4-35 エアリアルの計画
「……そもそもこれは、この世界のエネルギー問題を解決するための実験なのデス。人口はどんどん増えているのに、原子力に代わる高エネルギーはいまだ発見されていません……ワタシはその未知なるエネルギーを『ある物』から精製することに成功しましタ。あとは実地実験するのみ、デス!」
エアリアルが滔々(とうとう)と語っている。
床はまるで水面のように波打っていた。
バランスを崩した梁子は派手に転倒していたが、ふと気付くと宙に浮いている。周囲に青白い膜ができていた。
「こ、これは……サラ様?」
『ああ。梁子、とりあえずこの中にいろ。これでしばらくは周りからの影響を受けまい』
どうやらこのシャボン玉のような膜は、サラ様の結界で作られているようだ。
たしかにこの中にいれば安全そうである。
「……上屋敷サン。あの空の黒い球体、いったい何でできてると思いマスか?」
唐突にまた、エアリアルが話しかけてきた。
梁子たちは冷や水を浴びせられたようになる。
「えっ、何でできているん……ですか?」
「ふふっ、あれは……人々の『負の感情』デス」
「負の感情?」
「はい。辛い、苦しい、痛い……そのようなマイナスのエネルギーを寄せ集めたものなのデス。感情というのは……常に目には見えないエネルギーとして体外に放出されていマス。脳で生み出されたそれは、とてつもないポテンシャルを秘めている……。特に負の感情は正の感情のそれをはるかに上回っていマス。ワタシはそのエネルギーを観測し、集積する技術を編み出したのデス!」
「感情のエネルギーを……集積……」
梁子は以前、美空の家でサラ様が語った話を思い出した。
衣良野やターの分身を食べたことで、サラ様はエアリアルの計画の一部を知った。そのときにたしかちらっと聞いた気がする。エアリアルは「人々の思考回路から別次元のエネルギーを引き出すこと」が可能になったのだと……。
「そう、負の感情……。あのエネルギーはとても素晴らしい! 恨み、憎しみ、嫉妬。人々を長年縛り、死してもその場に永く残る……地縛霊なんかがまさにそうデスね。ワタシはそれら「念」と呼ばれるものを、集積するだけではなく、さらに新たなエネルギーに作り替えることにも成功しましタ! このシステムが実用化されれば、人々はネガティブな感情を持つことなく、メンタル面の健康も取り戻せマス。自殺者やうつ病患者もいなくなり……しかも同時に、新たなエネルギーも世の中に出回る! まさにWin-Winなシステムデス! 上屋敷サン、素晴らしい技術だとは思いませんカ?」
梁子は素直にうんとは頷けずにいた。
聞いた限りではメリットばかりに思える。けれど、相手は「あの」エアリアルだ。きっといい面だけではないだろう。サラ様は、美空の家でこうも言っていた。「それを取り出すために、町中の人間を実験台にするつもりだ」と。そして「思考元となった人間の脳に、なんらかの障害を及ぼす」ことがあるかもしれない、とも――。
「Win-Winっておっしゃってますけど……そんなシステム、本当に実現可能なんですか? たしかに実際にその通りのものが空に浮かんでるようですけど……でもどうやってあれを別のエネルギーに? しかもどこからその、負の感情を……」
「ふふっ、まあそう疑うのも無理はありませんネ。なにしろ人類初の試みなんデスから……。しかし、あなた方はすでに、あのプロトタイプを見ているはずデス……もう十二分にご存知のはず。あの子は自らを『S』もしくは『土の精リオ』と名乗っていませんでしたカ?」
「……!」
梁子はハッとした。宮間兄の住んでいた家を思い出す。
あの建物の屋上にいた存在……土の精リオ。
最初その体は黒いもやもやしたもので覆われていた。言われてみれば、たしかにあれと同じものかもしれない。初めて空の黒い球体を見た時にもそう感じたからだ。
もしあれがエアリアルの言うとおり、同じ原理でできているのだとしたら……たしかになにかしらのエネルギーに変換することができるのだろう。それが人型の精霊になるか、電気エネルギー変わるかはエアリアル次第なのだ。
「あの子は……『土』を触媒にして負のエネルギーを集めていましタ。今回の実験は『水』を用いていマス。空気中に水分というのはいくらでもありマスからね。被験者たちにも『負の感情を発散させやすくする』試薬を飲ませていマスし……この触媒に変えてからずいぶん効率が良くなりましタ。今は地上から電磁波を送って、任意の場所に集めているところデス。達成率は約90%といったところでしょうカ。一定の量が貯まったら、それをこれから電気エネルギーに変換していきマス」
エアリアルはそう言って、嬉しそうに笑った。
室内は相変わらずいたるところが激しく変化している。ふと後ろを見ると、千花がトウカ様の蔓に覆われ、梁子と同じように宙に浮いていた。
「千花ちゃん!」
「うん、梁子さん。こっちは大丈夫」
蔓は千花の体を持ち上げるようにして巻き付いていた。梁子の隣にやってくると、千花は眉根を寄せる。
「なんか今、すっごく不穏な言葉を聞いた気がするんだけど。被験者たちに飲ませた、って……何を? ていうか誰に。どれくらい……?」
まさに同じ疑問を梁子も抱いていた。
飲ます。その言葉を聞いて思ったのは、自分が飲まされた「お茶」のことだ。あれと同じようなものを、他の人間にも飲ませているのだろうか。なら……恐ろしいことだ。常に監視され、いいように操作されている人間が何人もいるということだ。
それをエアリアルに問いただすのは怖かった。
ただでさえ、得体の知れない実験だ。詳細を訊いてしまったら、なにかしら後悔するかもしれない。
だが、梁子は立ち止まるわけにはいかなかった。
いままでエアリアルに翻弄され、傷つけられた者たちのためにも。そしてこれから被害に遭うであろうまだ見ぬ者たちのためにも。
どんな理由があっても、これを阻止しなくてはならない。
梁子はエントランスホールの奥をじっと見やった。
このまま空を飛びながら先に進むこともできそうだったが、エスオからのさらなる妨害があるかもしれない。
じっと注意深くうかがっていると、急に床の一部が盛り上がってきた。かと思うと2メートルほどの巨大な手が出現する。予想通りだ。鎌首をもたげるように指先がこちらを向くと、それは矢のように突っ込んできた。
「あっ、危ない!」
梁子が叫ぶと、すばやく結界の球が横に動いた。千花たちもすんでのところでそれを避ける。
「エスオさん……!」
床の木材で覆われた巨大な手が、ブンブンと周囲をはたくように動いていた。そして、それは一体だけでなく、二体、三体と徐々に数を増やしていく。
これは、明らかにエスオが操っているものだった。
もしこれがまともに当たっていたら、最悪死んでいたかもしれない。梁子はぞっとした。エスオが生み出すものはそのほとんどが幻影だが、一部は正吉を閉じ込めていた檻のように物理的なものがある。結界の応用だ。この手もそれと同じようなものだとしたら、人間などひとたまりもない。
『ふん、ずいぶんとなめた真似をしてくれる』
低い声でそうつぶやくと、サラ様はまた顔を大きくふくらませた。口をガバッと開ける。
巨大な手がまた襲い掛かってきた。だがそれを真っ向からサラ様が噛みつく。真っ赤な口の中にそれらは次々と取り込まれていった。
「ぎゃああっ! いやっ、やめて! もう、た、食べないでえええっ!」
エスオの悲鳴があがるが、その割には向こうの攻撃も止むことはなかった。
巨大な手はさらに複数生まれ、サラ様もまたそれを片っ端から食い尽くしていく。手が現れなくなるまで繰り返すと、やがてそれらは一つもなくなった。サラ様はぺろりと舌なめずりをする。
『さて。もう終わりか? 今度はどこから喰らおうか』
相変わらず床や壁はうごめいていたが、先ほどまでの勢いはなくなっていた。梁子たちは少しずつ、消失した階段付近へと近づいていく。
どうしてそこまでするのか。
梁子はなんだかひどくむなしくなってきた。エスオも、ターも、ムーアでさえ。妨害してこなければこんな風にはならなかった。
次に攻撃してきたら、今度こそエスオもサラ様に消されてしまうだろう。
だというのに、エアリアルはこれらの光景に全く動じていない様子だった。
まるで最初からこうなることがわかっていたとばかりに、配下たちが消えていくのを悠然と眺めている。
梁子はその態度にもひどく腹が立ってきた。
「どうして……どうして何も言ってやらないんですか? エアリアルさん。彼らがこんな目に遭っているのに……どうして?! お願いします、やめさせてください! あなたが……一言言えばいいんです。もう抵抗するなって。そうしたらエスオさんは……ターさん、ムーアさんだって!」
そう叫ぶと、エアリアルは心底面白そうに笑いはじめた。
「あははははっ……! あなたが、あなたがそれを言うんデスか? なんて面白いジョークなんでしょう。ふふっ、あなたたちからも負のエネルギーが出ていマスけどネ? ……ワタシはただ、この子たちにおもてなしをしてあげてくださいと頼んだだけデスよ。ワタシから言わせてもらえれば……あなたたちこそ、ここに来なければこんなことにはならなかったんデス。ワタシのせいにするのは、やめてもらいたい。オカドチガイ……そうお門違いデスよ」
「エアリアルさん。たしかに……たしかにそうかもしれません。でも、わたしはアナタがなんのリスクもない実験をするとは思えないんです。だから……絶対に止めてもらいます! 宮間さんのお兄さん……それに、美空さんも、タヌキの正吉さんだって……アナタがしたことを考えると、どれも許すわけにはいかないんです! アナタの野心のために、誰かが犠牲になるなんて。そんなことはもうさせません! 今回の実験も……どうせメリットだけではないんでしょう?」
「ふふ……そうデスね。先ほども言いましたが、多くの幸福のためには少々の犠牲はつきものなんデスよ」
「少々?」
その言葉に梁子はかちんときた。あまりにも身勝手すぎる。
「アナタにとっては少々かもしれません。でも! その『少々』に選ばれてしまった人たちはどうなるんですか? 彼らにとっては全然少々なんかじゃない! 人生をめちゃくちゃにされて……前の状態に戻りたくっても戻れないんですよ! それがどういうことか、どんな気分なのかわかりますか! アナタに……アナタに彼らの人生を破壊する権利なんて無いんです! 本当に、ターさんたちのことも……なんとも思ってないんですか?」
梁子は感情の高ぶるままに絶叫した。けれど、エアリアルはぽかんとした顔で見下ろしている。
「人生? ああ、あなたたち三次元、四次元の生き物にとっては、一度きりの大切なもの……という認識でしたネ。でも、死んだって世界はどこまでもつながっているんですよ? だから、輪廻を繰り返せば何も問題ありません」
「さ……三次? 輪廻? な、何を言ってるんですか? アナタはいったい……」
妙なことを急に言いはじめたエアリアルに、梁子は狼狽した。
何のことなのかまるでわからない。
千花は博識なので、なんとなくその意味がわかったようだった。しかし、さすがに突拍子もないことだったので動揺している。
梁子はふと、ある言葉を思い出していた。
『やつはそもそも人ではないかもしれん』
衣良野やターの記憶を取り込んだ後の、サラ様の言葉だ。そのときはにわかには信じられなかったが、不気味な発言の数々に、梁子はだんだんとそれを実感するようになってきていた。もしかしたら、本当に普通の人間ではないのかも……しれない。
「ああ、ワタシが何者か、ということが気になっているのデスか? ワタシはあなたたちの世界よりも上の次元に生きている精神生命体、デスよ」
「上の次元……? 精神生命体って……」
「あなたたちの言葉で言うと、5次元、もしくはそれ以上の次元のことデスね。そこから一つ二つ下のこの次元にワタシはやってきたんデス。前々から少し興味がありましてネ。あなたたち人間も漫画とかアニメの世界に興味を抱くことがあるでしょう? あれと一緒デス。この世界の器に寄生することで、存分に体感することができましタ。元の世界にも、ワタシと同じようにこの世界に興味を持っている者がたくさんいましてネ、その橋渡しも、いずれはする予定なのデス」
「そっ……そんな……」
「高次元の存在……って……」
梁子も千花も、それ以上は絶句するばかりだった。
トンデモな話すぎて、ついていけないというのが正直なところだった。普通じゃない人間だとは思っていたが、まさかこの世界の者ですらなかったとは。さらに、もっとエアリアルみたいな者が来る予定だという。
『器……と言ったな、女。あの猫や辞書の付喪神の記憶を読んだが……お前は少なくとも数百年は生きているらしいな? 今の言葉となにか関係があるのか』
サラ様がふと疑問を口にする。
「ええ、そうデスね。中身はずっと同じデスよ。外側だけ、いつも適当なものを見繕っているのデス。ある器に入ると、もともと入っていた精神体はわたしの代わりに高次元に戻されマス。また違う入れ物に入る時まで、その精神体は高次元の世界で待たされるのデス。ワタシの方が融通のきく個体なので、自由に入れ替わらせてもらっていマスが……。この器はもう何十体目になりマスかネ? 数えるのはとうの昔にやめましタ」
「そんな、それって……」
器というのが任意の人間のことだとわかると、梁子は吐き気がした。
『ふむ……そうか』
一方サラ様はなにか納得したようにうなづく。
『であれば、憑依霊のようなものだな。なら……容易いわ」
そう言って低く笑う。
梁子は急に不安になってきた。
サラ様はまだ余裕でいるが、本当にエアリアルを殺すことができるのだろうか……と胸騒ぎがする。
相手は高次元の、この世のものではない存在だ。もし倒しきれなかったら、かなり危険な状態になるのではないだろうか。
千花の言っていた「この世界が大変なことになる」というのがまさに現実化してしまうかもしれない。
「サラ様……あの。あの方ああ言ってますけど、その……」
『案ずるな。わしを信じておれ、梁子』
「……はい」
サラ様に諭され、梁子は少しだけ落ち着く。
「まあ、そんなわけで、これから色々やらせてもらいマスね。少しはこの世界のためにもなりマスし。まるっきりデメリットばかりじゃないんデスよ? そうじゃないと、あまりにもこの世界の人がかわいそうデスしネ。ワタシも鬼じゃありません。搾取するだけじゃあないんデスよ」
どの口が言っているんだ、と梁子は思った。早く……一刻も早くこの実験を止めさせないといけない。
梁子はたまらなくなって叫んだ。
「サラ様! もう我慢できません。一気に突っ切っちゃいましょう。きっと、この上にいます!」
『そうだな。もたもたしておれんし、そうするか』
「あっ、何勝手に行こうとしてんのっ、あんたたちの相手はこのアタシよっ!」
階段もなにも無くなっていたので、梁子たちはそのまま天井を破壊して上に行こうとした。
以前衣良野に聞いた時には、二階はホログラムが弱くて人が歩き回れるかどうか定かでないという話だった。だが、今はシャボンの結界で飛んでいるので大丈夫だろう。
エスオの制止を振り切って、梁子たちは二階へ飛んだ。サラ様の口がばくんとエントランスホールの天井を丸く切り取る。梁子たちはその穴から侵入した。
「エアリアルさんっ!」
薄暗い二階部分。叫びながらあたりを見回すと、そこには……。
何もなかった。
調度品もなければ、窓も天井もない。
エアリアルの姿も、どこにもなかった。




