1-14 限定契約
「信じられなければ、今調べてもらってもかまわないデス。何かしら端末は持っているでしょう?」
「ええ……」
エアリアルに勧められ、梁子はバッグの中からスマートフォンを取り出した。
「では失礼して……」
大井住大学のHPを開き、教授一覧を検索する。
確かに……在籍していた。「エアリアル・シーズン」は工学部の脳科学学科の客員教授だった。
「脳科学学科の客員教授……?」
客員教授とは、大学などにゲストとして迎えられた非常勤の教授のことである。
名ばかりで、年に数回しか教壇に立たない者もいる。
梁子とは学部は同じだが学科が違う。
有名な教授であれば、たとえ学科が違っていても顔や名前くらいは覚えていそうなものだが……そうではないということは、前述のような教授なのだろう。
ほとんど大学に姿を現していないのだ。
「一応、嘘……ではなかったようですね。安心しました」
「嘘ではありまセン。この段階であれば誠心誠意、身分を正直に明かさねば……いい交渉はできませんからネ。そちらも、嘘偽りはないですよネ?」
「ええ、奇遇ですが同じ大学に在籍しています。調べてみてください」
「オウ! そうですカ! ……フム、たしかに本名のようですネ」
エアリアルもスマホを取り出すと、すぐ納得したようだった。
「しかし本当に偶然ですネ。あなたは……工学部の建築学科の生徒……なぜその学科を?」
「間取りを集めるのがワイフワークでして。それに準じた勉強ができれば、と」
「ホウ……いずれはその知識を仕事に応用しようと?」
「さあ、どうでしょう。将来、何かの助けになればいいなとは思ってますけど……。ああ、話が脱線しました。身分が証明されたところで、そろそろ契約に……」
「オウ! そうでしたネ! そろそろ契約といきましょうカ」
「では……こういう条件で……」
そう言いつつ、梁子は契約書にさらさらと文章をつづっていく。
・・・・・・・・・・
●その一、お互いの情報は他の者にもらさない事。公言した場合、相手の要求するペナルティを甘んじて受けること。
●その二、上屋敷梁子はエアリアル・シーズンから研究の協力を要請されれば可能な限り協力すること。その協力次第でエアリアル・シーズンは上屋敷梁子に住宅の間取りを教え、また利益が出れば報酬を支払うこと。
●その三、契約中、変更点があればお互いの合意の上で変更を可能とする。
●その四、どちらかが契約に不満を持った時点で契約は無効とすること。
・・・・・・・・・・
書き終わり、さらに今日の日付と自分のサインを入れたものをエアリアルに見せる。
「このような条件でいかがでしょう。契約者は形式上、わたしとエアリアルさんのみとさせていただきました。サラ様や衣良野さんたちはあくまでも人外の存在なので……すみません。サラ様は、これでいいですか?」
『ああ、構わん』
「エアリアルさんもよろしいですか?」
「ええ……こちら側も。申し分ないデス!」
「では、サインを」
持っていたペンを渡そうとしたが、エアリアルは断り、自分のペンでサインした。
口ではああ言っていたが、やはりまだ信用されていないようである。
筆記体の英字がつづられていくのを梁子はゆっくりと見守った。
「……」
梁子は交渉が決裂したら「警察」にどうにかして介入してもらおうと考えていた。
この場所もおそらくは空き地であり、エアリアルたちはきっとこの場所を不法に占拠・滞在しているはずなのだ。
だとすれば警察の介入があればきっと困るはず……と、梁子はひとつの逃げ道「奥の手」を用意していた。
交渉が決裂した場合、双方には「それぞれ知り得た情報が流出する」という危険性が生まれる。
そうなると、こちら側は上屋敷家の危機である。
噂を聞きつけた人が興味本位で家に突撃してきたり、最悪家探しされるかもしれないのだ。プライバシーもなにもあったものではない。それでは困る。
相手側も、少しは損害をこうむると思っていた。
当初は衣良野たちだけだったが――もし彼らの存在を公にバラされたとしたら、また引っ越すなりなんなりを余儀なくされていたはずだ。なんらかのリスクは必ず負うはずである。何もなければずっとあの場所にいられたのだから、場所を移るということはなにかしらの不都合が生じるはずだ。
だが、ここへ来て、エアリアルという新たな存在が出現した。
彼女曰く、「研究の内容」がバレてはとてもとても困るのだという。
その点だけみると、一瞬彼ら側の損害が大きくなったのではと勘違いしそうになる。
だがそれも、一般人が聞く限りは荒唐無稽な話でしかない。魔法を実用化するなど、信じる者がどれほどいるかというのは疑問だ。
しかも、彼女ほどの切れ者であれば、たとえそれで注目されたとしても、その注目度を逆に利用して研究をさらに活性化させることもできるかもしれない。出資者を募り、特許を予定より早く取得することだって出来うるのだ。
衣良野たちだけであればお互い同じくらいの損害だったのに、エアリアルが現れてから、こちら側が分が悪いという状況になってしまっていた。
梁子は危機感を抱く。
この相手には、最悪あの「奥の手」を使わなければならないかもしれないと……。
「ハイ、終わりましタ」
「……ありがとうございます」
サインが終わり、エアリアルが契約書を差し戻してくる。
梁子は契約書の複写を剥ぎ取り、確認すると、元の契約書をエアリアルに返した。
「こちらは、エアリアルさんの方で保管なさっておいてください」
「ハイ!」
もし契約が成立しなかったら……。
梁子はせめて「お互いの秘密を守る」ことだけでも相手に約束させようと思っていた。
用は口止めだ。
秘密を守れなければこちらもそちらの秘密をバラす、そうされたくなければ……という流れを梁子は用意していた。
それだけでも確約させておかないと、梁子たちには損しか残らない。
だが、それは杞憂に終わった。
逃げの姿勢から一転、エアリアルは梁子たちを「協力者」とすることにしたのだ。
その判断に梁子たちは大いに助けられた。
だが、とここまできて梁子は疑問を抱く。
もしそれらすべての策を、エアリアルが最初から「見抜いていた」としたら?
非常に友好的ではあるが、一歩対応を間違えれば刺し違える。そんな危険な人物だったのではないだろうか……。
梁子は内心身震いしながら思い返した。
そう、この天才は明らかに油断のならない人物である。サラ様も同じことを考えていたようで、先ほどからしかめっ面を崩さないままだった。
「では……これで契約完了です。エアリアルさん、ありがとうございました。一応お聞きしておきますが……もうお引っ越しされたりしませんよね? また突然いなくなられると困るのですが……」
「ハイ! 今回のような『トラブル』が起きない限りその心配はありまセン!」
「そう……ですか。逆にどうしてもお引っ越しせざるを得ない場合は、どなたかがわたしに連絡をしてくださいませんか? これがわたしの連絡先です」
メモ用紙に電話番号とメールアドレスを書いたものを梁子が差し出すと、エアリアルはすぐにその場で登録をし、ワンギリと空メールを送ってきた。
「ワタシのアドレスもこちらデス。では、今日はこのくらいにしましょうカ……。ちょっとワタシ、研究の途中だったもので……申し訳ありまセン。すぐ戻らねばならないのデス。またお会いする予定を組んで、その時にでもゆっくり……」
「そうですか。お忙しいところをすみませんでした。でもお会いできて良かったです」
「そうですネ。ワタシもです。これからいい関係になれるといいですネ! 上屋敷サン!」
そう言ってエアリアルは右手を差し出す。
シェイクハンドということだろうか。
梁子は警戒したが、サラ様が目くばせしてきたのでその手を取った。
「よろしくお願いします。エアリアルさん」
「ええ、こちらこそ!」
その手の感触はたしかにあったのだが、数秒後にはエアリアルの姿がふつっと消えた。
まるでテレビの電源を切ったかのように。
エアリアルもまた幻影だったのだと梁子はその時はじめて知ったのだった。
【登場人物】
●エアリアル・シーズン――謎の家の住人。金髪碧眼の女性。通称”マスター”。大井住大学の客員教授。マッドサイエンティストと一部から呼ばれている。