贖罪
獣狩り。
その言葉を聞いて、私の背中に冷たいものが走った。
考えたくない、そして思い出したくない昔話に頭が混乱する。
それと同時に、そして対照的に、どこか冷静な自分がいた。
先ほどまでは私の名前しか思い出せていなかったレイが、その音を聞いただけで獣狩りだと判断できた。
……確実に、記憶を取り戻し始めている。
「――ははっ」
この状況で笑ったのは、アキラだった。
「何がおかしいんですか」
訝しげにレイが言うと、パリパリに乾いた血を拭いながらアキラが呟いた。
「いや、獣狩りってこんなに怖いものなんだなと思って。まさか僕も体験することになるなんてね。――ただ」
「ただ?」
「村人から存在を否定されることだけは、慣れてるよ」
自虐的なセリフを明るく吐きだすアキラに、全員が言葉を失った。が、ここで思考を止めるわけにはいかない。
「他に抜け道は!?」
美鈴さんが声を出すと、ハルカが首を振った。
「私が知っている大きな抜け道は、ここだけです。あとはもう、走って逃げるしか……」
「ただ、問題があるんだよね」
ハルカの言葉を聞いていたアキラが、肩をすくめた。私は頷く。そう、こちらには女性が三人もいるのだ。美鈴さんはともかく、残りの二人は運動音痴のように見える。特に沙耶歌は。
しかし、アキラが次に発した言葉は、私の予想の斜め上を通り過ぎた。
「僕、長距離走れないんだよね。なにせ今までずーっと、屋敷にこもってたから。ついでに言うと屋敷の外、ましてや村の外に出たことなんてないから、逃げてる最中に迷子になったら完全にアウトだね」
問題はお前の方か。私は無言でアキラを睨みつけた。それに気付いたアキラが、私に向かって首を傾げながら笑う。
「イブ……って呼んだら怒られるから猫ちゃん? 何かいい案は?」
こいつ本当に性格悪いな。いやその前に、最悪ここで死ぬかもしれないことを理解しているのか?
――その時だった。
「おい、誰か来るぞ。後ろっ……」
大道の怯えた声に、全員が後ろを向いた。
――確かに、小柄な人影がこちらに向かってきている。しかし、武器も持っていなければ走ってきているわけでもなかった。
「獣狩りの人間? けれど、敵意はなさそうに見える……」
「類人猿のおじさん、このまま車をバックさせちゃいなよ。禍神様の罰ってことで」
レイの声とアキラの声が重なったが、内容の差が激しすぎる。私はため息をついた。類人猿呼ばわりされた大道は、類人猿の意味を知っているのか知らないのか、アキラの言葉は無視して人影をじっと見つめている。
「女の人、かな……」
レイがそう呟いた瞬間だった。
「皆さん、車を降りてください!」
ハルカが若干うわずった声を出した。全員が、人影からハルカへと視線をずらす。
「車から降りてください。大丈夫ですから。あの人は、」
「僕は嫌だよ」
相変わらず空気を読まないアキラが、拗ねた子供のような声を出した。
「僕は会いたくないね。あの人に言いたいことは色々あるけどさ」
「二人とも、あの女性っぽい何かが何者なのか分かったのか!?」
沙耶歌の日本語がいつにも増して崩壊しているが、私には突っ込む余裕もなかった。
視界の端で、レイがドアハンドルに手を伸ばすのが見えたからだ。
「レイ!」
「……知っている人のような気がするんだ」
躊躇わずにドアを開け、車から降りるレイ。それを見ていた沙耶歌とハルカが、そして美鈴さんが降車した。
「――くそっ!」
大道が頭を掻きながら、ドアを開けた。私も後に続く。
アキラだけは面白くなさそうに、車の中で頬杖をついていた。
沙耶歌の持っていた懐中電灯のおかげで、車内よりも相手の顔が見えやすくなった。
レイの言った通り、女性。年齢は四十代半ばといったところか。肩の上で揺れる髪は、毛先だけパーマがかかっていた。
女性は私達を見渡した後、再度レイへと視線をやり、そして俯いた。
「……村人が知らない抜け道があるわ。残念ながら、車は置いてきて貰うことになるけれど。二時間ほど歩けば、完全に村の外に出られる。道を教えるから、私に付いてきて」
水のように透き通った、静かな声だった。羽織っていた薄手のカーディガンを片手で押さえ、女性が踵を返そうとしたその時、
「なんの真似?」
レイの声に、私はギョッとした。――が、その声を出したのはレイではなく、いつの間にか外に出ていたアキラだった。
女性が、無言でこちらを向く。その目に宿る色は、つい最近見たばかりだ。
「僕達を逃がすことで、償うつもり?」
責めるような口調で、アキラは続ける。ハルカが何か言おうとしたが、アキラの声がそれを遮った。
「僕の両親を殺すように命じ、レイを捨て、僕を禍神とした。あんたのその、『占い』の結果をさ」
無言の女性に、笑いかけるアキラ。
「ねえ? 自分の従妹を殺すように命じた時の気分はどうだった? ――秋乃さん」
――罪業感。
アキラと同じ色をした目が、ゆっくりと伏せられた。
ここにきて(またもや)設定をややこしくする、うわの空でした。
くぃかそ様、お願いします!