恐怖する黒
遅くなったぁ~&間に合った~
期限ギリギリのクセに
品質劣悪ですが、どうぞ!
――――人間の記憶は曖昧なものだ。
昨日の事さえ忘れてしまうのに、10前のことを克明に覚えていたりする。
人間は記憶を取捨選択し、覚えたいこと覚え、忘れたいことを忘れる。
時に改ざんされ、時に添削され、もはや記憶とは過去ではない。
もしかしたら昨日のことだと思っていることも、単なる思い込みなのかも知れない。
いつか、どこかで、私に近しい『誰か』が言った台詞。
私は猫だ、人間とは違う。しかし普通の猫じゃない。
だから、私も同じように記憶を取捨選択をしているのかも知れない。そうと知らずに。
もしかすると、私の中にある忌まわしい記憶もは、単なる『思い込み』で、
私が記憶している程酷いものではなかったのかも知れない。
朝日を浴びた砂浜にある草のかたまって生えた所で、砂が付かないようにうずくまり、
あやふやな過去を思い出していた。
昨日は老人から受け取った本を図書館へ戻しに行くと、カウンターのところに、
『レイは仕事が遅い! 後は私がやるからこっちよろしく!!』
と張り紙がしてあって、それまでに比べて穏やかに時間が過ぎた。
……美鈴さんが回収リストを紗耶歌の所以外埋めてくるとは予想外だったが。
名前の無い少年が来るのを待ちながら、波音に耳を澄ましていると、
微かに砂を踏む音が聞こえた。
少年が来るには少し早い、そう思って顔を上げると、
そこには和服を着た紗耶歌が立っていた。手に何か小さなものを持っている。
(そしてなぜかブーツを履いている)
「少年はまだか?」
「……どうしてここを?」
「ずいぶん前、少年にここで毎朝名前を考えるんだと聞いてな」
紗耶歌の長い髪が、吹き始めた海風に吹かれて小さく揺れる。
「何故和服なんだ?」
「ああ、今日は実家を手伝うことになっているんだ、どうだ? 似合うか?」
そう言って袖を広げて一回転する。
「いや、ブーツが合わない。草履を履いてくるべきだった」
「仕方ないじゃないか、私はあれで歩くと転んでしまうんだ」
こう見えて彼女は結構ドンくさかったりするのだ。
「それでよく旅館が勤まるな」
「料理は得意なんだ」
そう言って彼女は胸を張ったあと、手に持っていた小さなもの――タッパーを開けて、
屈んで私の鼻先に持ってきた。中には魚の刺身が入っていた。
「今朝獲れたそうだ、美味しそうだろう?」
赤い魚の切り身は、程よく油が乗って光っており、
上に適度に乗ったネギが青く映えていた。
添えられた小さな菊の花と盛られたわさびが、
「ただの魚の切り身」を「一流の料理」へと昇化させていた。
「確かに美味そうだ」
「だろ?」
そういって彼女はタッパーを鼻先から取り上げた。
あれ? てっきりくれるものかと思っていたが……。
紗耶歌は屈んだまま誇らしげに持っていた小さなチューブから醤油をたらし、
器用にタッパーをひざの上に載せた後、
「いっただきま~す」
と言った瞬間、固まった。
「どうかしたか?」
尋ねると彼女は泣きそうな顔で、
「箸を持ってこなかった」
本気で落ち込んでいた。
結局、刺身は私が貰うことになり、しぶしぶ私の鼻先にタッパーを置くと、
さっとその場で立ち上がった。
「少年には?」
紗耶歌は少し寂しげに笑うと、ゆっくりと首を振っていった。
「いや、いいんだ」
「そうか」
「そうだ、猫ちゃん」
すでに歩き出していた紗耶歌が長い髪をゆらして振り返った。
「なんだ?」
「君は自分を人見知りだと言うけどね、君は人見知りじゃないよ」
「それはどういう」
意味かと問う前に、遮るように彼女の言葉が刺さった。
「人見知りはただの恥かしがり、君は恥かしいんじゃなくて怖いんだろう?
初めて会う人間に害されるのが怖くて、安心できないんだろう?」
思考と体が固まって動かない。
呼吸が苦しく、体中の毛が逆立つ。
耳が大袈裟に心臓の脈動と血流を捉える。
「君の過去に何があったか知らないけど、
少なくともこの村の人間は恐れるほどではないと思うよ」
そう言い残し、彼女は背を向けたまま手を振って去っていった。
怖がっている、恐がっている? コワガッテイル……
彼女の残した言葉に、私はただ震えて縮こまる事しか出来なかった。
「どうしたの?」
どれくらい経っただろう。
私の横に座ったのは今は名のない少年だった。
相変わらずクシャクシャな髪が風に揺れて海草のようだ。
昨日と同じお気に入りの黄色いパーカーを羽織り、
丸いフレームのメガネが朝日を浴びてキラキラ光っている。
私が答えぬまま少年を見上げていると、少年はにわかに眉をひそめ、
「君……僕の事分かるよね?」
「…………にゃ~」
「ごめん、猫違いだったね」
「あ! こら待て! 私だ私!」
立ち上がってどこかへ行こうとする少年を急いで引き止める。
不安げな声色が面白かったので、少しからかってやろうかと思ったが、
やりすぎたようだ。
「本気でどうか分からないから、その冗談やめて」
「私の毛並みと目で判別ぐらい付かない?」
「判別ついたと確証が持てないから確認したんだ」
「そうか」
「…………」
「…………」
それきり会話が途切れる。
朝日は淡く、朱より濃く、鴇色よりは明るい、
名付けるなら夜明け色とでもいえばいいのだろうか、
独特の色と明るさで世界を照らし、一日は始まっていく。
「名前はいいのか?」
朝日が水平線からはなれた頃、少年に視線を向けないまま尋ねると、
「もう決めたから」
と、少年は首を振って答えた。
「今日は何?」
恒例の、そして軽く万は訊かれたであろう質問に、少年は初めて言い淀むと、
そっと私から目を逸らし、呟く様に名乗った。
「レイって……名乗ることにした」
驚いた、これまで同じ名前を二日連続で使うことなんて無かったのに。
「……なぜ?」
ワンテンポ遅れて聞くと、少年は――レイははにかんだように笑って、
「僕は記憶がない、零だから」
これもまた異例だった、彼が自分を題材に名乗ることなど今までに無かったから。
私が何かを言う前に、レイは詰め寄るように私を見つめた。
「ねぇ、君は覚えているんだろう?」
「……何を?」
本当は分かっていた、彼が何を訊きたがっていたのか、
いや、『いつ』の事を訊きたがっていたのか。
「僕がこの村に来た日の事」
即答したレイから顔を背け、私は天を仰いだ。
もう明るくなった空は赤ではなくすでに青く、
レイが来るまでは確かにあった夜気はすでにどこかへ散った後だった。
「――人間の記憶は曖昧なものだ。
昨日の事さえ忘れてしまうのに、10前のことを克明に覚えていたりする。
人間は記憶を取捨選択し、覚えたいこと覚え、忘れたいことを忘れる。
時に改ざんされ、時に添削され、もはや記憶とは過去ではない。
もしかしたら昨日のことだと思っていることも、単なる思い込みなのかも知れない」
私はそこで言葉を切った。
臆病者の私は、一体何を彼に言ってやれるだろうか。
レイは何も言わずじっと私を見つめたまま耳を傾けている。
見上げたままの姿勢で目を細めると、
視界の端を細く細く、飛行機雲が横切っていった。
言うべきか言わざるべきか……。
朝日はどんどんと昇っていった。
ちょっと文字数オーバー
どうしてもこれ以上短く出来なかった……
ごめんなさいごめんなさい!!