忘れ去られた裏側で
最終話直前なのに視点変更する作者はもちろん私です。すみません。
『わたし』はその様子を、遠く離れた小屋から眺めていた。
レイと呼ばれた少年と、あの黒猫が昔住んでいた小屋。そこから更に離れた場所にもう一つ、今にも崩壊しそうな小屋があることは、わたしを含めごく一部の者しか知らない。
「……ふん」
忌まわしきあの双子と黒猫達が、談笑しながら村を離れていく。わたしは笑った。千里眼、などという馬鹿げた力はこういう時に役に立つものだ。何を話しているのかまでは分からないが、――まあ、幸せなんだろう。あの黒猫のあんな顔、初めて見た気がする。
わたしが悪態をつこうと口を開いた時、背後で物音がした。慎重に扉を開ける音、だ。この音を出すのは、わたしの知る限り一人しかいない。
「――いるんでしょう? いるのなら返事をして」
聞き覚えのある凛と澄んだ声は、何故か震えていた。……色んな意味で珍しい。せっかくだし、返事くらいはしてやろう。
「にゃあ」
「……悪ふざけはやめて。時間がないの」
女の苛ついた声に、私は笑った。やはり、珍しい。
「ふん。わたしに話しかけるなんて何年振りだい? それこそ毎日、食べ物だけは持ってくるけど、話しかけてくることは無かったくせに」
「事情が変わったのよ」
「それはあんたが嘘をついて、色んな人間の運命を変えちまったからかい? ――なあ、秋乃」
わたしがくつくつと笑うと、秋乃は顔を歪ませた。しかし一瞬で頭を切り替えたらしく、いつも通りの事務的な口調に戻る。
「『視ていた』のなら話が早いわ。今の状況は、あなたにとっても望ましくない。分かるでしょう?」
「知らないね。そもそも、わたしは生まれた時から望ましくない状況だったのさ。黒猫が忌み嫌われる村で、黒猫として生まれたんだからね」
「それでも」
秋乃は一瞬の間をおいてから、わたしの目を見て力強く言った。
「あなたの『きょうだい』は自分でその状況を、運命を、未来を変えたわ」
わたしは秋乃の目を睨み返した。秋乃は目を逸らすことなく、わたしの瞳を見つめている。そこに映っている物を、この女なら読み取っているのだろう。
「――ふん。あの黒猫はお友達の少年『だけ』が、記憶喪失になっていると思いこんでいる。自分にもきょうだいが、……わたしがいたことなんて綺麗さっぱり忘れて、笑って、村から逃げて。おめでたい話だ。そんな奴のことを、わたしが尊敬すると思うか? 馬鹿馬鹿しい」
「羨ましいと、思っているくせに」
「……黙れ。大体、わたしはお前のことだって一生許しはしない。わたしの存在を認めてくれた『あの子』を殺すように命令した人間のことなんて。お前があの子の親友であろうが関係ない。あの子を殺したのは、お前だ」
わたしがすっと爪を出すと、秋乃は嗤った。
「その通りよ。私があの子を殺すように命じた。今更許してくれだなんて、思わないし言わない」
「だったらもう、話すことはないね。出ていけ。二度とここに来るな」
「そうはいかないわ。あなたには、私と共にこの村を出てもらう」
決意のこもった声に、私は唖然とする。こいつはこんなにも、意志の固い人間だったろうか。――それよりも、
「あんたが村を出るだって? 村はどうする。それにあんたは」
「この村に、私はもう必要ない。占いなんて、信じてもらえなければただの妄言なの。一度でも嘘をついた占い師の予言なんて、誰も信じやしない。……存在もしない獣も禍神も、私だってもう、必要ないのよ。私がいれば、かえって村を混乱させるだけ。私がいなくなれば、しばらくは騒ぎになるでしょうけれど、やがて平和を取り戻す。――村を守りたいのなら、私は出ていくしかない」
「……それも、あんたの崇高な占いの結果って訳かい」
「さあ?」
秋乃は肩をすくめると、わたしに向かって手を差し伸べた。その手は、妙に汚れている。土の付いた手は、酷く不似合いだと思った。
「あなたは、死にはしない。けれど次の標的として村人から狙われ、悲惨な目に遭うわ。今まではこの小屋で匿ってきたけれど、見つかるのも時間の問題なの。だから早く」
「はいそうですかと、お前についていくと思うか?」
「ついてきてくれないのなら、無理矢理抱きかかえてでも連れていくわよ」
「どうしてそこまで、わたしにこだわるんだ」
わたしの問いかけに、秋乃は首を傾げて微笑む。彼女が目を細めるのと同時に、涙が一粒こぼれて落ちた。
「もう二度と、大切なものを失いたくないからよ。……ね、ハルノ」
あれはいつだったろうか。
この猫ちゃんに名前をつけよう! そう言いだしたのはあの子で、秋乃はそれを笑顔で見守っていた。秋乃はわたしに対して積極的に話しかけることもなければ、わたしを侮蔑したり恐れたりすることもなかった。
二人でというよりも主にあの子が、わたしの名前を考え始めた。クロという名前も候補に挙がったが、「率直すぎるんじゃない?」という秋乃の一言により却下された覚えがある。
あの子は秋乃の方を見て、ふっと笑った。
「決めた。猫ちゃんの名前は、春乃がいい」
黒色からもじったわけでもない名前に、わたしも秋乃も首を傾げた。
「どうして春乃?」
当然ともいえる秋乃の質問に、あの子は笑う。
「ちょうど今、春でしょ? それにちなんだ名前がいいなって。それにこの猫ちゃん、なんとなく秋乃に似てる。だから、秋乃と似た名前がいいなって」
「似てる? わたしとこいつが?」
思わずわたしが口を挟むと、あの子は笑った。ふわりとした、春の空気みたいに。
「似てるよ。悪ぶってるけど、本当はすごく優しいところとか」
「……そういえば、ハルノは知っている?」
小屋の近くにある獣道に足を踏み入れながら、秋乃がふいに声を出した。
「なんだ?」
「あなたのきょうだいの名前。イブキって言うの。あなたの名前と繋げたら、春の息吹。面白いでしょう」
「偶然だろ?」
「さあね」
秋乃は小さな鞄を揺らしながら、獣道を歩く。人間の女にとっては厳しい道のりだろう。それでもきっと、こいつは歩くのを辞めない。いざとなれば本当に、私すらも抱えて歩いてしまうだろう。
私は背後に目をやった。小さな小屋と、村の一部がほんの少し見える程度。
「……ふん。この村ともお別れ、か。こんな日が来るとはね」
特別な感情も込めずにそう言うと、秋乃は息を切らしながらもはっきりと言った。
「けれどいつか、戻ってくる日が来るわ」
「何だって?」
「私達だけではなくあの双子も、あなたのきょうだいも。いつか必ず、この村に戻ってくる。その時にはもう、レイは『ハルカ』の名前を思い出しているし、あなたのきょうだいだって、あなたのことを思い出しているわ」
「――それも占いか」
「いいえ」
秋乃はまるで何も知らない子供のように、くすりと笑った。
「ただの勘よ」
私は秋乃の左手を見つめる。土のついた手に、握り締めているもの。
「……どうして、萎れた花を後生大事に持ってるんだ?」
尋ねると、秋乃は「ああこれ?」と小さな花々に目を落とした。お世辞にも綺麗とはいえない、萎れてしまった花。しかし秋乃は、まるで宝物のようにそれを握り締めた。
「――私や、レイ達の代わりになってくれた命だから」
秋乃はそう言って後ろを向くと、村に向かって微笑みかけた。
「ありがとう。……またいつか」
最終話直前ということで、超拡大版でお送りしました。
……嘘ですすみません。字数制限内に纏める力がなかっただけです。
自分の執筆回はこれで最後だというのに、
レイ達について一切描写しないという暴れ方をするのももちろん私くらいです。
つまり、レイ達については丸投げです。はい。
それではくぃかそ様、最終話お願いします!