2-6 化けタヌキの変化
「マドリ……? 何を言ってるのかサッパリわからねえが、お前らに教えることは何もない」
化けタヌキの男はそう言うと、わずかに視線を落とした。
「いいから早く、ここから出してくれ」
言いながらいっこうに視線を合わそうとしないので、梁子は不可解に思う。
何か重要なことを隠しているようにみえる。
「そういうわけにもいかないんですよ、タヌキさん。質問に答えていただけたらすぐにお返ししますから」
「俺を化けタヌキだと見破るなんて……お前らただ者じゃないだろう。俺をとって食うつもりか? まったく、普通に話しかけてきやがって。妙なヤツらだ。そんなヤツに教えると思うか」
「はあ~。別に……食べたりなんかしませんよ。不審に思われるのは仕方ないですけど……。ねえタヌキさん、お願いしますよ、あの家について知っていることがあれば……」
「フン」
そっぽを向いたまま強く鼻を鳴らす。
相変わらず非協力的なタヌキに、梁子はうんざりした。
ここで少しでも情報が得られないと困る。
家主が死亡し、あの家への足がかりはいまや途絶えてしまったのだ。
どうにかしてあの家の「間取り」までたどり着きたい。
今はこの化けタヌキが頼みの綱だ。
梁子は遠慮がちに訊いてみた。
「では、タヌキさん……アナタあの家で何をなさっていたんですか? その人の姿になった状態で……まさかエサを食べていたってだけじゃないでしょう?」
「ハッ、何だっていいだろう。何度も言うが、お前らには関係ないことだ」
「関係ない……」
梁子は繰り返してつぶやくと、周囲を歩きはじめた。
森のようになっている公園内には、アスレチックのような遊具が木々の間にいくつも置いてある。
どのみちサラ様の結界で、化けタヌキは逃げられないのだ。梁子は相手を見据えながらその遊具の間を行き来した。
自らしゃべってもらいやすいように、質問は最小限に。できるだけ、聞き役に徹することにする。
「関係ない……そうですね。だからこそ、そんなわたしたちに話してもいいんじゃないでしょうか。アナタにお仲間がいらっしゃるかはわかりませんが……そういった方たちよりも案外話しやすいかもしれませんよ? わたしたちみたいな関係ない者の方が……。ねえタヌキさん、アナタ今何か悩んでるでしょう?」
「はっ? 悩み? そ、そんなことあるわけ……」
「そうですか? 良かったら相談に乗りますよ。もしかしたら、アナタの今抱えていることをわたしたちがどうにかしてあげられるかもしれません」
『タヌキよ、わしはこれでも神のはしくれだ。願いがあるなら、言ってみろ。叶えらえるものなら叶えてやるぞ?』
「神……? 願い……」
サラ様の言葉に、タヌキ男の目がわずかに輝いた。
だがすぐにブンブンと首を振る。
「いや、たとえ神様だろうと……俺の苦悩は癒せない……俺は、俺は……」
頭を抱えてしまった男に、梁子はハアとため息をついて言った。
「ねえタヌキさん、ご存じですか? あの家のご老人が亡くなったこと……」
「……!」
それは核心をつく言葉だった。
この「老婦人」の話を出せば、何らかの反応が出ると思ったのだ。
タヌキ男があまりにも話したがらないので、梁子はついしびれを切らして言ってしまった。
一瞬早まったかと後悔したが……思いのほか効果があったらしい。
化けタヌキはいつの間にか両の拳をフルフルと握りしめていた。
「ああ、知ってる。だったら……なんだ?」
「じゃあ、どうして亡くなられたかはご存じですか?」
「それは……」
「孤独死だったそうですよ。おかわいそうに……」
「……」
「いつ亡くなられたかまでは分からないんですけど……ねえタヌキさん、アナタはそれを知っているんじゃないですか? あの家に行っていたアナタなら……」
「……」
「わたしは、アナタがなんであの家に人の姿でいたのか、そしてなんであの庭が綺麗だったのか、どうしてご老人が亡くなったのか……それを知りたいんですよ。タヌキさん」
「お前に……何がわかる」
「えっ?」
「お前にサヨさんの何がわかる! そして……俺の……何がわかるんだ!」
急に激昂しはじめたタヌキ男に、梁子はポリポリと頭をかいた。
「いや、それがわからないから訊いてるんですが……」
冷静なツッコミにも動じず、タヌキ男はなおも怒りをあらわにする。
「それにな、俺の名前は『タヌキ』じゃねえ! 正吉だ! 正吉っていうサヨさんにつけてもらったありがてえ名前があんだよ! それに訂正しろ!」
「いや、だから……それも教えてもらわないと……」
梁子が指摘しても、いっこうに男の様子は変わらない。
サラ様に怖じ気づいていたのはどこへやら、タヌキ男・正吉は肩をいからせて、ズンズンとこちらへ近づいてきた。
サラ様がいるので危険はないだろうと悠長に構えていたのが、実際どう出てくるのかは予測不能だ。
何かしらの攻撃を加えてくるかもしれない。
梁子はやれやれと思いながら、一応身構えた。
『なにか地雷を踏んだようだな』
「え、ええ……でも……これは言わないとわかんないですよ……」
『まあな』
サラ様も呆れてか、冷静にことのなりゆきを見守っている。
やがて正吉は梁子たちの前まで来ると、変化してみるみる体を大きくさせた。
まるで巨人である。
木々を遥かにしのぐ高さで、ゆうに10メートルは越えているだろうか。
正吉は梁子を踏み潰そうと大きく足をあげはじめた。
「潰れろ!」
野太い声と共に、ズシンと地鳴りが響く。
瞬間、サラ様の力が働き、梁子はいつの間にかそれを華麗に避けていた。なぜかさっきとは別の場所に移動している。
ズシン。ズシンと連続して鳴り響く足音。
そのたびに梁子は移動しつづけた。
「に、逃げるな!」
正吉は必死で後を追うが、サラ様の術が発動した後とあっては、梁子には小さなタヌキが何もないところ目がけて飛びかかっているようにしか見えない。
『梁子、ヤツはあくまで幻覚を見せているだけなのだ。長年生きたタヌキは、生きる術として幻術を操れるようになる……。視覚、嗅覚、痛覚などを混乱させることによって、自分より大きな敵……とくに人間などを撃退するのだ。だが、そのような幻術は神となったわしにはきかん。逆に幻術返しをしてやるわい』
こっそりと耳元でサラ様がささやく。
その声はこころなしかワクワクしているようにも聞こえた。
梁子はタヌキ男が哀れに思えてきてならない。
「逃げてないですよ……。アナタが外しているんです。正吉さん」
「何っ?」
今度は遊具の上に移動する。もちろんそれもサラ様の幻術だ。
「もう、やめにしませんか?」
「しゃらくせえ!」
梁子の幻影めがけ、タヌキ男の大きな平手が飛んでいく。だが、無論それも当たらない。
叩いたと思ったら消えて、もう別のところにいる。
正吉はおおいに翻弄された。
「くそっ、なんでだ! なんで当たらねえ!」
『所詮、化けくらべ……。その程度の力ではわしらには勝てぬぞ、タヌキ』
「くそっ! くそっ! ったく、このやろう!」
空振りをし続けて、正吉の動きはだいぶ鈍くなってきた。
だが、まだ怒りは収まらないらしく奮闘しつづけている。
梁子はいたたまれなくなってきて、正吉に謝った。
「ごめんなさい、正吉さん。アナタの気持ちも知らないで。アナタの名前も訊いてませんでしたね。謝りますから……どうかそんな怒らないで下さい」
「はあ……はあ……」
正吉もいい加減疲れてきたのか、幻術を解いてもとの人間のサイズに戻った。
近くのベンチに腰を下ろし、息を整えながらジロリと梁子をねめつける。
「神様がついてちゃあ、無理だな。ハァ、てんで勝負になりゃしねえ……。いいんだ、わかってる。アンタらが悪いわけじゃねえってことは……。これは、たんなる俺の八つ当たりだ」
「正吉さん……」
「いいぜ、話してやるよ。俺の後悔してる話をな……俺がいまだに忘れたくても忘れられねえ話を……聞かせてやろうじゃねえか」
そう言って、正吉はゆっくり顔を上げた。
【登場人物】
●正吉――白木蓮の咲く家にいた男。正体は片目に傷のある化けタヌキ。




