色のない屋敷
「今の声は一体なんだ」
「声といいますのは禍神様の部屋の辺りからのものでございますか」
「当たり前だ。それ以外に何がある」
「申し訳ありません。私が粗相をしてしまいましてお叱りを受けておりました」
話の内容を聞こうと耳を澄ますと会話をする二人の声が聞こえてくる。いるのは二人だけ。これならたぶん私達が忍び込んだとは想像していないだろう。しているなら他にも人を連れてくるはずだ。
「……何事もないならいいがあればすぐ私に伝えろ。大丈夫だとは思うがよそ者が入り込まんとも限らん」
「わかりました」
「念のため辺りを見回っておくか。お前もついて来い」
それだけ話すと二人はどこかに歩いていった。足音が遠くなっていく。聞き取れなくなると辺りからは物音一つしなくなった。
とりあえずの危機は回避できたがこれで案内役のハルカを失ってしまった。私だけなら別にたいしたことではない。しかし塀を越えるわけにも小さな隙間を通っていくわけにもいかない沙耶華は、場所を選ばなければこの屋敷から出て行くことはできない。入ってきた道しか分からない私達は脱出が難しくなってしまった。
「そう、これだよ、これ。潜入先で息を殺しどうやって脱出しようか考える。これこそが女スパイの醍醐味じゃないか」
だと言うのに沙耶華は目を輝かせながら何かぶつぶつ呟いていた。震えて動けなくなってしまってるよりはいい。でもこれはこれでどうなのだろう。
脱出の方法を考えているだけマシと取るべきか。これで場面に酔ってるだけだったら私だけその辺から逃げ出してやる。
「沙耶華」
「大丈夫さ猫ちゃん。心配することはない。この女スパイ沙耶華さんが無事外まで送り届けてあげようじゃないか」
「私は来るときに見た塀の隙間から逃げてもいいかい?」
「ちょっと薄情じゃないか。それは最終手段に残しといておくれよ」
相方がこれでは最終手段を使うタイミングはおそらく今だ。そう考えてしまった私を誰も責めることはないだろう。
半ば本気ということが伝わったらしい。慌てて沙耶華が言葉を続けた。
「ちゃんと考えてるからそんな目をしないでよ。私達はこの屋敷の間取りを知らないし、ハルカが戻るのを待つのは現実的じゃない。だから私が入ってきた道を戻っていくしかないと思う」
「考えてるなら初めから言うべきだ」
「少しぐらいこの状況を楽しんだっていいじゃないか。ロマンを失ったら人間終わりだよ?」
沙耶華は口を尖らせて文句を言う。確かにその言葉には一理あるだろう。しかしロマンがあっても人として終わる状況があると知るべきだ。例えば今とか。
「まあいい。私が先に行くから沙耶華は後ろからついてきてくれ。身軽さや耳のよさからいってそのほうがいい」
「了解。私が後ろから道を指示しよう。猫ちゃんの検討を祈る」
沙耶華がウインクしながら親指を立てた。彼女の容姿と相まってその仕草は非常に似合っている。似合ってはいる。ただ沸き出てきたのが気力でなくため息だっただけだ。
もういいや、これが彼女なのだ。諦観というやつを心に宿らせる。もう音がしなくなってから五分ぐらいたっただろう。行こう、さっさと行くとしよう。
少ない気力を総動員して慎重にふすまを開け外に出た。
沙耶華からの指示は右。前方、付近の部屋から物音はない。進んで問題なし。
小部屋から出た私達はことのほか順調に進んでいた。猫の私はあの扉の向こうに人がいるとかそういった気配がなんとなく分かる。これのおかげで助かった場面もあった。ただそうは言ってもここは隠れる場所の少ない廊下だ。順調に進んだ最大の原因はこの屋敷自体にあった。
人が少ないのだ。
私達が歩いてもすぐには出口に着かないほど広いのに、人の気配が驚くほどしない。静かというのとは少し違う。屋敷から生気というものをまるで感じなかった。
これがアキラを取り巻く環境の象徴だろうか。色の薄い何もない屋敷。格子も鎖もないがここは間違いなく牢獄だった。
歩き続けると私達は使用人の勝手口のような場所に着いた。食事前には人が働いているのだろうが幸い今は人がいない。暗く冷たい台所を抜ける。沙耶華が木戸を開け私達は外に出た。辺りを見渡し人がいないことを確認。垣根の隙間を抜け近くの林に飛び込んだ。
「ふう、ミッションコンプリートだ」
「はいはい、おめでとう」
沙耶華はわざとらしく額を袖で拭い拳を合わせるマネをした。果たして女スパイというものはこんなに体育会系だっただろうか。私が彼女の役作りに貢献してやる義理はないから言わないけれど。
「ふふ、私がこの情報を教えてやれば少年も涙を流して喜ぶだろう」
「きっと喜んでくれる。私からもお礼がしたい。レイのためにここまでしてくれてありがとう」
たぶん見つかればただでは済まなかった。そして見つかる危険も低くはなかった。それなのにレイのためにここまでしてくれた彼女に私は心から感謝する。
心を込めて頭を下げた。その結果頭を上げたとき飛び込んできたのは沙耶華の微妙そうな顔だった。
「猫ちゃん、私はそんな聖人君子みたいな人間じゃない。少年のためという気持ちもなくはない。でも一番大きいのは自分のためだ。
このまま関わったら楽しそう。村のやつらが気に入らなかったから鼻を明かしてやりたい。ここで見捨てるような人間になりたくない。
そんな自分勝手な考えでしただけだからそんな感謝されるようなことでもないんだ」
「沙耶華がどう思っていたのか私には分からない。それでも事実として沙耶華がしてくれたことでレイは助かった。だから私はお礼がしたいんだ。ありがとう」
「あー、うん」
もしかしたら彼女は面と向かって感謝されることに慣れていないのかもしれない。赤くなって目を逸らす姿を見てふとそう思った。
この珍しい姿をもう少し見ていたい気もするがもう移動したほうがいいだろう。ここも安全とはいえないし、レイに早く分かったことを伝えてあげたい。
尻尾を揺らして合図を出す。後ろから沙耶華が追ってくることを確認しレイたちの待つ場所へ歩き始めた。
文体が日々変わってる気がしないでもない……。
次はEARTHさんお願いします。