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架空の玉座

作者: 三つ目茶碗

 夜露に濡れた草木が私の全身をうっすらと濡らす。少し前まで嵐のようなひどい雨が降っていたため土の地面は泥濘を極めていた。今や嵐は遠ざかり、雲が退き丸い月が森を冷たく照らし、時折吹く風に触れた素肌はひんやりと冷やされた。雨上がりの夜が好きで、涙を流した後みたいに、景色や空がいつもより鮮明に、そして遠くに見える。今私が歩いているこの森こそ、私がいつも想像する、理想の夜の森だった。


 死んでしまうなら今日しかないと思った。こんなにも死のためにあるような場所もそうないだろう。死後の世界に羨望があるわけでもないけど、今後数十年、自分の命が繋がれている想像がずっとできなかった。想像を絶する悲劇を経験したわけでもないし、自分なりに満足できる成功体験があったわけでもない。そんな抑揚のない人生に、嫌気がさしたのかもしれない。

 死ぬなら水の中がよかった。毒を呷って、静かな池に沈む想像をよくしていた。デンマークの川に溺れる前、歌を口ずさむオフィーリアに、私はなりたかった。

 そうした理想の森の中で、理想の水辺を探していた私の前にある建物が現れたのは、月が私の遥か頭上に来た時だった。

 そこまで広い森ではないのに、こんな建物などあっただろうか。こじんまりしているが立派な作りで、人の手がもうずっと付いていないのは明らかだ。何かの公共施設だろうか、外から見ただけでは見当もつかない。この建物の中に理想の水辺があるとも思えないけど、私はガラスが崩れ落ち、扉としての機能を果たしていない扉を開けて入口に入った。風が吹く。それが私の髪を撫でる。

 中はやはりただの廃墟だった。散乱した木材やガラスを踏むと軽快な音がする。受付があることから何かの施設であることは分かるが、それ以上は分からない。思いのほか窓が多く開放的な作りになっているため、月明かりに照らされた館内は明るかった。さらに奥へ進むと、長い回廊に出た。右側の壁は窓、左側の壁にはガラスが埋め込まれていて、その奥は立方体型にくり抜かれている。それが回廊の奥までいくつも作られていた。きっとこれは水槽だ。水こそ入っていないが、ガラスの奥の立方体には細かく白い砂が敷き詰められている。更によく見ると、水槽の壁には小さなプレートが掛けられていて、「カクレクマノミ」、「ミズクラゲ」等、その他聞いたこともない水生生物の名前がたくさんかかれていた。「水族館の廃墟」、というのが私の出した結論で、それ以外に考える理由もなかった。私は何も入っていない水槽を一つ一つ眺め、かつて優雅にこの中を泳いでいたであろう魚たちを想像する。そして彼らが、もう生きていないことも。

 回廊からさらに奥へと進むと、二階へと続く階段があった。月の光が入りやすい階上は、一階よりも更に青白かった。手すりが朽ちている階段を上り、また同じような水槽の回廊にでた。取り立てて言うことはもうないが、壁に掛けられた「魚の寿命くらべ」というタペストリーに見入った。そこにはたくさんの魚の寿命が書いてあったが「金魚 三十年」と書いてあることに驚嘆した。私は、金魚より長生きできる自信がなかった。

 回廊を超えると、この水族館の目玉であったであろう大水槽に出た。「日光浴」という名前の水槽らしく、天上が存在せず吹き抜けになっていて、水中に直に日光が入ってくる作りになっていた。雨の影響か元からなのか、白い砂が敷き詰められた水槽の床には十センチほど水が溜まっていた。今や陽の光ではなく、月の光に照らされたそこは、細かい雨が降り注ぐ冷たい海辺みたいに見えた。

「謁見か」

大水槽に見とれていると、背後から低い男の声が聞こえた。振り向くと老人がこちらを見ていた。この廃墟に住む浮浪者かと思ったが、やけに服装や身なりがこぎれいで、とてもそうは見えなかった。この水族館の所有者かと思い、急いで謝ろうとしたが、彼は特に咎める様子もなくこちらを見ながら言った。

「ここに来たということは、謁見かと思ったのだが」

「謁見とは何ですか」

我ながら、他に聞くことがあるだろうと思ったが、彼の言う「謁見」ということがやけに気にかかる響きであったこと、皺を多く刻んでいる彼の顔に、不思議な親しみを覚えたから、警戒せず本題に入れたのかもしれない。

「付いてきなさい」

 大水槽の反対側にある、従業員専用と書かれた扉を開けて中に入っていく老人の後を追って、私は歩き始めた。従業員通路には窓がなかったが、崩落か何かで崩れた天井のおかげで、やはり青白かった。壁際に置かれた暗い木造の棚には、様々な魚の骨格標本が飾られていた。限りなく小さいもの、刀のように細長いものなど、どのような魚も通路の奥を向くように飾られていて、同じ方向に向かう私をいざなっている様に見えた。

 さらに奥へと階段を上り、三階のある扉を開けると、そこは「日光浴」の真上だった。従業員の点検用にあったであろう梯子を降りて、大水槽の中に足をつけた。浅く、透明な水が白い砂とともに揺らめく。白い砂に反射した月光のおかげで、水槽の中は夜とは思えない程明るかった。老人が奥へと進み、私もそれに続く。パシャパシャと心地よい水の音を響かせながら、その水槽の最奥についた。

 彼が言うに、そこは「玉座」だった。こじんまりした木造の椅子が置かれていて、周りには数えきれないほどの献上物があった。キャンパスに描かれた絵、北欧の陶芸品、古いカメラ、インクの入った小瓶、丁寧な装丁の本、動物の頭蓋骨……。おおよそ思い出と呼ぶには、いささか慎み深すぎる品々が積み重ねられ、小さな山のようになっている。老人曰く、ここには行き場を亡くした人々が訪れ、何か献上物を持ってきて、玉座に座る架空の王に祈りをささげて帰り、二度とここに来ることはないという。

「思い出の品、忘れたいもの、なんでもいい。ここに来たということは、人生が愉快ではない証拠だ、なにか献上して、祈っていくとよい」

「玉座にいるのはどんな王なのでしょうか」

私がそう聞くと、老人は人差し指で彼自身の頭をトントンとたたいた。

「想像力さ。決まった姿も、役割もない。君が決めて、君が勝手に救われれば良いんだ」

私は、理想の死を求めるためにずっと持ち歩いていた小さな瓶を取り出した。中には人工の毒液に満ちている。毒液とは言われながらも、その液体は酷く透明で、逆にそれが、私の存在すら打ち消してしまいそうな心地にさせてくれていた。私はたなごころで眠る妖精を、そっと地面に寝かせるような動作で、その瓶を白い砂の上においた。水に沈んだそれは、ずっと前からここにあったかのように見えた。その後私は玉座の前で跪く。水に触れた膝が冷たかった。目をつむりながら、私は想像する。この玉座に座っている架空の王は、私の中では幼い少年だった。彼は今日みたいに月が青白くこの水族館を照らす夜、回廊の水槽や廊下の標本を眺めて過ごす。夜明けが近づくとまたこの玉座に座り、「日光浴」を眺める。そして彼もまた、この水槽が水で満たされ、たくさんの魚が悠々と泳いでいた頃の様子を想像している。


初投稿作品です。

今後、他のジャンルでも投稿予定です。

感想などございましたら是非、お願いします。

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