2-5 追跡
仕事が終わり、梁子は市内バスに乗った。
向かうは白木蓮の咲く家である。
途中、学園前の大通りを通過する。
道の両側には満開の桜並木が美しくライトアップされていた。
まるで桜のトンネルだ。
見るものに郷愁を与え、地元の人々には深く愛される、その花弁が散る様は、梁子の胸の奥も切なくさせる。
目的地の近くまで来ると、梁子はバスを降り歩いて向かった。
「はあ……仕事が終わったのが十時過ぎでしたからね、こんな時間になるのはわかってましたけど……帰りのバス、間に合いますかね?」
『ふむ、調査する時間によっては終バスを逃すかもしれんな』
「ああっ、そんな……こんなときこそ自転車があれば……」
大井住市では原則「自転車の運転、および所持」が禁じられている。
真壁巡査など公的な機関の人や、他の街の住人が乗るのは特別に許可されているが、大井住市民は基本、乗車すらしてはいけないことになっている。
その一番の理由は市内の交通環境を良くするためだ。
自転車が道路を通行すると、歩行者との接触や車の渋滞を引き起こす。
そのため、住民は原則市内のバスを利用することになっているのだ。
また、大井住市には市営の宅配サービスがある。
市内のほぼすべての店がこのシステムに加入しているので、市民はいくら買い物をしても、たいていは手ぶらで帰ってくることができた。
利用料も無料のため、いまでは多くの人がそれを利用している。
住みたい街ナンバー1。大井住市は、こうして移住者の増加と共に、高層マンションが多く建設されるような街となっていた。
「まあいいです。終バス前にとっとと終わらせましょう」
愚痴を言っててもはじまらない。
梁子たちはさっそく、くだんの家の周りを観察することにした。
幸い家の前は人通りがほとんどなく、梁子がポツンと立っていても訝しむような者は誰もいない。
「ええっと、庭のある方が西で、建物は北東……門は東よりの南、と」
家は東西にのびる道路の北側に位置していた。
立派な門構えの他は、ぐるりをベニカナメモチの生け垣が囲っており、中は簡単には見えない造りとなっている。
門から家までは少し距離があるようで、道路よりも一段高い敷地にある家は、屋根がここから少し見えるくらいであった。
この間のときの記憶が正しければ、家は木造の平屋だったはずだ。
日本家屋と、日本庭園のある家。
今時珍しい古風な家だった。
「門の街灯はついてますけど……中に住人がいるかどうかはわからないですね」
『住人? そいつはもう死んだだろう。いるとしたら、その一人息子とかいうやつか……』
「ええ。その方がまだ、後片付けとかで来てたりするんじゃないかと思ったんです。でも……」
『たとえいたとしてもこんな時間に訪ねたら不審に思われるのがオチだろうな』
「ですよね……はあ、どうしようかな」
梁子は暗い中スケッチも出来なかったので、スマホでパシャパシャ写真を撮った。
外観と、敷地内を撮影する。
また生け垣に頭を突っ込んで撮ろうとしているので、しゃがれ声が注意した。
『おい。多少は人目を気にしろ、梁子』
「はい。ですから、サラ様が見張りをしていてくださいね」
『はあ……』
しゃがれ声は仕方ないといった雰囲気で見張りを受け持つ。
「庭に、池があります。……すごいですね。石灯籠も、家に続く敷石もちゃんとあります。手入れもよく行き届いていて……これ全部、家主のご婦人がされてたんですかね?」
『いや、無理だろう。この広さでは掃除するのも一苦労だろうし、それに高木だってある。専門の業者が入らねばあれを剪定するのは難しいだろうよ』
「ふーん、そうですか……。よくみるといろんな花が植わっているみたいだし、故人が園芸好きだったのかなって思ったんですが。まあご高齢だと全部は一人でできないですよね……ん? あれ?」
その時、シャッターのフラッシュに反射して、二つの目が輝いた気がした。
それは大きな白木蓮の木の下にいた。
一見して猫かと思ったが、その生き物が門をめがけて走る様をみて、梁子は瞬時に悟る。
「あっ、サラ様、タヌキさんです! あれが、この間の化けタヌキさんじゃないですかね!」
『何っ?』
タヌキは門をくぐり抜けると、一目散に道路を走っていった。
「追いかけましょう! サラ様。見失わないように、お願いいたします!」
『まったく、守り神使いの荒いやつだわい……承知した』
言うが早いか、サラ様は先行してタヌキを追う。
タヌキはしばらく真っすぐ走っていたが、やがて木のたくさん植わっている公園に駆け込んだ。
梁子が公園に着くと、もうサラ様の結界が張られている。
青白く光る透明な壁ーー。梁子はそれをくぐると、公園の中に入った。
『梁子よ。これでよかろう?』
「ええ、ありがとうございます」
結界の壁は、普通の人には見えない。
周囲をまるごと包んでいる間は、誰も何もそこへ近寄ろうとも思わない。
そういう造りになっていた。
その結界の中から、どうにかして抜け出ようとタヌキが何度も壁に体当たりをしている。
しゃがれ声がぼそりとつぶやいた。
『無駄だ。この公園からは何物も外へ出れぬし、何物も入ることはできんよ』
「タヌキさん、ちょっとアナタとお話したいんですけど。逃げずに聞いていただけませんか?」
怯えさせないように、梁子は優しく語りかけながら近づいていく。
タヌキは体当たりを止めるとゆっくりと振り返った。
その片目には大きな傷がある。
「やっぱり……以前お会いしましたよね。ほら、ピザ屋のバイクに乗って、さっきのお宅を覗き見してた女ですよ。わたしのこと、覚えていませんか? あなたは……ただのタヌキじゃない。化けタヌキさん……なんですよね? あの時、作務衣を着ていた……」
梁子の言葉に、タヌキは一瞬目を見開くと、観念したのか人間の姿に変化した。
それは以前見た初老の男だった。
「……」
「はじめまして。わたしは上屋敷梁子と言います。そして、こちらはわたしの家の守り神様です」
『お前に姿を見せるのは初めてだな』
そう言って姿を現したサラ様に、化けタヌキの男はさらに目を丸くした。
わなわなと身を震わせながら後ずさる。
「な、なんなんだお前らは……」
梁子はにっこり微笑むと言った。
「わたしたちは訳あって、間取りを集めている者です。ひいてはあの家のことで……アナタに色々と教えてもらいたいのですが……よろしいですか? そしてもし、あの家の間取りを知っていたら……教えてください」
タヌキは厳しい表情のまま、じっと梁子たちを見つめていた。




