半端者は愛されない
親の顔も名前も知らない。ただひとつ言えるのは、おれを生んだ女にしてみれば、おれは排泄物に過ぎなかったってことだ。つまり、クソ。おれは厄介なクソだった。
おれが生まれたその国では、独裁政治によって堕胎と離婚が禁止されていた。だから、おれのような「いらないこども」がたくさんあまっていた。いらないこどもたちの面倒を、国がまとめてみていた。
おれは幼少期を、同じ年頃のたくさんのこどもたちと一緒に、大人たちに管理されて過ごした。鶏舎に詰め込まれた鶏のように不自由で退屈な暮らしだ。なにもかも、あらかじめ決められていた。
起床の時間、着るもの、三度の食事の時間と献立、掃除当番、就寝の時間。その日に起こる事柄すべて。
こどもたちは、大人たちを「先生」とよんだ。こどもたちには整理番号が割り振られていた。大人達はいつも疲れていて、似たようなこどもたちの見分けがつかなかったから。ちなみに、おれは66番。丸刈りの頭にでかでかと、66って数字が刻まれていた。
影に色をつけたような、虚ろなこどもたちが灰色の暮らしを送る、灰色の施設。何も生み出さないこどもたちは、惰性的に生かされていた。
味のしないスープを呑みこむ日々を積み重ねていた。そんなある日。おれの世界は一変する。
政変の影響だった。孤児たちが生きていなくても、誰も困らない新しい時代がやってきた。灰色の施設はなくなった。おれは大勢のこどもたちと同じく、暗い場所へと連れて行かれた。
トラックに詰めこまれ、運ばれたこどもたちは、暗い通路に一列に並ばされた。先頭には大人たちが待ちかまえていて、こどもたちを右のトラックに乗る子と左のトラックに乗る子に仕分けていた。おれたちはまるで、工場のラインベルトにのせられた、部品みたいだった。こういう扱いは、慣れっこだったから、当時は気にもとめなかった。
多くのこどもたちが、右のトラックの荷台に詰め込まれた。やがて、おれの番がくる。おとなたちは同い年のこどもたちより一回り大きなおれを、迷わず左のトラックの荷台に詰め込んだ。
荷台は真っ暗だった。移された先の部屋も、真っ暗だった。またここで、起きて食事をして、掃除をして、寝る生活をするんだと、おれは思った。同じ一日の上を、ぐるぐると回り続けるんだと。
ところが灰色の日々は二度とやって来なかった。おとなたちはまず、泣き叫んでいる子どもを、みんなの前に引き摺り出した。そして、きらきらと綺麗に光るナイフで、子どもの首をかき斬った。
鮮血の色彩は鮮烈だった。おれのモノクロの世界に、初めて色がついた。記念すべき瞬間だ。
新しい日がきた。昨日と同じことはひとつもない。昨日までいた子はいなくなり、昨日までいなかった子がやってくる。昨日まで知らなかったことを覚え、昨日までしたことがなかったことをする。
驚いたのは、ここの大人たちは、灰色の施設の先生たちとは違い、おれと他のこどもたちの見分けがつく、ってことだ。おれは、ここの大人たちに気に入られたようだった。
大人たちはおれの先生になった。先生たちはおれの体の大きさに期待していておれの成長は期待に答えた。
おれは大きくなり、力もめきめきつけていった。ナイフを使わなくても、簡単にともだちを倒してしまえた。先生たちはおれを「戦士の素養がある特別なこども」だと褒めてくれた。
おれは他のこどもたちより、進んだ教育を受けた。先生たちの期待に答えたくて、努力に努力を重ねた。グズやノロマは処分されていく。だが、おれは違う。おれを見る先生たちの目が違う。
おれは優等生だから、自分の部屋をもつことを許された。これは格別の待遇だ。他のこどもたちは、便器がわりのバケツがすみっこに置かれた、クソの臭いが充満する雑居房に折り重なるようにして押し込まれているんだから。おれの部屋には、トイレだけじゃなく、家具もあった。
体を小さく折りたたまないと、足が食み出す小さなベッド。ちかちか明減する照明。染みだらけの毛羽立ったカーペット。チャンネルをどれだけ回しても、砂嵐しか映しださないテレビジョンに、ビデオテープを飲み込んだまま吐き出さないビデオデッキ。
とんだポンコツどもの集まりだが、あの頃のおれは、それで十分ハッピーだった。
なかでも、ビデオテープは、おれの宝物だった。それは時間にしておよそ十五分の奇跡。
それは、遠い異国のホームドラマの断片だった。あの頃のおれは、ドラマなんて娯楽を知らなかったから、本物の家族の映像だと思っていたのだが。もっとも、あれが虚構だと知っても、あの映像がおれの心を揺さぶったという事実は変わらない。
くるくると表情を変える、ひょうきんな家族たちが繰り広げる騒動。くだらないことで喧嘩をして、傷ついて、思いつめる。それでも、最後には、家族全員のあけっぴろげな笑顔がリビングに集まった。
お調子者の父親と、しっかり者の母親。二人に愛される三人の娘たち。彼らは小さな四角いテレビジョンの中で、妖精の粉を纏ったみたいに、きらきらしていた。
おれはビデオテープが擦り切れるまで、映像を繰り返し再生した。ところどころ音声が飛ぶようになって、画面がちかちかしたりしても、騙し騙し見続けた。
それももう限界で、ついに再生出来なくなったとき、おれははっきりと自覚した。
おれは、こんな家族のこどもになりたかったんだ。
名前で呼んで欲しかった。愛して欲しかった。特別な子どもになりたかった。
世界で一番愛していると言って、抱きしめて欲しいのだ。
おれはますます、頑張ることを心に誓った。もっともっと強くなれば、先生たちの期待に応えれば、おれもドラマに出て来るこどもたちみたいに、特別な子どもになれるんじゃないかと思ったのさ。
新しい生活は、毎日が真っ赤に輝いていた。しかし、それも突然、終わりを迎える。
ある日、見知らぬおとなたちが暗い部屋に押し寄せた。見知らぬ大人たちはおれの先生たちを銃で撃ち抜き、銃剣で突き刺した。
暗い部屋のあちこちで、真っ赤な爆炎があがる。逃げ惑ったこどもたちは殺され、おれのように、おとなしくしていたこどもたちは、また、トラックの荷台に乗せられた。
トラックの荷台で揺られながら、おれはぐったりしていた。何気なく目許を擦ったときにはじめて、おれは自分が涙を流していることに気が付いた。
見知らぬ大人たちの襲撃を受けたとき、先生たちは一目散に逃げ出した。先生たちはおれのことなんて、少しも顧みなかった。
おれはある程度、特別なこどもだった。だが所詮は、置き去りにされる程度だった。我が子を愛する親ならば、子どもを置き去りにして逃げたりしない。そんなことは、本物の愛情を知らないおれにだってわかる。
次に連れて来られたのも、前にいたのと同じような、暗い部屋だった。連れて来られるやいなや、大人たちはこどもたちを集めた。カメラの前で、最後のひとりになるまで殺し合うように言われた。おれは言われた通りにした。最後のひとりになった。
大人たちは、映画を撮っているのだと言う。おれを映画の主演に据えるのだとも言った。おれはスナッフ・ムービーの花型、異常な殺人鬼として見出された。
ここの大人たちもまた、おれを特別視していた。だが、一度期待を裏切られたおれは、以前ほど無邪気ではなくなっていた。だから、すぐに気が付いたのだ。大人たちが、おれを特別視するのと同時に、おれを危険視していることに。
武装した大人たちの集団が俺の許を訪れる。その脳内には、常にアラートが鳴り響いているんだろう。俺の一挙手一投足に目を光らせ、引き金に置かれた指には力がこもっている。
ここでもおれは特別なこどもだった。他の子どもたちとは違って、猛獣のように恐れられていた。
ここの大人たちも、おれを愛してくれそうにない。
それでもおれは、毎日毎日、おれを恐れるおとなたちの為に、カメラの前でこどもを殺して暮らした。そうしなければ、俺は役を下されるだろう。役立たずは、生き残れない。
くる日もくる日も、目の前にいるこどもたちを殺して暮らした。前の家のこどもたちより、ここのこどもたちは、よく泣いた。大きな声で叫んだ。最初は驚いたが、その音色を、だんだん心地よく感じるようになった。
ここでは、おれの努力に対する賞賛はない。こどもたちの悲鳴だけが、おれの働きへの報酬だった。
おれは、ここで生まれて初めて本物の「女の子」を知った。人間の半分は、女の子で出来ているらしいことも知った。女の子は不思議だ。そこにいるだけで、大人達を喜ばせる。大人たちは競って、女の子たちを手許に置こうと躍起になる。女の子は何もしなくていい。ありのままでいて、特別なのだ。
おれは大人たちと同じように、女の子に注目するようになった。
女の子はとても可愛らしい。ふっくらとした林檎色のほっぺた、飾りつけた綺麗な髪。それらは愛される為に存在する。
おれが追いかけると女の子たちの顔は真っ青になる。綺麗な髪を振り乱して、女の子たちは逃げ惑った。
女の子が転ぶと、ふわりとしたパニエがちらりと見える。レースのソックスも可愛い。細やかな刺繍を施したトップスも、フリルをふんだんにあしらったボトムスも可愛くて、おれはいつも、どうしようかと困ってしまう。おとなたちは血がたくさん出る画を好むのを知っていた。だが、可愛い洋服を切裂くのは気が引ける。
可愛い洋服を切り裂かないように、おれは女の子の顔を刺すことにした。目玉を抉ったり鼻を削いだり耳を落としたり、舌をひっこぬいたりすれば、体を刺したり裂いたりしなくても、おとなたちは文句をつけてこない。
おれは撮影を終えた後、こっそりと捨てられた女の子から洋服を剥ぎ取り、あてがわれた自室へ持ち帰った。
女の子たちの洋服は小さくて、おれの厳つい体は収まらなかった。残念だったが、体にあてるだけでも、満足していた。女の子になって、大人たちに愛される想像をした。