね。
あんたが結婚しないのも心残りといえば心残りだけど……あれかい? 母さんがずっと辛い生活をしていたのを見て、家庭を作りたくなくなった、とかなのかい。
だったらなおさらだ。
こんな嫌な思い出のつまった家はなくしちまうといい。
どうせ遺産は全部あんたのものなんだ。売っぱらったって、何したって誰もなにも言うもんか。
健一、あたしはずっとあんたを愛してる。
父さんもだ。あの人がいたからいままでがんばってこれた。
おじいちゃん、おばあちゃんも、厳しかったけど、きっと本当はそんなに悪い人じゃなかったんだよ。
でも、あんたには嫌な思いをさせちまった。それだけは本当にごめんよ。
母さんは最後にとっても穏やかに暮らせた。
とても大事な人と、楽しい日々を送れた。
自由にさせてくれた健一にはとっても感謝しているよ。
もうあんたはひとりでもしっかり生きていける。あんたはあんたで、好きなように、幸せな人生を歩んでいきなさい。
それじゃあ、あとは頼んだよ。
あたしがあの世から見守ってるんだから、バカなことだけはするんじゃないよ。
体に気を付けて。達者でな。
田中サヨ
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【登場人物】
●田中サヨ――白木蓮の咲く家に住んでいた老女。享年七十三歳。正吉の想い人。
●田中健一――サヨさんの息子。
●正吉――白木蓮の咲く家にいた男。正体は片目に傷のある化けタヌキ。