2-16 誤解2
「じゃあな。お疲れ」
「あっ、ちょっと待ってください、河岸沢さん! お金!」
駅方面へ歩いていく河岸沢を、小走りで追いかける。
結局梁子は、カラオケの料金を飲み物代も含めて全部払ってもらってしまっていた。
変な借りを作りたくないので、正面に回り込んで代金を突きつける。
「これ、受け取ってください。料金は別々でって言ったの、河岸沢さんじゃないですか!」
「ああ? いーよもう。レジ前でごちゃごちゃすんのもアレだったし、なんかもう色々と面倒になった。二度とこんなことねーだろうから、気にすんな」
「いや、でも!」
「いいって言ってるだろ。帰らせてくれよ……」
「受け取ってください!」
「いらねーって言ってるだろ」
「いやいや、それだとわたしが困ります!」
押し問答を続けていると、通行人が怪訝な顔をして通りすぎていく。
少し恥ずかしかったが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
レジに行く前に渡しておけば良かったと後悔しながら、梁子はどうにかしてお金を手渡そうとする。
「ちょっとちょっと、そこの二人、どうされました~?」
すると、背後から意外な声がかかった。
振り向くとそこには自転車に乗った真壁巡査がいた。
なんでこんなところに、とギョッとしながらここは駅前の交番にも近かったことを思い出す。
どこの交番に常駐しているのかは知らなかったが、その交番に勤務しているのかもしれない。
「あれっ? 上屋敷さん!?」
梁子の顔を見て、ぱっと笑顔になる真壁巡査。
「どうしたんですか? なんか揉めてらしたようですけど。そちらの方は?」
「ええと……職場の『先輩』です」
「先輩」
「はい……」
嫌々説明すると、その「先輩」はくっくっと笑い始めた。
「おい、上屋敷。なんでお巡りさんなんかと知り合いなわけ? 何かお世話になるようなことやらかしたのかよ」
「お世話……まあ、お世話になったのは事実ですね。けっして犯罪で捕まったとかでは」
「へえ~、結構なワルだったのか~」
「話聞いてます? だからけっして犯罪ではないって……」
「意外だなあ~」
「ちょっと、河岸沢さん!」
面白がっているのか、河岸沢は梁子の話をあえて聞こうとしてない。
真壁巡査と梁子を見くらべながら、にやにやしている。
梁子は、真壁巡査が気分を害すのではないかと気が気でなかった。
一方の真壁巡査は戸惑っている。おろおろしながらも身ぶりを交えて話しはじめる。
「あの、本当に自分は上屋敷さんとは、ちょっとした知り合いでして……おっしゃるように上屋敷さんが事件を起こしたとかではないですよ。どちらかというと巻き込まれた側だったというか……ね? 上屋敷さん」
「そ、そうです。ありがとうございます、真壁巡査。その通りですよ! もう、河岸沢さん、失礼すぎます!」
真壁巡査のフォローに、梁子は感謝した。それにしてもなんて態度なのだろう。
梁子はプリプリと怒ってみせた。
河岸沢はなおも口元を歪めて笑う。
「へえ……なるほどねぇ」
「なにが『なるほど』なんですか? 本当にわかったんですか」
「いや、ずいぶん仲がいいんだなと思ってよ」
「は?」
「なっ……!」
梁子は思わず赤面する。それは真壁巡査も同様だった。
二人してうろたえる様子に河岸沢はついに声を出して笑ってしまう。
「くっくっ……へえ~そうなんだ」
「河岸沢さん? なにが『そうなんだ』ですか、なにか誤解してませんか? 仲がいいって別に」
「そ、そうですよ、なにか勘違いなさってませんか、上屋敷さんの先輩さん」
「くくくっ」
「はあ……わたし、この人のこと一発殴っていいですかね?」
「それは、自分の前ではちょっと……というか、上屋敷さん。揉めてらしたように見えたのですが、なんだったんですか?」
「ああ、それは……カラオケの代金をこの人に勝手にまとめて払われてしまって。おごられるいわれはないので自分の分を返そうとしていたんです。でも、なかなか受け取ってもらえなくて。お見苦しいところをお見せしました」
「そ、そうでしたか。カラオケ……」
真壁巡査は近くにあるカラオケ店の看板を見ながら、遠い目をしている。
「あっ別に好きで来たんじゃないですよ、ちょっとこれには訳がありましてですね……」
言いながら、梁子はなんで自分はこんな言い訳めいたことを言っているんだろうと若干パニックになる。
だが、口が止まらない。
「ちょっと、ある相談事をしてまして。だから別にこの人とはなんでもないっていうか……遊びで来たとかじゃないんです。その……」
「上屋敷さん」
「はいっ」
「それって、事件のことじゃないですよね」
「えっ?」
「前にも言いましたよね。もし何か気になることがあったら、いつでも通報してくださいって。その方に相談されるのもいいですが、まずは警察に相談されるのが一番かと思いますよ? 言いにくいのでしたら、自分でもいいですし」
「あ、いえ……事件というか……そういうのとはちょっと違うことで。そうですね、もし危険なことがあったら相談させていただきます。ありがとうございます」
「あっ、あ、そうでしたか。これは出すぎたことを言いました、すみません」
申し訳なさそうに鼻の頭をかく真壁巡査に、梁子はにっこり微笑んでみせた。
「いえ。本当にありがとうございます」
「ええと……では、そろそろ行きますね。上屋敷さん」
「はい」
「あの……」
ちらり、と河岸沢を見て真壁巡査は口をつぐむ。
「いえ、なんでもありません。ではまた。ごきげんよう」
「……はい」
真壁巡査は自転車に乗るとすぐに行ってしまった。
去っていく後ろ姿を見送っていると、河岸沢がつぶやく。
「レアだな、あの警官」
「……なにがですか」
「お前に好意を持ってるってことがだ。そうだろ?」
「そうかもですね」
「だからレアだって言ってるんだ」
「こう見えてわたし昔からよくモテるんですよ。今も人目を集めてるでしょう」
河岸沢はあたりを見回すと、通行人がなんとなく梁子だけを見ているのを確認したようだった。
言い合いをしていた時ならわかるが、今は別に何もしていない。
「ああ、だがこれは好意というか羨望からくるものだろ。好意とは少し違う。自分にはない何か特別なものを感じ取ってるから、見るんだ。それを好意と勘違いするやつもいる。だけどな、見つめられたり、声をかけられることはあっても、継続して近づいてくる者ってのはいないだろ」
「そういう方はサラ様が追い払ってくれてますから」
「そーかよ。でも、あの警官は違うだろ? 現に追い払えてねえじゃねえか。それは何でだ?」
「そういえば。なんでですか、サラ様」
『……』
「たぶん、あいつのは、純粋な好意だからだよ」
「えっ」
「だから、お前のサラ様は、追い払えない」
「それって……」
「おおかた、ネガティブじゃないと扱いが難しいってとこだろ」
「そうなんですか?」
『わしは上屋敷家に富と運をもたらすもの。害あるものは排除する。だがあやつは……害かどうか判じられぬ』
「そんな……わたしにとっては害ですよ」
「ええ~、本当にそうか? お前も満更でもねえって顔してたじゃねえか」
「上屋敷家に、そぐわないんですよ。あんな純粋な人。河岸沢さんも言ってたじゃないですか。禍々しいって。そんなのに、ああいう人が耐えられると思います?」
「そーだな」
「そういうことです。そういう人は……迷惑なんです」
「……」
うつむいた梁子に、河岸沢はおどけて言った。
「俺はもっと勘弁だけどな」
「安心してください。未来永劫ウチと河岸沢さんがかかわることはないですから」
「当然だ。むしろそうしてくれ」
「じゃあ、これ」
「ん?」
「456円、ぴったりありますから」
「おい! 上屋敷!」
「わたしちょっと、このあと寄るところあるんで。ここで失礼します。今日はありがとうございました。お疲れさまでした」
「おい! ったく」
すたすたと足早に離れると、河岸沢は舌打ちして行ってしまった。
梁子は河岸沢とは反対方向に歩いていく。
「さて。正吉さんに報告しませんとね、サラ様」
『ああ』
車や人でごった返す大通りを抜けて、梁子はバス停を目指した。




