想起
想定外の事態に、レイはもちろん、あの沙耶歌ですら硬直していた。
「……どうやってここに来たか?」
一方、周りの人間を硬直させた原因であるアキラは、いたずらをした子供のように笑い、肩をすくめた。――次の瞬間、
「皆の者、気をつけろ! 悪の化身はまだ、この村を襲うつもりだ! 同じ血の流れている僕には解る! 僕と同じ姿をした悪魔は明日の早朝、北の方角からやってくる! 北だ、北を守れ! あああ! 駄目だ、僕の中の邪気が力を増している! 皆、屋敷から離れるんだ! 今、僕の姿を見た者には禍が降りかかるに違いない!」
想定外の叫び声に、レイはもちろん、あの沙耶歌ですら硬直した。
一方、その原因であるアキラはふっと表情をなくしたかと思うと、ゆっくりと目を細めた。
「……なんてね。今頃みーんな、屋敷から離れた場所で、北を見つめて震えているよ。その間に僕はのんびりと屋敷から抜け出してきた。――説明はこんな感じでいいのかな?」
「なんで、そんな……」
絶句するハルカに、アキラは微笑みかけた。
「お別れの挨拶をしようと思ったんだ。今度は、ちゃんと」
そこで言葉を切ると、アキラは沙耶歌の方を向いた。
「まず、香坂さん。貴女に会えて本当に良かった。おかげで、少しだけ人間らしく動けるようになったと思う。……今までの僕なら、屋敷を抜け出すなんてこと、絶対にしなかっただろうからね」
私もそう思う。今まで受動的だったアキラが、自らここに来るとは思ってもみなかった。
口を開きかけた沙耶歌から目を逸らすと、アキラはレイの方を向いた。レイの身体が、若干強張る。
それはそうだろう。レイにとっては唯一の肉親であり、――自分を村から追い出した人間の一人でもあるのだから。
「……今は、レイと呼んだ方がいいのかな?」
アキラはちらりと私に目をやると、レイへと視線を戻した。
「レイ。君は、香坂さん達の村に戻るべきだ。ここにいても何一ついいことはないし、……思い出さない方がいいことだって山ほどある。君はこの村のことは忘れて生きるべきだ。もちろん、僕のことも忘れてくれて構わない。僕も、【君との関係】を覚えていないから」
――レイとの関係を覚えていない? それはつまり、自分とレイが双子であることを覚えていない、ということなのか?
アキラの言葉に、ハルカが俯くのが分かった。
誰も何も言わない、何も言えない重い空気の中、アキラだけが淡々と話を進めていく。
「皆が乗ってきた車は何人乗りかな? 今はどこに停めてある?」
「――六人乗りだ。森の中に隠してある。方角は……」
「南、です」
小さな声で答えた大道と、方角を付け加えたハルカ。二人を見て、アキラはふっと笑った。
「ちょうどいいね。今から仮眠をとって、深夜出発するといい。ここに長居するのは危険だよ。――ハルカ。君もレイ達と一緒に、この村を出るんだ」
アキラの声に、ハルカがぱっと顔をあげた。今にも泣き出しそうな顔で、アキラの服を力なく引っ張る。
「なんで……」
「それが君のためだから。君は、レイと一緒の方がいい。そうでしょ?」
ストレートすぎる言葉に、ハルカは黙りこむ。その様子を見ていたレイが、不意に声を出した。
「アキ、ラ? 君も一緒に、ここを」
「それはできない」
取りつく島もないアキラの口調に、レイは息をのんだ。アキラは続ける。
「僕はこの村で、禍神として生きる。――死ぬまで」
そうすれば、君は自由だから。
アキラが小声で呟いた言葉に、私の心は潰されるようだった。
そうだ。私も。
「……私もここに残る」
「猫ちゃん!?」
最初に反応したのが大道だったのがなんとも腹立たしいが、今はどうでもいい。
ずっと考えていたことがある。
私と一緒でなければ、レイはもう少しマシな生活を送れたんじゃないかと。
黒猫の私と一緒だったからこそ、彼は全てを無くしたんじゃないのか。
レイ一人なら、あそこまで執拗な『獣狩り』に遭うこともなかったんじゃなかろうか。
私がいたから。
私が、側にいたから。
「……待って」
片手で頭を押さえながら、レイが私に話しかけてくる。けれどそれを無視して、私は扉に向かって歩き始めた。ハルカによって閉められた扉。だが、空気を読んでいるようで読んでいないアキラが、親切にもその扉を開けてくれた。
「待って……」
――ああ、そういえば。記憶をなくす直前も、彼は私に向かって叫び続けていた。獣狩りから逃れるため、走っている最中。
『待って、待ってよ! ねえ! ――!!』
私はあの時から、いつか別れることを予期していたのかもしれない。だからこそ、全力で走ったんだ。彼が、追いつけないように。
彼が、私と別れることで幸せになるのなら――
「待ってよ、イブキ!!」
彼の声に、私は立ち止まった。獣狩りに遭っていた、あの日のように。
そして、振り返る。ゆっくりと。
「……側にいてよ、イブキ」
あの日と同じセリフを、彼は繰り返した。あの日よりも、力強い眼差しで。
「この猫ちゃんにも、名前をつけよう」
今にも潰れそうな小屋の中。少女はそう提案すると、少年と一緒に私の名前を考え始めた。クロという名前も候補に挙がったが、安直すぎると却下された。
「私の名前も君の名前も、春が関係してるじゃない? だから猫ちゃんの名前も、春にちなんだ名前がいいなあ」
少女がそう言うと、少年はポンと手を叩いた。そして、言った。
「息吹、っていうのはどうかな?」
「イブキ?」
「ほら、『春の息吹』とかよく言うし」
「なるほど、イブキか。……かっこいいし、かわいい!」
少女は満足そうに笑うと、私の方を見た。
「決めた! 猫ちゃん。君の名前は、イブキ。……どう?」
彼は、私の名前を思い出した。
――自分の名前よりも、先に。
物語も佳境……でしょうか。いや終盤?
あ、おめでとう大道! 今回はセリフが二つもあったよ!
誰だよ、こんな使いにくいキャラの詳細設定考えたの。
……私です。うわの空でした。
それではくぃかそ様、お願いします!