1-9 大井住学園へ
「ふああああ~~~~~っ」
朝。
梁子はむくりと起き上がると、長いあくびをした。
そしてのそのそとウオーク・イン・クローゼットまで進む。ベッドのすぐ脇にあるので、そこへは目を閉じていてもたどり着ける。
「今日も、これでいいか」
黒いリブのセーターに、黒いパンツ。
手に取ったのは、ほぼ昨日と同じ組み合わせだった。
3畳ほどのスペースにはタンスも入っている。だが、そこにあるのはすべて似たような服ばかりだった。
色味はだいたいダーク系。
華々しい色や装飾、模様がはいったものはいっさい無い。スカートもあるが、動きやすさを重視して梁子はいつもパンツスタイルの方を好んで着ていた。
今日は特に寒そうなので、これにさらにグレーのウールのコートをプラスする。
基本はなるべく地味であること。うん、大丈夫、これなら目立たない。安心して部屋に戻る。
「なんだろう……昨日は全然眠れなかった……死ぬほど眠い……」
コートとトートバッグを抱えて、一階に下りる。
洗面所で顔を洗って髪をとかす。
梁子は腰まで長く伸びた髪を、いつも頭の両脇を編みこみながら後ろでひとつに結わえていた。残りはそのまま長く垂らしている。ゴムで結わえた上を金のバレッタで留めて、それからお化粧に入る。
メイク道具はいつもトートバッグの中に入っていた。
私物は全部自分の部屋に、というのが上屋敷家のルールだった。
もともと顔立ちが地味なため、本当はしっかりメイクしないといけないのだろうが、梁子はあえて必要最低限にとどめている。あまり華美にすると余計人が寄ってくるためだ。
ベースを整え、少しだけアイラインを引き、色つきリップを塗ると、梁子はダイニングへ向かった。
「おはようございます」
「おはよう梁子」
「おはよう、梁子さん」
そこにはすでに両親がそろっていた。
食事は済んでいるようで、大黒はコーヒーを飲みながら新聞を広げており、ゆかは洗い物をしていた。
「どうした、顔色がすぐれんようだが」
「あ……いえ、ちょっと眠れなかったもので」
「そうか? 目の下のクマがひどいぞ」
「はあ……まあ、ちょっと……」
梁子は目元をごしごしとこする。
「梁子さん、わたくしのコンシーラー貸しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、母さん」
「学校には……気を付けて行くんだぞ。今日はバイトか?」
「いえ。バイトは週に3日、火、金、日だって言ったじゃないですか、父さん。今日は木曜日だからありません」
「そうか……」
「でも、今日はちょっと『間取り』関係で遅くなります。母さん、申し訳ないです、ご飯……」
「わかりました。まあ御夕飯は一応作って置いておきますけど……気を付けてくださいね、梁子さん」
「はい」
「どんな家なんだ?」
突然大黒に訊かれて、梁子は昨日の家を思い出す。
「え? そうですね、一言で言えば『変わった』家ですよ。魔法使い……いえ、付喪神……の棲まう家?」
「ほう……それはそれは」
「一筋縄ではいかなそうですがね」
「サラ様好みの『変わった』家のようだな……まあ、無理するな」
「はい、まあそれなりに頑張ります」
パンが焼けたようで、ゆかが朝食を食卓に持ってくる。
トレーの上にはさらに牛乳とサラダが乗っている。
「いただきまーす」
15分ほどで食べ終えると、梁子はお堂に行ってサラ様を自らの身体に宿しにいった。
大黒は会社の重役のため、出勤するのはもう少ししてからである。
お堂の中で両手を合わせ正座する。
『梁子……昨夜はおかしなことを考えておったようだな』
しゃがれ声とともにふわりとサラ様が姿を現すと、梁子は苦笑した。
「気にしないでください。自分でもおかしいと思ってるんですから」
『そうか』
「では行きましょう。今日もよろしくお願いします、サラ様」
『ああ』
家を出、大学へ向かうバスに乗る。
目と鼻の先であるので乗車時間は30分もない。本数もたくさん出ているので、車内がぎゅうぎゅう詰めに混むということもない。
けれども、バスを降りてからが、長い。
学園の入り口である正門を抜けると、梁子はうんざりした。
「ここって、毎朝思うんですけど……なんでこんな長距離を歩かなくちゃならないんですかね……」
『わしは肉体を持たんから、あまり関係ないがな……』
「いいですね、サラ様は。歩かなくって~~~楽ですね~~~」
『がんばれ、梁子。負けるな、梁子』
「はあ……はあ……」
正門から順に小学校、中学校……と並んでいる。大学は一番奥に存在していた。
そこまで行くのに約500m。学園の真ん中を突っ切る道、通称『中央通り』は歩行者天国となっているため、必然的にそこを歩かなければならなかった。
歩くことで脳の活性化をうながすとか、体力の低下を防ぐとか、学園内で交通事故が起きないためとかいろいろな説があがっているが、梁子は毎日の通学がとても不便だと感じていた。
「なんでもう一つ、反対側に入り口を作らないんでしょう。反対側にもバス停作って、入り口も作ればそこから大学に、行けるのに……」
実際は『非常口』という名の門が反対側にもあるのだが、そこは災害時など緊急の時しか開かない仕様となっていた。
その二つの門以外はまるで城塞のようにぐるりと高い塀が学園を囲っている。
歩きやすいように、梁子はおしゃれを度外視してスニーカーを愛用していた。
これも地味アイテムのひとつである。
上から下まで完璧な地味スタイル。これぞザ・地味女。
これなら誰も見ないだろうと安心しても、そうはいかないのが上屋敷家の者の宿命である。
「はあ……」
小学生から大人まで、今日もいろんな人の視線が梁子に集まっていた。
バスに乗っていたときからもそうだったが、なぜにこんな人の注目を集めるのか。
サラ様の魅力が滲み出しているとはいっても、少々うざったすぎる。逆に地味な服が悪目立ちしているのだろうか。いや、たとえどんな服装をしたとしても、注目はされるのだろう。
目立たぬように静かに歩いていたが、梁子はかまわず走り出した。
「この通りよりは教室の方が人が少ない! 早く行こう……!」
大学の教室に着くと、ここでも他の生徒に見られたが、それは普段通り。
何人かの顔見知りに挨拶を交わすと、いつもの一番後ろの席についた。
梁子にはこれといって親しい友人はいない。
勉学に差しさわりのない程度にクラスメイトと交流できればそれでいいと思っている。
必要以上に親しくなると、上屋敷家の秘密が漏れるリスクがあるのだ。
「今日上屋敷さんの家で遊んでいい?」とか「家はどこにあるの?」とか「親は仕事何してるの?」なんて、そんなことを訊かれたりしたら面倒だ。
話し相手だったらサラ様がいる。
梁子はいままでそれでとくに寂しいという思いも抱いてこなかった。
そのため、今日もひとりで飄々と過ごす。
講義をいくつか終え、昼食を済ますと、梁子は人気の少ない校舎に向かった。
そこは工学部のとある実験棟なのだが、ここは昼休みはよほどのことがないと誰も近づかない隠れスポットである。
独りになりたい梁子は、ついつい毎日ここに足を延ばしていた。
「ふう……ここならやっと落ち着けますね」
『人がいる場ではどうしても注目されてしまうな、梁子。逆にそういったところから離れれば、妙なやつに追いかけられることもないのだろうが……』
「そうですね。そういえば、ストーカーになるような人ってここ最近はいなくなりましたよね。人ごみを避ける作戦が功を奏したのかもしれないです。ああ良かった」
『そうなったときにはさすがにわしが対処する……だがまあ、良かったな。面倒が減って』
「はい。サラ様も、いつもありがとうございます」
『わしのせいでもあるからな……礼はいらん。それよりも大丈夫か? 多少寝不足なようだが』
「ええ、大丈夫です。ちょっと……昼寝すれば……」
実験棟に入ろうとすると、ひとりの少女が声をかけてきた。
「あ、梁子さん」
「え?」
振り返ると、見知った顔がそこにあった。