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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
4軒目 犯罪者の棲む家
110/110

エピローグ

 梁子は自室のベッドで目が覚めた。

 ほろり、と涙が頬を伝う。


「夢なら……良かったのに」


 思わず両手で顔を覆う。

 圧倒的な喪失感が胸を支配していた。けれどあれは、たしかに現実に起こったことだ。

 サラ様は……もういない。


 どれくらい時間が経ったのだろう。ふと部屋の壁掛け時計を見上げると、ちょうど七時を回っていた。窓の外はすでに暗い。


 ベッドの側の床に、いつものカバンと例の黒い筒が置いてあるのを見つけた。

 ゆっくりと起き上がり、そこまで歩いていく。

 バッグを開ける。ゲンさんがいるかと思ったら、どこにもいなかった。


「あれから……いったいどうなったんでしょうか」


 ほとんど何も覚えていない。

 サラ様に短刀を突き刺したあと、すぐに意識を失ったらしい。誰がここまで運んできてくれたのか……そして、みんなは今どうしているのかが気になって、梁子は携帯端末を探した。

 手に取った画面には、5月7日のままの日付が表示されていた。それほど長い時間眠っていたわけではないらしい。梁子はランプの点滅しているファイルを開いてみた。するとそこには、いろんな人たちからのメッセージが届いていた。



【送信者】真壁巡査

【本文】お疲れ様でした、上屋敷さん。

    あなたが急に気絶されたので、みなでご自宅までお送りいたしました。

    いろいろ落ち着くまでは……ご自分のことだけを考えて、ゆっくり休まれてください。

    それでは。


【送信者】大庭千花

【本文】不思議。もうサラ様のことを忘れていってる。

    あとでこのメールを読んでも意味がわからなくなっているかもしれない。

    とりあえず、ゲンさんは千花が預かっておく。だから安心して。

    千花も眠気が限界だから寝る。おやすm


【送信者】河岸沢

【本文】結局、殺したな。晴れてお前もこっち側の人間ってわけだ。

    力の使い方を教えてやれるほど俺は暇じゃねえからな。あとは自分でどうにかしろ。

    それと、店は辞めんじゃねえぞ。

    シフトのこととか、とにかく目え覚めたら早めに店長に連絡しろ。

    これ以上迷惑かけんな馬鹿。



 梁子は深くため息をはくと、階下へと降りていった。

 着ている服はパジャマではなく普段着のままだった。戦いが終わってからずっとそのまま寝かされていたらしい。


 リビングには夕飯の支度をしている母と、テーブルで新聞を広げている父がいた。母のゆかは、梁子の姿を見つけるなり慌てて駆け寄ってくる。


「梁子さん! ああ良かった、目が覚めたんですね。出先で気絶したって聞いて、すごく心配したんですよ。病院に連れていこうか迷いましたけど……あの、もう大丈夫なんですか?」

「ええ、まあ……寝不足と疲れが出ただけだと思います。ご心配おかけしました」

「いったい何があったんだ、梁子。職場の人と警察官の……ホラ、なんて言ったか、とにかく男の人たちがそろってお前を運んで来てくれたんだぞ。いろいろ大変だったんだからな」


 バサッと新聞をたたんで、父の大黒が声を張りあげる。

 梁子は面倒くさそうに答えた。


「だから……出かける前にも一応、話したじゃないですか。やるべきことをやりに行ったって。例の呪いを発動させたんですよ。結果サラ様はいなくなっちゃいましたけど……ショックが結構大きいんです。あまりもうその話は……」

「ん? 梁子、なんのことだ? 呪い……あと、サラサマ……? 何を言っているんだ」

「へっ?」


 よくわからないといった様子の大黒に、梁子は唖然とした。そしてすぐ血の気が引いていく。

 これが呪いの代償なのか……と。

 結局サラ様が言っていた通りになった。すべてを憶えているのは、梁子だけになったらしい。


「そんな……父さん、母さん。本当に忘れてるんです……か?」


 たどたどしく言葉を発してみても、いまいち実感がともなわない。

 後頭部を激しく殴られたように、梁子は目の前がくらくらしていた。顔色を悪くしている梁子に、ゆかは心配そうに声をかける。


「梁子さん、大丈夫ですか? 出かける前もかなり疲れてみえましたけど……もう、夜を徹して遊んだりしないでください。千花ちゃんと仲良くなったのは良いですが、若いからって少しはめを外しすぎですよ」

「母さん、別にわたしは遊んでたわけじゃ……」


 梁子が反論しようとすると、ゆかはそれを遮った。


「とにかく、気絶するまで無理をするなんてことは今後一切止めてくださいね。嫁入り前の娘なんですから……。本当にすごく心配したんですよ。気絶するなんて……あ、とりあえず続きはご飯を食べながらにいたしましょうか。ちょうど今できたところですし」

「え、ええ……」


 梁子は複雑な思いを抱えたまま席に着く。

 テーブルの上には、大皿によそわれた肉じゃがと、ホウレンソウの胡麻和え、べったら漬けに、ご飯、味噌汁などが並べられた。


「では、いただきます……」


 そう言って手を合わせ、めいめいに食べ始める。

 梁子は汁をたっぷり吸ったじゃがいもを、肉とともに口に放り込んだ。じっくり噛みしめて、味わう。


 思えばサラ様も、こうしていろんなものを食べていた。

 そこから得られていたのはあくまで「情報」だけだったが、そのすべては今、梁子に引き継がれている。


 エアリアルの事もそうだ。

 豊富な知識を何十年、何百年と蓄えていた。そして数々の実験を繰り返し、不思議なものを多く生み出してきたのだ。その経験も、すべて梁子に引き継がれている。


 そういったことが考えるまでもなく、なぜか急に梁子の頭の中に入ってきた。

 まるでスイッチが入ったかのように、たくさんの情報がなだれ込んでくる。だが直後、激しい頭痛とめまいがした。


「うっ……!」


 梁子は思わず頭を押さえ、顔を伏せる。

 大黒とゆかはハッとなって立ち上がった。


「おい、大丈夫か梁子」

「梁子さん?!」


 両親の声がすぐそばで聞こえるが、梁子の脳内はさまざまなことが乱れ飛んでいて、意識を保っていることが難しくなっていた。

 無言でそれに耐えていると、両親は横でとんちんかんなことを言いはじめる。


「まさか、酒でも飲んだんじゃないだろうな」

「えっ? 梁子さん……不良に、なっちゃったんですか? 良くない薬とか……。いやいやいや、警察の方もいましたし、さすがにそれはないです……よね?」

「そうだ、梁子に限ってそんな! だが少々体調が悪すぎるな。本当に病院に行かなくて大丈夫か」

「寝不足だけではこうはなりませんよねえ。午後はまるまる寝てましたし……風邪でもひいたんですかね? もう少し休んでいたたほうが……」


 梁子は顔を覆ったまま否定した。


「あの、そうじゃないです。そうじゃなくて……」


 言葉をなんとか吐き出そうとすると、徐々に落ち着いてきた。バラバラだったピースが次々と噛み合わささり、情報が整然と並べられていく。

 ふうと大きく息を吐くと、梁子はようやく顔を上げた。


「あの……もう大丈夫です。まだちょっと疲れが抜けてなかったみたいで……それより父さん、母さん」

「ん? なんだ?」

「なんですか、梁子さん」

「あの……中庭にある建物なんですが」

「中庭?」

「ええ、それがなにか?」

「あの、あそこには大きなお堂がありますよね……『あれはいったい、何のためにあるんですか』?」


 大黒とゆかは思わず顔を見合わせた。


「何のためって……それはだな。ええと……あれは昔、何か宗教的なものに使われていたんだ。だが今は……普通に物置として使っている。それがどうかしたのか?」

「物置?」

「ええ。今ではあまり使われていませんね。何を入れているか、わたくしもよく憶えていません。それがどうかしたんですか、梁子さん?」


 両親の言葉に、梁子は背中がまたうすら寒くなった。

 ここでも、記憶が改変されている……。

 だが、あえて気にしないように梁子は続けた。


「そう、ですか……。じゃあ、わたしたちのおじいちゃんやおばあちゃん、それにご先祖様の位牌は? 仏壇は。お墓は? どこにあるんでしょう」


 大黒は首をひねった。


「ええと、それは……どうだったかな。あれ、なんでだ……? いや、死んだときはそれなりの手続きをしたはずだ。火葬場では荼毘に付した。それに、その後……たしかに納骨を……」


 記憶があいまいで困りはじめた大黒とは対照的に、ゆかは能天気に笑っていた。


「ふふっ、梁子さん、急にどうしたんです? おかしなことをおっしゃってますね。どこって……決まってるでしょう。それは……。あれ? おかしいですね。わからないなんてこと……仏壇は、あるはずですよ。でも……それは……」

「ですから、それは『どこにあるんですか』? 和室ですか? 応接間ですか? 違いますよね。我が家にはもともと仏壇やお墓なんて無い……あったのは……」

「ど、どうしたんだ、急に何を言いはじめてるんだ、梁子?」


 梁子は動揺する両親に、冷静に言い放った。


「理解……できなくてもいいです。思い出せなくっても……いいです。そのかわり、これから言うことを実行してくれませんか?」

「な、何を……」

「思い出せないって……?」

「いいんです。父さんたちはそのままで。骨壺は……全部あの、中庭のお堂の中にあります。それこそ先祖代々、何十人分の骨壺が……。それらをこれからは、きちんと弔わなければなりません。今まではその必要がなかったですが、これからは……近くのお寺で供養してもらうんです」

「何っ、骨壺が……だと? どうしてそんなことをお前が……。ああ、でもそうだな。たぶんそれが……一番いいのだろう。お前がそう言うんなら……それで間違いない、はずだ」

「不思議です。今までそんなこと思いもしなかったのに……でも、ええそうしましょう。あなたがこの家の跡継ぎなのですから。ね、大黒さん」


 どことなくぼーっとしたような表情の両親が、そう言ってうなづき合う。


 これだけは、ごまかすことができなかったようだ。

 事実と記憶にはどうしても齟齬が生じる。

 たとえ呪いによって人々の記憶が変えられても、否応なく真実を突きつけてやれば、記憶を元に戻さざるをえなくなるのだ。梁子はその齟齬を強引に修正した。今言った通りにすれば、すべてが丸く収まるだろう。

 こうした問題が、これからいくつも出てくるに違いない。

 それをひとつずつ解決していくのが、今後の自分の役割だと梁子は思った。


「あ、あともう一つあるんですが……」

「なんだ?」

「大蛇のミイラ……です」

「ミイラ?」


 まだ、記憶の混乱でふわふわしてそうな両親に、梁子は畳み掛ける。


「そうです。大蛇のミイラ……今はバラバラに崩れていますが、わたしのとても……大事な物なんです。ですから、それはどうか捨てないでおいてくれませんか。庭に埋めて、その上に小さな塚をつくろうと思ってます。魂はもうそこにはないけれど……そうしてあげたいんです。いいですよね?」


 両親たちは少しだけ不思議そうな顔をすると言った。


「ああ、いいんじゃないか。お前の好きにするといい」

「ええ、梁子さんがこの家の跡取りなのですから、好きになさってください」

「……はい。ありがとうございます!」


 大黒とゆかの言葉は、なぜだかサラ様が言ったように聞こえた。

 梁子はこぼれてきそうになる涙をこらえ、また肉じゃがを頬張る。その温かさが胸にしみた。



 * * *



 数日後――。

 梁子は石神井公園に足を運んでいた。

 つい最近も訪れる機会があったが、今日もただ散歩をしに来たわけではない。人と待ち合わせをしているのである。


「お、おひさしぶりです。真壁巡査……」


 ボート乗り場前にやってくると、そこには私服姿の真壁巡査が佇んでいた。


「あっ、上屋敷さん! お体、大丈夫ですか? まだどこか変なところは……」

「い、いえ、ないです。安心してください、真壁巡査……」


 心配そうに駆け寄ってきた真壁巡査に、梁子はどぎまぎしながら否定する。


「そうですか。なら、いいんですが……。あ、ボートでもまた乗りましょうか」

「はい……」


 二人して舟に乗り、真壁巡査がまたオールを豪快に漕いでいった。デジャブのように、以前の光景と重なる。たくましい彼の腕によって、船はあっという間に池の中ほどまでやってきた。


 前回と違うのは、ここにもうサラ様がいないということだ。

 梁子は水面にできる波紋を見つめながら、真壁巡査に尋ねた。


「あの、真壁巡査……」

「はい?」

「アナタは以前、わたしとここに来た時の事を憶えていますか」


 真壁巡査は質問の意図がよくわからなかったのか、少し怪訝な顔をしている。


「え? ええと……あの……あのときは、いろいろとお見苦しいところをお見せしてしまいました。すみません。上屋敷さんを戸惑わせてしまいましたね」

「いえ、それは……。わたしもアナタと同じような状態でしたから。別に気にしていません」

「そ、そうですか……」

「それより、他にはなにか憶えてないですか?」

「えっ、他に……ですか?」

「はい。わたしの神様のこと、とか……あの時お話ししましたよね?」

「神様……? な、なんのことでしょう」

「やっぱり……そうですか……」


 梁子は落胆して目を伏せる。


「あの、上屋敷さん?」

「いえ、いいんです。真壁巡査が何も憶えていなくても、わたしだけが憶えていれば……。でも、これだけはもう一度訊いておきたい。アナタはこのあいだ、あの大井住大学の屋上でわたしに言ってくれましたよ……ね? わたしの守り神様の、代わりになりたいと……」

「えっ?」

「それも……憶えてはいませんか。なぜ、あそこにダイスピザの人たちと一緒にいたのか……思い出せませんか?」

「それは……」


 真壁巡査は遠くを見つめながら、どうにかして記憶を手繰り寄せようとしていた。

 だが、どうしてもできなかったようだ。

 あれからすでに五日以上が経過している。千花や美空たちにも確認してみたが、サラ様のこともエアリアルのことも、皆の記憶からはもうほとんど消え失せているようだった。


 街の人々が見た「黒い球体」も、結局は「雲が局所的に不思議な現れ方をした」ということで落ち着いていた。マスコミがそれを大きく取り上げることはなく、宮間兄のニュースが代わりに全国を賑わせた。


 最終的に、宮間兄弟には悪い結果しか残らなかった。

 それを、梁子はとても悔やんでいる。

 エアリアルがいなくなっても、宮間兄の事件は無かったことにはならなかったのである。


 世間の冷たい目は宮間自身にも向けられた。

 マスコミはまだ宮間の自宅周辺に押しかけてきているらしい。そんな状態なので、依然ダイスピザには出勤できていないと聞く。ダイスピザにもマスコミが襲来したようだが、店長や河岸沢が丁寧に対応したため、そこまでひどいことにはならなかった。


 そんな皆のことを思い出しながら、梁子は真壁巡査を見つめる。


「真壁巡査。わたしには……ずっとすごい守り神様がついてらっしゃったんです。この間、急にいなくなっちゃいましたけど、ね」

「守り神様、ですか?」

「ええ。でももうその神様はいません。その力を、わたしが引き継いだので……あ、変なこと言ってると思いますよね。でも、あの……」


 梁子は言おうかどうしようか迷いながら、それでも口にした。


「本当のこと、なんです。今わたしは……不思議な力をいろいろと使えます。けれど……アナタはそんなわたしを……どう思いますか? 今でも守ろうと、思ってくださいますか?」

「上屋敷さん、あの……自分にはちょっとなんのことか、よくわかってないんですが……」


 困惑している真壁巡査に、梁子は寂しそうに微笑んだ。


「そう、ですよね……。何も憶えてらっしゃらないのに、わたし……」


 落ち込んで肩を落とす梁子に真壁巡査はあわてて言った。


「あっ、で、でも! 例の連続殺人犯、あの宮間太郎の事件は……よく憶えています! あいつを捕まえるために俺はずっと……上屋敷さんたちに協力していた。そ、それは、たしかなことです。そして……ともに行動しているうちに……その……あなたにそういうことを……言ったような気がします。その……」


 真壁巡査は視線をわずかに彷徨わせる。


「梁子さんを……ずっと守っていきたいと……」

「真壁巡査……」


 見つめられ、もう一度その言葉を言われて、梁子はなんともいえない感情がこみあげる。


「そうだ……。この公園で以前お会いしたときも、そういえば似たようなことを言った気がします。ああ、それに最近……あなたを大切に守っている誰かにも、改めて言った気がする。あれは……いったい……」

「真壁巡査。それだけで……その、十分です。ありがとうございます」


 涙ぐみながら、梁子はお礼を言った。

 真壁巡査はその様子にいたたまれなくなり、きゅっと口元を引き結ぶ。


「か、上屋敷さん!」

「はい」

「もう一度言います。俺と……俺と付き合ってください!」

「えっ?」


 梁子は思わず目を丸くした。

 こんな時にまたそれを言われるとは思わなかったのだ。


「あの、例の事件があってから……俺はなぜかいろんな記憶があいまいになって……。こんな不思議なこと、あなたと会ったとき以来なんですよ。それを……思い出したら、やっぱりあなたのことしか考えられなくなって……だから……」

「ま、真壁巡査、待ってください」


 おかしい。エアリアルの存在もこの世から薄れたはず。なのにどうして、真壁巡査はエアリアルの屋敷の前で自分と会った時のことを憶えているのだろうか。そう思っていると、真壁巡査はさらに続けた。


「俺、この間、業務日報を読み返してみたんです。そうしたら、そこにあなたと最初に会った時のことが書かれてありました。ある女子大学生と会った。その後、なぜか記憶があいまいになって……不思議なことが起きた、と……。そこからです、あなたをまた強く想いはじめたのは」

「真壁巡査、それは……」

「俺は、ずっとあなたを好きでいた! 思い出したんです、上屋敷さん。なんでですか? どうしてその記憶があいまいなんですか? それをあなたに教えていただきたくて……今日、またお誘いしました」


 ボートはゆらゆらと水面を漂っている。

 梁子は、すべて無駄になってしまうかもしれなくても、また一から話すことに決めた。


「わかりました。では、お話ししましょう……」


 最初から最後まで、つらくて悲しい記憶を紐解いていく。

 前にいろいろ話した時のように、真壁巡査は途中で口をはさむこともなくじっと聞いていてくれていた。


「……と、そういうことがあって、あなたはサラ様とエアリアル博士のことを思い出せないようになってるんです。今お話したことも、またしばらくしたら忘れてしまうでしょう。それでも……あなたはわたしを好きで……い続けられるんですか? 前にも言いましたが、わたしはあなたにふさわしくないと思ってます。もっと普通の、わたし以外の女性の方が……」

「ダメです! あなたでなければ、ダメなんです!」


 そう告げている途中で、真壁巡査は梁子の言葉を否定してきた。

 その目は複雑な色を帯びている。


「また忘れる前に言います、梁子さん! 俺は……どんなことがあっても、あなたとずっと共に居たいです。あなたがいいんです。あなたの守り神様の代わりに、あなたを守り抜きます。何度だって、それを言います。ずっと……ずっと……。だから付き合ってください、俺と! お願いします、梁子さん!」

「真壁巡査……」

「忘れたら、また何度でも教えてくださいよ。そしてまた忘れても、あなたとの思い出を俺はたくさん作っていきたい。そうしたら……きっとあなた以外がすべてを忘れていても、あなたは幸せになれるはずですから」


 梁子はハッとした。

 たしかに、ずっと誰かに教え続けるのは大変だ。かつてこんなことがあったのだと、人々が忘れるたびに話していったらきりがない。けれど、真壁巡査の言ったことはとてもいいものだと思えた。

 千花とも、美空とも、ダイスピザの面々とも。

 新たな絆を、また築いていけばいいのだ。


 それは、目の前の男性とも同じで。


「もう一度言います。俺と……ずっと一緒にいてくれませんか。同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを食べて……同じ思い出を共有してくれませんか。俺に、これからのあなたを守らせてください」

「…………」

「俺を嫌いならしょうがないですけどね……」

「そんな。嫌いなんかじゃ……ないです。好きです、わたしも……アナタのことが」


 泣きながらそう言うと、真壁巡査はぐっと手を握りしめてきた。


「じゃあ、オーケーですか?」

「えっ……は、はい……」

「やった! あ、ありがとうございます!」


 瞬間、ぱあっと笑顔になり、真壁巡査が梁子の手を引く。


「あっ、ちょっ……」


 座りながら急に抱きしめられたので、ボートがぐらぐらと揺れた。不安定な足場にドキドキしながら、梁子は真壁巡査を見上げる。


「ま、真壁巡査?」

「すいません! でも……嬉しくて!」

「…………」

「もう、俺の事名前で呼んでくれませんか? 俺もあなたのこと、梁子さんと呼ぶので……」

「あ……それ、何回かもうすでに呼んでますよね?」

「そ、そうでしたか?」

「都合よく忘れないで下さい」

「えっと……嫌ですか」

「あ……その……別に嫌じゃ、ないですけど……」

「じゃあ、梁子さんと呼びますね。梁子……さん」


 改めて言われるとドキリとした。このままだと危ないと感じ、梁子はまたもとの位置に座り直す。


「えっと……コホン。真壁、さん。アナタもわたしに敬語使わなくていいですよ。最初会ったとき、そうじゃなかったでしょう。アナタの方が年上ですし……」

「ああ、仕事モードだったのでつい。そうですね、梁子さんも俺の事、まだ『下の名前』では呼んではくれないみたいですし……徐々に、ですかね」

「えっ、あっ……下の、名前?」


 なんだっけ、とあわてて思い出そうとすると、目の前の真壁巡査はやれやれといったように笑う。


「ずっと『真壁巡査』呼びでしたからね……忘れてても仕方ないですが……。まあ、もう一度言っておきましょう。今度は忘れないでくださいね。衛一です。衛星の衛に、一番の一」

「え、衛一、さん……」

「…………」


 口にすると、急に真壁巡査が屈みこんでしまったので、梁子は心配になって声をかけた。


「ど、どうしました? あの、え……衛一さん」

「あの……それ、ちょっと破壊力が強いんでやっぱり苗字呼びに戻してもらってもいいですか?」

「は、はい……。じゃあ、真壁さん」

「……それで、いいです。じゃあそろそろ戻りましょうか」

「はい」


 気を取り直すように、真壁巡査はまたオールをこぎ始める。

 やがて岸に着き、梁子たちは池の周りを歩きまわりはじめた。


「上屋敷さん」

「はい」

「あ、違った、梁子さん……ま、まだ慣れませんね。あの、いつかでいいので……俺の母に会っていただけませんか」

「え、お母様に……ですか?」

「はい。いつまで生きていられるかわからないので……できれば元気なうちに、と。なんか、お付き合いできてすぐに言うお話じゃないんですが」

「いえ。その……嬉しいです。そう言っていただけて。わたしも……お会いしたいです、真壁さんのお母様に」


 病気で長期入院しているという、真壁巡査の母親に思いを馳せる。

 離れて暮らしているのでかなり心細いだろうと思う。

 

 サラ様も遠いところに行ってしまった。祖父と祖母が逝ったときにも思ったことだが、いままで一緒に暮らしていた家族が急にいなくなるというのは寂しいものだ。

 心にぽっかりと穴が開く。


 サラ様も、今頃自分を心配しているだろうか。

 あの世でミネという娘と楽しくやっているのかもしれないが、たまには自分のことも思い出してほしい。


「じゃあ、いつか……よろしくお願いしますね、梁子さん」

「ええ。楽しみにしています」


 梁子はそう言うと、そっと真壁巡査と手をつないだ。

 明らかに動揺したそぶりをみせる真壁巡査。気持ちを落ち着けようと必死になっているのが見て取れる。思わず梁子は笑みをこぼした。


「そ、そういえば! 梁子さん、ダイスピザの方々はあれからどうなったんですか?」

「皆ですか? それはですね……」


 急に違う話題を振ってきた真壁巡査に、梁子は嬉々として応じる。ダイスピザの面々や美空のその後、そして千花たちや大学での生活――。あとからあとから、話したいことが出てくる。


 葉が青々と茂った桜並木の下を、二人は歩く。

 爽やかな風が吹き抜け、池の水面を揺らしていく。


 季節は初夏。

 世界はまた鮮やかに色づきはじめていた。 




お疲れ様でした。

このお話をもって「上屋敷梁子のふしぎな建物探訪」は完結です。

長い間ご愛読ありがとうございました。


書きたかったエピソードは他にもいろいろあったのですが……きりがないので省略となり、このような終わり方となりました。

ちなみにもし続けていたら、ダイスピザがピザ山プロデュースで新しく生まれ変わってました。

ピザ山の人脈でオカルト専門の相談所を併設し、美空やゲンさんをメンバー入りさせたりしていました。


……あとは各々の妄想で補完してくださいませ。


今後はまた違う時間軸のスピンオフ?を書いていきます。

エアリアルがどこかでかかわっているというテーマのお話です。


一つはターの過去。(ハイファンタジー)

→「魔法猫ファンネーデルと宝石加護の娘」


もう一つは、梁子と真壁巡査の子供が未来に飛ばされるというお話。(SF)

→「明晰夢の天使」


それぞれ、スピンオフと気付かなくても楽しめるものにしていくつもりです。

更新予定は未定ですが、順次活動報告などでご報告させていただきます。


改めて、いままでありがとうございました。

できましたら感想などいただけますと大変うれしいです。

ではまた、次の作品で。



津月あおい

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