対峙
レイは複雑な表情のまま、しばらく黙り込んでいた。
無理もない。
私には想定の範囲内の出来事だったし、村人のリアクションも慣れたものだった。
が、レイは違う。
いくら事前に説明しておいたと言っても、彼は覚えていないのだ。
人事のように聞いていたこの村での自分の立場が、今の村人のお陰で明確になってしまった。
「帰ってもいいんだぞ?少し仮眠さえさせて貰えれば、俺は帰りも運転できるが……」
デリカシーのなさそうな大道まで、気遣うような声色でそう言った。
見かけに寄らず臆病な大道こそ、怖気づいてしまったのかもしれない。
一見穏やかに見えるこの小さな村で、野生の本能を持つ大道だけは何か禍々しいモノを感じていたようだ。
「何言ってんの、帰りたくなったのはアンタでしょ?
どうする、レイ?あんたの判断に任すよ」
美鈴さんが大道をどつきながら、いつもより大きな声で明るく言った。
演技がかった声だったけど、レイにとってはそれが追い風になったようだ。
意を決した顔をぐっと上げて、彼はしっかりした口調で宣言した。
「僕は帰らない。ここで僕を待ってる女の子に会って、記憶を取り戻すまでは……」
その言葉を待っていたかのように、紗耶歌が満足げに笑みを浮かべる。
対して、大道は大きな体をすぼめて溜息をついた。
掘建て小屋の中は、一年前に私達が出て行った時と全く変った様子はなかった。
木造の小屋、というより、『三匹の子ブタ』の二番目の兄さんが建てた木の家みたいだ。
狼が息を吹きかけただけで、飛んでしまいそうな小さな小屋だ。
あまりに狭いので、無駄に面積を取る大道だけは、見張りをしながら小屋の外に待機させた。
レイ、紗耶歌、美鈴さんは、天井に頭をぶつけないように屈みながら、小屋の中に入って各々観察を始めた。
レイが使っていた小さなベッドには、当時のままの布団まで残っている。
大きさにして八畳くらいだろうか。
すのこを並べただけの床の下はそのまま地面で、
冬は吹き上げてくる隙間風が辛かったっけ。
私とレイはこの小さなベッドで、お互いの体を温め合う様に抱き合って眠ったのだ。
私にとっては、辛い過去の中でいい思い出の一つになっている。
尤もレイはそれさえも覚えてないのだけど。
「ここでネコちゃんとレイは暮らしていたんだな。見たところ台所や、風呂場がないようだが、レイはどうやって生活していたんだ?誰かの援助があったのか?」
狭い小屋の中をキョロキョロ見回しながら、紗耶歌がいい所を付いてきた。
時々、彼女の鋭い観察力にドキっとさせられる。
本当に頭のいい人なんだろう。
変っているのは、その反動なのかもしれない。
天才と変人が紙一重なのを、彼女は身をもって立証している。
レイは紗耶歌の方をチラリと見てから、小屋の中をグルリと見回した。
見覚えはあるのか、時折、眉をひそめては一箇所を凝視したりする。
しばし考えた末、レイは重い口を開いた。
「分からないです。思い出せない。でも、猫の他にも確かに誰かがいたような気はする。
それは覚えてます」
「もしかしたら、その人が件の少女じゃないの? レイの事が好きだったなら、
きっとその少女が資金援助してたんじゃないかな?
でなきゃ、ここに人が住むのは難しいよ?」
美鈴さんも、彼女と同じ所に目をつけたのか、すぐに突っ込んできた。
女の勘ってヤツだ。
レイは二人の意見を聞きながら、首を竦めて苦笑した。
「僕もそう思います。人が住むとこじゃないよ、ここ。
きっと僕はこの村で人でさえもなかったんでしょうね。
誰かが援助してくれてたのは間違いなさそうだけど、ここまでいくと、
もうストリートチルドレンだ。思い出してもいい事ないかもしれない」
しまった!
地雷を踏んだ……。
レイの自虐を聞いて、紗耶歌と美鈴さんは、顔を見合わせてから同時に俯いた。
でも、事実なので仕方ない。
私は寧ろ、こうして彼が少しづつ状況に慣れていくことを望んでいた。
過度な期待をして、理想と違う現実にがっかりするよりは、
最初から期待しないほうがいいに決まっている。
この村に着いてから僅かな時間しか経っていないというのに、
レイの心は早くもささくれ立ってきた。
私は少しでも彼の心が平常であるように、
彼の足に巻きつきながらミャアと甘い声を出した。
その時、外にいた大道の低い声がして、私達は狭い入り口を一斉に注目した。
大道だけではない。
複数の人の声が外から響いてくる。
その声から、どうやら穏やかでない状況になっている事はすぐに分かった。
レイは青褪めてその場に硬直し、頼もしい二人の女性は脱兎の如く入り口の木の戸に飛びついて耳をそばだてた。
私はいつでも動けるように、体を丸めて臨戦態勢に入る。
何となく、村人達の次のアクションを想像していたからだ。
「な、ナンなんだよ、あんたら!?俺達に何か用か?言っとくけど、俺達はただの旅の一行で、別に怪しいモンじゃないぜ!?」
「充分怪しいわい!だが、こっちもあんたらにゃ直接的に用はない。あるのはあの少年じゃ。お前があの子をここまで連れてきたのか?」
「おーよ!あの子、この村出身なんだろ?地元に帰って来たのに文句あんのか?」
「お前はあの子の事を何にも知らずに連れ帰ってくれたんじゃな?あの猫も。
あれは禍をもたらす悪魔の化身だ。誰の許可を得て、
勝手にこの村に侵入した!?」
「おい、俺のネコちゃんの悪口言うんじゃねえ!大体、許可ってなんだ?同じ日本で誰の許可がいるのか、逆にこっちが聞きたいってんだよ!あんたら、平成の現代に何言ってんだ?あったまおかしいんじゃね?」
「余所者がバチ当りな事を抜かしおって……!
とにかく、あの子が中にいるのは分かっとるんじゃ! そこを退け!
どかぬと、こちらも実力行使に出る!」
「面白れえ!やってみな。言っとくけど、じいさんだからって手加減しないぜ?」
「フン、所詮、多勢に無勢じゃ。皆の衆!小屋に火をかけろ!」
ええっ!?
火はマズイ!!
私が驚いている間もなかった。
レイはその声を聞くなり、私をガバっと小脇に抱えて、
入り口にいた美鈴さんを突き飛ばすようにして小屋の外へ飛び出した。
「少年! 待て! 出るな!」
レイに抱えられて外に出た私の耳に紗耶歌の怒鳴り声が届いた。
彼は弁慶のように小屋の前で仁王立ちになっている大道の脇から飛び出すと、
前方を睨みながら怒鳴り返す。
「皆を巻き込む訳にはいかない。庇ってくれてありがとう!
さあ、僕に用があるんですね? 僕の事は好きにしたらいい。
でも、この人達は関係ないんだ。用があるなら僕が聞きますよ?」
レイの胸に抱きかかえられた私は、目の前の光景に目を丸くした。
鍬や金属バットで武装した村の男達が総勢30人ほどが、
小さな小屋を取り囲むようにして、レイと私を見つめていた。
その中から、深い皺が刻まれた日焼けした顔の初老の男性が一歩前に進み出る。
私はその姿を見るなり、驚きで息を呑んだ。
一年前、レイと私がこの村から逃げるように飛び出したあの日、
この男は当時村長の補佐をしていた男だった筈だ。
この男とは顔を合わせたくなかったのだが……
「私を覚えているね? 君達が言う事を聞いてくれれば、
我々も暴力に訴えることはしたくない。まずは私達の指示に従って同行してくれたまえ。」
男性は低い声で最終告知をした。
すいません、少し長くなりました。
南晶でした。
次は白かぼちゃ様、お願いします。