2-14 誤解
午後五時すぎ。
梁子は仕事を終え、バックヤードに入った。
バックヤードは厨房の奥にあたる場所である。
客側からは見えないようになっており、戸を開けると廊下が左右に伸びている。右手には従業員用の更衣室やトイレがあり、左手は事務所や倉庫、裏口、といった造りだ。
梁子は更衣室で私服に着がえると、タイムカードを押すため事務所に向かった。
タイムレコーダーの機械とスタッフ全員のカードが壁に設置されている。
大輔貴史[ダイスケ タカシ]
河岸沢銘心[カシザワ メイシン]
名ヶ森ここあ[ナガモリ ココア]
宮間一太[ミヤマ イッタ]
上屋敷梁子[カミヤシキ リョウコ]
梁子は自分のカードを取ると、他のスタッフの名前をまじまじと見つめた。
「こうしてみると、みなさん変わった名前ですよね……店長の『大輔』って、わたしてっきり下の名前かと思ってました。河岸沢さんも、こういうお名前なのはお寺の方だったからなんですね……。名ヶ森さんは……可愛いですね。ああ、うらやましい! わたしもこういう名前だったらなあ。ここあって名ヶ森さんにぴったりですよね。宮間さんは……耳で聞いてるから名字が宮間さんだってわかってますけど、知らないで字面だけ見たら、宮・間一太って分けちゃうかもです」
『名は体を表すというからな、それぞれ、その名にふさわしい人生を送るのだろうよ』
「わたしは……どういう人生を送るんですかね?」
『そうだな……』
「おい!」
苛立ったような声が聞こえたかと思うと、背後に河岸沢が立っていた。
相変わらず、私服はビジュアル系バンドマンのような格好である。
河岸沢は梁子の手元を見るなり、勢いよくそのカードをひったくった。
「さっさと印字しろ、ヴォケ! こうしてる間にも時給は発生すんだぞ!」
BではなくVの発音で罵倒される。なにげにイラッとする言い方だ。
河岸沢は自分の分もまとめてガチャンとカードを機械に差し込むと、すぐにもとの場所に戻した。そして、梁子に機嫌の悪そうな顔を向ける。
「あとお前、盛大にひとりごと言ってんじゃねーぞ。俺はともかく、他のやつらにもイタい奴だと思われんぞ。それでもいーのかよ?」
「や、それは……すみません。つい……」
「じゃあ、な。お疲れ」
「あっ、河岸沢さん! ちょっと待ってください! お話の続き、してくれるって言ったじゃないですか! ちょっとっ?!」
「あー? そうだったか? 覚えてねー」
河岸沢は帰る前に、もう一度厨房に顔をだした。
「じゃあ、店長、お疲れ様でした」
「おう! お疲れ、河岸沢! 上屋敷もな。気を付けて帰れよ!」
「はい、お疲れ様でした」
店長の大輔はくるくるとピザ生地を回していた。また注文が入ったらしい。
ここあはサイドメニューの準備をしていた。ふと目線が合ってプーッと吹き出される。
「ど、どうしたんですか? 名ヶ森さん」
「いや、ひゃははっ。な、なんすか? 河岸沢さんたち、それ、付き合ってるんすか?」
「「はっ?」」
意図せず、二人とも同時に声を出してしまった。綺麗にハモったのが気分が悪い。
ユニゾンしてしまうほど仲がいいと梁子は思われたくなかったが、思わずそう反応してしまうほど、それは見当違いな指摘だった。
どうしてそんな風に思われるのだろう。意味がわからない。
店長の大輔もことの成りゆきにかなり困惑しているようだった。「えっ? ふたり、そうなの?」という顔をしている。
一方で、ここあは肩を震わせて笑いつづけていた。
「おい、名ヶ森、死にてーのか?」
河岸沢がついにキレて暴言を飛ばしはじめる。
一触即発という空気に、一瞬あたりがピリッとなる。
だが、ここあは動じるそぶりすら見せない。
「いやいや。冗談っすよー。お二人とも同じようなファッションに見えたもんでね……ひゃははっ。ペアルックってやつっすか?」
「ああ……なるほど」
梁子は己の黒一色の服装をみて、少し納得した。
パンクではないが、色調としては河岸沢と同系に見えたのかもしれない。
けれど、まさかこれで付き合っていると思われたとは……かなり心外であった。
「ふざけんな。これのどこがペア……なんだよ。俺のロックなスタイルとひとくくりにすんじゃねー。いいか、それ以上言うとマジで後悔するぞ」
「ひゃははっ、すんませーん。今朝もなぜかそう見えちまったんすよね。いつもなるべく離れてるのに……今日は不思議と近くにいて。妙だなーって思ったんす。あれっ、河岸沢さん、もしかして梁子ちゃんとちょっとは仲良くなれたんすか? どー思います、ねえ、店長」
「あー、俺は嬉しいぞ。理由はわからんが、なにか二人の間のわだかまりが解消したみたいだからな。良かった良かった」
「いや、大輔さん……それはですね……」
「わーっ!」
河岸沢が仲違いの理由を話しはじめようとしたので、梁子は思わず両手をふって河岸沢の前に出た。
まさかこの場で本当のことを言うつもりか? と睨む。
河岸沢は安心しろと言うかのように、こちらを見下ろしていた。
「こいつがいつも黒い服ばっか着てくるからちょっとイラついてただけなんですよ。こうやって、冷やかす奴も出てくるかもしれないし……って、案の定、その通りになっちまいましたけどね。俺がちょっとばかし大人げなかったっつーことで、もう上屋敷とは和解しました。けど、ね……名ヶ森、てめえはいっぺん死んどけ!」
「いやーん! こわい! 店長~アタシ死ねとか言われてんすけど!」
「河岸沢、落ち着け。名ヶ森には俺からよく言っておくから……。まあ仲良くなったのはいいが、上屋敷に手を出すのだけは勘弁な? 河岸沢」
「はあっ? だ、大輔さんまで! クソッ……冗談じゃない。誰がこんな奴と……」
「ははは。まあ、これからも先輩としてよろしく頼むよ、河岸沢」
「はい……。名ヶ森、覚えとけよ」
「ひゃははっ。はーい!」
「上屋敷も、こんな先輩たちだが大目にみてやってくれよな」
「はい、店長……」
そう言うと、大輔はまたピザ生地を成型しはじめた。
そうこうしていると、配達から宮間が帰ってくる。
裏口の方から入ってきた宮間は、河岸沢と梁子の間を申し訳なさそうに通った。
「あ、ちょっとそこすいません、河岸沢さん……。店長、ただいま戻りました」
「おーおかえり、宮間。少し遠かったが大丈夫だったか?」
「はい。あらかじめ少し遅くなるかもって先方には伝えてありましたし、何もクレームはありませんでしたよ。届け先の会社の人達も喜んでくれてましたし。なにか送別会だったようです」
「そうだったか。なら良かった」
ダイスピザは個人店のため、配達するエリアは限られている。
一応、大井住市内と決めてあるが、何枚も注文を受けたときなどはエリア外にも配達できるようになっていた。
今回は、市外の会社からの注文だった。区域外だったが、オードブルなどのサイドメニューも大量に頼まれたので承ったのだ。
河岸沢と梁子はそろそろ退勤時間が迫っていたので、代わりに宮間が行っていた。
その宮間はエプロンをつけて、手を洗っている。
梁子と同じくらいかちょっと上の年齢だったが、大学には通っておらず完全なフリーターだ。
勤続年数はここあに次ぐくらいの長さだった。
冷静沈着で、仕事をこなすペースも速い。梁子がひそかに尊敬している人物でもあった。ここあや河岸沢もベテランだが、勤務態度といった面では彼が一番「まとも」である。
宮間は黒い短髪に黒ぶちめがねの、背の高い青年だった。
バイクが趣味で、このバイトもスクーターではあるが公道をたくさん走れるから選んだと言っていた。
宮間は手を洗い終えると、仕込み作業に入りはじめた。
「じゃあ、あとよろしく頼むな。宮間。あと名ヶ森も……な」
「はーい。お疲れっす」
「ああ、河岸沢さん。まだ残られてたんですね……」
「あ? なんだよ宮間。いちいちつっかかんなぁ。色々、やることがあったんだよ……」
「そうでしたか? 別に、さっさと帰れば良かったのに。せっかく僕が配達に行ったんですから。他の方もいますし、気にせず早く帰ってくださいよ。一応、一分でも時給は発生するんですからね」
「ぐっ……」
あまりにも正論なので、河岸沢は出かかった言葉を飲み込んでしまったようだ。
対して宮間はふふん、と得意気に鼻で笑ったような気がする。
奇しくもそれは、河岸沢が先ほど梁子に対して言った言葉と同じだった。
努めて冷静にしているが、河岸沢が怒っているのはまわりにバレバレだった。両の拳がプルプルと震えている。
梁子はふたりの間に火花が散っているのを見たような気がした。
「すでに退勤カードは切ってるんだがな……ははっ、まあ気を使ってくれてありがとよ、宮間。じゃあな。店長も。お先に失礼します!」
「ああ……お疲れ、河岸沢」
バタンと大きくドアを開けて出ていく河岸沢をみて、大輔がため息をつく。
スタッフ同士のこのようなやり取りに、彼はいつも頭を痛めていそうだった。
この店はひと癖もふた癖もあるスタッフばかりだ。
それをまとめあげる店長の心中はいかばかりかと、梁子はひどく同情する。
「では、わたしもお先に失礼します」
梁子もあいさつしてから、店を出る。
外では、先に行っていた河岸沢が梁子を待っていた。
「で? どーする。ここら辺じゃ誰かに見られるだろ。どこか違う場所行くか?」
「そうですね……」
「んじゃ、てきとーに移動するぞ」
「はい。お任せします」
梁子は河岸沢のあとに続いて、夜の街を歩きはじめた。
【登場人物】
●宮間一太――ダイスピザの店員。沈着冷静で仕事のデキル男。