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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
4軒目 犯罪者の棲む家
105/110

4-38 絶望の空を超えて

 梁子たちは不二丸に案内されて、大井住学園上空までやってきた。

 それぞれ、梁子はサラ様の結界に、千花と不二丸はトウカ様のつるの結界に包まれている。

 低空飛行しているが、このおかげで下界の人々からは注目されていなかった。

 梁子は下を見るたびに蒼くなる。

 

「ひいっ! やや、やっぱりすごく高いです、これ! さっきの家の中とは大違い……ですよ。お、落ちたら……死ぬ……!」


 一方、千花はなるべく空を見上げ、高さを意識しないようにしていた。

 わずかに震えつつも横にいる不二丸に声をかける。


「だ、大丈夫? 不二丸……」

「ははは、はいっ!」


 そうは言っているが、不二丸も恐怖のあまり、半分変化(へんげ)が解けて犬耳としっぽが出てきてしまっていた。涙目で硬直しつつ、千花にひしと抱きついている。

 千花は嬉しいやら恥ずかしいやらで、少し戸惑っている様子だった。わずかに頬を染めながら、ぼそりとつぶやく。


「ふ、不二丸……近い……」

「ん? な、何かおっしゃいましたか、千花様?」

「ううん、別に……」


 千花は、トウカ様の蔓の端をもういちど強く握り直すと、不二丸の頭を安心させるようになでた。


「……よしよし。もうちょっとで着くから。だからあと少しだけ頑張って、不二丸」

「は、はい、千花様……。すいません……」


 頭上の黒い輪は、梁子たちが移動している間にも高速で回転し続けていた。

 やがてバリバリと紫電が四方に散りはじめ、轟音が空に響き渡る。


『ちっ。あれが直撃してはたまらんな。ゲン、例によって時間を止めることはできぬのか』


 サラ様が忌々しげにそう言うと、梁子のバッグから顔を出したゲンさんは首を振った。


「ええと……ダメですね。さっきからずっと試みてはいるんですが……あれはオイラが操れるようなたぐいのものじゃありません。なんというか……オイラが普段栄養にしているものと同じような……」

『なるほど。たしかにあれは「負の感情でできている」とかなんとか言っておったな』

「物質だったら、ある一定の時間軸に留めることができるんですが……人々の感情のエネルギーというのは、どの空間にもすぐ移動しやすいものなんです。だから……』

『そうか。であればお前の力はあてにならんな。やはりどうにかしてこれを作り出した大元を叩かねばならんらしい』


 しばらく飛んでいくと、やがて見慣れた門が見えてきた。

 大井住大学の入り口である。

 そこを通過すると、とある建物の屋上が怪しく輝いているのが見えた。黒い輪が発しているのと同じ光である。

 不二丸は鼻をひくつかせると、両目をカッと見開いた。


「あっ、あそこです! あそこに匂いの元となる人間がいます!」

『不二丸よ……それはまあ、言われんでもわかろうというものじゃ。明らかにあそこだけ異常が起こっておるしの。まあ、とりあえず早く向かおうではないか。こんな危ういこと、わらわはこれ以上千花にさせとうないしの』


 トウカ様はそうぼやきつつ、またしっかりと千花と不二丸に蔓を絡ませていった。


 このように高い位置を飛行することは、梁子たちにとってははじめてのことだった。

 トウカ様はもとより、不二丸もはじめはこの方法にひどく反対していた。万が一落下したら大惨事になるからである。けれど、事態は一刻を争っていた。移動速度を上げるためにはこうするよりほかなかった。


「もうすぐですよー。みなさん、頑張ってください! って……あれっ? あの人たちは……」


 梁子がみなを励ましていると、ふと地上に見慣れた人物たちがいるのに気が付いた。


「ど、どうしてあそこに真壁巡査や、店長たちが……? か、河岸沢さん……それに久山様まで?!」


 どうやら向こうも梁子たちに気付いているらしく、こちらに向かって何か叫んできていた。だが、風の音がうるさくて何を言っているのかよくわからない。サラ様が梁子に『降りなくていいのか?』と訊いてきた。


「……いえ、あそこには寄らないでください。彼らを、この戦いには巻き込めません。どうしてあそこにいるのか……わかりませんが、今は先を急ぎましょう」

『そうか。わかった』


 梁子たちはその場を通過し、エアリアルがいると思われる屋上へ急いだ。

 地上の男たちはあわてて後を追うように走ってくる。


 ちらりと、梁子はそれを振り返った。

 私服の真壁巡査が心配そうにこちらを見つめていた。

 サラ様の結界で覆われているのに、なぜこちらを視認できているのかわからない。


 あの場には河岸沢もいた。もしかしたら、河岸沢が何かしていたのかもしれない。

 梁子は追いかけてくる彼らと視線が交わる前に、また前を向いた。



 ※ ※ ※



 とある研究棟の屋上が近づいてくる。

 何基もの巨大なアンテナと簡易テントがある場所に、梁子たちは降り立った。

 テントの周囲で酒盛りをしていた白衣の男たちがこちらを向く。


「あ、あなたたちは……!」


 彼らはどうやらこちらの素性を知っているようだった。

 トウカ様はすばやく蔓を彼らにはわし、拘束する。抵抗される前にシメるつもりなのだろう。彼らの体に藤色に光る蔓が触れると、何やら甘い香りが周囲に漂った。かと思うと急に男たちは眠ってしまう。


「トウカ様……今のはいったい?」

『まあ、眠り薬みたいなものじゃな』


 梁子の質問に、トウカ様はさらりとそう答える。


 次々と倒れていく男たち。十数人はいたであろう人垣がなくなると、やがて奥から目当ての人物が姿を現した。

 なぜかその人物だけには蔓が届かず、また甘い香りの漂っている中であるにも関わらず、普通に歩いてくる。

 彼女がなにがしかの対策をとっているのは明らかだった。


 自称魔法科学者、エアリアル・シーズン。

 セミロングの金髪をなびかせて、彼女はこちらに微笑みかけてきた。


「ハァーイ。よくここまで来られましたネ、上屋敷サン。でも少ーし遅かったデス。実験はもう始まってしまいましタ! 負の感情エネルギーが、ついに電気エネルギーへと変わったのデス! フフッ、これからまだ半日くらいはこの機械を稼働させマスが……あなたたちはどうされるのデスか?」

「エアリアルさん……」


 屋上にある機械を見回しながら、梁子はエアリアルに詰め寄った。


「いったい、何を考えているんですか! さっきも色々説明されましたけれど……負の感情をいったいどうやって……集めたんです。街の人々にいちいち了承をとったわけでは……ないんでしょう!」

「フフ……まあそうデスね。勝手に、いただいてマース……」


 エアリアルはそう言って、赤く彩られた口の端を吊り上げた。


 これは……ホログラムではない。

 今はエスオの建物内にいるわけではないし、周りを取り囲む建造物もない。これは……本当のエアリアルなのだ。

 その底が知れない奇妙な存在感に、梁子は圧倒された。


「勝手にって……どういうことですか? まさかわたしに飲ませたお茶のようなものを……」

「フフッ、それを知ってどうするのデスか?」

「それで人々になにか悪影響があるというなら……そうならないようにするだけです!」

「悪影響……デスか? そんなにないと思いマスけどね。たかだか嫌な記憶がなくなるくらいデスよ?」

「えっ」


 あっけらかんと言いきったエアリアルに、梁子は唖然とした。


「い、嫌な記憶が無くなるって……無くなるのは、負の感情だけじゃないんですか?」

「ええ、そうデスよ。あれ? 言ってませんでしたっけ? 負の感情っていうのは、嫌な記憶とセットなんデース。だから、それを抽出すると、嫌な記憶も一緒に消えてしまうのデスよ。まあ、そんなもの無くなってもいいものだと思いマスけどネ……」

「記憶が、なくなる……?」


 千花はハッとして眉根を寄せた。

 かつて、彼女は「世界的な影響がでるかもしれない」と危惧していた。それを思い出したのだろう。


「そんなことが人々のあいだで一斉に起こったら……」

「フフッ、あなたの場合は……そこにいる式神のワンちゃんに想いが通じなかったこと、デスかね? その『悲しい記憶』は、この実験で徐々に薄れていきマスよ」

「……!」


 プライベートなことを急に指摘され、千花は動揺した。梁子の視覚を通して知られた情報だろうが、それでも直接言われると、かなり衝撃が大きかったようだ。

 隣にいる不二丸もどことなく気まずそうにしている。


「うっ……。こ、これが、みんなの中にも起こるっていうの……?」


 エアリアルの言う通り、徐々に、記憶に変化が起こってきたようだ。千花は顔をしかめながら、胸元を手で押さえはじめた。 


「それと上屋敷サン、あなたもデス……」


 エアリアルは、次に梁子に声をかけてきた。ドキリとして、梁子は思わず自分を指さしてしまう。


「えっ。わ、わたし……ですか? いったい何を……」

「あなたは真壁巡査という警官と結ばれないのを悲しんでいましたネ?」

「えっ……そ、それは……」

「その悲しみの記憶も、だんだんと薄れていきマスよ。『良かった』デスね、大庭サン、上屋敷サン……」

「そんな……。それが、この実験の代償……だっていうんですか?」

「そうデス。ごくごく少ないデメリット、それに比べるととっても大きなメリット。それがこの実験の価値なのデス。過去の嫌な記憶に縛られて、明日を憂う必要はもうありません! フフ……そこにいる、小人サンも……ネ」

「おっ、オイラ、ですか?」


 今度はゲンさんが指名された。ゲンさんはあわてて梁子のバッグから顔を出す。


「ええ。あなたは……とても面白い存在デース。われわれ精神生命体にかなり近い……。いずれあなたのことも詳しく調べたいところデスが……今はこの実験の被験者のひとりになってもらいマス。あなたの場合は……小泉美空が傷付けられた恨みと悲しみを、無くせるでしょうネ」

「ミクの……事件を……?」


 ゲンさんは次の瞬間、エアリアルをひどく睨みつけた。大切な者への想いを、踏みにじられたように感じたのだろう。けれど、だんだんとそれも穏やかな目つきへと変わっていってしまった。数秒経たぬうちに毒気が抜けきったような顔になる。


「ど、どうして! オイラは……怒りたいのに! あいつを、憎みたいのに! どうして、どうして許してしまいそうになってるんです!」

「フフ……だから言ったでしょう? そういう負の感情を吸い取っていると……。怒りは何も生み出しませんよ。平和が一番デス。上屋敷サンたちも……どうデスか? 小泉美空さんのこと、まだ憤慨されていマスでしょうカ?」

「こ、これが、この実験の影響……なんですね。憎しみや恨みが無くなり、その記憶まで消される……。そんな、こんなことって……。美空さんが傷付いた事件を忘れるなんて……したく、ないです。あれはわたしが、責任をとらなきゃいけない事件……なんです。それを忘れるなんて……」


 梁子は頭を激しく振った。この現象に抗おうとした結果だが、効果はまるでなかった。どんどん、どんどん記憶がおぼろげになっていく。

 ふとサラ様を見ると、とても苦しそうにしていた。

 ぼそぼそと何かを小さくつぶやいている。


『忘れて……なるものか……。ミネとの……約束を……お前、ごときに……』

「さ、サラ様?」


 心配になって声をかけたが、まるで聞こえていないようだった。サラ様は一直線にエアリアルのところへ向かうと、ガブリとその顔にかぶりつく。

 だが、いつまでたっても、その口はエアリアルに届かなかった。

 まるで彼女にも結界が張られているかのように近づけない。


 エアリアルはこめかみを指で叩くと嬉しそうに言った。


「フフッ、無駄デスよ。ワタシにはもう、あなたの幻覚は効きません。置き土産、あれを分析したおかげで対応することができましタ。幻覚を見ないように、ワタシの脳にはある特殊なフィルターがかけられていマス。もう、ワタシを食べることはできませんヨ?」

『何を……こしゃくな!』


 何度も噛みつくが、ことごとくその攻撃は通じない。

 エアリアルは不思議そうに小首をかしげた。


「フム……いったいみなさん、何が不満なのデス? どうして嫌な記憶を消されたくないのデスか? そんなもの……不要なのに」

「それは……」


 梁子は言いよどむ。たしかにそういったネガティブな感情が無くなれば、辛い思いをする人はいなくなるだろう。

 過去の記憶にずっと悩まされる人も、死にたくなったり何もする気が起きなくなるくらい体調を崩してしまう人も、明るく幸せな日々を送ることができるはずだ。


 でも、これは、これだけは、何かが間違っていると感じる。

 それだけはいけないことなのだと、梁子の頭の中で警鐘が鳴り響いている。


 その人自身の心に折り合いがつかないまま、強引に記憶が消されてしまうのは……時間の経過以外で、誰かがそれを無理矢理消してしまうのは……とにかく良くない。


 どんな思い出であっても、それがきれいさっぱり無くなってしまったら、自我の一部も一緒に消えてしまうことになるだろう。その人の歴史や、誰かとのつながりが、永久に失われてしまうのだ。

 

 漠然とした不安が次々と心の中に湧き上がってくる。

 それが今、何万人もの人に起こっているというのだ……。

 どうにかして阻止しなければと思う。


 けれど……それも徐々にかき消えていく。

 今はもう、何を考えようとしていたのかさえ、おぼろげだ。


「……ダメ、です。消したらダメ……。これを、これをどうか、やめてください……」

「フム……かなり辛そうデスね? なら、例の『試薬』を追加で差し上げましょうカ。これをもっと飲めば、そんな余計なこと、もう考えなくなりマスよ」


 そう言って、エアリアルは背後のテーブルを指し示した。

 その上には「奥日光の天然水」と書かれたラベルのペットボトルがたくさん置いてある。


「そっ、それは……!」

「ええ、これが例の試薬デス。一般に広く流通させましタ。この実験をはじめるまでは特に影響の出ない、ただの飲料水……思いのほか、人気商品になりましたネ」

「まさか、あのミネラルウォーターが? これも、あなたの仕組んだものだったというの? いったい何人の人が……」


 千花はあまりのことに開いた口が塞がらなくなっていた。

 知らずに飲んだ者は、数百万人はくだらないだろう。

 それこそ全国に流通したのだ。この大井住市の人口は十万人くらいだろうか。全員は飲んではいないはずだが、それでも少しでも飲んだことがある者は膨大な数のはずである。


 エアリアルは人差し指を顔の前で立てると、ウインクした。


「さあ、まだまだエネルギーの変換作業は続きマスよ。あなたたちも記憶を失いたくなければ、この街から離れることデスね。これは忠告デスよ」

「ふっ……ざけるなああっ!」


 そのとき、野太い声とともに屋上の入り口から数人の人間がなだれ込んできた。

 それは、さっき梁子たちが素通りした、真壁巡査たちだった。


 扉が開けっ放しだったために、こちらの会話が聞こえていたのだろう。怒りの声を上げたのは店長の大輔だった。

 いつもは穏やかな性格なのに、興奮しきっている。大輔は久山が持っていたピザの箱の一つを引っ掴むと、その中にあったピザをぶんとフリスビーのように投げつけてきた。


「あっ、僕のピザ……」

「ブッ!」


 それは見事エアリアルの顔面にぶち当たった。さすがに突然の物理攻撃はかわせなかったようだ。


「すいません、久山様! あとで弁償いたします!」

「まあ、いいけど……その代わり何かサービスしてよ?」


 大輔が事後承諾であやまると、久山は笑ってそれを反故にしてくれた。

 気を取り直した大輔は、また一歩前に出る。


「なんてことを……なんてことをしてくれたんだ、君は! 久山様のピザも台無しにしたし、ひどい奴だな!」


 言われたエアリアルはぽかんとしている。

 しばらくしきりと首をひねっていたが、やがて梁子の勤め先の人間だと気付くと、白衣のポケットからハンカチを取り出して、べっとりと顔についたソースをぬぐいはじめた。

 足元のピザを見ながら、口を開く。


「ええと……食べ物を……粗末にしちゃあいけませんヨ? たとえこれを作った本人だろうとネ」

「うるさい! ピザは俺の魂も同然だ! だからそれは、俺の気持ちを代弁したものなんだ! 顔面キャッチがうまくいかなかったのは、君のせいだ。責任もって後でちゃんと食べておけ!」

「なっ……」


 あまりのトンデモな理論に、エアリアルはついに返す言葉を失っていた。

 一方、大輔は徐々にテンションをヒートアップさせていく。


「だいたいなあ、俺は、華のことは絶対に忘れたくないんだよ! それを……辛い記憶だから、いらない感情だからって、『消してやる』? 大きなお世話だっ! エネルギーのためだかなんだか知らないが、冗談じゃない! 華が死んでからこの十何年、辛くて辛くて、悲しくて……死にたいくらい苦しかった! けど、それでも俺は、そんな気持ちを一秒だって忘れるわけにはいかなかったんだよ! だって、それだけ悲しいってことは……俺はあいつをそれだけ愛してたってことだからだ! なら、その気持ちを……絶対に消させはしない!」

「店長……」


 大輔の熱い言葉に、梁子は目が覚める思いだった。

 ぶんぶんと顔を振り、バチンと両手で頬を叩く。


「店長、ありがとうございます! ……その通りです」


 そう言って気合を入れ直した梁子は、サラ様に笑顔で振り向いた。 


「サラ様。博士をどうにかできないなら……あの機械、ぶっ壊せますか!」

『なるほど……それはいい考えだな』


 サラ様はニヤリと笑って方向転換すると、梁子の指示したアンテナの方へと飛んで行った。


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