決断
先に言っておこう
すいませんクロさん
そして、彼女を生んだ白かぼちゃさん……
「レイ、クロの説得は私に任せてもらえないか?」
「でも……」
香坂の旅館の裏口で紗耶歌を呼び出したあと、
私はレイを見上げていった。
雨に濡れたメガネを拭くレイは驚いたように固まる。
何かを言おうと口を開きかけたレイを尻尾だけで制す。
「君の決意は知っている。けど、
彼女は『君が頼みこんだ』という、
ただそれだけでOKしてしまうだろう。
それじゃあ彼女の意思を聞いたことにはならない。
それに……」
まだ渋るレイを取って置きの切り札で封じる。
「斉藤夫妻にはちゃんと話しておかないとダメだろ?
あの子供のない夫婦は、なんだかんだで君を本当の息子のように思っているんだから」
「うん、分かってる」
「黙って出て行こうとしてただろ」
レイは茶色の髪を掻きながら、眉を寄せて苦笑した。
「じゃあ、クロさんの説得頼んだよ」
「任せろ」
レイの後姿が小さくなって見えなくなった頃に、
裏口の開く音がして私は振り返った。
「やぁ猫ちゃん、……あれ? 少年はどこだい?
彼に呼ばれていると聞いていたんだが」
「彼は斉藤夫妻と話に行ったさ」
「ああ、なるほどね」
クロは肩をすくめて笑った。
斉藤夫妻はレイが居候をしている、村唯一の農家の夫婦だ。
彼らは悪い人間ではないのだが……少なくとも私は苦手だ。
恐らくレイも、嫌ってはいないにしろ苦手なのだろう、
少なくとも説明に行くのを渋る程度には。
「それで? 君はどうして私に会いに来たんだい?」
「レイは近いうちに、彼の故郷にいるとある人物を訪ねることになった。
それは長い旅になるかもしれないし、レイはこの村にもう帰ってこないかもしれない
そして、何よりその村はレイが行くことを全く快く思わないだろう」
「そうか、それで? それはいつ発つんだい?
もちろん付いて」
私は首の変わりにゆっくりと尻尾を横に振った。
「私が頼みに来たのは同行じゃない。
どうせ斉藤夫妻に話した時点ですぐに村中に広まるんだ。
そうすれば君が聞き逃すわけがない。
ほっといても出発当日に駆け込み参加するだろ?」
「もちろん!」
実によどみない笑顔で笑う彼女に、軽い目眩を覚えながらも、何とか耐え切る。
頑張るんだ私、まだ言わないといけないことがあるんだ。
「私が頼みたいのは同行じゃない、その先だ」
「その先?」
こくんと、今度は首でうなずく。
「レイは自分の事だけを忘れてしまう。
それが何故なのか私にも分からないけど……
けれどあの村に行って全てを知った時、レイは決断をしなければならない。
そしてその決断をするとき、絶対に彼が決断するのを邪魔しないで欲しい」
「…………」
彼女にしては珍しく、紗耶歌は神妙な顔をして聞いている。
――そう、私がレイを追い払った本当の理由はこれだ。
彼女は、美鈴さんや大道の奴とは違って、レイが本当に苦しそうにしているときに、
それを見過ごすことなんて絶対に出来ない人だから。
だから、彼女の説得は私でないと出来ない。
重要な、けれど重たくて潰れてしまいそうな、辛い決断をする時に、
誰かに隣にいてもらって、誰かに支えてもらうのは嬉しいことだ。
誰かに『こうしなさい』と言ってもらうのは、とても楽で幸せなことだ。
けれど、それはあくまで決断ではない、ただ流されただけ。
その後悔は永遠に決断できなかった本人について回るし、
なにより長い目で見て本当には幸せにはならない。
私は、そんなつまらない物をレイに背負って欲しくなかった。
そして、彼女にも『決定的な瞬間を奪ってしまった』という後悔を背負って欲しくなかった。
彼女にも私の言わんとすることが分かっているのだろう。
少しうつむいた顔は浮かない表情で唇をかんだまま止まっている。
「約束できないなら諦めてくれ」
冷たいようだが仕方ない。今もまた『決断の時』なのだから。
「分かった、約束しよう」
重たい表情のまま彼女は顔を上げていった。
「それで? 少年の故郷はどういうところなんだ?」
「山奥の小さな村さ。ここからはまぁ遠いと言っていい所にあるな」
「そうか」
さっきとは打って変わって楽しげな笑みを浮かべる彼女、
いやな予感しかしない。
「あの、何を考えて」
「いや、道中長いなら食料は沢山持って行かないといけないな、と思って。
任せてくれ、私はこう見えても料理は得意だ」
「それは聞いた」
私はがっくりと首を落としたまま言った。
「あのな、移動は車だし、食糧なんかは道中で仕入れられるから、いくらでも」
「そうなのか? なら鍋とかお釜とかがいるか?
おお、包丁もまな板も――そうだ! そもそも火がいるな。
お母さんはまだキャンプコンロ置いているだろうか」
「おーい」
「任せてくれ! 私はこう見えても料理は得意だ!」
「うん、荷物は手で持てる程度にしてくれればいいよ、もう」
もうどうでもよくなった、出発してから怒られてくれ、美鈴さん辺りに。
私の戦いはもう終わった。疲れた。
「そうだ、旅の目的だが」
和服で腰に手を当て、うんうん頷く彼女に少なくない頭痛を感じながら、
ちょっとだけイタズラしてみる。
「レイは昔の恋人を探しに行くんだ」
「そうなのか!」
どんな反応をするかと思って見ていたが、
彼女は思った以上に普通に喜んでいるだけだ。
手を小さくぱちぱちさせながら飛び跳ねんばかりにテンションをあげている。
「そうかそうか、彼には恋人がいるのか!」
「……意外に喜ぶんだな」
「何を言う、恋人がいるのは素晴らしい事じゃないか! だって」
彼女は頂きますでもするように両手を合わせ、にっこりと笑って首をかしげ、
まるで自分のことのように嬉しそうに言った。
「少年が帰っていくのを、確実に喜ぶ人間が一人でもいるんだろう?
それはとても素晴らしい事だ。違うかい?」
私は驚いて――どうしようもなく驚いた。
「まったく」
本当に。
本当に変わった女だ。
「ふふふふふ」
そんな私を無視して、今度はくるくる回りだす。
「あんな事もしちゃっていたのだろうか?
いや、少年はうぶだからな、――はまだだろう。
――がまだってことはないだろうな。とすると」
「おーい」
「ふふふふふふふふふふ」
…………レイ、すまない。さっきも言ったが、私はもう疲れたよ。
「じゃあな、私はそろそろ帰るよ。
ああ、今度は忘れたタッパーも持ってくる。それじゃ」
「おお! ちょっと待ってくれ、少年とその件の彼女の事くわしく……」
私は最後まで聞かずにレイの元へ走り出した。
――すまん、レイ。
やっちまったw
後悔はするけど反省しないww
――南さん、お願いします