1-11 消失
「ふー、まだあんまり……眠気がスッキリとれないですけど……行きましょうか、サラ様」
『そうだな』
午後の講義も終わり、梁子としゃがれ声の主は大学を後にした。
バスでくだんの家に向かう。
「えっと……たしかこのあたりだったような……」
住宅街を歩いていると、やがて昨日来た場所までやってきた。
だが、はたと足が止まる。
「え。そんな……!」
あの家が、あの古びた洋館が跡形もなく消え失せていた。
草ぼうぼうの荒れた庭はそのままに、建物だけがこつ然と消えている。
あたりに人目がないのをいいことに梁子はその敷地に立ち入った。
門のところを見ると『衣良野』という表札もすっぽり抜けている。
「どうして……!」
慌てて庭を突っ切ると、敷地の真ん中にはコンクリートの基礎だけが残されていた。
それは昨日見た建物とほぼ同じ広さである。
ところどころ崩れているところを見ると、昨日今日立て壊されたものではない。長い年月が経過しているようだ。
「サラ様……これはいったい……」
『ふむ。逃げられたな』
「えっ?」
『後手に回った。くそっ、このわしともあろうものが、不甲斐ない……』
「に、逃げられたって……どういうことですか? 一夜にして建物が取り壊されるなんて……そんなのありえないですよね?」
『馬鹿者。良く思い出せ、あいつらは皆付喪神のようなものだったはずだ。その中に一人、家の精と名乗るものがおっただろうが』
「ええ。たしか……エスオさんでしたっけ。オカマの……」
梁子は妙なしゃべり方をしていた男を思い出す。
『そうだ。あいつがあの家の形を成していたのだろうよ。実体はなく、あくまであやつが変化した姿だったのだ、あの館は』
「えっ? 家に化けてたって……ことですか? じゃあ、わたしたちが招かれた家は……まぼろし?」
『ああ。まったくよく騙されたものだわい。どこか妙だとは思っていたが、このわしの目まで欺くとは……やはり奴ら、ただ者ではないな』
「ど、どうするんですか。いなくなってしまったってことは……もう交渉することもできないんですよね? ていうか、明日また来てくださいって言われて来たのに……」
『まんまと出し抜かれたな』
「サラ様!」
ふはははは、としゃがれ声が呑気に笑うので、梁子は抗議の声をあげた。
「笑い事じゃないですよ! せっかくわたしが見つけたのに……逃げられるなんて! ああ、無理にでも昨日のうちに話をつけておけばよかった……」
『まあ、あの時、一度引き下がろうと言ったわしにも責任はある……。許せ。すでに手も打ってある』
「え?」
しゃがれ声の主が何事かつぶやくと、基礎の部分から光る糸のようなものが天に向かって伸びていった。
「な、なんですか、あれ……」
その糸はある高さまで伸びるとそこから直角に曲がり、また北の方へと伸びていく。
『目印を付けておいた。万が一、ということもあると思ってな。杞憂であればと思ったが、存外役に立った。気付かれてなければ、だが……これが追跡してくれる先にやつらはいる』
「そんな、いつのまに……」
『久方ぶりの食事だ。取り逃してたまるか……。追うぞ、梁子!』
「はい!」
糸を追いかけて、梁子は走り出した。