1-1 魔女の墜落した家
「配達行ってきまーす」
「おう、気を付けてな!」
とあるピザ屋の店内。
女は、奥にいる店長に声をかけてから、2箱のピザと釣り銭袋を抱えて裏口に走っていった。
途中、廊下の壁にかけてあるジャンパーとスクーターのキーをひったくり、慌ただしく通用口を開ける。
外には1台、宅配用の三輪スクーターが停まっていた。
駐車スペースは2台分あるが、もう一台は別の配達で出払ってしまっている。
「まったく河岸沢さんったら、いつまで前の配達に時間がかかってるんですか……遅い! 遅すぎる! 絶対どこかで道草食ってますよね、これ……」
勤務態度に難のあるスタッフは一旦頭のすみに置いておいて、女は注文票と個数とを見比べた。
外はもう真っ暗だったので、裏口の明かりの下で文字を追う。
女は、17~9歳ぐらいだった。
胸は人並み以上だが、顔の作りは正直ぱっとしない。美人でもなければ、ブスでもない。どこにでもいる素朴な顔立ちの女だ。
「うん、たしかに二つ」
女は確認を終えると商品を荷台に積み込んだ。
荷台には、黒字に白いサイコロと「ダイスピザ」という赤い文字が書かれていた。
同様のロゴが書かれたジャンパーとヘルメットを装着し、準備万端。
エンジンのキーを回し、ライトをつけ、座席にまたがると勢い良く……と言いたいところだが、ここは駅前の商店街なので慎重に。左右確認をし、ゆっくりと車道に出る。
20YY年3月――。
商店街の看板や広告は限りなく小さいものが掲げられ、デザインは極力シンプルなものとなっていた。街の外観を統一する法律が決まったためである。
それ以外は21世紀初頭の街並みとあまり変わらない。
東京23区の北西部に位置している町としては少々商業ビルが多いくらいだった。
スピードをあげていくと、冷たい風が強く吹き付けてくる。
女は長い黒髪を、編みこみながら後ろでひとつに束ねていたが、それでもヘルメットからはみ出た髪が風であおられていた。
女はさらにスピードを上げる。
制限速度は40キロ。
それでもプラス5キロは出ているだろうか。ある程度スピードをあげないと走行が安定しない。安全運転を心がけながら、頭に入った地図を頼りに目的の住所を目指す。
『梁子……あの家が食べたい』
突如、しゃがれた声が耳に届いた。それは賑やかな大通りを走っているときだった。
「ダメです、あそこは前に断られた家ですよ」
『そうだったか?』
「ええ」
『おいしそうな家だがな……』
それは端からみれば、独り言をつぶやいているようにみえた。
あるいは気が触れた者が、ありえない空想の相手と会話しているようにも。
だが、梁子と呼ばれた女は、ひどく自然に「それ」と会話していた。
「まだ諦められないんですか」
『ああ。もっとおいしそうな家があればな、諦める。だがそれまではあれが一番おいしそうな家だ』
「交渉するカードを手に入れられなければ、ちょっと難しいですよ……」
『ならばよりおいしそうな家を見つけるのがお前の役目だ』
「そうですね。じゃあ、頑張って見つけます」
姿の見えないものと会話を終えた梁子は、そのひときわ大きな家が見える一角を通り過ぎ、繁華街を抜けた。やがて、目的地近くの住宅街へと進入する。
「このへんのはずなんですけどね」
とある角を曲がったところで、思わぬものが目の前を横切って行った。
「ん?」
一瞬なにかの見間違いかと思ったが違った。何度も目をしばたたく。
スクーターを停めて上空を見上げると、
『き、きゃあああああっ!』
暗い空に少女が浮いていた。甲高い悲鳴を上げて右へ左へと飛び回っている。
高く昇ったと思ったら、また急降下し、くるくると旋回している。
「えっと……あれは、魔女?」
少女はほうきにまたがっていた。
それはまさしく絵本か映画の世界から抜け出てきたような『魔女』。
黒いワンピースをはためかせ、少女は重力を無視して飛び回っていた。
梁子は思わず眉間に手をやった。
「わたし、疲れているんでしょうか……」
しばらく見ていると、少女はバランスを崩しナナメに落下していく。その先は、一軒の古びた洋館だ。
あ、危ないと思って見ていると、見事にその屋根に激突した。
大きな破壊音がして、何軒か先の飼い犬がけたたましく吠える。
それだけの音がしたというのに、野次馬がどうしたどうしたと集まってくることはなかった。
閑静な住宅街、通行人が全くいないわけでもないのに、不思議と誰もその出来事に関心を向ける者がいない。時刻は夜の10時を過ぎている。
おかしいことだらけだ――。
相変わらずその墜落した家の屋根には大きな穴が開いている。
あれでは少女も無事ではすむまい。
救急車を呼ぶべきかと梁子が迷っていると、しゃがれ声がささやいてきた。
『梁子、あれは少し妙だ。放っておけ』
「え? まあ、そりゃ見ればわかりますけど。でも……」
『それよりピザはいいのか』
「あ……」
『とりあえず、それを先に済ませろ。そしてまた戻ってきてもまだあのままだったら……』
「そうですね。あの家の人がどうにかするかもですし。またあとで考えますか」
梁子は後ろ髪をひかれながらも、スクーターを再び発進させた。
***
配達を終え、先ほどの家の前まで戻る。
どうせそのままか、事件として大きな騒ぎになっているだろうと思ってやってきてみれば、そこには明らかな異変が起きていた。
「えっ?! な、なんで……」
『ほらな、言っただろう? 少し妙だと』
「どうして……どうして消えているんですか!」
そう。屋根の穴は「あとかたもなく」消え失せていた。
まるで最初から何事もなかったかのように綺麗な屋根のままである。家自体も静まり返っており、家主が急いで直したというような形跡もみられなかった。
「サラ様、あの家……おいしそうですか?」
『どうだかな。まあ、食えるか否かはお前の働き次第だが……。梁子、しばらくあの家見張ってみろ』
「え? はい……」
しゃがれ声の主、サラ様に促され、梁子は真顔でじっと家を見つめた。
どの窓にも明かりがない。
けれども確実にこの家には何かがある、と思わせられた。
10分ほど見ていたが、あまり変化はない。仕事中ということもあり、梁子はいったん帰ることにした。
「サラ様、明日また来てみることにします」
『そうだな』
「もう少し、明るいときに見たらまた違う発見があるかもですし……」
『ひとまず帰るぞ、梁子』
「はい」
エンジンをかけ、その場を後にする。
内心、奇妙な家の発見に心を躍らせる梁子たちだった。