4-41 最期の時
次々とピザの切れ端が箱から取り出され、久山の口に吸いこまれていく。
もしゃもしゃと咀嚼しながら、久山は大輔に訊ねた。
「ねえ店長? さっきから『殺す』とか物騒な言葉が飛び交っているんだけど……アレは、いったいどういうことなのかな?」
「えっと……聞かなかったことにしておいてくれませんか」
冷や汗をかきながら、大輔が応える。
久山はしらっとした顔で梁子やサラ様たちを眺めていた。
「そういうわけにもいかないよ、君に援助を申し出た手前ね。まさか……本当にあの博士を殺すつもりなのかい?」
「…………」
「君のところのスタッフは……問題をよく起こすね。一人目は身内が殺人犯になった。二人目は、実行犯か」
「ええと……あの、久山様……?」
「君はこのことについてどう思う? 河岸沢君」
しどろもどろになっている大輔を差し置いて、久山は河岸沢に話を振った。
「さっき、彼女を止めようとしてたみたいだけど」
「ああ、あれは俺の様になってほしくなかったんでね。でも、所詮あいつの問題だそうですから。これ以上はもう何もしませんよ。それにたぶん……あいつは『殺人犯』にはならないと思います」
「それは、どうしてかな?」
ピザを咀嚼しながら、久山は訊く。
「たとえ殺しても、証拠はほぼ残らないんです。『呪いの力』だったら科学的に立証することはできない。たとえ目撃者がいても……。俺のオヤジのときもそうでした。だから……」
「ふーん。じゃあ、ちょっと録画してみてもいい?」
そう言って、久山はタブレット端末に付いているカメラをを梁子たちに向けた。ハッとして身構えた大輔と河岸沢だったが、久山はすぐにそれを片づけてしまう。
「ああ、なるほどね。何も映らない……ってことか」
眼鏡をくいっとあげながら、諦めた様子を見せている久山に、大輔たちはホッと胸をなで下した。
「そう、です。どうやったって……記録には残らない。声も、おそらく録音されない。そういうものなんすよ」
「あそこには博士と……上屋敷さんと、ロリータ服の少女しかいない、『そういうこと』なんだね。僕の目には、着物姿の男の人も、同じく着物姿の女の子も、犬耳の男の子も見えてるんだけど……。ああ、不思議だ」
先ほど河岸沢は、大輔と久山、そして真壁巡査の肩に触れ、一時的に霊体が見えるようにしていた。梁子たちを追うのに必要だと判断したからそうしていたのだが……駐車場でその力を使ってからはひどく体調を悪くしていた。
頭を押さえて、苦痛に顔をしかめる。
「大丈夫かね」
「ええ……ちょっと、頭痛と吐き気が……うおええっ!」
久山が心配して声をかけると同時に、河岸沢は胃の内容物を吐きだした。あらかた吐ききると、河岸沢は蒼い顔をしながら口を拭う。
「すい、ません。大丈夫です。うっ……一応……な、慣れてるんで。とにかく今は……あいつらのこと、見守っててくれませんか」
「わかったよ……」
そう言って久山はゆっくりと河岸沢から離れていった。吐しゃ物をかけられたら敵わないと思ったのだろう。
大輔だけはそんな河岸沢を気遣って背中をさすってあげていた。
一方梁子は、そんな河岸沢たちの様子など気に掛けている暇もなく、サラ様をじっと見つめていた。
きっと、これが最期なのだと心のどこかで思う。
美しすぎる横顔はやがて前を向き、完全に見えなくなった。
呪いをかける対象、エアリアルに向き直ったのだ。
「では、そろそろ始めさせてもらおうか」
そう言うと、黒いもやを引き連れながら、サラ様はゆっくりと移動していった。
エアリアルは紅をひいた唇をにいっと三日月型に歪め、高らかに言い放つ。
「フフッ、いいデスよ。さあ、どうぞ。わたしの魂を召し上がってください。そして代わりに……あなたの術をワタシに味あわせてください!」
エアリアルは招き入れるように両腕を広げてみせる。
サラ様は音もなくエアリアルの側まで行き、無言のまま顔を大きく膨らませはじめた。そして、頭からおもむろにかぶりつく。
「サラ様!」
悲鳴は上がらなかった。
エアリアルは大人しく食べられている。まるで蛇の捕食のように、その体はサラ様の中にすっぽりと入っていった。
やがて、逆さまになっていたサラ様の体が元の位置に戻り、周囲には青白い光と黒いもやが混じりあった、暗い蒼色の光が滲み出した。
「さ、サラ様?」
異様な様子のサラ様に、梁子は思わず声をかける。
サラ様は無表情のままこちらを見下ろしていた。
瞳だけが強い緑色に輝き、いままでのサラ様とは明らかに違った様相を見せている。
「さ……サラ様!! 何か言ってください!」
だが、相変わらず無言のままだ。
梁子はだんだんと不安になってきた。
「こ、これからどうすればいいの……?」
ゲンさんがいつのまに術を解除したのか、真壁巡査がこちらに走ってきた。梁子のそばまでやってくると、顔をのぞきこんでくる。
「か、上屋敷さん! いったい、どうなっちゃったんですか? エアリアルさんという科学者は……?」
「もう、サラ様が食べちゃいました」
「えっ?」
「食べちゃったんです。真壁巡査……」
「そ、それって、どういう……?」
「サラ様の呪いが、発動したんです。たぶん、もうエアリアルさんは……。真壁巡査。わたしは、サラ様が呪い殺すのを止めなかった……どうしますか? わたしを、逮捕しますか?」
じっと、真壁巡査の目を見て言う。
すると真壁巡査は天を仰ぐようなそぶりをし、それから確認するように梁子に訊いた。
「ええと……それって、もう、助からないってことですか?」
「はい。たぶん……」
「そう……ですか……。じゃああの、上屋敷さんはどうされたいですか? どうしてほしいですか?」
「えっ?」
「逮捕は……前にも言いましたけど、たぶんできません。俺個人ではこの状況をうまく判断できないからです。ですので……」
「そう、ですよね……すみません」
梁子は迷っていた。
その迷いを、そのまま真壁巡査に預けようとしてしまった。そんなことをしてもどうにもならないのに。梁子は己の弱さを恥じる。
「ごめんなさい、真壁巡査……こんなこと言っても、アナタを困らせてしまうだけですよね。ああ……でも……」
そう言ってうつむいていると、梁子はふいにグッと肩をつかまれた。
「上屋敷さん! でも、俺は……俺はあなたの味方です! どんな道を歩んでも……俺はあなたを応援してます。ですから、あなたのしたいようにしてください!」
「真壁巡査……」
「上屋敷さん、もう一度訊きます。あなたは、どうしたいんですか?」
真壁巡査の真摯な問いかけに、梁子はハッとなった。
この後どうなってしまうのか、それが分からなくて怖くなった。
サラ様がいなくなったら、エアリアル博士を殺してしまったら……自分や周りがいったいどうなってしまうのか……それを思うと思考停止してしまっていた。
考えるのが怖かったから、現実逃避していた。
そうだ。
でも、河岸沢に自分はたしかに言ったはず。
これが上屋敷家の末裔の役目なのだと――。
「そう……ですね。ありがとうございます、真壁巡査。これはわたしの責任……です。上屋敷家の者として果たすべき、責任です。ですから自分でなんとかします。最後まで!」
そう言い切ると、途端におどろおどろしい様子のサラ様が近づいてきた。
「サラ様?」
禍々しい光を発しながら、サラ様は梁子に告げる。
『よくぞ言った……梁子。では、お前に最後の頼みだ。例の短刀をわしに突き刺せ』
「えっ?」
言われて梁子は背負っていた黒い筒に意識を向けた。その中には錆びついた抜身の短刀「鎧通し」が入っている。
「これを……サラ様に? でもこの呪われた短刀は……破魔の刃にするんじゃ? これは……」
「そうだ。それは、わしという穢れた神を消滅させるためのもの。刀を……出せ。梁子」
「サラ……様……」
梁子はわなわなと震える手で背中の筒を下ろした。そして、中から白いタオルにくるんだ短刀を取り出す。
「さ、サラ様……たしか今朝言ってましたよね。これを使うのは、エアリアルさんを仕留めた『後』だって。まさか、こう使うなんて思ってもいませんでしたよ……」
すらり、と刀を見せると、サラ様はそれにさっそく手をかざした。暗い蒼色の光が刀に乗り移る。
『これで、破魔の刃となった。梁子……それでわしを刺せ。そうすれば、すべてが終わる……』
「サラ様……」
『そして、わしと女科学者の『概念』をお前が引き継ぐことになる』
「えっ? 概……念って、なんですか? 良くわからないんですけど……」
妙な言葉が飛び出したので、梁子は思わず訊き返していた。
『概念……。要は、わしやあの女科学者が存在し続けていたらという仮定の話になるが……その場合どのような影響を世に与えられていたか、という力のことだ。この場でわしと、エアリアルという女科学者の存在は消える。だが、お前がその二者の影響力を引き継ぐのだ』
「えっと……それって結局どうなるんですか?」
『さあな。わしも屋敷神となってから初めて行うことゆえ……詳しくはわからん』
「そ、そうですよね……」
梁子は刀を持ちながら、苦笑してみせる。
『まあ、とにかく命を引き継ぐようなものだ』
「命を……?」
『ああ。概念がお前に引き継がれれば、その後周りの人々にわしらの影響が及ぶことはない。だから、このわしと女科学者の記憶も……徐々にみなの頭の中から消されていくはずだ。お前の中にだけは……残るがな』
「えっ?」
『お前だけが、憶えていれば良い』
「えっと……それじゃ、みんなは忘れてしまう、ってことですか?」
梁子はふとトウカ様や千花の方を向いた。
驚いてはいるが、彼女たちはどうにか納得しようとしているようでもあった。トウカ様がおもむろに口を開く。
『そうか、わらわは今後お主を忘れていくのか……。まあ仕方ない、幾度か世話になったの。さらばじゃ、蛇の』
『ああ。こちらの方こそ。さらばだ、藤の』
短い別れの言葉を交わし、屋敷神同士がうなづきあう。
「さようなら、サラ様。いろいろありがと」
「ありがとうございました、サラ様……」
千花と不二丸も、別れと感謝の言葉を述べる。梁子は胸がぐっと苦しくなった。
『おい、警官……』
「は、はいっ!」
続いてサラ様は真壁巡査に声をかけた。
『わしがいなくなった後の梁子は、大きく変わってしまうはずだ。それで愛想が尽きたなら、それはそれまでの想いだったということ。だが……それでも……』
「愛想なんて尽きません! 安心してください。俺は、上屋敷さんを……いえ、梁子さんをずっと守っていきます。あなたの代わりに……なるくらい!」
「……!」
梁子は真壁巡査の言葉に目が点になった。
まず、いきなり名前呼びで。そして、サラ様の代わりになる、とも宣言した。いったい、こんなときに何を言うのだろうと梁子は顔が真っ赤になる。
『ふん。それは少し大げさだな。わしの代わりになどなれるものか。だが……まあ、悪くない。せいぜいその意気でい続けろ』
「はいっ!」
梁子の気も知らないで、真壁巡査はそう元気よく返事をした。
胸の鼓動を抑えつつ、梁子はサラ様を見上げる。サラ様は表情が乏しかったが、どこか嬉しそうにしていた。そうこうしていると、手の中の短刀が急に強く光りはじめる。
『さて。では、そろそろだな。やれ、梁子』
「えっ……もう、ですか?」
『ああ。なんだ? ここにきてまだ……』
「サラ様……寂しいです」
『梁子』
「寂しいですけど……でも、お別れの時なんですね」
『ああ』
梁子はうつむいていたが、ぐっと唇を引き結ぶと顔をあげた。
「サラ様。小さい時から……ずっと守ってくださって、ありがとうございました。毎日毎日、生活をともにして……辛い時も苦しい時も、ずっとわたしのそばにいてくださいました。アナタがいてくださったから……わたしは安心して毎日を過ごせました」
『…………』
「ありがとうございます。とても、寂しいけど……でも、わたしはずっと、サラ様のこと憶えてられるんですよね」
『ああ』
「だったら、ずっと……憶えています。なので……『さよなら』は言いません」
梁子の言葉に、サラ様は大きくうなづいた。
『わかった。では、また会おう。お前の命尽きるとき……自我がまだ残っていれば、また会えるやもしれん……それまではさらばだ、梁子』
「ええ。お元気で、サラ様……」
梁子はそう言って手元の刀を両手で強く握りしめると、サラ様に向けて突き刺した。




