1-8 眠れぬ夜
ダイニングに行くと、ゆかが手際よく料理を食卓に並べていた。
「あ、梁子さんも手伝ってもらえますか?」
「はい」
梁子は返事をすると、箸やら調味料やらを取りにいく。
そうこうしているうちに大黒がお堂から戻ってきた。
席に着くと、ごく自然にゆかがそこへお茶を持っていく。
上屋敷家はとても広い。およそ10LDKの大邸宅だ。
だが、その割にいっさい家政婦を雇っていない。
家事はすべて母のゆかが担当している。
この広さの屋敷に対して変だと思われるかもしれないが、どうして雇わないのかというとサラ様の秘密を外にもらさないためだ。
普段は梁子も手伝ったり、年末は大黒も大掃除に参加しているので、あまり問題はない。
ライフラインもほぼ自給自足だ。
屋根の上には太陽光パネル。敷地内に独自の発電機。水道ではなく敷地内の地下水をくみ上げて使用しており、オール電化のためガスは不要。
どうしても工事を入れるときなどは信用の足る、大黒の会社系列の人間に頼んでいる。
「ねえ、母さんはどうして父さんと結婚しようと思ったんですか?」
梁子が唐突に質問した。
テレビを見ながらお茶をすすっていた父が思わず噴き出す。
「あらあら、大黒さん、大丈夫ですか?」
「りょ、梁子! お前は急に何を聞くんだ!」
「別に……父さんには聞いてません。あくまで母さんに言ったんです」
「そうですねえ……」
台拭きで濡れたところを拭きながら、ゆかは答えた。
「大黒さんは……とても優しくて、素敵な紳士だったんです」
「は?」
「意外でしょう? 最初はわたくしも怖ーいお顔の方だと思いましたわ。でもそれに反して中身はとっても素敵な方だったんです。ギャップっていうのかしら? それにわたくし一瞬でやられてしまいましてね」
「うっ……コホン……そうか」
照れたのか、大黒が顔をそらして不自然な咳払いをする。
そういう態度を強面の男がすると非常に気持ち悪い。
いい歳をしてこの夫婦はいったい何をのろけているのかと思うと梁子は軽い頭痛がした。
「えっと……母さんが父さんを好きになったポイントはわかりました。あまり理解したくはありませんでしたが……そうではなくてですね、どうしてこの家に嫁ごうと思ったのか、ということです。上屋敷家は……その、少々特殊でしょう?」
「ああ、そういうことですか」
「ん? どういうことだ? 梁子、まさかお前……」
「いやですわ。そんなたいしたことではありませんよ。そもそもわたくし、上屋敷家だから結婚したんじゃないですもの。大黒さんだったからです。大黒さんという方とずっといたいと思ったから、プロポーズをお受けしたんですよ。まあ、少々変わった風習のお家だとは思いましたけれど……」
「梁子! まさか……男ができたんじゃあるまいな?」
「父さん。少し黙っていてください」
「なっ!」
わなわなと震えながら、大黒がうつむく。
それを横目にゆかが続ける。
「わたくしもともと楽観主義ですからね~。それに、死んだあとのことなんてわかりゃしませんし。もし、わたくしが先に亡くなったとしても、サラ様とともに大黒さんや梁子さんを守れるんなら、こんなに嬉しいことってないじゃありませんか。ですから、わたくしにとっては悩む必要すらなかったことなんですよ」
「そうでしたか……」
「ゆか! 俺は……梁子がもしやと思ってだな……!」
「はいはい、わかりました、わかりました」
涙目になったガタイのいい男が、自分より背の低い妻によしよしと頭をなでられている。
気持ち悪い光景は視界の隅に追いやって、梁子は今母が言ってくれたことを頭の中で反芻した。
家柄やルールは関係ない、あくまで好きな相手であれば運命をともにできる――。
そんな相手が現れるだろうか。自分をそれほどまでに好いてくれる相手が。そして、自分もそれに見合うほど好きになれる相手が。
梁子はわからなかった。
「なにがあったかはわかりませんけれど……梁子さん、あなたならばきっと大丈夫ですよ。サラ様がお導きしてくださいます。それに……いつかきっと素敵なお相手と巡り合ったときに、今言ったようなことがわかりますよ」
「そうでしょうか。わたしにも……この家を理解してくれる方が……わたしを好きになってくれる方が現れるでしょうか」
「ええ」
「なあ、本当に男じゃないんだな? え? 怒らないから父さんに言ってみなさい。な、梁子?」
ドスッとゆかに軽い肘鉄をくらって、大黒はまたうつむいた。
ゆかはまたキッチンに戻り、料理を運んだりしている。
梁子は思った。
サラ様は、きっとそういうことをいろいろ考えて選んでくれるのではないかと。
きっとすべてを受け入れてくれるような、そういう素晴らしい人を見つくろってくれるに違いない。目の前に、こうして仲睦まじい、いや、仲睦まじすぎるくらいの夫婦がいるのだから。
それが何よりの証ではないか。
不安に思っていた梁子の心に一筋の光が射したような気がした。
「じゃあ、みなさんいただきましょうか」
「はい」
「では、いただきます」
リビングの奥には暖炉が赤々と燃えている。
今日の夕飯はゆか特性のローストビーフとポトフだった。
その夜――。
一人では広すぎるくらいのベッドに大の字に寝そべると、梁子はまだ見ぬ己の伴侶に思いを馳せた。
いったい自分にはどんな相手があてがわれるのか。
お見合いで、か。それとも町で「偶然に」引き合わされるのか。
「いやいや、サラ様に限って『偶然に』なんてありえませんね。きっと引き合わされるのは『必然に』です……」
いまだ誰にも恋をしたことがない梁子にとって、恋愛、とくに他人を特別に好きになるということは、想像が難しいことだった。
幼いころから梁子は告白されたり、同性にも取り合いされることはしょっちゅうだった。
でも、ずっと自分にはサラ様という特別な存在がいたし、他人にも興味がわくことがそもそもそんなになかったので、友達(というかほぼクラスメイトに近い関係)にも必要最低限しかかかわろうとしてこなかった。
うっとうしいほど近づいてくるものには、サラ様がどうにかして遠ざけてくれた。
だから、ずうっと一人でいた。
その方が気楽だと思っていたくらいである。
だが……いざ伴侶、恋愛とはなにかと考えてみるとこれがさっぱりわからない。
「サラ様と同じくらいか、それ以上に特別に想える相手……?」
想像できない。
相手となる男性の姿形だけでも思い浮かべてみようとするが、特別タイプ、というものですら微塵も思い浮かばなかった。
「だめだ……壊滅的ですね……」
我ながらまったく恋愛に関して知識というか、そっち方面の興味がなかったことに梁子は愕然とする。
「はあ~~~」
盛大にため息を吐きながら、抱き枕を引き寄せる。
そもそもなぜこんなことで頭を悩ませていたのだろうか。
それも今となってはよく思い出せない。
「別に……今すぐでなくても……いずれサラ様がどうにかしてくださるんだから……考えなくてもいいのに……」
でもなぜだろう、全部サラ様まかせにしてもいいものか、という思いが湧き上がってくる。
自分でそれくらいどうにかしないといけないのでは、と心のどこかが叫んでいるような……。
突如、ある男の顔が梁子の脳裏に浮かんだ。
「え? いや、嘘でしょ?!」
がばっと起き上がる。
それは、昼間謎の家の前で会った、警官の顔だった。
「なんで!? いやいやいや……ありえませんから!」
さーっと血の気が引いていく。
ないない。アリエナイ。
今思い浮かんだのは、きっと何かの間違いだ。そう、あまり普段考えないようなことを無理やり考えようとしたからきっと脳が誤作動を起こしてしまったんだ。うん、きっとそう。ていうか絶対そう。
梁子はそう急いで結論付けると、掛布団を引っかぶった。
「寝よう……」
だが、いつまでもあの気味の悪い笑顔が脳内にこびりつき、その夜はなかなか眠れなかった。