4-33 【人工精霊たちの覚悟】
薄暗い部屋の中央に立体映像が投影されている。
上屋敷梁子の視点映像だった。
バスで移動中なのか、目の前には吊革につかまる少女、大庭千花が立っている。上屋敷梁子はふと窓の外を見る。空には、黒いもやでできた球体がいくつも浮かんでいた。
「……マスター。もう、こっちに向かってるみたいだよ」
「そのようデスね」
ホログラムのそばに立っていた少女がそう言うと、マスターと声をかけられた女性は軽くうなづいた。
白衣をまとった彼女は、直立しながらキーボードを高速でタイピングしている。半透明の画面とキーボードが、女性の胸の高さほどの位置に浮いていた。
ある程度入力作業が終わると、エンターキーを押してパソコンを消失させる。ぐっと両腕を高く上げ、体をほぐすように伸びをする。ブロンドの髪がふわりと揺れた。
彼女の名はエアリアル・シーズン。魔法を現代科学で解明し、世の中に広めようとしている科学者である。
にこやかな笑みを浮かべ、エアリアルは高らかに宣言した。
「さてと。動作環境も良好のようデスし、そろそろ本格的に始めるとしマスかね! 彼女たちもじきに到着するでしょうし……あ、皆さん、いらしたら丁重におもてなしをしてあげてくださいね? ワタシは別に彼女たちに実験の妨害を許したつもりはありませんから」
「はい、わかりました」
「うん……」
「わかったわ」
エアリアルの指示に、先ほどの少女と壁際に立っていた他二名が応じる。
明るく振舞ってはいるが、彼らはこれから起こるであろう修羅場に戦々恐々としていた。それでも自らの主の意向に逆らうことはできない。
エアリアルはそんな三人に、冷酷に釘を刺した。
「ひとつ言っておきマスが……彼女たちには一切、手心を加えないでくださいよ? 甘い考えは捨ててください」
「……マスター」
「この実験は、ワタシのいままでの集大成デス。失敗は……できればしたくナイ。何度でも挑戦しようと思えばできマスが……それでもいちいちやり直すのは面倒デス。あなたたちは、ワタシの言うことを何でも聞くという契約をしましタ。願いを叶える代わりに、その命をささげ……ワタシにその使い途をゆだねタ。今回の役回りは気が乗らないとは思いマスが、どうぞその約束を忘れないでいてください」
その言葉に、ぞくりと三人は背筋を震わせた。
契約……たしかに、皆それをエアリアルと交わしていた。
――――。
猫の精、ターは思う。
かつて、どうしても叶えてほしい願いを彼女に叶えてもらっていた。それが叶うなら、どんなことでもするとエアリアルに誓った。
でも、死というものは何度経験しても慣れないものだ。
それを前にすると圧倒的な恐怖感に身がすくみ、逃げ出したくなる。すべてを捨て、忘れて、約束を反故にしてしまいたくなる。そんな衝動が湧き上がる。
しかし、エアリアルと契約をしてしまった手前、それはできないことだった。
裏切れば即、この身を抹消させられてしまう。それは「死」を意味していた。
死。
ターは一度死にかけている。
まだ普通の猫であったころのことだ。道端で死の淵をさまよっていたところを、たまたま通りかかったエアリアルによって救われた。
生まれ変わってからは、しばらくまた愛しい者との生活を取り戻せた。だが、その愛しい者の命が尽きた時……ターはエアリアルとの契約を果たさねばならなくなった。
「相手との別れの時が来たら、その相手の命もろともワタシのものになってください」
ひどい条件だと思った。だが、死に瀕していた時には背に腹は代えられなかった。その契約をあとから悔いても、もうすべてが遅かった。
ターはもうかれこれ何百年、エアリアルに付き従っている。
自分という存在が消えたなら、きっと『あの娘』との思い出も消え去ってしまう。
だから、まだ、消えたくない――。
その一念でターは契約を順守し続けた。
あの娘の魂とともに生き続けられるのなら、たとえどんな茨の道だって進み続けられる。そう思っていた。たとえそれがどんなに間違った生き方だったとしても。ターにとってはそれがすべてだったのだ。
――――。
箒の精、ムーアは思った。
たしかにかつて、エアリアルに願い事を叶えてもらった。
何十年間も新品のまま真っ暗な倉庫に押しこめられていて、やっと人に出してもらえたと思ったら、即処分されてしまった。そしてゴミ捨て場に捨て置かれていたところを、たまたま通りかかったエアリアルに拾ってもらったのだ。
箒としての役目を果たさないまま消えたくなかった。
だからムーアは「一度だけでも掃除をしてみたい」と彼女に願った。
言葉をいっさい交わさなかったのに、エアリアルはその思いをすぐにわかってくれた。ずっと彼女のそばにいることを条件に、ムーアは掃除ができる精霊として作り変えられた。
その「ずっと」がいつまでか続くかなんて……そのときはまったくわからなかった。
せいぜい十数年くらいだと思っていた。エアリアルが普通の人間だったなら、ムーアの予想も大きく外れたりはしなかっただろう。
でも、エアリアルは普通の人間ではなかった。まさかこんなに何十年も、何百年もこき使われることになろうとは。
もういい、もう十分すぎる。
そう思っていても、いつまでたっても箒の先ははすり減らず、エアリアルも年を取らなかった。永久とも思える時間がただただ流れて行く。
今では美しく消え去ることだけが望みだった。
ホコリを掃くように。ゴミを捨てるように、すっきりと。掃除をし終わったあとのように美しく消え去りたい。この意識がなくなるのは、なんだか少し怖くもあったが、それでもこの長すぎる契約の終わりを迎えることができると思うとムーアは少しだけ嬉しくなるのだった。
物にはそれぞれ、持って生まれた「役割」や、決められた「時間」というものがある。
だが、この長すぎる使役は明らかにそれを超越していた。
――――。
洋館の精、エスオは思う。
いつからこんなことになったのだろう、と――。
エスオはかつて、片田舎に住まう貧乏貴族の屋敷であった。
優しい両親と三人の子供たち。屋敷には笑い声が絶えず、それほど裕福ではなかったがいつも温かい空気に満ちていた。
あるとき、村に流行り病が広がった。
貴族の家の者もみなそれに罹患してしまい、刻一刻と死の影が忍び寄った。自分には何もできない。エスオは建物である我が身を呪い、そしてひどく悲しんだ。そんな折、彼女が旅人としてこの村にやってきた。
彼女はまさに救いの女神だった。エスオは一言も言葉を発していないのに、「誰でもいいから助けてほしい」という彼の念を感じ取ってくれたのだ。そして、こころよくその願いを聞き入れてくれた。
一週間もしないうちに、貴族一家は全快した。
「願いを叶えたのだから、家主がいなくなったらワタシとずっと一緒にいてください」
そう要求され、恩を感じていたエスオは何の疑問も持たずに彼女とその契約を交わした。
そして数年後――。
またエアリアルが村にやってきた。その時には、すでに村には人っ子一人いなくなっていた。エスオの家の貴族の家族たちも……。
助けられた翌年、また流行り病が発生したのだ。その年にはエアリアルはやってきてくれなかったので、村の人間は全滅してしまった。
以来、ずっと彼女に付き従っている。
彼女の住処として各地を転々としたり、いろいろな実験に付き合ってきた。だが、そこに忠義心というものはなかった。貴族の一家に対するような思いはまるで抱けなかったのである。
それはなぜか。
理由はエアリアルの性格というか、その本質に起因していた。
長年そばにいて少しずつわかってきたのだが、彼女は単なる好奇心の塊だった。「正義」とか「悪」だとかそういう概念で動いていない。それゆえ、人としての何かが決定的に欠落している。
普段から彼女はエスオたち人工精霊に対して配慮というものをまったく発揮しなかった。自らの作ったものでありながら、愛着心がまるでないのだ。
作ったら作りっぱなし。いつでも廃棄することのできるオモチャ、ただ消費するためのパーツという扱いでしかなかった。手元にストックを置きたいがために勧誘し、同意を得て、忠実に動く「駒」を集めていたのだ。
それを知ったエスオは当然すぐに感謝の念を抱かなくなった。
表向きは従順な態度を見せている。
でも、所詮この人間にとって自分は「駒」のひとつにすぎない。
それがわかったら、もう後は自分のことだけを考えるようになった。かつて共にいた、あの一家を思い出せるような格好をするようになった。
ずっとそうして暮らしていければいいと、思っていた。でもそれは間違いだった。大きな間違いだった。勘違いをずっとしていた。
誰もそんなこと、許していなかったのだ。
いつかはこんな指示が下るとわかっていた。でも、体が動かない。これは恐怖なのだろうか。消えてなくなることへの恐怖。一度体を喰われたからわかる。あのなんとも言えない空虚な気持ち。それが全身に広がると思うとエスオには絶望しかなかった。
あの、もといた貴族の家族たちに会いたい。
しかし、それは今や遠い記憶の彼方だった。
――――。
三者とも、似たような思いを抱いていた。
これからやってくる者とはできれば接触したくない。
あの力の差を見せつけられては、どうしても気持ちが奮い立ってくれなかった。完全に戦意を喪失していた。でも、エアリアルとの契約も反故にできない……。
三体の人工精霊は、その時がやってくるまで静かにホログラムを見つめつづけていた。




