六
その日から、笹井とよく話をするようになった。けれど教室ではあまり話をしない。同じ教室にいても、属している集団が違うだけで全く言葉を交わさないのが不思議だ。会社と会社の間で交渉が行われるみたいに、グループ対グループでの会話は成立するけれど、グループを抜けて個人対個人の関係が成立することは難しい。笹井はその例にもれず、いつも女子の集団の中で休み時間を過ごしているようだった。不毛な会話、大きな笑い声。そして笑顔の裏で、その場に見合った適切な振る舞い方を常で考えている。
しかし放課後の図書館では、三割くらいの確率で笹井を捕まえられる。笹井の交友関係は広く、運動部から文化部まで、あちこちの活動をつまんでいるようだけが、最近は図書館で過ごす割合が高いらしい。
その理由は、「電気と磁気のことを詳しく知りたくなった」という珍しい理由によるが、そう思うに至ったのにもわけがあるらしい、
「河原でトランペットを吹いてたんだけど」
なぜトランペットなのか、と問いたくなった。しかし、笹井相手では疑問点など無限に出てくる。僕は話の要旨を優先するため質問を控えた。
笹井が河原でトランペットを吹いていると、大学生くらいの男の人が話しかけてきた。男は雑談を求めているようだったのでしぶしぶ相手をしたら、笹井が帰宅部なのにトランペットを持っていることに興味を持ったらしい。あれこれ話しているうちに、男が物理や数学を好んで学んでいることがわかり、やがてこんな話になった。
「音がどうやって伝わるか知ってる」
空気の振動の波、と笹井は答えた。テレビや理科の授業で良く聞く話だから、即答できたそうだ。けれど、次の質問は笹井に疑問の種を植え付けた。男は川面に向かって小石を投げ、円筒状に広がる波面を眺めた。太陽の光が反射して、笹井の目に瞬く光を投げかける。
「光は」
光はいったいなんなのか。笹井は、最も身近にあるはずなのに、その正体をよく知らないことに気付いた。男は、自分の知識が相手より上回ったことを確認したためか、満足そうな表情を浮かべたらしい。曰く「ウザいなって思った」そうだ。
「まず中学で習った電気と磁石の話を思い出すんだ。その後こいつを読めばわかる」
そういって男は鞄から、赤い大判の本を取り出した。表紙には、「電磁気学」とある。
「図書館に寄贈しようかと思ったが、ちょうどいい。あげるよ」
男は、笹井に本を押しつけるようにして去って言った
「ヘンな人だったけど、面白い人ではあったな。それに、私は『光』っていうものを意外とよく知らないこともわかったし」
一秒半で地球を七周半するという、光、その正体がなんなのか。読み終わればそれがわかるという。笹井が本をぺらぺらめくると、ページの右下に年号と日付が入っている。男は読み終わった日にちをメモしているようだった。年号はだいたい三年前。僕や笹井と同じくらいの年齢のときだ。
「だからしばらくは、それを突き詰めてみようと思う」
その言った時の笹井は、遥か彼方まで伸びる旅路に心を躍らせる旅人みたいに見えた。この目を僕は知っている。面白いものを見つけたときの子供みたいな目。それは、兄が持っていて僕が持っていないものの中でも、一番重要なもののひとつだった。
家に帰ると、兄がテレビの前に座り、UFO特集を面白そうに眺めていた。「噂とか、本物かどうかも怪しい映像を使って、番組を最大限面白くしようとしている必死さが面白い」という。悪趣味な楽しみ方だ。
「最近、河原で知らない女子高生に話しかけただろ」
兄はテレビの方に目を向けたままだ。
「ああ、可愛かったかし、いいかなと思って」
何がいいと思ったのか不思議だ。
「帰宅部なのにトランペット持ってる、ヘンな子だったな」
僕もあの本を少しずつ読み進める。あの頃よりも理解力は高くなっているから、挫折した部分までは簡単にたどり着いた。その後は、どうだろうか。




