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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
2軒目 白木蓮の咲く家
27/110

2-7 サヨさんとの思い出

「長え話になるがいいかい」

「ええ……大丈夫です。なんでもお話しになってください。ちゃんと聞いていますから」

「そうかよ。じゃあ、話すぜ」


 梁子に一応断りを入れてから、正吉はぽつぽつと話しはじめた。


「あれはもう、かれこれ50年ほどは昔の話だな。あの家の……サヨさんに会ったときのことから話そうか。あの頃は……この辺りも畑と森がたくさんあってなぁ、俺らタヌキもけっこういたもんなんだ。俺はすでに十以上は年の食ったタヌキでな。変化もそこそこうまくなっていた頃だった……」


 そう言って、正吉はひどく懐かしそうに目を細める。


「ある時、俺はあの家の庭にお邪魔した。当時もあそこには色んな庭木が植わっていたが……農家でもないのに野菜畑も少しだけあってな、仲間内では、あそこには何かしらのエサがあるってのは有名だったんだよ。たいしたエサもない季節に、俺はあの庭で地面に落ちた白木蓮の花弁なんかを食っていた。そしたら、その時ちょうど出くわしたのがサヨさんだったのよ……」

「……」

「夕暮れ時だったか。サヨさんは雨戸を閉めに縁側まで来ていた。一瞬目が合って、俺は逃げようか迷った。だがサヨさんは俺を見ても追い払ったりはせず、むしろ物珍しそうにずっとニコニコ笑っていた。その笑顔がちょっと印象的でな。それからだ、なんだか気になっちまって、ちょくちょくあの家に寄るようになったのは」

「けっこう、長いお付き合いだったんですね。そんな昔から……驚きました。正吉さん、いったいおいくつなんですか?」

「さあね。数えるのももうやめたよ。だってもう、普通のタヌキじゃねえからな」

「そうですか……では、サヨさんと同じくらいということですか?」

「ああ。まあ、多分そうだな……サヨさんは俺と会ったその頃、ちょうどあの家に嫁いできてた。十代後半くらいだったか。だからちょうど一緒くらいかもしれねえ。俺よりちょっと年上だな。だからサヨさんって呼んでたんだ……。サヨさんがあの家に嫁いで来なきゃ、俺は一生あの人に会わなかったろうよ」

「それから、どうなったんですか」

「それからは……毎日のように夕暮れ時に行ったよ。雨戸を閉めに来るたび、俺と顔を会わせていた。サヨさんはたまに残り物をくれたり、餌付けみたいなこともしてくれたな。姑にいびられたのか、泣きながら雨戸を閉めに来たこともあったっけ……」


 遠く昔を思い出すように、正吉は夜空を見上げる。


「たまに妙にニコニコしてる時もあった。どうしたってんで珍しがって近くまで行ってみりゃあ、旦那ののろけ話を聞かされたりよ。息子のケンイチが産まれたときも、よく俺に見せびらかしに家の外に出てきたっけ。そうしてずっと、長い間あの人を見守ってきたんだ……」

『ふむ。見守ってきたということは、お主もあの家の守り神みたいなものだったのだな』


 サラ様が感心したように言うと、正吉は首をふった。


「……そんなたいそうなもんじゃねえよ。俺は変化しかできねえ、ただの化けタヌキだ。あの庭に通いたい一心で妖みたいに長生きしちまってよ。それこそ俺には見守ることしかできなかった……。ああでも一度だけ、サヨさんの息子を助けたことがあったな。庭木に登って落ちちまった時だ……。ヤツが十くらいの時か。そう高くないところからだったが、足を滑らせちまってな、俺がとっさにうまく受け止めてやったんだ。その時にできた傷がこれだ」


 そう言って、正吉は大きな傷ができた片目を梁子らに見せた。


「サヨさんはひどく狼狽してな。ケンイチの無事を確認すると、それ以上に俺を心配してきたよ。大丈夫か、なぜそんな無理をしたんだ、ってな。俺が好きでやったことなのに……。俺は体が自然に動いちまってたんだ。あの時は昼間で、夜行性の俺は木の下でまどろんでた。だからなんでとっさに動けたのかはわからねえ。サヨさんの息子が怪我したらサヨさん、悲しむと思ってよ、そしたら体が勝手に……。こちとら変化じゃあ相手に干渉できねえんだ、だから身一つで受け止めなきゃって……ガラにもないことしちまった。そしたらこの様だ」


 正吉は目に手を当てて自嘲する。


「いえ……とても立派なことだったと思います。サヨさんも喜んだでしょう」

「別に誰かに感謝されたくてやったわけじゃねえけどな……けど、ケンイチの野郎は何とも思っちゃいなかった。もう物心ついてたっていうのにな。さすがにそれにはちと腹が立ったぜ……。でもまあ、やがてサヨさんの舅と姑が寝たきりになると、そのケンイチも出ていっちまった。全部サヨさんに押し付けてな。旦那も介護とやらを頑張ってたようだが、舅と姑が亡くなると後を追うようにして逝っちまった。一人残されても……ケンイチはサヨさんのもとには戻ってこなかった。年に一度くらいは帰ってきたみたいだがな……」

「それは、なんででしょう? 独り立ちしたってこととはちょっと違うんでしょうか」

「まあ、それもあるかも知れねえが……アイツはもともとジイさんバアさんと仲が良くなかったみたいなんだ。それで、全部母親に押し付けた罪悪感で帰りづらくなったんだろう、ってさ。サヨさんはそう言ってたよ。俺はわからなかったね……生きてるうちはまだしも、もうそいつらは死んじまったんだ。あの家にはもう母親ひとりしかいないってのに……それでも寄り付かねえなんて」

「……」

「サヨさんは大層寂しがってなあ、寂しくて寂しくて……それでいつしかおかしくなっちまった。一人でも大丈夫。もう一人きりで生きていくんだって、変な方向にこじらせちまった。近所付き合いも自分から減らしていってよ、前からあんまり出かけるような人じゃなかったが、より引きこもるようになっちまった。買い物は宅配ってやつにして、病院もそれほどいかなくなって……もう俺は心配で心配で……ついにサヨさんの前に化けて出るようになったんだ」

「それで……」

「ああ。それからあの家に人の姿で行くようになった。はじめは驚かれたが、俺がいつものタヌキだと変化して見せてやったら、すぐにわかってくれたよ。そしてとても喜んでくれた。たいていは話相手になってたな。たまに、嫌な訪問販売とか、こそ泥とかを追い払ったりもしてやった。庭木の手入れもできるだけ一緒に手伝った。そうして、しあわせに暮らしていたんだ……あの日までは」

「あの日までは?」

「つい、数日前のことだ……。突然家でサヨさんが倒れたんだ。苦しそうに胸を押さえてな……。俺は人を呼ぼうとした。でも、それはサヨさんが止めた。俺に迷惑がかかるって……。なんの迷惑だよな。サヨさんの命には変えられないのに……俺は電話ってやつは使えない。遠くの者に幻術は効かないからな。だから救急車ってのも呼べなかった……。最期に、サヨさんは俺にあることを二つ、頼んだ。一つは家のある場所に置いてある手紙を息子に渡してほしいってこと。そしてもう一つは……最期に俺に、旦那の姿に化けてほしいって頼みだったよ……」

「旦那さんに……?」


 梁子は聞き返したが、正吉の顔を見て固まった。

 今にも涙がこぼれそうなくらい、辛そうな表情を浮かべていたのだ。


「馬鹿みてえだが……俺はサヨさんっていう人間に惚れちまってた。でも、結局サヨさんは……旦那が一番だったんだ。当たり前だよな。どんなに色々してやっても、俺は所詮タヌキで、人間じゃない。できることは限られてる。だから……。だったら……だったら俺は俺のできることを最後までしてやろうって思った。そして記憶の中にあるサヨさんの旦那に、俺は化けてやったんだ……」

『なんてやつだ、お前は』


 再び、サラ様が感嘆の声をもらす。


『たった一人の人間に、そこまで……。お前はそれで良かったのか? 種族は違えど、想いを伝えることだけでもしておけばよかったのではないか?』

「いや、それはいいんだ。サヨさんが、最後まで一番愛しい人の腕の中にいたいと思ったんなら、それを叶えてやれればそれで良かったんだ……。旦那の名を呼んで、サヨさんはずっと助けを求めていた。そうして少しでも安心したかったんだろうな。その姿を近くで見ているのは辛かったよ。半日くらいかな。俺が人間ならって。人間ならもっと色々やれたのにって。その間、ずっと悔しい思いしかしてなかった。だが……いまわの際にサヨさんはポツリと俺に礼を言ってくれたんだよ。正吉、最後まで一緒にいてくれてありがとうって。そして……ずっと見守っていてくれてありがとう、と……。そうしてサヨさんは亡くなった。そしてそのまま、俺はサヨさんを動かすこともできず……何日か後に宅配業者が来て、発見されたんだ。ちょうどその間だな、お前らと会ったのは。伝えようか迷っている間にお前らは行っちまったが……」

「そんな……そんなことになってたんですか……知りませんでした。本当に……ありがとうございました。こんな大事なお話をしていただいて……」

「いいってことよ。それに、なんだかんだ、あんたたちに言って良かった気がする……これで馬鹿な化けタヌキが一匹いたってことを誰かに知ってもらえたわけだろ? ひとりで抱え込むにゃあ、辛すぎてよ……。ああ、そうだ! なあ、なんでも願いを叶えてくれるって言ったよな? だったら、この記憶をきれいさっぱり消してくれねえか」

「さ、サラ様……どうしましょう?」


 意外な申し出に梁子が判断を仰ぐと、サラ様は二つ返事でうなづいた。


『良いぞ。いつでも消してやるわい』

「ほんとか! じゃあ……」

「ま、待ってください! その前に、いくつかまだ訊きたいことがあります!」

「なんだよ……」

「正吉さんは、あの家の中に入ったことありますか?」

「あ、ああ……人の姿になって出入りするようになってからは、しょっちゅうな」

「だったら、できるだけ、思い出せる限り、あの家の間取りを思い出して下さい!」

「だから……マドリってのはなんなんだ?」

「間取りというのは……部屋の配置図のことです。玄関から入ってどこにどんな部屋があるか……そういうことを教えてほしいんです」

「ああ、そういうことか。いいぜ」


 そう言うと、正吉は簡単に口頭で説明した。


「わかりづらいなら、幻覚でも見せてやるが」

「ああ、そうしてくださると助かります」

「俺は図が描けないからな。よっと……!」


 正吉の幻覚で、おおまかな間取りはわかったが、それでも家一軒を詳細に模倣することは困難だったらしい。

 ところどころ壁が歪んでいたり、調度品がおかしくなっていた。

 テレビらしきものは大きな黒い岩になっていたり、カレンダーが虫の標本みたいになったりしている。


「正吉さん、もういいです……。やはり、直接行かないと駄目みたいですね……。あ、そうそう。あと、記憶を消す前にもうひとつ、聞いておきたいことがあるんですけど」

「なんだ」


 正吉は変化を解くと、さすがに疲れたのかはあはあと肩で息をした。


「サヨさんのもうひとつのお願いです。息子さんへの手紙って、もう渡したんですか?」

「え、いや……まだだ」

「いいんですか? サヨさんと約束したのに……」

「アイツはもともといけ好かなくてな……それだけじゃないが、まあ、どうやって渡すかの方法もわからなくてな……。家のどこに手紙がしまってあるかは聞いたんだが、実際に俺はそれを取り出せないし……まさかケンイチに会って、そういうものがあると伝えることもできねえだろ? 実際、俺は誰だって話にもなる。そうなったら色々とやっかいなんだ。わかるだろ?」

「ええ、まあ……。じゃあ、こういうのはどうですか? わたしたちがどうにかしてそのお手紙を探し出して、正吉さんの代わりに息子さんにお渡しする。で、その結果を見届けてから……正吉さんの記憶を消す、というのはどうでしょう。結果がわからないまま終わるのはなんだかスッキリしませんよ、ね?」

「ああ……たしかに。じゃあお前らに頼むとするか」

「はい! わかりました。契約成立ですね。お役目必ず遂行いたします! 安心してください、正吉さん!」

「ああ……頼んだぜ」

『梁子。これであの家に入る口実ができたわけだな?』

「ええ、その通りです! やりましたよ、サラ様!」


 梁子は心から嬉しそうにそう答える。

 正吉はなかば呆れながら、それでも梁子たちに少しだけ期待した。

 サヨさんの最後の頼みをこいつらならやり遂げてくれるかもしれないと。

 手紙のありかを話しながら、正吉は心のどこかが少し軽くなっているのを感じていた。 


「では、またいずれ。あの家の近くで夜に、お会いしましょう」

「ああ。じゃあな、あとは頼んだ」

「はい、任せてください!」


 梁子たちは結界を解くと、そこでタヌキと別れた。


『梁子、良かったな。ではそろそろ帰ろう……時間は大丈夫か?』

「えっ? ええと……」


 携帯を取り出して、梁子は悲鳴をあげる。

 予想以上に時間がかかったため、すでに最終バスの時間が過ぎていたのだ。

 梁子は驚愕の事実にガックリとうなだれる。


「ああ、そんな……」

『梁子、人生いいことと悪いことはだいたい同じ量あるのだという。だから、きっとまたいいことがあるぞ……。元気を出せ』

「それ、あんまりフォローになってないです、サラ様……」


 とぼとぼと歩き始める。

 梁子はそれから一時間ぐらいかけて自宅へと戻ったのだった。

【登場人物】

●サヨさん――白木蓮の家に住んでいた老女。

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