1-18 奉納の儀式
後半、サラ様視点です。
「じゃあ、サラ様……間取り図を作製しますね」
『ああ』
上屋敷家のお堂で、梁子は特別な紙を広げていた。
「三椏紙」と呼ばれる製図用の和紙――。
それは日本の紙幣にも使われている非常に丈夫な紙である。長期の保存に適しているため、今でも官公庁に提出する図面などにはこの紙が用いられている。
その紙に、梁子は自分の血を混ぜたインクで図面を引いていた。
紙の上部に「魔法科学者エアリアル・シーズンの家」と記す。
さらに、細かい内装の特徴やら他の住人の情報などを余白に書き加えていく。
「サラ様。これ……あとで誰かに見られたらエアリアルさんとの契約違反になってしまいませんか? 誰にも口外しないとお約束したのですが……」
『そうだな。うーむ……』
「まずいですよ、それは……。父さんに今朝ちらっと言ってしまったので、あの家の間取りを入手できたって知ったらきっと根掘り葉掘り聞いてきますよ! ああ~っ、嫌な予感しかしないです。あの人、わたし以上の間取りマニアですからね……」
大黒の性格を思い出したのか、サラ様も微妙な表情を浮かべた。
『そうだな。それは、困るな……』
なにやら考え込んだすえ、ポンと手を打つ。
『よし! この図面を閲覧する者には制限をかけておこう。わしが許可しないうちは決して見れないように術をかけておく!』
「それがいいと思います。それなら安心です」
『色々と面倒くさいが……仕方ない。それでも大黒が見たいと言ったときには、わしから説得しておこう』
「はい、よろしくお願いします」
やれやれとため息をついて、梁子は図引きを再開させた。
サラ様は空中に漂いながらその様子を見下ろしている。
『しかし……こうして見ると、間取り入手率は四割といったところか』
「はい。二階はまったくわからなかった上に、一階部分も通されなかったところがありますからね……今わかっているのはこの部分だけです」
『そうか……まあ、とりあえずはこれで良しとしよう。おいおい、その他の部分は追加していくのだしな。総量でみたらそう悪くない』
「そうですか? サラ様がそれで良いならいいんですが……」
正面玄関。
二つのらせん階段がある中央ホール。
左に暖炉付きの応接間。
家の広さからいって右に何らかの小部屋。
その続きの奥の間が裏口から通された食堂。
続いてキッチン。
裏口へ通じる廊下。
裏の勝手口。
そして、外観……。
ここまで描いて梁子はガラスのペンを置いた。
「ではサラ様、ご奉納いたします。魔法科学者、エアリアル・シーズンの家、お納めください」
『たしかに。では、いただこう』
サラ様が口を開けると、紙に書かれた部分が発光し、するすると口の中へと吸い込まれていった。
もぐもぐと動かした後、ごくりと飲み込む。
『はあ~美味い。やはり労をかけた甲斐があったな……珍しい味がした』
「そうですか。それは良かったです。その、味っていう表現は、いまだによくわからないんですけど……これってただの線とか文字の集合体、ただの『情報』ですよね?」
『まあ、たとえだ、たとえ。味というのは観念の問題だ。本来はこのような取り込み方でなくてもいいのだが……まあ一種の演出だな」
「え? そうなんですか?」
梁子は意外な言葉に呆れた顔をする。
『ああ。実際はどのような方法でも取り込むことができる。ただ、初めて取り込んだときに味がするような気がしたのだ。それからはいつのころからか、こういう『食事』という形をとっているな』
「へえ……そうだったんですか」
『紙に書き起こすという儀式も、まあ、しなくてもどうにかなる。だがそのまま取り込むのとそうでないのとでは吸収率が違ってくるのだ』
「吸収率?」
『ああ。そのまま取り込むとすぐに忘れたり、身にならんことが多かったからな……お前の先祖たちは長年のわしへの試行錯誤を経て、より確実に後世に遺すために紙にも記録しておくほうがいいと発見したんだ』
「あ、それはなんか聞いたことあります。その方がサラ様のためにも都合がいいって」
『だが……書面には音や匂いなどの情報は記せない。だからそのあたりはわしが現地で直接取り込むことにしているのだ。それものちのち忘れることもあるが……まあ、本膳の前のつまみ食いだな。大元を取り込む前に味見しておくのも悪くなかろう?』
「はあ、つまみ食い……ですか。まあ、とりあえずはこれでご満足いただけてなによりです」
梁子はそう言って笑うと、お堂の壁沿いの書棚に奉納した紙を持っていった。
間取り図は消えてはいない。サラ様の口の中に吸い込まれたのはあくまでコピーであり、本体はこちらなのだ。梁子は図面を丁寧に棚に収納した。
「では、サラ様。もう行きますね。わたしも食事にしようと思います。では……おやすみなさい」
『ああ、おやすみ。梁子。今回はとてもうまい家だったぞ。ご苦労だった』
「はい、ありがとうございます。では……また明日」
梁子は一礼すると、静かにお堂の扉を閉めた。
***
「今回の契約はあれで良かったのか?」
「只者ではなさそうだが……」
「そうだ。大黒にまで内密にするというのはどうかと思うぞ」
「それでもそれが契約の条件だというのだから仕方がないだろう」
「いつでもそれも放棄できるのですから、そんなに心配なさらなくても……」
梁子が去ったあとのお堂では、さまざまな声が飛び交っていた。
それらの主は歴代の上屋敷家の先祖たちの霊である。
普段はサラ様の中でひとつにまとまっているのだが、このお堂ではそれぞれの魂が分離しやすくなるのか、白い「もや」となってそれぞれが空中にわだかまっていた。
今回のエアリアルの件は異例だったようで、先祖たちの中でも意見が二手に分かれるという事態になっている。
危険だから今すぐに契約を破棄したほうがいいという者と。
いつでも破棄できるのだからもう少し様子を見守った方がいいという者とに――。
『はあ……わしはどっちでもいいんだがな』
サラ様はそんな群衆の言い争いをどこか他人事のように見つめていた。
「ほほっ……。本当に。わたしたちがどうこう言ってもはじまりませんのにねえ。結局は今生きる世代がどう判断するかです。梁子の判断にまかせておればいいと言っておりますのに」
『カヤか。お前はまだその形を保っていられるのだな』
サラ様の横に現れたのは、白髪のお団子頭をした小柄な老女だった。
靄の状態ではなく、ちゃんと人の形をしている。
カヤは穏やかな笑みを浮かべてほかの先祖たちを見守っていた。
「ええ、まだ死んで10年も経っておりませんからねえ。あと50年くらいしたら先代たちのように白い『もや』だけになるのでしょうけど……」
『お前はまた、ずいぶんと梁子の肩を持つんだな。生きているときもそうだったが』
「そりゃまあ、可愛い可愛いわたしの孫ですもの。あの子が幸せになるんだったら、わたしらなんかは別にどうなったって構わないんですよ。ねえ、あなた?」
「ふん……」
そう話をふられたのはカヤの夫の梁之助だった。
いつの間にかカヤの横に姿を現している。
ひょろっと背の高い白髪の老人だ。キセルのようなものを口にしているが、恰好だけなのか、そこから煙は出てはいない。
「あの子ったら一丁前に恋をしはじめてるみたいですし……ここはいろいろと温かく見守ってやりませんとねえ?」
「そうみてえだな」
二人の会話に、サラ様が過敏に反応する。
『なっ、何っ……! それは……やはり、あの警官か?』
「ええ。あの子はそれを否定しているみたいですけどね」
『あやつか……あやつは、この家には向いておらんと思うがなあ……』
「オレもそう思うぜ。ただまあ、向こうさんも梁子を好いてるんだとしても、こればっかりはなあ……今回の契約みてえにそうそう上手くいくもんじゃねえだろうよ」
「あの子にとっては初恋、ですもんねぇ。どうなるかはわかりませんけれど、ああ、あの子たちを見ていると、わたしもあなたと出会った時のことを思い出しますわぁ……」
「よせやい」
「まあっ……あなたったら!」
年甲斐もなくはしゃぎ合う老夫婦を横目に、しゃがれ声は大きなため息をついた。
『梁子のやつめ……婿候補をあてがってくれと言っていた割には、すでに好きな相手を見つけておるではないか……』
となれば、とりあえずはその恋が実るかどうか見守りつつ、他に良い相手がいれば別に見繕っておくのがいいのかもしれない。
いわゆるキープというやつだ。
『まったく、いらん手間のかかる娘だわい……』
ぎゃあぎゃあとそこかしこで激論が飛び交っている中、サラ様は梁子を思って苦笑いを浮かべていた。
【登場人物】
●上屋敷カヤ――梁子の祖母。梁子が10歳の時に死去。享年80歳。
●上屋敷梁之助――梁子の祖父。梁子が生まれた年に死去。享年80歳。




