1-13 神様と魔法科学者の化かし合い
「以後お見知りおきを」――。
それは、梁子が昨日、衣良野たちに自己紹介したときの言葉そのままだった。
たまたま同じように言っただけなのか。それとも……。
『フン、お前が「マスター」か。また妙な小細工をする』
見上げるとしゃがれ声の主が顔をしかめていた。
『わしらにこのようなモノを見せてどうしようというのだ』
「フフフ、我が『魔法』、どうお感じになられましたカ? 上屋敷サン、そして屋敷神サン」
「なんとも大がかりな『イリュージョン』ですね」
「イリュージョン……?」
「ええ。プロフェッサーA……さん。これは『魔法』などではなく、いわゆる奇術、『マジック』の類ではないのですか? 『タネも仕掛け』もあるのでは?」
「フフフ……」
金髪の女は妙な含み笑いをすると、大げさに両手をあげた。
「ブラボー! この間『我が家』にいらしたときから、侮れない相手ダト思っていましタ! さすが、普通のお客様ではナイ! どうしてそう思いましたカ?」
「まるで、見ていたかのような口ぶり……ですね。それも少し気になりますが、まずはなぜ奇術だと思ったのか、お答えしましょう。我が屋敷神であるサラ様がおっしゃっていました。この館はエスオさん……『家の精』である、彼が化けて出ている姿なのだと。だから、消えたり、現れたりできるのだと。ならば今のこの一連の変化はアナタが起こしたのではない。あくまで『きっかけ』を作っただけであり、そのほとんどは彼……エスオさんが手伝っていたのではないでしょうか。ねえ、エスオさん?」
梁子に言われて、立っていたエスオははじかれたように顔をあげた。
「たしかに……アタシが手伝ってたわ。でもどうして……今のはマスターがすべてやったことだと思わなかったの?」
『そやつは人間だ。感覚でわかる。それに……「こんな芸当」ができるのは、わしと似たような存在にしかできん』
そう言うと、サラ様が片手をあげた。
すると見る間に部屋中に桜の花びらが舞い始める。
『これは幻影だ。その女は、お前たち子分に対して何か小細工をし、そして先ほどの幻影をわしらに見せたのだろう。もう一度言う、お前はただの「人間」だな? 異国の女』
「ワオ! アメイジング! 神様もこんなことが出来るのデスネ! ますます興味がわきましタ!」
「マスター!」
ずばり指摘されたというのに、動じることなくはしゃぐ「プロフェッサーA」に、衣良野がピシリと注意する。
「……すみません、D。なんの『小細工』もなくこのようなことを見せられては、研究者としての血がどうしても騒いでしまうのデス」
「マスター……」
「お察しの通り、ワタシはただの人間デス。表向きは脳科学者デスけど……真の目的を知る一部の人間からは狂った科学者と呼ばれていマス。ワタシは魔法と呼ばれるものを科学している、魔法科学者……なのデス」
「魔法科学者?」
「ええ。おとぎ話にでてくる魔法……ネズミを御者に、かぼちゃを馬車に……人を100年の眠りにつかせ、城を茨で覆う、そんな魔法を科学的に解明し、世の人々にも自由に使えるようにする。それがワタシの夢、野望なのデス」
荒唐無稽な話だった。
でも実際、それを裏付けるようなできごとが目の前で起こった。
ならば梁子たちは信じるしかない。
サラ様はもういいだろうと桜吹雪のまぼろしを消した。
「この研究はまだ一般人に知られるわけにはいきません……。なので、あなた方からワタシは逃げることを選びましタ。そして、ここに『引っ越し』をしたのデスが……こうして追跡されてしまっては……フフ、逃げようがありませんネ。だから、今度はきちんとお会いすることにしたのデス……」
パチン、とまた指が鳴らされ、テーブル上の空間にホログラムのような像が浮かんだ。
昨日の梁子たちの姿が映し出される。
また、小さいが音声も聞き取れる。
「昨日、ワタシは別のところにいたのデスが……この映像をDたちからの報告で見たとき、ワタシは『脅威』と同じくらい『興味』をあなた方に持ちましタ。もしかしたら、あなた方はワタシの夢の協力者になってくれるかもしれナイ……と」
なるほど、と合点がいった。
この映像を見て、プロフェッサーAは梁子たちの素性や言った言葉を知り得たのだ。
だから「以後お見知りおきを」などと同じ言葉をかぶせてきたのだろう。
「事実、先ほども素晴らしい幻影を見せてくれましたしネ……あなた方は非常に研究しがいがありそうデス。フフフ……」
そう言って、プロフェッサーAは非常に嬉しそうに笑った。
純粋すぎる研究心が根底にあるからか、どこかゾクッとするような笑みである。
梁子は警戒しながら見返した。
「プロフェッサーAさん。わたしたちは……こちらの家の間取りを見せていただけるなら、できるかぎり『お礼』をしたいと思っています。お役に立てるなら、もちろん協力も惜しみません。まあ、どういった研究か、その条件にもよりますが……」
「そうデスか! ならば交渉成立! と、いきたいところデスが……ワタシの研究は口外されてしまうととてもとても困るのデス。人の口に戸は立てられないと言いますし……そのあたり、どうワタシを納得させますカ?」
『……ふはははは!』
プロフェッサーAの言葉にサラ様が豪快に笑いはじめた。
梁子が見上げると、その笑みはプロフェッサーAにもひけをとらない凄絶さだった。
サラ様もまた純粋すぎる欲望の化身である。己の欲を満たすためならば一歩も引かないのだろう。
『人間風情が笑わせる! 神というものが「契約」をするというのに、約束を違えるものか! だが、まあ……案じるのも無理はない。そのような研究を成功させればどれほどの利益が生まれるかわからんしな。口外されたときの損失を考えれば、至極当然のことよ』
「……実用化に至った際には特許を取得するつもりデス。これが世に流通すれば、人々の生活は……いえ、経済も、人々の価値観も一気に様変わりするでしょう。それこそ世界がまるごと変わってしまうくらいに……! ですからこのことは、秘密にすることは、とてもとても重要なのデス!」
梁子はプロフェッサーAの語る未来を想像して、背筋を震わせた。
たしかに彼女の夢が実現すれば、きっと世界は大変革を遂げるだろう。
だれもが「魔法」を使える世界――。それは衣良野たちのような「物の精」が多大に関与している世界だが……果たしてそんなことが実現可能なのだろうか。
「今、そんなことが本当に可能なのかと思いましたネ、上屋敷さん」
「え、あ、はい……」
「まだまだ道のりは遠い……でも、ワタシは必ずその夢を実現しマス! ですから……。フフフ、この出会いもまた偶然ではないのかもしれませんね。天がワタシに味方したのかもしれません! どうですカ? 一切口外しないと『神』に……いえ、あなたも、あなたの『神』も誓ってくれるなら、我が家の間取りをお教えしましょう。その代わり、我々にも協力すると約束してください! もちろんできる範囲でかまいません。無理強いは一切しナイ! 成功したあかつきには、報酬もその分お支払いいたしマス!」
『ふむ……それは、上屋敷家の利益にもつながるな』
「サラ様?」
一転熟考しはじめたサラ様に、梁子は不安を感じた。
思っていることをぶつけてみる。
「あの、サラ様。我が家の屋敷神のことも詳しく知られてしまうのは……ちょっと……」
『おお! そうか。そうした危険もあるな。だが、同じような屋敷神をすぐに作られるということはまずないだろうよ。わしのようになるには長い年月がいる』
「そうでしょうか……」
『なんだ、今日はやけに慎重派だな』
「そりゃあ、慎重にもなりますよ……。この方は、たぶん千花ちゃんよりも頭のいい人です」
そうしてちら、と梁子が視線を投げかけると、プロフェッサーAの鋭い眼光とぶつかった。
さっきまでの親しげな表情が一変、真剣な顔つきへと変わっている。
「長い年月がかからずに、サラ様と同じような屋敷神を作られる可能性だってありますよ? そうなると……」
『ほう? 梁子……お主少しは成長したようだな』
「今は褒めてもなんにもなりませんよ。サラ様、警戒するのは当然です。この契約は、諸刃の剣なんですから……。こちらの秘密とあちらの秘密、どちらかの情報が流出すると、お互いただではすみません。それに、今は変に出し惜しみできる状況でもありません……。サラ様、それでも契約なさいますか?」
『そうだな……では限定契約にするか』
「限定契約?」
『ああ。間取りはいらん。「今は」な。代わりに定期的にここへ訪問させてもらう。そして可能な限り研究とやらに協力をする。その見返りに、間取りの一部を教えてもらう……とこういうものだ。どうだ梁子? プロフェッサーAとやらも。それでいかがかな?』
「いいでしょう。それはこちらも願ったり叶ったりの提案デス! 信頼に足る人物かどうかということも徐々にわかるでしょうし、その方法はとてもエクセレント! わかりましタ。契約成立ですネ! では念書を交わしておきましょうカ!」
パチン、と指を鳴らすとテーブル上に書類が現れた。
だが、梁子は丁重にそれを断る。
「申し訳ありません。せっかくですが……そちらより、こちらが用意した書類にサインをお願いできますか? それも幻影では……困りますからね」
そう言ってカバンから二枚つづりの契約書を取り出す。
「はあ、それはいいデスが……そちらも幻影ということは?」
「……」
ピシリ、と空気が一気に張り詰める。
梁子はできるだけ穏やかな声で言った。
「大丈夫です。これはちゃんとした『紙』ですから。しかし……サインをしていただく際にひとつ、気になることがあります。プロフェッサーAというのは『偽名』ですね。本当のお名前はなんというのですか? 今、教えていただけるものでしょうか?」
「……もう、隠してもしょうがありませんね。ワタシは……エアリアル・シーズン。大井住学園の大学で数年前から教授をしているものデス」
大井住学園の大学の教授と聞いて梁子は驚いたが、記憶をたどってみても専攻している学部が違うのかさっぱりその名前を思い出せなかった。
有名な科学者であれば、多少は聞いたことがありそうなものだが……。
まさかこれも偽名なのだろうか。
にやにやと笑っているエアリアルに、つくづく食えない人だと感じる梁子だった。