2-4 店長と河岸沢
しばらくすると電話が鳴った。
待ってましたとばかりに河岸沢がそれをとる。
「はい、ご注文ありがとうございます。みんな大好きダイスピザです。はい、はい、Mサイズのチーズスペシャルとアメリカン、一枚ずつですね。それとサイドメニューのチキンナゲットにサラダ。はい、ナカタ様。……大丈夫です。こちらの電話番号で。ご住所はお変わりないですね? はい、ではあと30分以内にお届けいたします。ご注文ありがとうございました」
淀みない受け答えに、梁子は感心するとともにあきれてしまう。
自分に対する態度とまるで違う。
電話口であるにも関わらず、営業スマイルを絶やさない。それは接客業の鑑だが、梁子に対する嫌みとも受け取れた。待ちに待った注文が入ったから、これでもう梁子と同じ場所にいなくてすむと喜んでいるのだ。
河岸沢はにこやかな表情を浮かべたまま店長に注文を告げ、今まで広げていた仕込みの材料をテキパキと片付けはじめた。
それを見て、いつも外出しっぱなしなのはできるだけ店で自分と出くわさないようにしているのだろう、という思いは確信に変わる。
なぜそこまで避けられるのか。理由がわからないので、梁子はイライラした。
やがて料理ができあがり、河岸沢は配達に行ってしまった。
梁子は包丁を強く握りしめ、鶏肉に八つ当たりするように突き立てる。
「まったく、なんなんですか! いったいわたしが何をしたっていうの?」
もう、と叫んで肉を細かく切りきざむ。
その様子を見ていた店長は、顎に手をやりながらつぶやいた。
「河岸沢はなあ、悪いやつじゃないんだが……」
「はい? 店長なに言ってるんですか? いくら先輩でベテランだからってあれはないですよ! パワハラです! 横暴です! 理不尽です!」
荒れ狂う梁子に、しゃがれ声も小声でつぶやく。
『梁子にあんな態度をとるヤツもなかなか珍しい。いつもはそうならんよう意識を逸らしてやってるんだが……不思議とあやつにはそれが効かん』
「……」
先ほどのことがあったので、店長にも「サラ様の声が聞こえているのでは」と慎重に様子を窺うが、どうやらその心配はなさそうだった。
店長は梁子に申し訳なさそうな顔を向ける。
「すまん、上屋敷。俺からもよく言っておく。だから……そんなに肉を細かくしないでくれ。それじゃミンチになっちまう」
「えっ! あ、あわわ、すみません店長!」
はっとして手元を見ると、鶏肉が規定の大きさよりもかなり小さくなってしまっていた。
どうしようとうなだれていると、店長は「いい、いい、まかないに回すから」と優しくフォローしてくれる。
「はあ、でも、河岸沢さん、どうしてわたしのこと避けてるんでしょうか……」
新しい食材を切り分けながらそうぼやくと、ピザ生地を捏ねていた店長が思い出したようにつぶやいた。
「そういえば前に上屋敷のことを『あいつはなんか怖い』って言ってたような気がするな」
「え? 怖い、ですか? いけ好かない、とかじゃなくて?」
「ああ、そのときは俺もなんでと思ったんだけどな。あいつの苦手な人間に上屋敷が似ているから……とかじゃないか? まあ詳しい理由は俺もよくわからんが」
「はあ、あの、河岸沢さんって、どんな人なんですか? よくシフトが被ってるんですけど、あんまりお話ししたことなくて」
「そうだなあ、あいつは俺が店を出してすぐの頃から働いてくれてるから……もう13年になるか。ずっと週5で入ってくれててな。スタッフのなかでは一番の古株だ。開業当時は俺と嫁さんとふたりで細々とやってたんだが、急に事故で死んじまってなあ、店の方もどうしようと思ってた矢先にあいつがふらっとやってきてくれたんだよ」
「えっ? あ、その……すみません」
急に深刻な話をされてしまったので、梁子は恐縮して頭を下げた。
まさかそんなデリケートな話になるとは思いもしなかったのだ。店長は、そんな梁子の様子に気づいたのか慌てて手をふった。
「あ、いいんだいいんだ、気にしないでくれ。もうずっと前の話だ。ほらあそこ、写真が飾ってあるだろ? あれが俺の嫁さん。華子だ。いつも俺たちのことを見守ってくれてる」
厨房の壁に一人の女性の写真が飾ってある。
ずっと誰だろうと思っていたのだが、まさか店長の奥さんだったとは。
華子は額縁の中で、ピザを持って満面の笑みを浮かべている。
「華子がいなくなって気落ちしていた俺を河岸沢はよく助けてくれた。あいつがいたからここまでこれたようなもんだ。だから……なにか理由があるんだろう。それによっちゃあ、どうかあいつを許してやってくれないか。さっきあいつ自身が言ってたかもしれんが、河岸沢は少々『感』が良すぎるところがあってな。それのなにかが上屋敷と相性が悪いのかもしれん」
「……」
梁子はその言葉にギクリとした。
もしそうなら、やはり自分の家の秘密、サラ様に反応していたのではないか?
「あ、いや、変なことを言ってると思うだろうが……そういうやつも世の中にはいるんだ。あいつの実家が寺だということも何か関係しているしれんが……。俺は店をもっと儲けさせてやるといった詐欺師や、食中毒になりそうな食材を掴まされそうになったときも、あいつの勘というか、機転で助けられたんだよ。上屋敷がそういう悪いやつじゃないとはわかっている。詳しい理由は俺が聞いておくから、どうかあいつを恨まないでやってくれないか」
必死な説得に、梁子はたじたじとなった。
そこまで店長が河岸沢に重きを置いていたとは。サラ様のこともあるし、梁子は矛をおさめることにした。
「わかりました。なんでなのか、わたしが納得できる理由でしたら文句は言いません。でも、いつもああだとすごくやりづらいです。わたしに悪いところがあったら改めますから。どうか店長からも仲良くしていただけるように河岸沢さんにお願いしていただけませんか?」
「わかった。いやあ、上屋敷が理解あるヤツで助かったよ。実はなあ、俺もひそかに心配してたんだ。でもあまり接点をもってないようだったし、それでうまくやっていけてるならと、あえて口は出さないようにしてたんだ。でも……上屋敷にはずっと不快な思いをさせてたんだな。放置してた俺の責任だ。すまん」
「いえ……でも、本当に不思議な話ですよね。河岸沢さんって……霊能力者っていうか超能力者みたい」
「ああ、そうだな。そういう眉唾物は俺はいっさい信用してなかったんだが、こういろいろと実際に助けられるとなあ……。本当に、あいつは上屋敷の何が気にくわないんだろうな!」
店長はほっとしたのか、ガハハと笑ってまた生地を捏ねはじめた。
梁子は店長の言葉にはっとする。
本当にちゃんとした理由があるんだとしたら。河岸沢が正確に自分の秘密を言い当ててしまったとしたら。それは少しまずい状況なのではないか。
『河岸沢という男……寺生まれということはそこそこの霊感があるのかもしれんな』
「……」
『だが、どの程度の能力があるかはわからん。わしらのことをどの程度見抜いているかも……。注意するに越したことはないが、向こうが意識的に避けてきたことを思えば、もう少し様子をみてもいいかもしれんな』
しゃがれ声が冷静に分析するのを受けて、梁子は静かにうなづく。
今度は正確に肉を切りながら思う。
最近不思議なことがよく続くな、と。
バイトが終わったあともタヌキの家の調査に行くし、案外身近には異形のものが数多く存在しているのかもしれない。
以前はそんなこともなく、サラ様くらいしか変わった存在はなかったのだが。
自分の心境の変化か。
だから、自然とそういうものにアンテナが向けられ、そして呼び寄せてしまっているのだろうか。
そんな考え事をしている間に、また次の電話が鳴る。
梁子は気持ちを切り替えて明るく受話器をとった。




