2-1 白木蓮の咲く家
「では、お釣り382円です。あとこちらが割引券です。次回のご注文もぜひ、ダイスピザをご利用ください!」
梁子は笑顔でおじぎをすると、割引券を一枚、相手の主婦に渡した。
「あら~ありがとう。いつも悪いわね~」
「いえ、こちらこそ。いつもありがとうございます。では……失礼します」
くるりと背を向けると、玄関先に停めていた三輪スクーターにまたがる。
ヘルメットを装着して準備OK。
梁子はアクセルを勢いよくふかした。
ここは閑静な住宅街――。
スクーターのモーター音だけが低くこだましている。
日曜のお昼時とあってダイスピザは配達で忙しくなっていた。
梁子もさっきから一度に何件分ものピザを乗せ、店と住宅街とを往復していた。
そんな梁子の耳にサラ様のしゃがれ声が聞こえてくる。
『今日はとくに忙しいようだな』
「そうですね。もう3月も半ばですし……学生さんの卒業とか、社会人のお引越しとか、そういうイベントが目白押しだからじゃないですか?」
『それとピザの注文と、何がどう関係しているんだ』
「いやですね~、家族でお祝いしたりするからに決まっているじゃないですか!」
『そういうときはピザを頼むのか』
「そうですよ。パーティーにピザは定番です」
『いや……昔は寿司とか、仕出し料理とか、そういうものだったがな……』
「今はピザとかオードブルとか、そういうほうが好まれるんですよ。後片付けも楽ですし……。まあ、味は完全に若者向けですけどね。御年輩の方の中にも、お孫さんのために注文してくださる方もいますよ」
梁子の働いている店では、ピザの他にも、から揚げやポテト、ローストビーフやラザニア、サンドイッチなどの軽食も取り扱っていた。
個人店ではあるがこだわりの食材を使った料理はチェーン店にはない一味違うおいしさがある。
そのため、じわじわとではあるが口コミでリピーター客が増えてきていた。
「さて、あと二軒このあたりに配達しないと……ん?」
ある角を曲がったところで、梁子はとある家に目が留まった。
そこの庭には、平屋の屋根をはるかに超す大きな白い木蓮の木があった。
真っ白な花弁がたくさんついている様は、まるで雪が枝に積もっているかのようである。
美しい花木の姿に、梁子は心奪われた。
「わあ……サラ様、ここの家の木蓮、とっても綺麗ですねえ……」
そう言いながら、近くまで寄る。
『ああ……おい、急がなくていいのか?』
「かなり樹齢が経ってそう……あ、これトウカ様が気に入りそうな木じゃないですか?」
『おい……梁子、聞いているのか? よせよせ。よけいな気を回すな。あやつに構うとろくなことにならんぞ』
「そうは言ってもですね……」
木蓮の下には高い生垣があり、梁子はその枝葉の隙間から覗き込むようにして中を見る。
「うーん、他にも良さそうな庭木がいっぱい植わってますねー。そこそこ広い庭ですよ? あと……奥にある平屋の家……もだいぶ古そうです。サラ様、どうですか? あの家、美味しそうですか?」
『おい、梁子……いい加減その辺に……』
しゃがれ声が止めようとした途端、ガサッと音がして男の顔が現れた。
覗いていた隙間からちょうど飛び出てきたので、梁子は思わず悲鳴をあげてしまう。
「うわああああっ!」
危うくスクーターから落ちるところだった。
ドキドキしながらハンドルを握り直すと、男が表に出てきて、じっと梁子たちをにらみつける。
右目に大きな傷のある、作務衣姿の男だった。
わずかに白髪が混じっているが意思の強そうな顔つきで、見た目ほど年齢を感じさせない。
「あ、その……ごめんなさい。お宅の木蓮がとても綺麗だったもので……ついお庭も覗いてしまって……失礼しました」
そう言っていそいそと立ち去る。
少し離れたところまで来ると、しゃがれ声がぼそりとつぶやいた。
『珍しい……梁子、あれは化けタヌキだぞ』
「えっ!」
意外な発言に驚きを隠せない梁子だった。
●上屋敷梁子――間取りを集めるのがライフワークの女子大学生。ダイスピザというピザ屋でデリバリーのバイトをしている。
●サラ様――上屋敷家の守り神。他人の家の間取りが主食。
●片目に傷のある男――白木蓮の咲く家にいた男。化けタヌキ。