逃亡の終わり
人には、いや、猫にだって生きていれば一つや二つは守りたいものがでてくるものだ。
コミュニティかもしれないし、人かもしれないし、はたまた思いかもしれない。それは個人にとって何よりも優先され、ほかのものを犠牲にしてでも守られる。
電話で村長の話を聞いたとき私はこの村の歪さの根っこを、やっとつかむことが出来た気がした。
なぜ猫が黒いだけで殺そうとする。なぜ双子というだけで人として扱われない。
とても人の所業とは思えない行為をする村人は私にとって理解できない人間とは違うものだった。しかし村長の言葉を聴き始めて村人も人間だったのだと知ることが出来た。
別に今までしてきたことを許したというわけではない。ただなぜそんなことをしていたかが分かり、これまでのことが大切なものを守りたいが故の行動だと分かっただけだ。
山を駆け下りるレイを横目で見上げた。たとえほかのものがどうなっても幸せになってほしいと望んだ私の友人。
結局のところ私も村の連中も根っこのところで大差はないのだ。大切なもののためならば、他のものをいくらでも犠牲にすることができてしまう救いようのない愚か者。唯一違うのは私には穏便な選択肢があり、村人は穏便な選択肢がないと思ってしまったということぐらいだろう。
「おい、もう道路まであと少しだ。走り抜けろ!」
村長からの電話の後も村の追っ手たちは執拗に私たちを追いかけてきた。私たちがレイの幸せのため絶対逃げ切ると思っているように、村人たちも大切な人の危険を減らすため必死になって追ってきているのだろう。きっと村人たちの大切な人を守りたいという気持ちは間違っていないし尊いものだ。でもその手段が、目的が、私たちの幸せを妨げる。だから私たちは村人たちの真意を聞いた後でも捕まってやるわけにはいかないのだ。
村の追っ手から逃げ続けようやく木々の間から舗装された道路が見え始めてきた。
村にいたときのどこか別の世界に迷い込んでしまったような雰囲気とは違う、日常の気配がはっきりと感じられた。間違いない、山を抜けふもとの道を渡ればもうそこは「村」ではなくなる。
「逃がすな! 追え、追え!」
雰囲気かそれとも何か指示でも出されているのか、村人たちも道路の外はもはや村ではないと認識しているのだろう。これまで以上に殺気立って私たちを追いかけてくる。
これは逃げ切れるかどうか微妙なところか。
走りすぎてもはや倒れそうなアキラと速度を上げる村人を見比べ私は結論付ける。私や大道が足止めをしてやれば無論間に合うだろうが、大道も私も小さくない危険を冒してアキラを助けてやる義理はない。
「どうした。このままだと村のやつらに捕まるぞ。いっておくがお前が捕まっても私たちは絶対に助けになんて行かないからな」
「そんなことっ、俺はここで、自由になるんだっ!」
歯を食いしばりアキラが走る速度を上げた。前を走るハルカを追い抜き、倒れそうになりながらも足を止めない。村から出てやるという強い信念がこれでもかというほどアキラから伝わってくる。ハルカはそんなアキラを嬉しそうに見つめていた。
先頭を走る私が木々を抜け舗装された道路に転がるようにして駆け込んだ。続いて逃げ切ったかと美鈴さんが、楽しそうに沙耶歌が、ざまぁみろと大道が、そして後ろを気遣うようにレイが山を抜けてきた。
「二人が!」
レイの指差すほうを見ると今にも数人の村人に捕まえられてしまいそうなアキラとハルカが山道を走っていた。二人はいつの間にか遅れていて、ある程度余裕をもって逃げ切ったレイとかなりの距離が開いてしまっている。
――これは間に合わない。
村人に追われる二人が助かるには少なくとも大道の力が必要になるが、複数人を相手にする危険を犯してあいつが素直に力を貸すとは到底思えなかった。かといって大道抜きでは下手をすればわざわざ捕まりに行くことになってしまいかねない。つまり私たちは二人を助けることは出来ないのだ。
私は刻々と村人に迫られる二人を冷めた視線で見つめていた。死にそうな顔をして今にも倒れてしまいそうなアキラと汗を流しながら肩で息をしているハルカが村人から逃げようと懸命に足を動かしている。
そのときふとハルカが私のほうを向いて微笑んだ。追いかけられているという極限の状況でありながらその笑顔はとてもまぶしく澄み切っていた。
「アキラ君をお願いします」
ハルカは体ごとぶつかるようにしてアキラの背中を押した。ほとんど足に力の入っていなかったアキラは大した抵抗もすることが出来ず無様に斜面を転がり落ちてきた。木々の間を転がり抜け怪我こそしていそうだが、アキラは捕まることなく村から出てくることが出来た。しかし――
ハルカは足を止め静かに天を仰いでいた。アキラは自由になり、レイとは話すことが出来た上に貰いうけるとまで言われてしまった。自分のしたことを考えればあまりに過ぎた幸福だったとハルカは満足していた。
このまま村につれていかれたらどうなるのだろうか。自分の境遇が悪くなるのは一向に構わないが、私を人質にレイやアキラを脅すようなことをされないかだけが心配だった。
願わくば私のことなんて忘れて二人が幸せに暮らせますように。
肩に村人の手がかかりぐいと引かれた。乱暴な力に倒れそうになるがとっさにこらえる。
最後に二人の顔を目に焼き付けておこう。涙でにじむ目を開けるとそこには必死の形相で手を伸ばすレイの姿があった。
「ハルカ!」
これ以上迷惑をかけるつもりなんてなかった。これ以上望むつもりなんてなかった。
それでもハルカの意思に反しレイに向かって右腕が伸びていた。
二人の手がつながり地獄から救い出されるようにハルカはレイのほうに引き戻された。レイを忌々しそうに見つめた村人はこぶしを大きく振り上げる。レイはハルカを後ろに下がらせ村人と対面するが、争いごとに慣れていないことが丸分かりで、ガチガチに硬くなった体は迫り来るこぶしに満足な対応ができそうになかった。
まったく、レイには本当に困ったものだ。
すでに駆け出していた私はハルカとレイの肩を足場に村人の顔に飛び掛り自慢のつめで引っかいてやった。私の引っかきなんて微々足るもので、数秒もすれば村人は体勢を立て直してしまうだろう。ただそれは後ろから走ってきたゴリラがこぶしをめり込ませるのに十分な時間だった。
「大口たたいてきたんならしっかり持ち帰れ!」
大道は背中越しでレイに向かって叫び一人で数人の村人を相手取り始めた。ひとりひとりなら何とかなっても、同時に複数人を相手にしてしまっては結果など火を見るより明らかだ。たちまち大道は防戦一方になり体のあちこちを殴られ始めた。
レイはハルカを道まで下ろすと手近にあった木の棒を拾って大道の援護に走り出した。レイに気づいた村人の一人が応戦する構えを取る。覚悟を決めたレイが木の棒を振り上げたとき後ろのほうからよく耳にする声が聞こえた。
「きゃー!」
「助けてくださーい!」
この山一帯に響くんじゃないかという大きな声で沙耶歌が叫び、美鈴さんもその声に負けじと助けを求めた。
声が聞こえると村人たちは途端にあせり始めた。万一この状況を誰かに見られてしまえば、目的達成が不可能になるばかりか村全体に関わる大問題に発展してしまうのは明らかだ。
ハルカだけをつれて帰ろうにもレイと大道が道をふさぎ決して村人たちをたどり着かせない。これにおいて村人たちの目的ははっきりと達成不可能になったのだ。
「戻るぞ、急げ」
村人たちはじろりとこちらを睨みながらも潮が引くようにもと来た道を戻り始めた。
もう私たちは逃げ切ったのだ。
徐々に小さくなっていく後姿が見えなくなり、私たちはその場に腰を下ろしたのだった。
所要により投稿遅くなりまことに申し訳ありません。
EARTHさん、よろしくお願いいたします。